« 取り越し苦労の子守歌 | トップページ | タクシーの運転手と客の会話・韓国編 »

吾妻橋再会

8月23日(日)

タクシーの運転手と客の会話より(2013年1月5日)

「私が通っていた大学は、3年生になると、学部に進学して、それぞれの専門の勉強をはじめる。

3年生のときに、私と同じゼミに、1人のおじいさんが入ってきた。Mさんである。

Mさんは、長らく会社を経営されていたが、引退を機に、自分が若いころに勉強したかったことを勉強したいと思い、私のゼミの先生の門をたたいたのである。

つまりMさんは、私と机を並べて勉強した、同級生なのだ。

Mさんとたまにお酒の席で一緒になって、ことあるごとにお話を聞いた。それはそれはもう、壮絶な人生だった。

大学で勉強したい、という志もなかばに、学徒出陣で戦地に赴き、戦後はシベリアに抑留され、想像を絶する苦難を経験する。日本に戻ってからは、生きるために働き、商社に勤める。

そして、引退後、ようやく、自分の好きな勉強ができたのである。

Mさんの人生にくらべれば、私など、なんと生ぬるい人生だろう。

Mさんは、それから10年以上、ゼミに出続けた。私が東京を離れたあとは、こんどは後輩である私の妻が、Mさんの話し相手になった。

そんなMさんも、もう90歳を越え、かなり足腰も弱くなった、と聞いた。つい最近、奥さんを亡くされ、いまは1人で暮らしておられるという。いまはたまに、妻が手紙のやりとりをする程度である。手紙には、さびしい生活をしている、と書いてあったという。

妻と一緒に、Mさんに会いに行かなきゃなあ。

タクシーの運転手さんの話を聞いて、そんなことを、思った」

さて今年(2015年)の1月、Mさんから年賀状が来た。

Mさんは、ご長男の家に転居されたという。「浅草から吾妻橋を渡ったところで、東京スカイツリーがすぐ近くです」とあった。

ご無沙汰をしているMさんに会いに行きたいと思いつつ、そのままになってしまっていたが、日程調整をして、今日、妻と二人でMさんのお宅にうかがうことになった。

年賀状に書いてあるとおり、Mさんのお宅は、スカイツリーをすぐ近くに見ることができる高層マンションだった。

事前に息子さんから、「すっかり足腰が弱くなってしまい、ほとんど外に出歩けない」「耳が遠くなってしまったので、こちらの話すことが聞き取れないことが多い」とうかがっていたので、お会いしたとしても、どのていどお話しできるのか、少し心配だった。

しかしその心配は、杞憂に終わった。

午後2時にご自宅にうかがってから、午後5時45分までの3時間45分、Mさんは休むことなく、私たちにお話しになった。

「脳だけはまだ大丈夫だと医者に言われています」とMさん。Mさんのお話は、尽きることがなかった。

正直なところ、私がいちばん聞きたかったのは、旧制高校在学中に、学業の志半ばに学徒出陣で戦地に送られ、その後、シベリアに抑留され、苦役させられた頃のお話であった。

しかし、そのことは多くは語られなかった。

ただ、「今でも一人で寝ていると、あの頃のことを思い出し、自分が生き残ったことの意味を考える」とだけおっしゃった。

私たちに語ってくれたのは、もっぱら旧制高校時代の思い出である。

「あの頃がいちばんよかった。寮生活でね。朝から晩まで、みんなで議論ばかりしていた。自由な雰囲気だった」

と述懐された。

話を聞きながら思った。

人は年を重ねるごとに、楽しかった頃の思い出を、胸に抱いて生きるものなのだ。

Mさんは1冊の本を取り出した。

色あせた小冊子の表紙に、『愛唱寮歌集』というタイトルが書かれている。

「私が通っていた旧制高校の、寮歌集です」

「寮歌集?」

私は不勉強で知らなかったのだが、どの旧制高校にも寮歌というものがあった。もちろん校歌もあったのだが、校歌が歌われるのは入学式の時の1度だけである。もっぱら学生たちが集まると歌うのは、寮歌だった。

その寮歌は、一つではなかった。毎年、その高校の寮生やOBによって作られ、歌われた。だから一つの旧制高校に何十もの寮歌があったのである。

「息子はね、また寮歌の話か、って呆れますけど、私にとって寮歌は、高校時代を過ごした証なんです」

ひとしきり、寮歌についての思い出話をされたあと、Mさんが言った。

「その本、あなたに差し上げます」

「え?いいんですか?」

私は驚いた。「寮歌集」は、Mさんにとって青春の思い出ではないのか。

「私がかつてこういう寮歌を歌っていたということを、たまに思い出してください」

こうして、3時間45分にわたるMさんとのお話しが終わった。

ずっとMさんのかたわらにいた息子さんが、別れ際の玄関先で、私たちに言った。

「親父がこんなに長い時間話をするなんて、きっと嬉しかったんでしょう」

「またうかがいます」

「また来てください」

マンションの外に出ると、夕方の風がひんやりしていた。

「もとめても もとめても

ときがたき こころかな

わがともよ ともにつどいて

ひとのよの いのちなげかん」

私は「寮歌集」に載っていた寮歌の一節を、思い出していた。

|

« 取り越し苦労の子守歌 | トップページ | タクシーの運転手と客の会話・韓国編 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 取り越し苦労の子守歌 | トップページ | タクシーの運転手と客の会話・韓国編 »