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2015年9月

懐かしむためにある場所

コラムニストの小田嶋隆さんの文章が好きである。

あのまわりクドい文体が、私にとっては心地よい。

ごくごく最近に出た小田嶋隆『超・反知性主義入門』(日経BP、2015年9月24日発行)を、出張の移動中に読む。

「日経ビジネスオンライン」上で連載していた「小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句」というコラム(このコラムのタイトルも、人を食ったようなタイトルだが)がもとになっている。時事的な話題を、小田嶋さんなりの視点であーだこーだと書いている。

私はその小田嶋さんのものの見方にも、いちいち共感しているのだが、全体にシニカルでクールな物言いをしている文体のなかで、ひときわグッと来たコラムがあった。

「大学に行く理由」と題するコラムである。

いま、日本の大学は、とても大変な状況にある。

大学を「グローバル」と「ローカル」の二元論的発想で区分しようとしている。

その上で、「すぐれたエリートがグローバルに羽ばたき、劣った者がローカルにとどまる」ような教育をもくろんでいる。

ごく一部のエリートには、最先端の研究を行わせ、他の人間には、産業に必要な実践的な教育さえやっていれば十分だ、というのが、いまの指導者たちの考えである。

つまり、大学で学問なんぞ必要ない。すぐに役に立つことさえ教えていればいい、というわけである。

これに対する小田嶋さんの批判は、全体に的確で、痛烈で、シニカルである。それについてはぜひ本文を読んでほしい。

私がグッと来たのは、次の文章である。

「大学は、そもそも産業戦士を育成するための機関ではない。労働力商品の単価を上げるための放牧場でもない。『じゃあ、何のための場所なんだ?』と尋ねられると、しばし口ごもってしまうわけなのだが、勇気を持って私の考えを言おう。大学というのは、そこに通ったことを生涯思い出しながら暮らす人間が、その人生を幸福に生きていくための方法を見つけ出すための場所だ。きれい事だと言う人もいるだろう。が、われわれは、『夢』や『希望』や『きれいごと』のためにカネを支払っている。なにも、売られて行くためにワゴンに乗りにいくわけではない」

大学は、そこに通った人間が、通ったことを懐かしむためにある場所だ。

本人が通ったことを後悔していないのなら、その時点で採算はとれている

小田嶋さんにしてはめずらしく感傷的な文章で、これを読んで、ちょっと涙ぐんでしまった。

大学が職場だったころ、自分が教えていたことが、はたして社会に出て何の役に立つのだろう、と、いつも自問自答していただけに、この言葉に救われる。

おーい、私の卒業生たち。

君が通っていた大学は、懐かしむに足る場所だったろうか?

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インサイド・ヘッド、再び

話を、ピクサー製作のアニメ映画「インサイド・ヘッド」に戻す。

ええええぇぇぇぇっ!!そこまで戻るのぉ?

この映画、妻に言わせると、「ストーリーは凡庸だったけど、映像に工夫が凝らされていて、かなり出来がいい」という。いかにも妻らしい評価である。

私はと言うと、映像云々よりも、内容の細かいところについ気をとられてしまう。

この映画は、11歳の女の子、ライリーの脳の中にある「喜び」「悲しみ」「怒り」「恐れ」の4つの感情が主人公で、擬人化された4人が、ライリーの脳内で活躍したりしなかったりすることで、11歳の少女の感情が揺れ動く、というお話。

脳の中で、「喜び」が活躍すればライリーは微笑むし、「悲しみ」が幅をきかせればライリーは悲しい気分になる。

11歳の時、ライリーは、田舎町のミネソタからサンフランシスコの大都会に引っ越すことになった。

しかし、転校をきっかけに、ライリーは誰ともうちとけられないまま、どんどん落ちこんでゆく。

脳内にいる「喜び」は、何とかしてライリーに元気になってもらおうと頑張るが、なかなかうまくいかない。「悲しみ」とか「恐れ」といった感情が脳内で活躍してしまうのである。

私の心にひっかかったのは、次のような場面である。

ライリーはいつも、ミネソタにいた頃の親友のメグと、スカイプを使ったテレビ電話をする。

ライリーとメグは、アイスホッケーで同じチームになったことをきっかけに知りあい、無二の親友となった。ところがライリーの転校をきっかけに、二人は離ればなれになってしまう。

転校先でなかなか友だちのできないライリーは、メグとスカイプで話すことが、とても楽しみだった。メグも同じである。

しかし、である。

ある時メグは、ライリーにこんな近況を語る。

「最近、アイスホッケーのチームに、すごい上手な友だちが入ってきてくれて、一緒にアイスホッケーをやっていて楽しい」

メグからしたら、何でも話せる親友のライリーに話して当然の近況報告なのだが、ライリーは、この話を聞いてとたんに不機嫌になった。

そして一方的にスカイプの回線を切断してしまったのである。

このとき、脳内で何が起こっていたか?

ライリーの脳内には「喜び」が不在で、ライリーは喜びの感情がわき上がらなかったのである。

むしろ、

(ふーん。もう私って、必要ないんだ…)

というマイナスの感情がオモテにあらわれたのであった。

どうということのないエピソードなのだが、これに近い感情は、誰しも一度は抱いたことがあるのではないだろうか。

私自身は転校をした経験がないのだが、そうでなくとも、これに似たような感情を抱いたことはある。

この場面を見ていて、私の中にあるその記憶というか感情が、掘り起こされてしまったのである。

これはもう、完全なカウンセリングだな。

日本語には「虫の居所が悪い」という言い方があるが、この映画でいうところの「脳内の感情の動き」というのは、つまりは「虫の居所」のことである。虫の居所が悪いと、親友のメグに新しい友だちができた、ということが素直に喜べず、

(ふーん。それはそれは、よかったでございますわね。アタクシなんぞはもう必要ないんでございましょう)

ということになる。

しかし、考えてみればこれは、ライリーだけの問題ではない。

たとえばもし、ライリーの虫の居所がよくて、メグの虫の居所が悪い、というときに、ライリーがメグに対して同じようなことを言ってしまったとしたら、今度はメグが、

(ふーん)

ということになる。

つまり、相手のちょっとした言動をどう受け取るかは、自分の中にいる「虫の居所」の問題にすぎない、というわけである。

なぜ私は、こんなことについて長々と考えたのか?

先日のTBSラジオ「ジェーン・スー 相談は踊る」の中で、30代のサラリーマンがこんな相談をしていた。

「自分の周りには相談できる同年代の人間がいなくて、合コンに行ってもいつもうまくいかず、『行かなきゃよかった』と後悔するし、話をするのも下手だし、何の話題もないし、つまらない人間で、いつも孤独です。どうしたらいいでしょうか」

これに対して、ジェーン・スーは、

「自分を低く評価しても、何の得にもならない。なぜなら、他人というのはあなたが思うほど、あなたのことに関心がないから。もしあなたが自分で自分を低く評価したら、他人はあなたをそういう人間だと思うだろう。だから、自分を低く見積もるという思い込みから、まず解き放たれるべきである」

といったようなことを答えていた。

これこそ、思想界の巨人・吉本隆明の名言

「他人ってのは、自分が自分を考えているほど、君のことを考えているわけじゃないんだぜ」

に通ずる話なのだが、まあそれは置いといて。

結局は、自分の脳の中の問題なんだな。

そういえば忌野清志郎も歌っているではないか。

「本当のことは 言い出せずじまい

いつでも感じすぎる 孤独なため息

そんな奴も たまにはいるものさ

頭の中は 大変だろうな

そんなに心配するなよ

頭の外も 大変なだけさ

そんなに 心配するなよ

頭の中が 感じるだけさ」(「セラピー」)

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野火・補足

塚本晋也監督の映画「野火」(2015年公開)を見て唯一気になったのは、セリフ回しである。

兵士の使う言葉が現代的な言い回しになっていることが多く、そこが気になった。

「野火」を見る直前に、映画「人間の條件」を見て、セリフの中に太平洋戦争中の軍隊の言葉をさんざん聞いていた私は、なおさら「野火」の中の兵士のセリフ回しに、違和感を覚えたのである。

たとえば、リリー・フランキー演ずる安田という兵士は、映画の中で

「全然大丈夫だ」

という言い回しをしている。

これは、太平洋戦争中の兵士が使う言葉では絶対にあり得ない。

唯一そこが、映画の中に入り込めなかったところである。

軍隊における特徴的な言い回しについて、脚本を書いた塚本監督は、チェックを受けなったのだろうか?

そんなはずはないだろう。

むしろ、あえて現代の言い回しを使ったのではないだろうか。

よくよく考えてみると、この映画の中で、70年前の太平洋戦争を舞台にしているとはひと言も言っていない。もちろん、原作は太平洋戦争の時のレイテ島を舞台にしているし、映画でもレイテ島を舞台にしているのだが、映画ではそのことをひと言も言っていないのである。

そこをわざと曖昧にしたのは、映画の中の出来事を、過去のこととしてとらえるのではなく、現在にも起こりうることを示そうとしたからではないか。

つまり、あえて現代の言い回しを使うことによって、現代の私たちにとって身近な問題であることを示そうとしたのである。

もっともこれは、私の妄想仮説であり、正しいかどうかはわからない。

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野火

9月27日(日)

プレッシャーのかかる仕事がつづき、ストレスがたまり、憔悴する。

今日は久々に何も予定のない休日だったので、映画を見ることにした。

現在公開中の、「野火」(大岡昇平原作、塚本晋也監督)である。

上映している映画館がほとんどなく、以前、「ルック・オブ・サイレンス」というドキュメンタリー映画を見た、小さな劇場まで足を運ぶ。

この映画館はマイナーな映画ばかり上映する良心的な劇場で、こっちに引っ越してから、何度となく足を運んでいる。

さて、映画館に来て驚いた。

「野火」を見に来ている観客のほとんどが、高齢者である。

(ひょっとしたら、戦前に生まれた方ではないか?)

という方も、けっこういる。

ふだん、この映画館は、どちらかといえば、若い人がマイナーな映画を見に来る、というイメージなのだが、「野火」に関しては、そうではない。

宇多丸さんがラジオで取り上げていたので、もう少し若い人が多いのかと思ったら、全然そんなことはなかった。

観客の中で一番若かったのは、私たち夫婦ではないか、と思ったほどである。

さて、この映画。

90分ほどの短い映画だが、今年の邦画の最高傑作といえる。

これほど、戦争のむなしさをリアルに描いた映画はない。

戦争末期、フィリピンのレイテ島で、肺を病んだ一人の日本兵が、ジャングルの中を彷徨する。

ただそれだけの話なのだが、「かつての戦争がどんなものだったか?」を、これだけ一人の兵士の身体に寄り添って描いた作品はない。

映画を見ている自分も息苦しくなる。

塚本晋也演じる主人公の田村一等兵が、見ているうちに次第に自分と一体化してきて、それで息苦しく感じるのである。

先日、映画「人間の條件」をDVDで見終わったばかりなのだが、そのときに感じた息苦しさと、同様のものである。このときも、映画を見ているうちに、主人公の梶と一体化した感覚にとらわれたのである。

それにしても、不思議である。

この映画は、スポンサーがつかず、ほとんど自主映画として製作された。

公開館も、都内ではたった2館しかなかったという。

監督が、世界的にも評価されている塚本晋也であるにもかかわらず、である。

つまりこの映画は、ほとんどの人に知られていないのである。

「なぜ、あの特攻隊の映画には莫大な資金が投入され、この映画には資金がつかないのか、腑に落ちない」と、宇多丸さんは言っていたが、私もそう思う。

戦争の実態をリアルに描いたものとしては、どう考えてもアイドル主演の特攻隊の映画よりもこちらの映画のほうなのに、私には、多くの人が「戦争の最もリアルな部分」に目を背けているように思えてならないのである。

記録的な興行収入となり、数々の日本の映画賞を総なめにしたアイドル主演の特攻隊映画。

それに対して、これほどの戦争の恐怖とむなしさを描きながら、予算も封切館もなく、ほとんどの人の目にとまらないであろう「野火」。

私はこの事実にこそ、目を向けるべきだと思う。

今年の夏は、ここ最近にないほど「戦争」が、世代を越えて意識された。戦争をまったく知らない若い世代にも、である。

しかし、私にはわからない。

だったらなぜ、「野火」はこれほどまでに不遇な扱いを受けるのだろうか?

なぜ、人々の目は「野火」に注がれないのだろうか?

戦争への危機意識が世代を越えて盛り上がりをみせている今の風潮が、「この映画に対する出資者がなく、封切館がほとんどないという現実」を変える力にはなっていないことが、私には残念でならない。

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短文宣言は難しい

少し前に、「短文宣言」をして、「もうクドい文章は書かない!」と誓ったのだが、気がつくとつい、長い文章を書いてしまう。

「よくまあそんなに長い文章が書けますね」と呆れられたことがある。

読む人にとって私の文章が、内容についてどうこうよりも「長い!」という感覚の方が先に立つのは、どうやら事実のようである。今まで好意的に読まれていると思っていたのに、そんなふうに思われていたのかと思うと、いささかショックであった。

その言葉を聞いて、思い出したことがあった。

これも少し前の話。

「昔からの知りあい」という程度の人から、私を含めた数名にあてて、飲み会の集合場所について指示する携帯メールが来た。

するとそのメールを受けとった別の人から、集合場所について承知した旨のメールが来て、そのついでに「みなさん大雨は大丈夫でしたか?」と書かれていた。

まあ文脈からして、挨拶ていどの社交辞令といってよい。実際、深刻な被害を受けた地域というわけでもない。

するとほどなくして、最初にメールをくれた人から、また一斉送信で長いメールが来た。

大雨の晩、自分がいかに眠れなかったかが延々と綴られていたのだが、とくに被害に遭ったというわけでもなく、交通機関の足止めを食って帰るあてもなかったという事件めいた内容でもなく、かいつまんで言うと自宅で寝ていてビックリした、という程度のなんということのない内容なのである。

「大雨はどうでしたか?」という社交辞令的な問いかけに、まじめに反応したのだろう。

(それにしても、どうということのない内容で、よくこんな長い文章を書けるものだなあ)

と、内容を気にとめることもなく、そのときはそう思ったのだった。

そこでハタと気づく。

そうか。つまり、私の文章もその程度のものなのだ。私がその人の文章を「よくこんなに長い文章が書けるよなあ」と思ったのと同じように、私の文章もまた、そんなふうに思われているのだろう。

「文は人なり」。文章を読むとは、つまりはその人に興味を持つということと同義である。

それとも、クドい文章は俺の持ち味だ!と開き直ろうか。

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ラグビーの見方を教えてください

9月23日(水)

何といっても、今はラグビーのワールドカップですね。

…といっても、私はラグビーに関して、何一つ知識がない。

子どもの頃、ドラマ「スクールウォーズ」をぼんやりと見ていた程度である。

ラグビーの試合を、まったく見たことがないのである。

今日たまたまテレビをつけると、日本とスコットランドの試合がテレビでやっていたので、途中からだったが見てみることにした。

ルールがまったくわからないので、試合をどのように見ていいのかも、よくわからない。

たぶんそういう人が多いのだろう。何かの反則で試合が中断した時など、関連するラグビーのルールについての簡単な説明がときおり画面の横にあらわれる。

しかしそれを読んでもわからない。

「スクラムで試合再開する」

と説明されても、こちとら「スクラム」の意味すらわからないのである。

しかし、見ている分には面白い。見ているだけでも、なんとなくルールがわかってくる。

まことに不謹慎かも知れないが、「飢饉の村どうしが、1つの食糧を奪い合っている」というつもりで試合を見れば、試合の展開が俄然面白くなる。

ところで、私のようなラグビーの試合を初めて見る人間ですら、

(どう考えても、スコットランドが優勢だよな)

と、見ていて思う。

日本はディフェンスは甘いし、突破力もないし、パスもつながらない。

それに対して、スコットランドの選手たちは、スタミナもあるし、とにかく運動能力が全然違う。

実際、スコットランドは次々とトライを決めているのである。点差がどんどん大きくなっていく。

ところが、である。

解説をしていた、おそらく元ラグビー選手とおぼしき人は、

「まだ大丈夫です」

と、何度も繰り返す。

(大丈夫だと思う根拠は何だよ!)

と、テレビに向かってつい言いたくなる。果ては、

「大切なのは、自分を信頼することです」

という始末。

さらに、終了20分前くらいになると、

「スコットランド勢は、後半かなり疲れていますからねえ。それに対して日本勢は、スタミナには自信がありますから、これから巻き返せます」

などという。

だが私には、どう見てもスコットランド側よりも日本側のほうがスタミナ切れのように見えるのだ。

その解説者は終始、精神論や楽観論に徹していた。ラグビーは、運動能力や技術ではなく、精神論や楽観論で勝てるのか?

その直前まで、映画「人間の條件」第5部をDVDで見ていた私には、その解説者の語る精神論や楽観論が、太平洋戦争末期の軍部の精神論や楽観論と、似ているように思えてならなかったのである。

もちろん、思い過ごしかも知れない。

ただ、日本チームのある選手が、試合の途中で負傷し、担架で運ばれた時に、

「1つのトライを決めるために、多くの犠牲がはらわれている」

みたいな、名誉の負傷を称えるような解説もあって、ちょっと違和感を覚えたのだ。

私はここで気づく。なぜ私が、スポーツ観戦が苦手なのかを。

やる側も見る側も、純粋にスポーツを楽しめばいいのに、どうもそれを許してくれない雰囲気が、スポーツにはあるのだ。

解説をするんだったら、精神論ではなく、そのプレーのすごさとか、失敗した理由とか、ルールや技術について、もっと理論的に聞きたいのに。だって、一流のアスリートたちがやっている試合なんでしょう?

私みたいな、「飢饉の村どうしの食糧争奪戦」という間違った試合の見方をしている人間に対して、蒙を啓いてくれるような解説を、である。

そうすれば、もっとラグビーがメジャーなスポーツとして受け入れられるのではないだろうか?

あと、スコットランド側に立った解説も、副音声で聞いてみたかった。

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裏窓

窓からは、大通りの並木道が見えた。

疲れると、窓からその大通りを眺めた。

お昼休みになると、多くの人たちが昼食場所を求めて、大通りを行き交う。

窓の外を眺めていると、ある一団が建物から出てきた。

その一団は、仲のいいグループらしく、ほぼ毎日、一緒に昼食に出かけることがわかった。

あるときは、建物を出て左に。

あるときは、建物を出て右に。

そのうち、ある傾向がわかってきた。

月曜日は、建物を出て左に曲がる。

その方向にしばらく歩いて行くと、おそば屋さんがある。

火曜日も、建物を出て左に曲がる。

水曜日は、建物を出て右に曲がり、さらに左に曲がる。

その方向にしばらく歩いて行くと、洋食屋さんがある。

木曜日は、私が忙しいので、窓の外を見る暇がない。

金曜日は、ふだんは数名いるはずの一団が、2名ないし3名に減る。近くの建物の2階にある、小さな食堂に行くようだ。

決まっているわけではないが、だいたいそんな傾向である。

おそらく、おそば屋さんや洋食屋さんの定休日と関係があるのだろう。

そんなパターンをつかんできた私は、やがて、曜日が来ると、彼らが何を食べに行くのかを想像するようになった。

(今日は月曜日だから、左に曲がるだろう。鍋焼きうどんかな?)

そう予想して窓の外を見ると、案の定、一団は左に曲がる。

(今日は火曜日だから、右に曲がり、さらに左に曲がるだろう。日替わりランチかな?)

そう予想すると、一団は予想通りの動きを見せる。

面白いように、想像したとおりになる。

そんな風にして、まるで競馬の予想のように、一団の動きを予想しては楽しんだ。

その日の昼食の話題まで想像した。噂好きの一団だろうから、人の噂話で盛り上がっているのだろう、などと。

しかし、曜日や季節によっては、一団が全部揃わない日もある。

(あれ?今日は2人だけだな。他の人はどうしたんだろう?)

そのうち、とくに2人だけになる機会の多い人がいたりして、一団の中で、誰と誰が親密度が高いか、といったこともあらかた把握できた。

ほとんど私とは接点のない一団だったが、その一団の人間関係や行動パターンを、ほぼ完全にとらえることができたのである。

だからといって、何の役に立ったというわけでもない。

単なる私の息抜きだったのだ。

今でもその一団は、同じ行動パターンを繰り返していることだろう。

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苦手なもの

苦手なもの、というのは人により違っていて、聞いてみないとわからない。

たとえば、居酒屋などで「直箸(じかばし)」が苦手だ、という人がいる。

直箸がイヤだという人に話を聞いてみると、自己防衛のために、料理が来たら自分が率先して取り分けることにしている、という。

同じ人は、「居酒屋で出てきた唐揚げの大皿に、ことわりもなくレモンを搾りかける行為がイヤだ」とも言っていた。

よく、居酒屋で唐揚げが出てくると、レモンが付いていて、みんなの意志に関係なく、唐揚げの大皿にレモンをまんべんなく搾りかけたりする人がいるでしょう?

あれが苦手だというのである。

仮に、それが苦手な人をAさん、レモンをまんべんなく搾りかけたがる人をBさんとしよう。

唐揚げが運ばれてくるやいなや、Bさんはレモンを搾りかける気満々。

それを察知したAさんが、いち早く唐揚げを自分の取り皿にとって避難させる。

Bさんは、すかさずレモンを持って、「かけますね~」と、唐揚げの大皿にまんべんなく搾りかけ始める。予想通りの展開である。

Aさんが、間一髪セーフと思ったのもつかの間、次の瞬間、驚くべきことが起こる。

唐揚げの大皿にレモンをまんべんなく搾りかけた後、こんどはあらかじめ自分の取り皿に移していたAさんの唐揚げにも、「かけるね~」と言ってBさんはレモンを搾りかけたのである!

これですっかり、Aさんは食べる気をなくしたのだという。

Bさんにしてみたら、よかれと思ってしている行為なのだろうが、世の中には、「自分の意志に反して唐揚げにレモンを搾りかけられること」をイヤだと思っている人がいる。

だから「他人には思いもかけず苦手なものがあるものだ」ということに、自戒を込めて注意しなくてはならない。

たとえば、「カエル」が苦手だ、という人がいる。

両生類のカエルが苦手だ、という人はよくいるのだが、その人は、生きているカエルはもちろん、カエルの意匠(デザイン)全般が苦手だ、というのである。

「どんなかわいいカエルのデザインでもですか?」

「ええ、そうです。とにかく、ちょっとでもカエルだとわかると、いやなんです」

「たとえば、かわいいカエル柄の小物なんてプレゼントされたりしたら…?」

「コイツ喧嘩売ってんのか、って思っちゃいます」

あらかじめそういう苦手なものを知っていないと、ちょっとしたトラブルに発展する恐れがあるので、注意した方がよい。

かくいう私は、というと…、

実は干しぶどうが苦手である。

大人になって克服し、今ではだいぶ食べられるようになったのだが、子どもの頃は大の苦手だった。

妻は干しぶどうが大好きなので、「なぜこんな美味しいものが苦手なのか、サッパリわからん」という。だが苦手なものというのは、えてしてそういうものなのだ。

職場なんかで、干しぶどうのいっぱい入った洋菓子なんかをお裾分けされたりすることがあり、お裾分けされるというご好意自体は嬉しいだけに、ちょっと複雑な心境になる。もちろん、今はだいぶ食べられるようになったので、ありがたくいただくのだが。

苦手なものというのは、かくも人により異なるのである。

「万人が好きに違いない」と思うものこそ、極度に苦手だという人が、いるかもしれない。

たとえば、パンダはどうだ?

私は、パンダをかわいいと思う。だが、「万人がかわいいと思うに違いない」と思っても、ひょとしたら「恐い」と思っている人がいるかもしれない。

そのことに、思いを致さなければならない。

…ということで、パンダの写真をここに載せるか載せまいか、迷ったあげく、この写真を載せることにする。

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いまさらピクサー映画

9月22日(火)

中国からの帰りの飛行機の中で、ピクサー映画「インサイド・ヘッド」を見た。

恥ずかしながら、ピクサーの映画を見るのは生まれて初めてである。

アニメ映画だと思ってバカにしていたのがいけなかった。

映画評論家の町山智浩さんが、「今年のベスト」と絶賛し、「全米が泣いた」ならぬ「全町山が泣いた」とラジオで言っていて、この映画のことがずっと気になっていた。

「全米が泣いた」というキャッチコピーは信用ならないが、「全町山が泣いた」のであれば、これは信頼できる。

町山さんだけでなく、ライムスターの宇多丸さんも、この映画を絶賛していた。いわく、「むちゃくちゃ頭の良い連中がむちゃくちゃな努力と粘り強さを重ねて作り上げ」た作品。実験的で、それでいて極上のエンタテインメントになっていて、どの世代が見ても感情移入ができる、という最大級の褒め言葉を並べていた。

ということで、「インサイド・ヘッド」を見ることにしたのである。

直訳すると「脳の中」。主人公は、11歳のライリーという女の子の脳の中にいる、「感情」たちである。

ものすごく抽象的で高度な内容を、エンタテインメントに仕上げ、しかもどの世代にも感動させるという映画に仕上げている。

そしてこれは、見る人それぞれの記憶やトラウマにダイレクトに訴えかける心理実験映画でもある。

で、私もご多分にもれず、映画の中盤の「あの場面」で涙腺が決壊した。

私は「日本語吹替版」で見たが、「吹替版」で見ることもお薦めする。

この映画、同世代の知り合いや友人にも薦めたいのだが(というかすでに多くの人が見ているのだと思うが)、「家族の情愛」だとか「親子の絆」といったことに目覚められると、それはそれでちょっとシャクにさわるから、あえて薦めることはしない。

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中国旅・完璧な気配り

9月21日(月)

中国旅の4日目。

今日も朝9時に、「前の職場」の教え子だった中国人のYさんと、その「知り合い」の実直な青年J君が、ホテルまで迎えに来てくれた。

J君の運転で、市内と郊外をまわる。

J君が考えた本日のプランは、ほとんど完璧といっていいものだった。

それに、J君の気配りは、並大抵ではない。

J君の運転は、とても上手である。

私の勝手なイメージだが、中国人は運転が荒っぽいという印象があるのだが、J君はそうではない。

私たちが乗っていることに気を使ってか、道の悪いところを通る時は、車が極力揺れないようにゆっくり走る。

とにかく、乗っていて心地よいのである。

気配りは、運転だけではない。

雨が降り始めたとき、カバンから傘を出そうとしてもたついていたら、J君は私のところにやってきて、雨に濡れないように自分がさしている傘を私のほうに向ける。

入場するのにチケットが必要な場所に行くと、受付に走っていって人数分のチケットを購入する。

足もとの悪いところがあると、「足もとに気をつけてください」と注意をうながす。

食事の気配りもすごい。

地元の名物料理や、その土地でしか食べられないような料理のお店に案内してくれる。

しかも、とても美味しい店ばかりなのだが、この地域の料理の特徴は、どの料理もとても辛い。

さすがに辛い料理が続くとなあ、と思っていると、こっちが希望を言ったわけではないのに、今日の夜は辛くない料理の店に連れていってくれた。

そのあたりのバランスがすばらしいのである。

しかも今日の夕食後は、市の中心地にある大きな本屋さんに連れていってくれて、私たちが本を買うのにもつきあってくれた。

私が買いたい本を何冊か手に持って、さらに他の本を探していると、J君はどこからか買い物カゴを持ってきて、そのカゴに本を入れてくれ、しかもその本を入れたカゴを、私が本を物色しているあいだ、ずっと持っていてくれたのである。おかげで私は手ぶらで本を探すことができた。

さらに、である。

昼間に、雑談で「おみやげには緑茶がいいなあ」とか、「ホテルで飲んだ○○茶が美味しかった」みたいなことを言っていたのだが、J君はそのことを覚えていて、いつの間に用意したのか、今日の夜、別れ際に、選りすぐりの美味しい緑茶や話題に出た○○茶を、私たちにプレゼントしてくれたのである。

とにかく、J君の気配りぶりを書き出すときりがない。

そうした気配りを、何も言わず、黙ってしてくれるのである。

まるまる3日間、J君は朝から晩まで、初対面の私たちに、ほとんど献身的につきあってくれた。

今まで、こんな実直な青年を見たことがない。もちろん日本においても、である。

おかげで充実した旅になった。

もし、中国の中でどの都市が好きですか?と問われれば、私は迷わず今回訪れた都市の名前を答えるだろう。

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中国旅・実直な青年

9月20日(日)

この旅の直前、「前の職場」の教え子だった元中国人留学生のYさんから、

「もう一人同行させたい人がいるんです。私の知り合いなんですが」

と連絡が来た。

Yさんは華奢な女性だし、「知り合い」というから、その人も華奢な女性なのかなと勝手に想像していたら、旅の初日である昨日の朝、Yさんと一緒にホテルのロビーに迎えに来てくれたその「知り合い」に会ってビックリした。

20代後半くらいの屈強な青年である。

しかも、彼はまったく日本語がわからないという。

この旅のあいだずっと、教え子のYさんのほかに、屈強な青年のJ君も同行してくれることになったのである。

それにしても、不思議である。

彼は、私とは初対面である。たんに「Yさんのかつての先生」というだけにすぎない。私のことをどんな人間かも知らないのだ。

にもかかわらず、昨日は朝から往復9時間もかかる場所まで、一緒に車に乗って同行してくれ、道がわからなくなると、運転手さんの代わりに地元の人に聞いてくれたりした。

訪れた場所は、たいへん地味でマニアックな場所だったのだが、それでも彼は、私たちと一緒に、辛抱強くずっとその場所につきあってくれたのである。

食事をする店の手配までしてくれた。

結局、夕食までつきあってくれ、果ては明日の旅の段取りまで考えてくれたのである。

寡黙だが、実に豊富な知識を持っている様子がうかがえた。

さて翌日(つまり今日)。

今日は市内を回ることになっていた。

事前の予定では、車をチャーターせずに、タクシーで市内を移動するつもりだったのだが、なんとその青年J君が、自分の車を出してくれ、運転までしてくれることになった。

朝9時、YさんとJ君は、J君の車でホテルまで迎えに来てくれた。

つまり今日は、タクシーをつかまえる心配をすることなく、心おきなく旅をすることができるのである。

朝9時から始まった旅は、昨日と同様、地味な場所をまわったのだが、青年J君は、辛抱強く私たちにつきあってくれた。

その心遣いは実に行き届いていて、そんじょそこらのガイドさんにもマネのできない心配りばかりだった。おかげで私にとっては、まったくストレスのたまらない旅となった。

私と彼はまったく言葉が通じないが、それでも彼は私に対してことあるごとに誠実に対応してくれた。

しかも明日も、J君はまる一日車を運転して、私たちを案内してくれるというのだ。平日にもかかわらず、である。

日本語がまったくわからないJ君が、初対面の日本人に、ふつうここまでするだろうか?

J君とは、一体何者なのか?

Yさんに、「J君にここまでしてもらって、いいのだろうか?」と聞いても、

「大丈夫です」

と答えるだけで、それ以上は何も言わない。

そればかりか、YさんはJ君のことを「知り合いだ」というだけで、それ以上のことは何も言わない。

ますます謎は深まるばかりである。

中国のテレビニュースで、例の法案が強行採決されたことを知った。

例の法案は、中国を念頭に置いたものだともいわれている。中国のニュースでも、そんなような論調だった。

しかし私にはわからない。

あの実直な青年J君を見ていると、あの法案にまったくリアリティが感じられなくなる。

もちろん私は、実直な青年のほうを信じる。

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再会の旅、中国編

こぶぎさん、中国語読みのダジャレで解答したということでしょうか?

だとしたら、正解です!

9月19日(土)

今回の旅も、卒業生との再会の旅といえる。

以前からこの中国の地方都市を調査で訪れたいという希望があったのだが、今年、それが実現した。

そしてこの地方都市には、昨年3月に前の職場の大学院を修了した中国人留学生のYさんが、地元であるこの町に戻り、生活をしている。

Yさんは日本語が堪能で、その語学能力の高さは、私が出会った中国人留学生の中でもトップクラスである。

Yさんに連絡をとってみると、なんと今回の調査の最初から最後まで同行してくれるという。

中国語がわからない私にとっては、実にありがたい話である。

朝8時、Yさんと再会し、車で4時間半ほどかかる町に調査に出掛けた。

こんな片田舎に、こんなにすばらしい世界遺産があるとは、知らなかった。

往復で9時間、車に乗り続けた甲斐があった。

人の縁とは、つくづく不思議である。

世界のどこにいても、再会できるんだなあ。

旅はまだ続く。

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中国に到着

9月18日(金)

成田空港から直行便で6時間かかって、中国の地方都市に着いた。

はじめて訪れる地域である。

空港からホテルまで連れていってくれたガイドさんの話によると、この地域は、むかしから土地が肥沃で、自然災害も少なく、豊かな地域だという。

「お茶のふるさと」であり、

「蘭のふるさと」であり、

日本でもおなじみの「○○料理のふるさと」であり、

「シルクのふるさと」でもあり、

「恐妻家のふるさと」である、

とガイドさんはこの地域の説明してくれた。

「子どもの頃にこの地域に住まわせてはならない」

ということわざもあるという。なぜなら、子どもの頃にこの土地に住んでしまうと、豊かさを覚えてしまい、働くのがイヤになってしまうからだ、とのこと。それだけ、この地域はむかしから豊かな地域として知られていたのだ。

さて、私が訪れた中国の地方都市というのは…。

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痛風旅

9月17日(木)

明日から、旅に出ます。

行き先は、中国です。

それにつけても気になるのは、痛風による足の痛みである。

今週の初めに右足に激痛が走った時は、

「中国出張に行けそうもないなあ」

と絶望的になったが、病院で少し強めの痛み止めの薬をもらい、必死で足に念を送ったら、何とか痛みはひいてきた。

これで、足手まといにならずにすみそうだ。

では、行ってきます。

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もしも主人公が痛風だったら

映画「人間の條件」(五味川純平原作、小林正樹監督)を、途中まで見ているところだが、仲代達矢が演じる主人公の梶の人生は壮絶である。

戦争に翻弄されながらも、強い意志をもって過酷な運命の中を生き抜くのである。

そんな梶の人生にくらべたら、私の今の状況など、たいしたことではないのだ。

しかし、である。

そんな過酷な運命を生きる梶でも、痛風のつらさは知らない。

もし梶が痛風に苦しんでいたら、あれほどの不屈な反骨精神を持続し得たか、はなはだ疑問である。

痛風の痛みは、そんな強靱な精神までをも削いでしまう力を持っているのである。

そう考えると、彼が過酷な運命を生き抜くことができた一番の理由は、彼が痛風でなかったからだ、ともいえる。

たとえば、映画「人間の條件」の中で、梶が所属する隊が重い荷物を持って長距離を歩かされる訓練をする場面がある。

もし私が二等兵として、しかも痛風の発症中にこの訓練があったら、と思うと、ぞっとする。

まず、足が痛くてとても歩くことはできないだろう。

足の激痛をこらえながらそろーりそろーりと歩いていると、当然隊列からかなりおくれをとってしまう。

上官殿は、もちろんお怒りである。

「貴様、怠けているのか!」

「いえ、足が痛いのであります」

「嘘つけ!歩きたくないからそんなことを言っているのだろう!」

「いえ、痛風であります」

「痛風だと?痛風がそんなに痛いはずがあるまい!」

「いえ、かなり痛いであります!」

「お前、俺が痛風を知らんと思って、嘘を言っておるな」

「いえ、違うであります」

「うるさい!お前の気がたるんでる証拠だ!」

かくして私は上官殿から拷問を受けることになるのである。

もし、痛風の人間が戦場に送られたら、と思うと、ぞっとする。

痛風の苦しみがわからない人には、この恐怖は永遠にわからないだろう。

だから私は提唱したい。

痛風で苦しむ人間が主人公の戦争映画を作るべきだ、と。

ま、ほとんど「イタイイタイイタイ!」と言ってるだけで、ストーリーはまったく展開しないと思うが。

足が痛くって、進むことも、逃げることもできない。戦場では、まったく使い物にならない。自然と匍匐前進をすることになる。味方の上官には「怠け者!」となじられ、敵を目の前にしてはなすすべもない。

痛風で苦しむ主人公から見た戦場は、そうでない人以上に、理不尽な世界に映るだろうと思う。

それだけは、確実に言える。

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久しぶりの足痛

9月14日(月)

久しぶりに、足に激痛が走る。

例の病気である。

このところの忙しさとストレスと不摂生で健康管理を怠っていたため、自業自得である。

足が痛くなると、日ごろの活動がいつもの3分の1くらいしかできなくなる。

歩くスピードも、ふだんの5分の1ほどである。ふつうに歩くこともできない。

仕事をする気がまったく起きなくなる。気分も憂鬱になる。

しかしそういうわけにもいかないので、何とかやる気を振り絞って迷惑がかからないていどに仕事をこなす。

私の足痛は、生死に関わらない分、おもしろおかしく「ネタ」にされることが多い。

自分自身も、これまで「ネタ」にしてきたのだが、最近はネタにすることもしんどくなってきた。

一般に、「生死に関わらない災難」というのはネタになりやすい。

とある状況の中で生死に関わらないていどの災難に遭ったりすると、自分の不運を半ば自虐的に語ることで、職場の昼食時の話題になったりするのだろう、とつい想像してしまう。

こんなことばかり考えても仕方がないので、家に帰ってから、古い映画を見ることにした。

今見ている映画は、五味川純平原作・小林正樹監督・仲代達矢主演の映画「人間の條件」(松竹映画、1959年~1961年)である。

全6部構成で、9時間半におよぶ、日本映画史上、空前絶後の大作である!

戦争に翻弄されながらも、人間の尊厳を守り抜く一人の人間の物語である。主人公の梶を、仲代達矢が演じている。

こんなご時世だからこそ、見るべき映画である。戦争というものが、人間を如何に虫けら同然に扱うかが、この映画を見るとよくわかる。

そんな中にあって、人間らしく生きていくことは、並大抵のことではないのだ。

軍隊内での過酷なシーンを見ていると、ただでさえ痛い足が、余計痛くなる。

(もし俺みたいな「痛風持ち」が軍隊にいたら、痛くて動けないだろうから、たちまち上官から制裁を受けるだろうなあ)

などと想像してしまう。

まあそれはともかく。

軍隊のような、人間を虫けら同然に扱う社会にも、わずかながら人間性の豊かな人はいる。

主人公の梶は、そういう人に出会い、自分の人間性を取り戻すのである。

その一人が、第3部「望郷篇」に登場する、丹下一等兵(内藤武敏)である。

あるとき、二等兵の梶は命を落としかけ、野戦病院に運ばれる。

そこで、入院中の丹下一等兵に出会う。

彼とほんの短い間、会話を交わすうちに、梶は彼の人間性に惹かれていく。

人間であることをやめた軍隊の中にあって、丹下は、人間的な思考を失うことなく自己を貫いていたのである。

そこに梶は共感したのだ。

ところが丹下一等兵は、ほどなくして退院し、戦地に戻されることになった。

別れ際、梶と伊丹は最後の会話を交わす。

梶「あんたには、もっと話しあいたいことがいっぱいあったのに」

伊丹「またどこかで会おう。会いたい奴には会えるものさ」

梶「むかし僕はある男から、『人間の隣には必ず人間がいるものだ』と言われたことがある。…それをあんたは実証してくれた」

伊丹「買いかぶるなよ。…しかしその言葉、もらっておこう」

伊丹の登場シーンはほんの短い時間だが、内藤武敏の演技が光る名場面である。

もちろん、この会話が、その後の物語の展開の伏線になることは間違いないのだが、いかにも私が好きなセリフなので、心覚えに書きとめておく。

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不機嫌な飲み会

参加した飲み会は、半ば「女子会」の様相を呈していた。

今回の飲み会の主人公となる人は、私と同世代の女性の方なのだが、久しぶりの飲み会らしく、かなりテンションが上がっていて、のっけから飛ばしまくっている。

久しぶりに会ったのであろう、目の前にいる年下の女性に言う。

「痩せたよねえ」

「いえ、そんなことありませんよ」

「いや、絶対に痩せたよ。痩せた痩せた。腕なんか細くなったもん」

「いえ…」

「いや、ほんとに痩せたって!ほら、今日は栄養をつけなさい」

といって、目の前に並んでいる料理を強い調子で勧めた。

横でその会話を聞いていた私は、だんだん不愉快になり、

「今のお仕事がたいへんなんでしょう」

とか何とか言って、話題をそらしたが、しばらくするとまた、

「痩せたよねえ」

と繰り返す始末。

これが男性のセリフだったら、「セクハラ」で完全アウトなんだが、女性が女性に対して言ったとしてもセクハラじゃないのか?セクハラだろ!

というか、「女子会」みたいな場では、男性だったら絶対に許されないセクハラ発言は、平気なのか???

だいいち、横で聞いている私が不愉快になるほどなのだ。

「痩せているんだから、どんどん食べなさい」

という言い方もどうかと思う。自分のペースで食べればいいだけのことなのに。

ほかにもその人は、

(そんなこと、人に聞くもんじゃないのになあ)

という発言を連発し、飲み会の後半には私はすっかり不機嫌になってしまった。

「女子会」って、こんな感じなのか???

(なるべくこういう飲み会は避けたいものだ)

と心底思ったのであった。

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母さんの愉快な話

9月13日(日)

おはようございます。日曜日、朝10時になりました。鬼住紳一郎の「日曜天国」です。

今日のメッセージテーマは、「母さんの愉快な話」。

こちら、S市にお住まいの、「詰めがあまい学年」さんからです。

「最近、母がついにスマホデビューしまして、ラインで連絡をとっているんですが、タイプミスが酷すぎです。

今日は突然「ジャスフぁ」という謎の単語が送られてきて、何事かと思ったら「ジャズフェスティバル」のことでした。

しかも、母は「ジャスフぁ」で意味が伝わると思っているから恐ろしいです。「ぁ」だけひらがななのも意味が分かりません。

あとは、「しわだらけのシャツ」を「『しわだらこ』のシャツ」とか。

母にタイプミスを指摘しても「ばあちゃんの世話しながら打ってるから忙しいの!」と言って非を認めません。

厄介です」

皆さまからのメッセージ、引き続きお待ちしております。

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全国的な申請書祭りの季節

大雨の被害に遭われた方、お見舞い申し上げます。

9月10日(木)

さあ、次は「全国的な申請書祭り」の季節である。

今年度は、今の職場で私が「申請書祭り」の担当である。一人でも多くの同僚の申請書を採択させるように取り組みを行うことが、私に課せられたミッションである。

この日は都内某所で、「全国的な申請書祭り」の前夜祭が行われる。

大雨の中を同僚と一緒に都内某所に向かうと、会場となったホールは、首都圏各地から来た人たちでたちまち埋め尽くされた。うちの職場からも私を含め5名が参加した。

午後から始まった「前夜祭」は、3時間以上かかってやっと終わった。

9月11日(金)

今日は職場で「全国的な申請書祭り」の決起集会である。

これまで、職場でこのような企画はなかったのだが、今年度、私が提案、企画して、それを上司が理解してくれて、実現の運びとなった。決起集会でお話しいただく講師の先生も、私が人選、交渉して、来ていただくことになった。

前日、講師の先生の職場にうかがって、直接お目にかかって打合せをした。

そして今日の午後、いよいよ決起集会である。

同僚の出席率は、決して高いとは言えなかったが、講師の先生のお話は、おもしろく、わかりやすく、ためになるものだった。それだけでも、成功である。

やっぱり俺の目に狂いはなかったな、とまた自画自賛。

「人選の的確さに感服しました」と、上司にも褒められた。

前の職場の時も、さまざまなテーマで何度か講演会の企画と講師の人選を担当したことがあるが、そのテーマに合った的確な人ばかりをお呼びして、今まではずしたことがない。

イヤミだねえ、どうも。

講演を成功させる秘訣は二つある。

一つは、「この人のお話を聞きたい」という人を講師にお招きすること。

もう一つは、講演会でお話を聞く前に、あらかじめ直接会って雑談をすること。

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申請書祭りの季節

9月9日(水)

この業界のあるあるネタとして、「経費を獲得するために申請書を書くという作業が、じつに面倒くさい」というのがある。

そもそも、申請書を書くというのは、あまりやりたくない作業なのである。

だから、ついつい後回しにしてしまう。

うちの職場では、年に一度、この時期に「申請書祭り」がおこなわれる。

申請書の提出期限は、今週の金曜日である。

今年度は私も、A4で4枚ほどの申請書を「作文」して提出しなければならない。

7月初めから募集がはじまり、申請書を書く時間はたっぷりあったはずなのに、今まで全くやってこなかった。

気がついたら、もう今週の金曜日が締切である。

日中は雑務に忙殺され、申請書を書く気力が起こらない。

出張中も、当然書けない。

チームを組む同僚から、火曜の夕方に申請書の読み合わせをするので、それまでに申請書を書いてくるように言われた。

もう時間がない。

ようやく重い腰を上げ、月曜の深夜から申請書をゼロから「作文」し始め、翌日も朝から職場で申請書を書き続けた。

そして午後4時過ぎにようやくひととおり書き終わり、読み合わせに何とか間に合った。

こういうときの私は、抜群の集中力で原稿を書き上げる。驚異的なスピードで、論理的でかつ、少しだけ情緒に訴える文章に仕上げていく。この微妙なさじ加減は、私の真骨頂である。

イヤミだねえ、どうも。

同僚のチェックを受け、修正箇所もほとんどなく、結局締切の3日ほど前に完成した。

今日(水曜日)、申請書提出を考えている同僚の何人かに聞いてみると、

「まだ書いている途中」

とか、

「まだ1文字も書いていない」

という強者までいた。

やはり誰もが、申請書を書くのが億劫なのである。安心した。

これが終わると、今度は全国的な「申請書祭り」が始まる。

「申請書祭り」は、この業界にとっての「秋祭り」だな。

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短文宣言!

9月7日(月)

長い文章は読者からすると、これがえらい迷惑なことなのだそうだ。

ということを、今日、インターネットのニュースか何かを見て、初めて知った。

「500字を越えると読む気が失せる」

のだそうで、いままで長文を書いて誇っていた私は、恥ずかしくて消え入りたくなった。

これからは短い文章を心がけよう。

今日、「前の職場」の学生から、就職が内定したというメールをもらった。

その学生は、私が前の職場を離れたあとも、ごくたまに近況のメールを書いてきてくれた。

些細なことかも知れないが、こういう近況報告が、何よりも嬉しい。

つい先日、この3月に卒業した卒業生からも、この4月からはじめた自分の仕事に関係する相談のメールを送ってくれた。そのついでに、近況も書いてくれていた。

卒業生から仕事の件で相談を受ける、というのも、嬉しいことである。

自分に置きかえて考えてみると、私はお世話になった人や、親しい友人に、まったくといっていいほど自分からは近況報告を書かない。非道い人間である。

大学時代の教員のことなど、卒業したらすぐに忘れてしまうのが世の常であるのに、関係が途切れたいまでも、近況を伝えてくれたりするのは、どんな些細なことであったとしても、嬉しいものである。

たぶん本人が思っているより何倍も、教員にとっては嬉しいものである。

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疲労困憊3日間

9月6日(日)

最近は、「どうにもならないことをクヨクヨ悩んでも仕方がない」と、自分に言い聞かせている。

それでもクヨクヨ悩むのだが、やがて時間が解決してくれるだろうと思うことにした。これまでもそうだったのだから。

今回の旅では、はじめてお会いする人が10人くらいいたのだが、どなたもいい人ばかりだった。

とくにNさんとSさんとは、なんとなく昔からの知り合いのような感じで、道中でとりとめのないお話ができた。お二人の人徳なのだろう。

とくに爆笑したのは、Sさんのお話である。

「インターネットで自分の名前を検索すると、トップに消臭剤が出てくるんです」

「どうしてです?」

「私の名前と消臭剤の名前が同じなんです」

「その消臭剤、人の名前が付いてるんですか?」

「いえ、漢字を音読みするんです」

「なるほど」

ある日ホテルに泊まった時、自分と同じ名前の消臭剤が置いてあるのを見てびっくりしたのだという。

3日間、終日団体行動で、仕事のあとは連日宴会で、疲労困憊したが、なんとなく学生時代に戻ったような出張だった。

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写真クイズ

9月5日(土)

久しぶりに、写真クイズです。

下の写真に見えている山は、何という山でしょう。

当然、そのまま答えてはいけません。

Photo

また詳細は後ほど。

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常識か裏技か

9月4日(金)

相変わらず、旅の空である。

本州最北端の県に出張である。

出張には大きく分けて、個人行動の出張と、団体行動の出張があるのだが、今回は後者である。先週の韓国出張も後者だった。

後者の場合、夕食は必ず居酒屋でお酒を飲むことになるので、体力的にかなりキツイ。それに今回は、はじめてお会いする方々ばかりなので、社会性のない私にとってはこれもまた高いハードルである。

日曜日の夕方まで仕事があり、翌日は朝から職場で仕事なので、その日は最終の新幹線で帰らなければならないのだが、今日、いつも利用している携帯の「モバイルSuica」で指定席をとろうとしたら、すべて「×」、つまり満席になっていた。

その新幹線は、全席指定なので、自由席に乗ることもできない。

1本速い新幹線で帰るとなると、仕事の途中で退席しなければならない。他の方々は、もう1泊することになっているので、この日のうちに帰らなければならないのは私だけである。

他の方々に、

「最終の新幹線が満席みたいなんで、1本前の新幹線で帰らなければいけないみたいです」

というと、ある人が言った。

「窓口で聞いてみましたか?」

「いえ、携帯のモバイルSuicaで調べただけです」

「始発から終点まで、ずっと空いているという席がない、というだけで、たとえば途中の駅で座席を移動すれば席が買えるということもありますよ」

なるほど、始発のA駅から終点のB駅まで、ずっと空いているという座席はないものの、たとえばA駅から途中のC駅まで空いている座席があり、一方、C駅で降りたあと終点のB駅まで空いている別の席があった場合、C駅で座席を移動すれば、座って帰ることができるわけである。

ダメ元でみどりの窓口で聞いてみたところ、アドバイスの通り、C駅で座席を変えるというのを条件に、切符を買うことができた。

満席と表示されていても、あきらめてはいけないということか。

このやり方は、常識なんだろうか?それとも裏技なんだろうか?

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創作落語・PDCA

まいったなあ、社長に「PDCAを充実させるためにIRを強化させなさい」なんてこと言われたんだが、何がなにやらサッパリわからん。ご隠居-!

おや、誰かと思えば熊さんじゃないか。どうした?

ご隠居は何でも物知りざんしょ?

まあ物知りというほどではないが、お前さんよりちと長く生きてるからな。多少のことは知っているつもりじゃぞ。

なんだい、無駄に長生きしやがって…。

いま、何か言ったか?

いえ、こっちの話で…。だったらお聞きしますがね。「PDCAを充実させるためにIRを強化させなさい」って、どんな意味ですかい?あっしはちっともわかりませんで。

なるほど、それなら簡単じゃ。

わかりますか?

ああわかるとも。まずPはプロデューサーのことだ。

なるほど、プロデューサーね。じゃあDは?

当然、ディレクターのことじゃろ。

なるほど、プロデューサーがいれば、当然ディレクターもいるからね。じゃあCは?

カメラマンのことじゃよ。

ほう。そりゃそうだ。じゃあAは、ひょっとしてアシスタント・ディレクターのことですかい?

察しがいいねえお前は。その通りじゃ。

プロデューサーにディレクターにカメラマンにアシスタントディレクターか…。するってえと、これはテレビ局の話ですかい?

そういうことになるな。

じゃあ、IRを強化するってのは何です?

これはタレントの名前のイニシャルじゃな。

…わからねえなあ。

伊藤蘭のことだよ。

伊藤蘭って、キャンディーズのランちゃんのことですかい?

そうじゃ。

「テレビ局を充実させるには、キャンディーズのランちゃんを強化させなさい」って、意味がサッパリわかりません。

お前知らんのか?

何がです?

デビュー当初のキャンディーズは、メインボーカルがスーちゃんで、スーちゃんがセンターだったんじゃ。しかしどうもレコードの売れ行きが芳しくない。

ほう。

そこでマネージャーは考えた。いっぺん、センターのメインボーカルをランちゃんに変えてみてはどうだろう、と。

ずいぶんな冒険ですな。

そう。で、思いきってセンターをランちゃんに変えたところ、「年下の男の子」という歌で、大ブレイクしたというわけじゃ。

なるほど、そうだったんですかい。

つまりじゃな、「IRを強化する」というのは、ランちゃんを強化してうまくいったように、物事というのは少し立ち位置を変えたり、強調するところを変えることで、思わぬ効果を発揮するということなんじゃ。

さすがはご隠居さん。何でもよく知ってますなあ。

まあそれほどでもない。

さあこれを聞いた熊さん。さっそくご隠居に言われた通りに実践してみたら、何と会社の経営が上向いて、その甲斐あって何と社長になっちゃった。

社長になった熊さん、今度は社員の八っつぁんに、

「PDCAを充実させるためにIRを強化させなさい」

と言った。

困ったのが社員の八っつぁん。何が何だか意味がサッパリわからない。ご隠居に泣きついた。

ご隠居-!

なんだい八っつぁん。

「PDCAを充実させるためにIRを強化させなさい」ってどんな意味ですかい?あっしゃちっともわかりませんで。

それなら簡単じゃよ。まずPは、ポルトガルのことじゃ。Dは…。

…この噺、永遠に続くね。

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If My Friends Could See Me Now!

9月1日(火)

朝9時半から夜8時まで、連続してぶっ通しで3つの会議。

夕方には、頭がはたらかなくなる。

「PDCAを充実させるためにはIRを強化する必要があります」

などと言われても、もう何が何だかわからない。

頑張っているつもりでものれんに腕押しなことが多く、心が折れながら家路につく。

モリカワさんからメールで、ブログの記事に対する丁寧な感想と、励ましの言葉をいただいた。ありがたい。

スクールカウンセラーだけあって、人を励ますのが上手い。

それにつけても恥ずかしいのは、ごく少数の友人に「9月1日(火)の○○新聞に、私のコメントが載る」と告知してしまったことである。

先日の「サックス8人会」でみんなに指摘されたように、いまの私をアピールしたところで、そんなことは友人たちにとってどうでもいいことなのである。

私の滑稽な姿は、私の大好きなミュージカル曲のタイトル、

「If My Friends Could See Me Now!」

そのままである。ま、わかる人だけわかればよろしい。

そもそもこのブログだって、読む人の環境が変わればしだいに読まれなくなるのだ。

そのことに気づかされて、顔から火が出るような思いがした。

もしそのことに気がつかなかったら、今ごろ再度「今日は9月1日ですよ!」と、告知した人たちに「念押し」していたことだろう。そしてほかの友人たちにも告知してしまったことだろう。

あぶないあぶない。

今日はひどく疲れているので、とりとめのないことしか書けない。

私の性格をよく知る高校時代の友人・コバヤシから、深夜に短い気遣いのメール。ありがたい。

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