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懐かしむためにある場所

コラムニストの小田嶋隆さんの文章が好きである。

あのまわりクドい文体が、私にとっては心地よい。

ごくごく最近に出た小田嶋隆『超・反知性主義入門』(日経BP、2015年9月24日発行)を、出張の移動中に読む。

「日経ビジネスオンライン」上で連載していた「小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句」というコラム(このコラムのタイトルも、人を食ったようなタイトルだが)がもとになっている。時事的な話題を、小田嶋さんなりの視点であーだこーだと書いている。

私はその小田嶋さんのものの見方にも、いちいち共感しているのだが、全体にシニカルでクールな物言いをしている文体のなかで、ひときわグッと来たコラムがあった。

「大学に行く理由」と題するコラムである。

いま、日本の大学は、とても大変な状況にある。

大学を「グローバル」と「ローカル」の二元論的発想で区分しようとしている。

その上で、「すぐれたエリートがグローバルに羽ばたき、劣った者がローカルにとどまる」ような教育をもくろんでいる。

ごく一部のエリートには、最先端の研究を行わせ、他の人間には、産業に必要な実践的な教育さえやっていれば十分だ、というのが、いまの指導者たちの考えである。

つまり、大学で学問なんぞ必要ない。すぐに役に立つことさえ教えていればいい、というわけである。

これに対する小田嶋さんの批判は、全体に的確で、痛烈で、シニカルである。それについてはぜひ本文を読んでほしい。

私がグッと来たのは、次の文章である。

「大学は、そもそも産業戦士を育成するための機関ではない。労働力商品の単価を上げるための放牧場でもない。『じゃあ、何のための場所なんだ?』と尋ねられると、しばし口ごもってしまうわけなのだが、勇気を持って私の考えを言おう。大学というのは、そこに通ったことを生涯思い出しながら暮らす人間が、その人生を幸福に生きていくための方法を見つけ出すための場所だ。きれい事だと言う人もいるだろう。が、われわれは、『夢』や『希望』や『きれいごと』のためにカネを支払っている。なにも、売られて行くためにワゴンに乗りにいくわけではない」

大学は、そこに通った人間が、通ったことを懐かしむためにある場所だ。

本人が通ったことを後悔していないのなら、その時点で採算はとれている

小田嶋さんにしてはめずらしく感傷的な文章で、これを読んで、ちょっと涙ぐんでしまった。

大学が職場だったころ、自分が教えていたことが、はたして社会に出て何の役に立つのだろう、と、いつも自問自答していただけに、この言葉に救われる。

おーい、私の卒業生たち。

君が通っていた大学は、懐かしむに足る場所だったろうか?

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