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短文宣言は難しい

少し前に、「短文宣言」をして、「もうクドい文章は書かない!」と誓ったのだが、気がつくとつい、長い文章を書いてしまう。

「よくまあそんなに長い文章が書けますね」と呆れられたことがある。

読む人にとって私の文章が、内容についてどうこうよりも「長い!」という感覚の方が先に立つのは、どうやら事実のようである。今まで好意的に読まれていると思っていたのに、そんなふうに思われていたのかと思うと、いささかショックであった。

その言葉を聞いて、思い出したことがあった。

これも少し前の話。

「昔からの知りあい」という程度の人から、私を含めた数名にあてて、飲み会の集合場所について指示する携帯メールが来た。

するとそのメールを受けとった別の人から、集合場所について承知した旨のメールが来て、そのついでに「みなさん大雨は大丈夫でしたか?」と書かれていた。

まあ文脈からして、挨拶ていどの社交辞令といってよい。実際、深刻な被害を受けた地域というわけでもない。

するとほどなくして、最初にメールをくれた人から、また一斉送信で長いメールが来た。

大雨の晩、自分がいかに眠れなかったかが延々と綴られていたのだが、とくに被害に遭ったというわけでもなく、交通機関の足止めを食って帰るあてもなかったという事件めいた内容でもなく、かいつまんで言うと自宅で寝ていてビックリした、という程度のなんということのない内容なのである。

「大雨はどうでしたか?」という社交辞令的な問いかけに、まじめに反応したのだろう。

(それにしても、どうということのない内容で、よくこんな長い文章を書けるものだなあ)

と、内容を気にとめることもなく、そのときはそう思ったのだった。

そこでハタと気づく。

そうか。つまり、私の文章もその程度のものなのだ。私がその人の文章を「よくこんなに長い文章が書けるよなあ」と思ったのと同じように、私の文章もまた、そんなふうに思われているのだろう。

「文は人なり」。文章を読むとは、つまりはその人に興味を持つということと同義である。

それとも、クドい文章は俺の持ち味だ!と開き直ろうか。

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