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ブログプレイバック・その一言を、なぜ言わない

前回、「大学の人文学系不要論」が話題に出たので、少しその件について書きたくなった。

今、どこの地方国立大学でもおこなっている組織改革で一番心配なのは、グローバルだの実践なんとかだのというわかりにくい名前をつけることで、かえって高校生がその大学を敬遠するのではないか、ということである。

高校生にとってみたら、「その大学で何が学べるのか」がわからず、結果的に受験倍率が下がる可能性が高いのではないか。

私が高校訪問や出張講義をしていたときにも強く感じたことだが、高校生が大学に求めているのは、「文学」とか「芸術」とか「法律」とか「経済」とか、自分が関心のある学問分野についてちゃんと勉強することができるか否か、ということなのである。

そういえば、以前、このブログでそんな話を書いたことを思い出した。

以下、再録する。

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「その一言を、なぜ言わない」(2013年7月11日)

先月に出張講義に行った隣県の高校から、そのとき受講していた生徒さんたちの感想が送られてきた。

この手の感想は、相手に気をつかってかなり好意的に書いてある場合がほとんどである。記名式の場合には、なおさらそうである。

実際のところどう感じたかは、わからないのだ。自分の職場で、イヤというほど体験しているので、よくわかる。

だから、書かれていることは、かなり差し引いて読まなければならない。

そんな中で、次の3人の生徒の感想が、注意をひいた。いずれも、授業の本題とはまったく関わりのない部分に対する感想である。

「最初に先生がおっしゃっていた、大学4年間を自分の言葉で話せる人が就職に有利という言葉を聞いて、そのような人になれるように努力をしていきたいなと思いました」

「最初に先生が言ってくださった、『就職で大切なのは大学4年間をいかに語れるか』という言葉は、本当に救われるような言葉です。私の志望している大学は特に就職に有利な大学でも有名な大学でもないので、そう言ってくれて自分はすごく救われました」

「今回、お話を聞かせていただいて、自分が大学で1番やりたいことをもう1度考えてみようと思いました。この教科は就職に有利だから、ほかの人が選択しているからという理由で決めるのではなく、自分の意志でやることを決めようと思いました」

この感想を読んで、そのときのことを思い出した。

私は本題に入るまえに、次のようなことを言ったのだった。

「大学で、就職に有利になりそうな分野を専攻したからといって、それが就職に有利にはたらくとはかぎりません。就職とは一見関係なさそうな分野を専攻している人の方がむしろ、就職に有利にはたらく場合があります。大事なことは、大学での4年間を自分の言葉でしっかりと語ることができるように、大学生活を送ることです。そのためには、自分が本当に勉強したいことを見つけることが大切なのです」

これは、就職に有利そうな分野に流れようとする昨今の学生事情に対する、アンチテーゼであった。文系の場合、法律や経済や公共政策といった、一見就職に有利そうな分野に、何となく学生が集まるが、実際には、分野によって有利不利などということはないのだ。それは、私がこれまで見てきた学生たちから実感していることである。

授業が終わり、教室から講師控室に戻る道すがら、私の授業を聴いていた先生が言った。

「最近、就職に強いからという理由で、理系に流れたり、文系でも法律や経済に流れる生徒が多いんです」

「そうでしょうね」

「最近は文学系を希望する生徒が減りましてね。私も文学系出身なので、ちょっと残念だなあと思っていたんですが、先生にああ言っていただいたおかげで、文学系に進みたいと思っている生徒も、意を強くしたのではないかと思います」

「そうでしょうか…」

そのときは半信半疑だったが、今日送られてきた感想を見て、実際にそんな感想を寄せてくれた生徒が、3人いたのだ。

「大切なのは、専攻にかかわらず、大学で勉強した4年間を自分の言葉で語ることができるかどうかだ」

不思議である。

本人が言ったことすら忘れかけていた言葉が、相手にとっては大事な言葉だったりする。

逆に、相手を想って練り上げた言葉が、相手の心をふるわせないこともある。

言葉とは、実に不思議である。

この件に関していえば、私が何気なく言った一言で、「救われた」と感じる生徒がいたことは、確かなのである。

人間は、自分が思っている以上に、思い込みにとらわれている生き物である。

それがときほぐされたときに、それまで背負っていた重い荷物をおろしたときのように、心が軽くなるのではないだろうか。

その一言で相手の心が救われるのだとしたら、私たちは、その一言を言わなければならないのだ。

ときほぐす一言を、である。

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私自身の学生時代を思い返しても、高校までは勉強することができなかった「心理学」とか「文化人類学」とか「科学史」とか「哲学」といった学問、というかそのネーミングを聞いて、ワクワク、ドキドキしたものである。たとえその内容を理解できなかったとしても、である。

大学は、ワクワク、ドキドキするような勉強ができるところでなければならない。

学生がワクワク、ドキドキするような専門分野を、できるだけ数多く提供しなければらないのだ。

一度、そのワクワク、ドキドキを味わった者は、社会に出てからも、その感覚を生涯忘れることはないだろう。

大学で勉強するほとんど唯一の意義は、そこにある。

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