2015年10月
コバヤシと新橋で飲む
基本的に、大勢の飲み会に参加するというのが苦手である。
以前、おじさんばかりの飲み会に参加した時に、ふだんは会議を仕切ったりする管理職のおじさん連中が、ガッハッハと、とても下品な会話をしていて、
(これがこの人たちの本音なんだろうな…)
と思ったものである。
飲み会の席になると急に、下品な物言いで本音を言い出したり相手を見下したりする人を、いかなる立場の人であろうと、私は信用していない。
先日、高校時代の友人、「元福岡のコバヤシ」と、新橋で飲んだ。
新橋で飲むなんて、完全なオッサンだな。
もっとも、新橋の焼き鳥屋で飲んでいても、まったく違和感のない年齢なのだ。
なぜコバヤシとの友情が続いているか、会話をしながら、わかったことがある。
彼はお酒を飲んでも、こっちが不快になるようなことを、決して言わない。
酒を飲んだから許されるだろう、みたいな下品な話を、一切しない。
誰に対しても、差別的な発言を一切しない。
もちろん、軽口をたたくことはある。でもまあそれは、高校時代から変わっていないことだし、不快でもない。
もしコバヤシが、お酒を飲んで「ガッハッハ」と品のない話を始めたとしたら、友だちづきあいをやめていたことだろう。
彼は人間に対するまなざしが、あたたかいのだ。
だって、売れないミュージシャンをやってる高校時代の後輩のライブに行ったりCDを買ったりして、そのたびに感想をメールで送ったりしているんだぜ。
そういうところは、私には欠けていることである。
「俺の役割ってのは、むかしから変わっていないと思うよ」とコバヤシ。
「どういうことだ?」
「むかしは、おまえが愚痴を言うのを延々と聞かされていただろう。3時間くらい」
「そうだな」
「いまは会社の後輩が言う愚痴を、さんざん聞かされているよ。3時間くらい」
「なるほど」
話題が、高校時代の友人の話におよぶ。
「○○も、久しぶりにみんなに会いたがってるんじゃないか?」とコバヤシ。
○○、というのは、長い間音信不通で、最近になって実に久しぶりに連絡を交わした高校時代の友人のことである。
その友人と、今度一緒に飲もうと約束したのだが、私自身が忙しくて、まだ約束を果たしていなかった。
早く実現しなくてはならない。
音信不通の間、波乱の人生を歩んだと思われる○○に対して、コバヤシはそんなこと関係なく、高校時代と変わらずに接することだろう。
こぶぎ教授との会話
10月30日(金)
こぶぎ教授との会話。
「ブログ記事の公開が遅れた理由を言いなさい。」
「出張と書類書きに追われていました」
「あなたのせいで、これだけの人間が更新されないホームページを毎日、何回も訪れて貴重な時間を無駄に過ごしました。どうしますか?」
「申しわけありません。」
「あなたの本来書くべきブログ記事のアップを待つために、この上にまだ皆の時間を消費しますか?」
「お言葉ですが、教授」
「何ですか?」
「最近このブログは、こぶぎ教授くらいしか熱心に読んでいませんよ」
「どういうことです?」
「むかしからの読者は、どんどん離れていっている、ということです。このブログが心の支えです、とかなんとか言っていたかつての人々は、もうとっくに去っていますよ」
「それがどうしたというんですか?」
「はい?」
「読まれなくなったから更新しなくてもいいと?」
「……」
「それは、ブログを更新しない理由にはなりません。さあ、どうしますか?」
「…わかりました。更新します。では手始めに、教授にクイズを出します。」
「どうぞ」
「私はこの10日間の間に、3つの県に出張に出かけました。今から3枚の写真をお見せします。どれもそれぞれの県の名物料理です。その県名をすべて当ててください。もちろん、県名をそのまま答えてはいけません。いつものように『面白い答え』でないといけません」
今こそ読め、『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』
いちばん好きなエッセイは何だろう?とつらつらと考えていたら、遙洋子の『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(ちくま文庫)のことを思い出したので、あらためて読んでみた。
本の冒頭、大学院のゼミでの出来事のくだりがある。登場する「教授」は、もちろん上野千鶴子である。
「発表者は二名。そのうちの一人がまだ来ない。
『すいません。』
女子学生がはいってきた。
ここまではよくある大学の風景だ。ここからが違う。
『遅れた理由を言いなさい。』
『寝坊しました。』
『あなたのせいで、これだけの人間が貴重な時間を無駄に過ごしました。どうしますか?』
『申しわけありません。』
『あなたの本来するべき発表をするために、この上にまだ皆の時間を消費しますか?』
教授は許さなかった。
『今日のこの時間を無駄に消費させますか?それとも来週のプログラムを変更させてまであなたの発表を延期する価値がありますか?』
学生は黙るしかなかった。まだ、寝癖のついたままのショートヘアが痛々しい。
『私はあなたの寝坊のために一年のプログラムを変更するつもりはありませんので、あなたの発表は放棄しますか?』
学生は泣くしかなかった。寝起きで腫らした瞼からポタポタと涙が床に落ちた。
「あーあ、泣かしちゃった。」
という思いと、
『この教授だけは怒らせてはいけない。』
という禁断のルールを目の当たりにした」
このくだりを読んで、とてもびっくりした。
これは、2003年に日本テレビで放映されたドラマ「すいか」に出てくる、浅丘ルリ子演じる崎谷教授のセリフとそっくりではないか!
崎谷教授のセリフについては、以前に書いたことがある。いまいちど引用する。
大学のゼミ。殺気立った雰囲気。
崎谷教授が立っている。その前で1人の女子学生が、泣きそうに立っている。
崎谷「あなたに、泣いてる時間はあるのですか?」
女子学生「(ウッと耐える)」
崎谷「あなたが、十分に準備をしてこなかったために、いま、まさにみんなの時間を無駄にしているのですよ。この上、あなたが泣き終わるまで、待てと言うつもりですか?」
おずおずと手をあげる男子学生。
崎谷が、「はい」と、男子学生を指す。
男子学生「(立ち上がり、おずおずと)まあ、先生の言うことは、正論やし、判るんやけどぉ、女子やから、しゃーないとちゃうんかな、と」
崎谷「なぜ、女子だと仕方がないんですか?その根拠を説明して下さい」
男子学生「だから一般論として…」
崎谷「どこをもって一般論と主張しているのですか?あなたの言葉に客観性がありますか?ここは、議論の場です。どこからか引っぱってきた、あなたの愚かな偏見を開陳する場所ではありません」
男子学生「おお、こわー」
崎谷「怖い?自分の頭で考えようとしない。自らの手で学問を捨て去ろうとする。そのことの方が、はるかに私を恐怖させます!」
崎谷教授のゼミの描写は、上野千鶴子のゼミを思わせる。
ここから一つの仮説が浮かぶ。
「すいか」の脚本家の木皿泉が、遙洋子のこの本を読んで、この部分をアレンジして脚本に書いたのではないだろうか。
遙洋子のこのエッセイが出版されたのが2000年で、ドラマ「すいか」が放送されたのが2003年だから、木皿泉が遙洋子のエッセイを読んでいる可能性は十分にある。
そう考えると、木皿泉は、遙洋子のエッセイに書かれている「上野千鶴子像」をモデルに、崎谷教授のキャラクターを作り上げたのではないだろうか。
…これって、すでに常識なのか?
…というか、ほとんどの人にとってはどうでもいい仮説かもしれない。
それはともかく。
このエッセイは、実に感動的である。
一人のタレントが、上野千鶴子のゼミで学ぶことになる。
最初はまったくわからないことばかり。周りにいる若い学生たちは、今まで自分が接してきた人たちとはまったく異なる種類の人たちばかりで、カルチャーショックを受ける。
しかししだいに、遙洋子は学問のおもしろさを体得していく。
学問は社会を動かす」の一節より。
「ゼミが始まると、大沢真理教授の写真入り新聞記事が配られた。
(中略)記事には年金の厚生省案に対する意見が掲載されていた。政府の男女平等参画審議会にも関係しておられる。これはどういうことか。
学問が学問の専門分野で終結していない。
ここで、日々発見され、生み出される新しい学問が政治に何らかの形で影響を及ぼす。それはやがて私たちの前に政治の制度として具現化される。政治は政治のプロが行うが、どう行うかという時に、その方針基盤は分野別専門家を必要とする。
その記事を読みながら、『そーだったんだ』と再認識した。
誰がつくったのか、セクハラ禁止、夫婦別姓、雇用機会均等法。そのおおもとに、ご意見番としての『学問』があった。(意見が通る、通らない、歪む、はおいといて)」
政治家や官僚に聞かせてやりたい言葉である。
学問を軽視することは、自らの政治制度を滅ぼすことを意味することに、早く気づいた方がよい。
さてこのようにして、今まで「学問」とは無縁だった遙洋子は、「学問」に出会ったことにより、変わっていく。そして、学問の本当の楽しさを知るのである。
とりわけ感動的なのは、「いつかすべてが一本の線に」に出てくる、遙洋子と上野千鶴子の会話である。
「『先生、論文って、感動するんですよね!』
『わかった?』
教授の顔が輝く。
『私は感動は、スポーツや、芸術にだけあるものだと思ってました。』
『違うのよ。学問にもあるのよ。それをわかってくれてよかった。』」
学問をするうえで一番大切なことは、学問で感動できるようになることだ。
だから、感動する論文を書かなければならないんだぜ、同業者諸君。
タメ口論争
10月24日(土)
空港へ向かう電車に乗っていた時のこと。
途中の駅から、3人が乗ってきた。
1人は、白髭をたくわえて姿勢のよい、三つ揃えを着たスリムな老紳士。
1人は、派手に化粧をした中年の女性。
1人は、20代前半くらいの、ローラに激似の美人な女性。
私の隣の席が一つだけ空いていた。
「先生、どうぞお座りください」
「いえ、私はけっこう」
「先生、座んなよ」
「いえ、本当にけっこう」
「じゃあ、ママ座んなよ」
「じゃあ失礼して」
話の様子から、女性2人は親子で、老紳士は、その女性2人にとって「先生」と呼ばれている存在だということがわかった。
いったいこの3人はどんな関係なのか?ついいつもの悪い癖で、気になってしまった。
母親の方はどう見ても純粋な日本人である。
ローラ似の娘は、ハーフである。
そう思ったのは、会話の端々に英語の単語が出てくるからである。
会話を注意深く聞いていると、「オーストラリアでは…」という話がしばしば出てきたので、ローラのお父さんは、オーストラリアの人らしい。
母親は、「先生」に対して敬語を使うが、娘のローラの方は、終始タメ口である。
この「先生」は、母親にとっての「先生」なのか?娘にとっての「先生」なのか?
会話の様子から、この老紳士はかなりの博識である。
大学の先生なのか?
しばらく会話を聞いていると、なんとなくわかってきた。
この老紳士はどうも武道の先生のようで、この老紳士のもとで、ローラが武道を習っているらしい。つまりこの「先生」は、娘の武道の先生である。
空港行きの電車に乗ったということは、旅行に出かけるということである。
荷物が軽装なのと、向かう空港が国内線の空港なので、海外ではなく、国内であることは間違いない。
いったいこの3人はどこに行くのか?
ふつうならば話はここまでで終わる。
電車が空港の駅に近づく頃になって、私の隣に座っていた母親が、突然思い立ったようにほかの2人に言った。
「あら!私たちの乗る飛行機、どっちのターミナルだったかしら」
そう言うと、カバンから封筒を取り出した。
封筒から航空機のチケットを取り出し、どっちのターミナルかを確認しようとした。
「書いてないわねえ」
横に座っていた私が見るともなく見ると、そこには行き先として、中国地方の空港名が書かれていた。
そればかりではない。
チケットを入れていたその封筒には、チケットに書かれている空港と同じ県にある武道館の名前が印刷されていた。
つまりこの3人は、その県にある武道館に行く可能性が極めて高い。
では、何のために行くのか?
後に調べてみると、翌日の25日にその武道館で総理大臣賞争奪の女子剣道大会が開かれることがわかった。
これで、完全に解決した。
ローラは、翌日にその武道館に行われる女子剣道大会に出場することになり、お母さんと武道の「先生」がその付き添いとして、飛行機で向かうことになったのだろう。
…ま、ここまではどうでもいい話なのだが、私が気になったのは、ローラ、つまり娘の方が一貫して母親や「先生」に対して「タメ口」をきいている、ということである。
最近、世に「ハーフタレントタメ口論争」なるものがあって、ハーフタレントがテレビで軒並みタメ口を使うのはなぜか、ということが話題になっている。
ハーフタレントがタメ口を使うのは、もともと英語に尊敬語がないから、小さい頃から尊敬語の概念がなく、そのために日本語でも尊敬語を使用せずタメ口になるのだ、というまことしやかな言説が流布している。
これに対して、それは全くの嘘で、たまたまタレントのローラがタメ口でしゃべっているのが人気を博したから、ハーフタレントが、タメ口を自分たちの「記号」として使い始めたのだ、という説もある。つまり芸能事務所の戦略として無理にキャラ付けされたのだ、という説である。
私自身は、前者の説は「都市伝説」であり、さまざまな偏見を含んだ言説であると断じ、後者の説を支持してきた。
だが、ここへ来て自説が揺らぎ始めた。
電車の中で見たローラ似の女性は、老紳士の「先生」に対して終始タメ口を使っていて、この姿勢を一切崩すことがなかった。しかもごく自然に、である。
しかも驚いたことに、「先生」にタメ口を使うことに対して、母親も何の注意もしていないのである。武道の先生もしかり、である。
ということは、やはり「タメ口文化」というものが存在するのだろうか?
…ま、これもまた、どうでもいい話である。
謎の依頼
10月23日(金)
午前中、職場の「広報担当の上司」から、一斉メールが来た。「広報担当」というのは、外部からの問い合わせに答えたりする部署である。
「すみません、外部の公的機関から問い合わせがあったのですが、もしホテルやレストランで行った懇親会などの写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら、広報担当宛てにご提供いただけないでしょうか。最近のものでなくても全く差し支えありません。
その問い合わせがあった公的機関は、外から人を招いて大がかりな懇親会を行った経験がないので、参考にしたいとのことです。」
何度か読み返してみて、どうやら「懇親会」の参考写真、というか「資料画像」がほしい、という問い合わせのようである。
(そんな写真、うちの職場で持っている人なんているんだろうか…?)
大がかりな懇親会のときの写真なんて、そうそうめったにあるものではない。
しかもこの忙しい時に、この依頼に応える同僚など誰もいないだろうな。
…いや、待てよ。
そういえば、昨年3月末に、ある方の送別会がホテルの宴会場で盛大に行われて、そのときに私が「写真係」を頼まれたことを思い出した。
200名近く集まったと記憶しているが、そのとき私は、「送別会」の様子を150枚ほど撮影したのだった。
設営のときの写真から始まり、受付の写真、各人のスピーチの写真、それを聞いている人たちの写真、談笑している人たちの写真、主賓への花束贈呈の写真…。
盛大な送別会の様子を、これほどまでに詳細に撮影した人間は、うちの職場では私をおいてほかにいないだろう。
早速そのときの写真をパソコンの中から探し出し、フォルダごと「広報担当の上司」に渡した。
「ありがとう、助かったよ」
「こんなんでいいんでしょうか?」私は不安だった。
「先方がどんな写真を期待しているのか、私もよくわからないんだが、たぶんこれで十分だと思うよ。ひとまず先方に渡してみるよ」
「先方」とは誰のことなのか、上司はついぞ明かさなかった。
いくつかの疑問がわく。
まず、その公的機関は、ホテルやレストランで「懇親会」というのをやったことがないらしい。
それで「懇親会」がどういうものなのか、一例として写真を見せてほしいということになったのである。
この世の中に、ホテルやレストランを会場にする「懇親会」をしたことがない「公的機関」なんて、あるのだろうか?
懇親会風景の写真を送ってほしい、ということは、「懇親会」と聞いて、まったくイメージがわかない、ということである。そんな人が、この世にいるのか???
ホテルの会場で人々が飲み食いしている写真。それを見て、見よう見まねで「懇親会」を開こうと考えているのだろうか?
そもそも、ホテルやレストランに頼めば、懇親会の料理や設営などは、向こうでしてくれるはずである。それなのに、なぜあえて懇親会の様子を写した写真がほしいのか?
たとえばだよ。
メキシコに住むメキシコ人が、
「どうも日本のスシという食べ物が人気があるらしい」
と、どこかで聞いてきて、自分もスシ屋を始めようと思ったとする。
だが、「スシ」がどんなもので、「スシ屋」がどんな店構えなのかが、まったくわからない。
そこで、誰かに頼んで日本に行ってもらって、「スシ」と「スシ屋」の写真を撮ってきてもらう。
そのメキシコ人は、写真を見ながら、見よう見まねでメキシコでスシ屋を始める。
…これと同じようなことなのではないか?
ホテルとかレストランにまったく縁のないド田舎の村が、大勢のお客さんを呼んで「懇親会」なるものをやらなければならなくなった。
ところが、村役場の誰もが、「懇親会」とはどういうものなのかがわからない。
それで困ったあげく、うちの職場に「懇親会」の写真がないか、問い合わせてきたのではないだろうか?
かなりイイ線いっている仮説だと思うが、それでもまだ疑問がある。
なぜ、うちの職場にそんな問い合わせが来たのか???
うちは別に、懇親会を頻繁にやっている職場ではないのだ。
上司は、なぜ依頼主の正体を明かさなかったのだろう。
すべてが謎である。
さあ、この謎をいかに推理するか…。
ここで言わなきゃ男がすたるか?
10月21日(水)
昔はよく、職場の全体会議で執行部にたてついて意見を言ったもんだ。
しかし、感情にまかせて発言したことは一度もない、つもりである。
もっぱら私が意見を言う場面は、「思考停止している状況に、誰も気づいていない」というときである。
それ以外のことには、関心がない。
あらかじめ会議の資料に目を通して、そんな箇所が見つかった時に、「ここで意見を言おう」と決めておく。
その議題が来るまでに、発言の骨子を考える。どんな表現を使うかを、吟味する。
揚げ足をとられないように、できるだけ正確な表現を心がける。
で、その議題の時が来たら、手を上げて発言するのである。
なので、感情的になったことは、一度もない。
よく、「ここで言わなきゃ男がすたる」という気概をもって発言する人がいるそうだが、私はそんなことを考えたことは、一度もない。
ましてや、「男」を「漢」と書くヤツには、虫唾が走る。
意見を言うのに、男も女もない。
「ここで言わなきゃ男がすたる」と思って発言している時点で、私はその意見を信用しない。どんなにまっとうな意見であっても、である。
私の友人がよく使う、「俺の生きざま、よく見とけ」は好きだけどね。
旅の空で考えたことである。
ズボンを買うにも大汗をかく
10月18日(日)
先週の出張先での「本格的な登山」は、急遽山登りが決まったため、山登りにふさわしい服ではなく、ワイシャツにスラックスという格好で登る羽目になった。
他の登山客は、当然、万全の準備をととのえ、本格的な登山服を着て登っている。
そんな中、Yシャツにスラックスに革靴といういでたちで登る、というのは、かなりヘンである。というより、山登りをバカにしている。
あまりに激しい山登りだったため、私のズボンは激しい股ずれを起こし、スラックスの股の部分に大きな穴が開いてしまった。
そうでなくても、ふつうに生活していても、私のズボンは股下はしだいに擦れていって、ついには大きな穴が開くのである。
これでは履けるズボンがなくなってしまう、と思い、ズボンを買いに行った。
ズボンを買いに行く、というのは、私にとっては大仕事である。
まず、太っているので、自分のサイズに合うズボンを見つけるのが難しい。
運よく自分のサイズに合うズボンを見つけたとして、それを裾上げするのも面倒である。
試着室で、何着もズボンを試着していると、びっくりするくらいの大汗をかく。
たんに試着室でズボンを試着しているだけなのに、なぜか大汗をかくのである。
いったいどういう体質なんだ?俺は。
店員さんも、
(この人はなぜ、試着室で大汗をかいているんだろう?)
と不審そうな顔をしている。
そんなこんなの困難をくぐり抜けて、はれてズボンを手に入れることができるのだ。
なので、よっぽどその日のテンションを高めないと、ズボンを買いに行く気は起こらないのである。
相棒は、マドンナだ!
最近の私の妄想仮説は、「水谷豊は渥美清化している」ということである。
テレビ朝日のドラマ「相棒」を映画「男はつらいよ」にたとえてみればよい。
いまや「相棒」は長寿シリーズとなり、「国民的ドラマ」になっている。
水谷豊演じる「偏屈」な片山右京が、だんだんと聖人化している気がする。
これは、晩年の「男はつらいよ」の寅次郎を思わせる。
なにより、いつも話題になるのは、「次の相棒は誰か?」ということである。
成宮の後は、誰か?
竹野内か?
いやいや、木梨が立候補していたぞ、とか。
おぉっと、反町になったのか!そう来たか!
…これって、「寅さんの次回作のマドンナは誰だ?」っていって盛り上がっているのと、同じじゃないか?
つまり、片山右京にとっての「相棒」は、いまや寅さんにとっての「マドンナ」のような存在なのだ!
晩年の「男はつらいよ」しか見たことのない人は、寅さんを演じる渥美清がいかにも穏やかな人間のように見える。
だが、若い頃の寅さんは、実に軽妙で、画面狭しと暴れ回っていた。渥美清はそれを縦横無尽に演じていた。年齢とともに、枯れていったのである。
水谷豊も同じである。
「相棒」の水谷豊しか知らない人は、水谷豊は、あの独特の、抑えた芝居をする人だ、と思うであろう。
だが若い頃の水谷豊は、実に軽妙で、テンポのよい芝居をみせていた。
いまは年齢に応じた芝居をしている、というべきであろう。
いまや私たちは、「男はつらいよ」を見るのと同じ楽しみ方で、「相棒」を見ているのではないだろうか。
ブログプレイバック・その一言を、なぜ言わない
前回、「大学の人文学系不要論」が話題に出たので、少しその件について書きたくなった。
今、どこの地方国立大学でもおこなっている組織改革で一番心配なのは、グローバルだの実践なんとかだのというわかりにくい名前をつけることで、かえって高校生がその大学を敬遠するのではないか、ということである。
高校生にとってみたら、「その大学で何が学べるのか」がわからず、結果的に受験倍率が下がる可能性が高いのではないか。
そういえば、以前、このブログでそんな話を書いたことを思い出した。
以下、再録する。
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「その一言を、なぜ言わない」(2013年7月11日)
先月に出張講義に行った隣県の高校から、そのとき受講していた生徒さんたちの感想が送られてきた。
この手の感想は、相手に気をつかってかなり好意的に書いてある場合がほとんどである。記名式の場合には、なおさらそうである。
実際のところどう感じたかは、わからないのだ。自分の職場で、イヤというほど体験しているので、よくわかる。
だから、書かれていることは、かなり差し引いて読まなければならない。
そんな中で、次の3人の生徒の感想が、注意をひいた。いずれも、授業の本題とはまったく関わりのない部分に対する感想である。
「最初に先生がおっしゃっていた、大学4年間を自分の言葉で話せる人が就職に有利という言葉を聞いて、そのような人になれるように努力をしていきたいなと思いました」
「最初に先生が言ってくださった、『就職で大切なのは大学4年間をいかに語れるか』という言葉は、本当に救われるような言葉です。私の志望している大学は特に就職に有利な大学でも有名な大学でもないので、そう言ってくれて自分はすごく救われました」
「今回、お話を聞かせていただいて、自分が大学で1番やりたいことをもう1度考えてみようと思いました。この教科は就職に有利だから、ほかの人が選択しているからという理由で決めるのではなく、自分の意志でやることを決めようと思いました」
この感想を読んで、そのときのことを思い出した。
私は本題に入るまえに、次のようなことを言ったのだった。
「大学で、就職に有利になりそうな分野を専攻したからといって、それが就職に有利にはたらくとはかぎりません。就職とは一見関係なさそうな分野を専攻している人の方がむしろ、就職に有利にはたらく場合があります。大事なことは、大学での4年間を自分の言葉でしっかりと語ることができるように、大学生活を送ることです。そのためには、自分が本当に勉強したいことを見つけることが大切なのです」
これは、就職に有利そうな分野に流れようとする昨今の学生事情に対する、アンチテーゼであった。文系の場合、法律や経済や公共政策といった、一見就職に有利そうな分野に、何となく学生が集まるが、実際には、分野によって有利不利などということはないのだ。それは、私がこれまで見てきた学生たちから実感していることである。
授業が終わり、教室から講師控室に戻る道すがら、私の授業を聴いていた先生が言った。
「最近、就職に強いからという理由で、理系に流れたり、文系でも法律や経済に流れる生徒が多いんです」
「そうでしょうね」
「最近は文学系を希望する生徒が減りましてね。私も文学系出身なので、ちょっと残念だなあと思っていたんですが、先生にああ言っていただいたおかげで、文学系に進みたいと思っている生徒も、意を強くしたのではないかと思います」
「そうでしょうか…」
そのときは半信半疑だったが、今日送られてきた感想を見て、実際にそんな感想を寄せてくれた生徒が、3人いたのだ。
「大切なのは、専攻にかかわらず、大学で勉強した4年間を自分の言葉で語ることができるかどうかだ」
不思議である。
本人が言ったことすら忘れかけていた言葉が、相手にとっては大事な言葉だったりする。
逆に、相手を想って練り上げた言葉が、相手の心をふるわせないこともある。
言葉とは、実に不思議である。
この件に関していえば、私が何気なく言った一言で、「救われた」と感じる生徒がいたことは、確かなのである。
人間は、自分が思っている以上に、思い込みにとらわれている生き物である。
それがときほぐされたときに、それまで背負っていた重い荷物をおろしたときのように、心が軽くなるのではないだろうか。
その一言で相手の心が救われるのだとしたら、私たちは、その一言を言わなければならないのだ。
ときほぐす一言を、である。
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私自身の学生時代を思い返しても、高校までは勉強することができなかった「心理学」とか「文化人類学」とか「科学史」とか「哲学」といった学問、というかそのネーミングを聞いて、ワクワク、ドキドキしたものである。たとえその内容を理解できなかったとしても、である。
大学は、ワクワク、ドキドキするような勉強ができるところでなければならない。
学生がワクワク、ドキドキするような専門分野を、できるだけ数多く提供しなければらないのだ。
一度、そのワクワク、ドキドキを味わった者は、社会に出てからも、その感覚を生涯忘れることはないだろう。
大学で勉強するほとんど唯一の意義は、そこにある。
批判の品格
たとえばの話。
ダメな上役、というのは、どこにでもいる。
決断力がなかったり、人の話を聞かなかったり、腹をくくっていなかったり、プライドばかり高かったり。
そんなときには、容赦なく、面と向かって批判したものである。
同じように、ダメな上役を批判する人たちがいると、私も意を強くするわけだが、だがそういう人たちのすべてが同志というわけではない。
たとえば批判が高じて、
「カツラのくせに」
とか、
「デブのくせに」
とか言い出されてしまうと、私はついていけなくなってしまう。
私も一緒になって、
「カツラのくせに」
とは言いたくない。だって、その上役がダメであることと、カツラであることは、関係ないもの。批判の矛先が、違ってしまっているのである。
それに、もし私が批判の対象になったとしたら、その人たちから、
「デブのくせに」
とか、
「汗っかきのくせに」
とか言われかねない。
それが怖いのである。
ある雑誌を見ていたら、「人文学無用論について」というエッセイを見かけたので読んでみた。
書いた人の経歴を見ると、さる高名な芸術学系学者が書いたもののようで、昨今の「大学人文系学部不要論」をかなり強い調子で批判した文章だった。
もちろんその趣旨には賛成するのだが、書かれている文章が、なんというか、とても品がないのだ。それに、書いてあることが支離滅裂である。
これが、芸術学系学者が書いた文章なのか???
妻に読んでみてもらうと、
「この文章を読むと、『たしかに人文系の学問なんて不要だな』と思ってしまうよね」
というコメント。
つまり、こんな支離滅裂で品のない文章で、相手を批判したつもりになっていたら、それこそ敵にバカにされる、というものである。
そこで私は知るのである。
「批判をするなら、その批判が相手よりも品格のあるものでなければならない」と。
水谷豊版寅さん
念願かなって、日本テレビの土曜グランド劇場の枠で放映された「あんちゃん」(水谷豊主演、1982~83)を見た。
「宇佐木温泉」という架空の温泉町を舞台に、実家のお寺を継いで僧侶となった田野中一徹(水谷豊)が、町で起こるさまざまなトラブルを「人のよさ」で解決していきながら、自分自身も成長していく、という物語。全26回。
私が中学生の頃にリアルタイムで見ていて、最も好きなドラマだったのだが、内容はほとんど忘れてしまっていた。今回あらためて見直してみて、このドラマが、私の人格形成に大きな影響を与えたドラマであることを、あらためて実感したのである。
それとともに、水谷豊の達者な演技に、あらためて感銘を受けた。
寅さんを演じた渥美清が「国民的俳優」だとしたら、それを継ぐ者は、西田敏行ではない。水谷豊である!
このドラマを見て、その意を強くした。
実際、この「あんちゃん」は、「男はつらいよ」の世界観にとても近い。
水谷豊演じる「あんちゃん」が「寅さん」だとすれば、
伊藤蘭演じるその妹・徳子は「さくら」。
三浦洋一演じる土建業の音次は「タコ社長」。
それぞれの人間関係の距離感も、「男はつらいよ」のそれと一致する。
出演している役者は全員芸達者。内容も軽妙で、上質なシットコム(シチュエーションコメディ)になっている。
1話1話が、それぞれ独立したエピソードになっていながら、回を重ねるごとに登場人物のキャラクターが次第に一人歩きし始め、ストーリーの大きな流れを作っていく。
もし自分が脚本家なら、こういうドラマを書いてみたいと思うのだが、こういったタイプのドラマは、いまでは作れないんだろうな…。
晴れの特異日、ではない
10月10日(土)
10月10日が体育の日というのは、もうずいぶん前の話。
いまは、10月の第2週の月曜日が体育の日である。
1週間前の10月4日(日)、3歳になる姪の運動会を見に行った。
聞くところによると、この日に運動会をやる保育園がけっこうあるのだという。
体育の日に運動会をやればいいのに、とも思ったが、祝日の制度が変わって、体育の日が3連休の中に必ず含まれるようになってしまったため、おそらく3連休に保育園や学校の行事を入れることが忍びなくて、むしろ3連休を避けたのだろうと私は推測した。
今日、たまたまTBSラジオ「安住紳一郎 日曜天国」を聴いていたら、安住紳一郎が同じことを言っていた。
最近は、体育の日を含む3連休に運動会をやる学校が少なくなり、ほとんどの学校がその前後にするようになったという。
貴重な3連休を学校行事で潰したくないということなのだろう、とやはり安住アナは言っていた。
「『体育の日』に運動会を避けるとなると、『体育の日』というのは、いったい何のためにあるのか?」
と安住アナは疑問を呈していたが、まさにその通りである。
まったく、本末転倒も甚だしい。
安住アナが言っていたことでもう一つ驚いたことは、
「10月10日は晴れの特異日ではない」
ということだった。
10月10日がなぜ体育の日になったのかと言えば、この日が、1964年の東京オリンピックの開催日だったことによるが、ではなぜこの日を開催日にしたかというと、10月10日が「晴れの特異日」だったからだ、と言われてきた。
つまり、
10月10日は「晴れの特異日」
↓
「晴れの特異日」ということで、この日が東京オリンピックの開催日となる
↓
東京オリンピックの開催日を記念して「体育の日」となる。
↓
「体育の日」に運動会をする学校が増える
という流れが、これまでの私たちの「常識」だった。
ところが、10月10日は、実は「晴れの特異日」でも何でもなかったのである。
いったい、どのような経緯で10月10日が「晴れの特異日」であるという都市伝説が生まれたのか、よくわからないが、人間とは、まことに根拠のない都市伝説を、あたかも「常識」のごとく信じてしまう生き物である。
しかも、10月10日が「晴れの特異日」といわれ、「運動会をするのに最も適した日」といわれていたにもかかわらず、お国の事情でアッサリと「体育の日」が変えられてしまったばかりか、いまやその「体育の日」に運動会をやるところすらほとんどないという事実。
ではいったい「体育の日」とは、何なのか?
「体育の日」の「体育の日」たるゆえんを突きつめようとすると、実は何も根拠がない、という事実に突き当たるのである。
これでは「体育の日」が、あまりにもないがしろにされているではないか。
「祝日」なんてその程度のものだ、と考えられている証だろう。
私は思う。
「体育の日」にかかわる一連の経緯の中にこそ、この国の人たちの思考様式の本質があらわれているのではないか、と。
カニ待ち港
こぶぎさん、連続正解です!
10月9日(金)
朝8時半、滞在していたC市のホテルを出発する。
今日は、車をチャーターして、6時間ほどかかるU郡に向かう。
おりしも今日は、祝日である。道路は渋滞していた。
(うーむ。これでは予定の時間にたどり着かないかもな…)
目的の場所に着くには、午後になってしまう。
同行者の1人が、
「お昼は海の近くのお店で、「カニグクス」のおいしいお店で食べましょう。目的の場所に行く途中にありますから」
と言う。
「カニグクス?」
「カニがのっているそうめんのことです。前に行ったことがあって、とてもおいしかったんです。店の場所も覚えていますから、運転手さんに頼んでそこに寄ってもらいます」
「おいしそうですね」
お昼近くになり、車はやがて、右側に海を見ながら、北上を続ける。
右側に広がる海を見ながらしばらく行くと、午後1時10分頃、漁港の食堂街みたいなところに着いた。
食堂が軒を連ねる広場には、たくさんの車が駐車している。
港にはイカ釣り漁船が所狭しと停泊していて、海岸ではイカが干されていた。
「まるで寺泊みたいなところだなあ」同行の1人が言った。
「ここですよ」と、その店を紹介した同行者が言った。
店に入るが、客は誰もいない。
店を切り盛りしていると思われるおばちゃんが、
「何にしますか?」
と聞いてきたので、
「カニそうめんを4人分ください。時間がないんでね」
と言うと、お店のおばちゃんは、何かまくし立てるように言った。
聞いているとどうも、
「この店は、カニを売りにしてる店なので、カニそうめんだけ頼まれたんじゃ、こっちは商売あがったりだ。カニセットを注文してほしい」
と言っているようである。
「じゃあカニセットで。カニそうめんも頼めるんでしょう?」
「頼めるけれど、カニそうめんを4つ頼むよりも、4人ならばカニそうめん2つとカニ焼きめし2つを頼んだ方がいいと思うよ」
という。
こっちはすでに「カニそうめんの口」になっているんだがな、と思いつつも、おばちゃんに言われるがままに、「カニそうめん2人前」と「カニ焼きめし2人前」を頼むことにした。ずいぶん強引なおばちゃんである。
最初に、「突き出し」が出てきた。
それを食べながら待っているのだが、なかなかカニが来ない。
そのうち、お客さんが少しずつ増え、お店のテーブルはお客でいっぱいになった。
待てど暮らせど、メインのカニは来ない。
カニが来ない理由がわかった。
この店は、料理も給仕もすべて、おばちゃんひとりが切り盛りしているのだ。
しかも、見ているとかなり要領が悪い。
「忙しそうに立ち居振る舞っているのだが、実は要領がとてつもなく悪いおばちゃん」
という例のパターンだな、とすぐにわかった。
そのうえお客さんが増えて、かなりテンパっているぞ。
業を煮やした1人が、おばちゃんに言う。
「パリ ジュセヨ」(早くください!)
これをおばちゃんは、
「サリ ジュセヨ」(替え玉の麺をください)
と聞き間違えたらしい。
「サリ(替え玉の麺)?カニそうめんは今作っているところだけど、替え玉は何玉ほしいの?カニそうめん1杯はそうとうな量があるので、出てきたのを見てから決めてもいいんじゃない?」
「早くください」の答えとしては、そうとうトンチンカンな答えである。
「パリ ジュセヨ」と言った同行の人も、「サリ ジュセヨ」と聞き間違えられたことに気づかず、おばちゃんのトンチンカンな答えの意味を理解できない。
だいたい、聞き間違えること自体が、要領の悪いおばちゃんである証拠なのだ。
(あ~あ、面倒な店に入っちゃったなあ)
1時間待って、茹でたばかりのカニ1杯がようやく運ばれてきた。
誤解のないように言っておくが、私はカニが好きである。
だが、1時間も待たされて食べるほどのものかというと、ちょっと疑問である。
しかも1人1杯ならばまだしも、4人で1杯なので、なおさら疑問である。
そのあと、「カニそうめん」と「カニ焼きめし」が来たが、こちらはいたってふつうの味だった。
お店に入ってから1時間半、ようやくすべての料理が出揃い、食べ終わった。すでに2時40分を過ぎていた。
「計算はいくらになりますか?:
「13万ウォンです」
えええぇぇぇぇっ!!!
13万ウォンは、日本円に直せば、13000円。つまり、ひとり当たり約3000円である。
1時間以上待たされたあげく、「カニを食った!」という達成感もさほどないのにもかかわらず、1人3000円なのは、かなり腑に落ちない。
何よりも腹が立ったのは、1人で店を切り盛りしているおばちゃんの要領の悪さである。
世の東西を問わず、「忙しそうに立ち居振る舞っているのだが、実はとてつもなく要領が悪い」という、例のパターンは、存在するのだ。
車に乗り込み、目的の場所に向かったが、到着したのは午後3時半だった。
私が初めて訪れた、そのU郡というのは…。
死ぬかと思った
こぶぎさん、1問目は大正解です!
10月7日(水)
急遽、予定が変更になる。
「今日は登山です」
「登山ですか???」
本格的な登山の準備など、してきていないぞ。
「どこに登山ですか?」
「C郡にある有名な山です」
C郡というのは、私が今滞在しているC市から車で1時間ほどのところにある田舎町である。そこにあるK山(現地読みでF山)は、この地域の人たちにとってそこそこ有名な登山スポットなのである。
「あなたが手がけた仕事に関係する山なんですから、あなたのために登るのですよ」
「ありがとうございます」
と言ってはみたものの、心の準備はできていない。
「それに、その山は日本でも大人気だった大河時代劇のロケ地にもなりました。第2回に出てきます」
「そうですか。その山の標高はどのくらいですか?」
「700メートルくらいです」
「というと、高尾山よりもちょっと高い程度ですね」
しかし、この認識が誤っていた。
登り始めたとたん、急勾配になり、いきなりキツい。
途中、3つの登山道に分かれていた。第1登山道、第2登山道、第3登山道。
「どの登山道が楽ですか?」
と、山から下りてきたばかりの人に聞くと、
「第1登山道です」
という。
その言葉を信じて登ったのだが、これが間違いだった。
遠回りな上に、山の急斜面の岩場を登らなくてはならない。
ロッククライミングか!
しかも、ちょっとでも足を滑らせると、谷底に転落する危険がある。
「ひぃぃぃぃ~!!!」
私以外の方々は皆健脚で、どんどん登っていくのだが、私は、
「ああ、もうここで死んでもいいや」
と思ったほど、身動きがとれなくなってしまった。
誰だ、高尾山と同じくらいだといったヤツは!
…あ、俺か。
同行の方は、1時間くらいあれば頂上まで登れるだろうとおっしゃっていたのだが、とんでもない!
2時間半ほどかけて、ようやく頂上に着いた。
例によって、川に落ちたような大汗である。
ズボンは、お漏らししたみたいにぐっしょりと濡れていた。
頂上からの眺めのよさだけが、唯一の達成感である。
もう2度と登らないと誓ったその山の名前は…。
とある国に行く
10月6日(火)
とにかく忙しい。
昨晩、慌てて荷造りをして、朝7時半に家を出る。
職場に着くと、9時半から会議。これが12時半までぶっ通しで続く。
お昼休みの後、書類を作ったり、その書類を持って同僚のところをまわったりしているうちに、2時になり、2つめの会議が始まる。
1時間ほどで会議が終わったが、その後あれやこれやと職場の中を駆けまわっているうちに、4時半になった。
慌てて職場を出て、スーツケースをもって電車に乗り、空港に向かう。
午後7時20分発の飛行機で、とある国に向かう。
2時間ほどで、その国の南にある国際空港に到着した。
入国手続きを終え、空港の出口を出たのが9時50分。
そこから、35~36キロほど離れたC市に行かなければならない。
そこにホテルを予約しているのである。
タクシーで移動するしか方法がないので、タクシーに乗った。
「C市までお願いします」
「わかりました」
「お金はどのくらいかかりますか?」
「5万ウォンです」
タクシーが出発した。
メーターを倒さないでいるのを私が不審がっていることに、運転手さんは気づいたようだった。
「日本人のお客さんは、タコメーターのことをすぐに気になさりますよね」
かなり訛りのきつい運転手さんである。
「ええ、そうですね」
「このタコメーターは、市内を走るときにのみ有効で、市外だと使えないんです」
「そうなんですか」
「だから、市外に行くときはタコメーターを使わずに、料金表を使うんです」
市外に行く場合は、定額制ということらしい。
もう一つ運転手さんが教えてくれたのは、もし市外でタコメーター通りの料金で行くとなると、往路だけではなく、運転手が帰る復路の分も請求されるらしい。
つまり片道分ではなく、往復分を支払わなければならないという。
その点、定額制だと割安なのだと、運転手さんはどうもそう言っているらしい。
訛りがきついので、完全に聞き取ることはできなかった。
「これから行くC市は、わしら大都市に住む人間にとっては、田舎町なんで、地理がようわかりません」
「C市の市の中心地には有名な池というか、湖があって、ホテルはその湖の目の前ですよ」
「そんな湖、私らのような大都市の人間は知りませんよ。この町では有名かもしれんけど」
とその運転手さんは言った。
C市はそこそこ大きな都市だと思うのだが、大都市に住む運転手さんにとっては、田舎町なのだ。
いかにもこの国の人らしい考え方である。
そうこうしているうちに、30分ほどでホテルの前に着いた。
さて、そのホテルのある都市の名前というのは…。
ラグビー解説者への道・その2
10月3日(土)
ふだん使っていたパソコンの液晶画面が壊れてしまって、新しいノートパソコンを立ち上げたりデータを新しいパソコンに移行したりするのにで丸一日かかってしまった。
これを機にWindows8.1を使い始めたのだが、まことに使いづらくて辟易している。
使う側のことを考えたというよりも、製作者側の都合を優先したのだな。
便利な生活というのは、実に不便である。
そんなことはともかく。
以前、ラグビーの試合を、「飢饉の村の食料争奪戦」にたとえたが、これは間違いであることがわかった。
ラグビーとはすなわち、「陣地拡張合戦」である。
で、別のたとえを考えてみたのだが。
昔々、日本では土地の境界に石を置いていた。
石を置くことで、自分の土地の境界を示していたのである。
ラグビーボールとはたとえていえば、境界に置く石である。
相手の領地に進出していって、相手の領地の一番端っこに石を置けば、その土地すべてが自分のものになる。
だから、「境界に置く石」を両者が奪い合い、それを持ちながら相手の領地を突き進んでいき、その石を、相手の領地の反対側の境界線に置く。
これがすなわち、トライである。
ラグビーとは、「土地の境界に置く石の奪い合いである」というたとえは、どうだろう。
園子温版「地獄変」
10月2日(金)
妻に「園子温監督の映画『地獄でなぜ悪い』(2013年公開)が絶対面白いから見たほうがいい」と言われ、見ることにした。
恥ずかしながら、園子温監督の映画を初めて見たが、映像の感じが、大林宣彦監督的で、ちょっとノスタルジックな印象を受けた。もちろん映画の内容ではなく、映像の雰囲気が、である。
たとえていえば、8ミリカメラを片手に、縦横無尽に動きまわって遊びまくるような感じ、といったらよいか。
そう思って調べてみたら、園子温監督も、大林監督と同じく、自主映画出身の監督だったのね。
だから、映画への愛の注ぎ方が、大林監督と同じ匂いがするのだ。
それに、この映画じたいが「映画に対する無条件な愛」にあふれている。「映画至上主義」なのだ。
これは、いってみれば園子温版「地獄変」である。タイトルに「地獄」という語を使っているのも、それを意識したのではないだろうか。
この映画、とにかくキャストがすばらしい。どれもピッタリはまっている。私なりに思いついたことを書き出してみる。
・この映画の主役は、國村隼である。私が以前から主張している「國村隼は、ソン・ガンホだ!」という説が、この映画で証明された。
・友近がホンイキで芝居をすると、むちゃくちゃ面白い。
・二階堂ふみがすばらしい。韓国映画の名作「オールド・ボーイ」を日本で制作するとしたら、ミド役は間違いなく二階堂ふみだな。
・なによりこの映画でいちばんよかったのは、長谷川博己である!俳優に対して手厳しい妻も、「長谷川博己はいい」と絶賛していた。芸達者な役者だ。神木隆之介君が年を重ねたら、ぜひ長谷川博己みたいな役者をめざしてもらいたい。
わかる人だけわかればよろしい。
会議解説者への道
先日、TBSラジオ「ジェーン・スー 相談は踊る」を聴いていたら、リスナーが、ジェーン・スーに電話相談をしていた。
相談者は、どうも思い込みの激しい人のようで、ジェーン・スーのアドバイスに対して、「でも…」とすべて否定にかかる。思考回路が常に同じところをぐるぐる回っていて、聴いているほうも少しイライラしてきた。
相談を受けているジェーン・スーも、業を煮やしたようで、最後にその相談者に、
「あとで、ポッドキャストでこのラジオを聴き直してみてください。客観的に聴いてみることで、自分の思考回路がわかると思いますよ」
と言って、その相談が終わった。
なるほど。
相談している最中は、気持ちが高ぶっていたり、冷静な判断ができなかったりして、相手の言っていることが理解できなかったり、自分の思考の枠組みから逃れられずに意固地になったりするのだろうが、これを客観的に見つめ直す機会があれば、自分のどこが意固地なのかが、わかるということか。
いい方法だ。
「あの人、どうしてあんなに思い込みが激しいんでしょうねえ。会議で、せっかくこっちがいろいろと提案しても、聞く耳を持たないんです。同じことばかりくり返しておよそ論理的ではない反論ばかりしている。会議はそんな人たちに主導権がにぎられていて、こっちは憔悴するばかりです」
「いい方法がありますよ」
「何です?」
「その会議を、録画するんです」
「はあ?」
「そしてあとで、その会議の映像をみんなで見て、どこに問題があるかを指摘するんです」
「…というと?」
「思い込みの激しい人は、リアルタイムの会議の中では、自分が思い込みが激しい人間だとは、露も思っていない」
「そうですね」
「でも、それを録画して、客観的にその会議を見直してみると、さすがに本人は、自分の思い込みの激しさとか、同じ思考回路をぐるぐるとめぐっているに過ぎないことに、気がつくでしょう」
「なるほど」
「いっそのこと、DVDのオーディオコメンタリーみたいに、そのときの会議をみながら解説を加えていけば、なおいいでしょう」
「なるほど」
「どうです、いいアイデアでしょう?」
「はあ、しかしですねえ」
「何です?」
「意固地な人は、その会議の映像を見て、自分が意固地であることに気づくでしょうか?気づくようであれば、その人はそもそも意固地ではありません」
「…そ、それもそうですね。でももし気づかないようであれば、その人はもう救いようがありませんよ」
「それに、いちばん問題なのは…」
「何です?」
「あのムダな会議をもう一度追体験するというのは、時間のムダだということです」
…会議を建設的に進めることは、人類の永遠の課題である。
ラグビー解説者への道
話をラグビーに戻す。
最近、このパターンが多いなあ。
テレビでラグビーワールドカップの日本対スコットランドの試合を見て、最も失望したのは、元ラグビー選手と思われる人による解説だった。
精神論しか言わない。
ふと思ったのは、ラグビーの試合は、テレビで放映される機会があまりないため、解説者が育っていないのではないだろうか?
昔々、テレビで見たラグビーの試合は、ただ単に俯瞰で試合の様子を映し出すものばかりで、一体グラウンドで何が起こっているのか、まったくわからなかった。
(なんか、遠くで揉めてるなあ)
という感じだったのである。
このたびのワールドカップでは、「見せ方」を工夫して、カメラワークを凝ったり、ルールの説明を画面の横に出したりして、たぶん以前よりもだいぶ見やすくなったのだろうと思う。
だが残念なことに、解説者だけは近代化が進んでいなかったのだ。
そこで思ったのだが。
野球とかサッカーとかテニスとか、すでに確固たる「解説者世界」が確立しているが、ラグビーの解説者世界は、いまだ荒涼たる大地である。
今からラグビーを勉強して、精神論ではない、合理的で面白い解説ができるようになれば、解説者として売れるのではないだろうか。
頑張れば、私だってラグビー解説者になれるのではないだろうか?
いやむしろ、ラグビーについてド素人の人間のほうが、あの複雑なルールをわかりやすく解説するのに適しているのではないだろうか。
なにより私は、元ラグビー選手だと言い張っても疑われない体型である。
4年後に日本で行われるワールドカップに向けて今から準備すれば、かなり需要があるのではないかと、とらぬ狸の皮算用をしているところである。
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