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死の島

8月15日(土)

福永武彦の長編小説『死の島』を、今になって読み始める。

福永流の実に技巧的な作品で、しかも福永文学の永遠のテーマである「人間の愛と孤独」を全面に出した小説だが、この小説では原爆という現実の政治的事件が主題となっている点が、他の小説とは異なる大きな特徴である。

出版社につとめる小説家志望の相馬鼎(そうまかなえ)、画家の萌木素子(もえぎもとこ)、そして素子と同居している相見綾子(あいみあやこ)の三者をめぐる物語。

本当は読後感を書くべきなのだが、まだ読み終わってないし、読み終わったとしても、書けるかどうかはわからない。

以下は、相馬鼎と萌木素子の何気ない会話の場面だが、今日という日に、たまたまこの部分を読み、印象に残ったので、心覚えのために(会話部分だけを)引用する。

「一体、相馬さんは平和って何だと思うの?」

「平和ですか。平和は、そうだな、人間の本能的な希望でしょう」

「そうかしら。本能的には、人間は闘争の方に向いているんじゃないかしら。穏やかに、何ごともなくて、無事に暮らしていけるなんてのは、それこそ夢もいいところじゃない?放っておけば人間どうしはいつでも喧嘩を始める、国家どうし、民族どうしはいつでも戦争を始める。それが本能なんじゃなくて?」

「性悪説ですかね」

「茶化さないで頂戴。わたしは、平和は選び取るべきもので、黙っていて与えられるものじゃないと思うの。日本人は戦争に負けて平和を与えられた。平和を強制された。それで日本人はみんな平和を満喫して、平和ほどいいものはないと言っている。一体それが平和かしら。そんな済し崩しの平和なんて、いつまで持つと思っているのよ」

「どうもよく分からないな。そんなことを言ったってしかたがないでしょう。戦争はとうに終わった。日本は目下平和である。いかにして平和を維持するか、それが問題なんでしょう?」

「国際的にはね。戦争は御免だということは、わたしたち日本人はみんな知ってるわ。戦争が終わって九年経ったけど、日本人はそんなに健忘症じゃないわね。誰も戦争なんて欲しがりません。他の国のごたごたで戦争に引込まれるなんてのは真平よ。でもね、わたしたちの一人一人にとって、平和が与えられたもので選び取られたものでない限り、いつどうなるか分らないわ。群集心理ってものもあるし、無意識的なものもあるし。問題は一人一人の心の中なのよ。相馬さんはどう?」

「僕は平和主義者ですよ。言うまでもない」

「あなたは人生の肯定者なのよ。お目出たい人よ。あなたの平和は一つの状態なので、深淵と深淵との間に懸けられた懸橋じゃないわ」

「何ですこの懸橋ってのは?」

「もう遅くってよ。あなた出掛けるんでしょう?」

「出掛けます。議論はまたこの次ね」

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