野火
9月27日(日)
プレッシャーのかかる仕事がつづき、ストレスがたまり、憔悴する。
今日は久々に何も予定のない休日だったので、映画を見ることにした。
現在公開中の、「野火」(大岡昇平原作、塚本晋也監督)である。
上映している映画館がほとんどなく、以前、「ルック・オブ・サイレンス」というドキュメンタリー映画を見た、小さな劇場まで足を運ぶ。
この映画館はマイナーな映画ばかり上映する良心的な劇場で、こっちに引っ越してから、何度となく足を運んでいる。
さて、映画館に来て驚いた。
「野火」を見に来ている観客のほとんどが、高齢者である。
(ひょっとしたら、戦前に生まれた方ではないか?)
という方も、けっこういる。
ふだん、この映画館は、どちらかといえば、若い人がマイナーな映画を見に来る、というイメージなのだが、「野火」に関しては、そうではない。
宇多丸さんがラジオで取り上げていたので、もう少し若い人が多いのかと思ったら、全然そんなことはなかった。
観客の中で一番若かったのは、私たち夫婦ではないか、と思ったほどである。
さて、この映画。
90分ほどの短い映画だが、今年の邦画の最高傑作といえる。
これほど、戦争のむなしさをリアルに描いた映画はない。
戦争末期、フィリピンのレイテ島で、肺を病んだ一人の日本兵が、ジャングルの中を彷徨する。
ただそれだけの話なのだが、「かつての戦争がどんなものだったか?」を、これだけ一人の兵士の身体に寄り添って描いた作品はない。
映画を見ている自分も息苦しくなる。
塚本晋也演じる主人公の田村一等兵が、見ているうちに次第に自分と一体化してきて、それで息苦しく感じるのである。
先日、映画「人間の條件」をDVDで見終わったばかりなのだが、そのときに感じた息苦しさと、同様のものである。このときも、映画を見ているうちに、主人公の梶と一体化した感覚にとらわれたのである。
それにしても、不思議である。
この映画は、スポンサーがつかず、ほとんど自主映画として製作された。
公開館も、都内ではたった2館しかなかったという。
監督が、世界的にも評価されている塚本晋也であるにもかかわらず、である。
つまりこの映画は、ほとんどの人に知られていないのである。
「なぜ、あの特攻隊の映画には莫大な資金が投入され、この映画には資金がつかないのか、腑に落ちない」と、宇多丸さんは言っていたが、私もそう思う。
戦争の実態をリアルに描いたものとしては、どう考えてもアイドル主演の特攻隊の映画よりもこちらの映画のほうなのに、私には、多くの人が「戦争の最もリアルな部分」に目を背けているように思えてならないのである。
記録的な興行収入となり、数々の日本の映画賞を総なめにしたアイドル主演の特攻隊映画。
それに対して、これほどの戦争の恐怖とむなしさを描きながら、予算も封切館もなく、ほとんどの人の目にとまらないであろう「野火」。
私はこの事実にこそ、目を向けるべきだと思う。
今年の夏は、ここ最近にないほど「戦争」が、世代を越えて意識された。戦争をまったく知らない若い世代にも、である。
しかし、私にはわからない。
だったらなぜ、「野火」はこれほどまでに不遇な扱いを受けるのだろうか?
なぜ、人々の目は「野火」に注がれないのだろうか?
戦争への危機意識が世代を越えて盛り上がりをみせている今の風潮が、「この映画に対する出資者がなく、封切館がほとんどないという現実」を変える力にはなっていないことが、私には残念でならない。
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