ワカバヤシ先生
11月3日(火)
私の中1のときの担任は、ワカバヤシ先生という、国語の先生だった。背が高く、ひょろっとして、髭の濃い先生である。中3のときも担任だった。ワカバヤシ先生は、以前に一度このブログに登場している。
大学を卒業して、教員免許を取得して最初に赴任したのが、私の中学校で、しかも初めて受け持ったのが、私のクラス、1年C組だった。ワカバヤシ先生にとって、私たちは初めて受け持つ生徒たちだった。
うちの中学校は当時とても荒れていて、とんでもない中学に来たものだ、と思ったことだろう。
だが当時は、そんな様子を見せないほど、落ち着いた先生だった。
今思えば、聞き分けのない中学生たちとどう接してよいのか、試行錯誤の連続だったのだろうと思う。
自慢ではないが、私は国語の成績がとてもよかった。
ワカバヤシ先生はそれを意識してか、定期試験の問題の中で、わざと難しい問題を出すことがあった。
私も解けないような問題である。
だがあるとき、たしか中3のときだったと思う。
定期試験の答案用紙が一人一人に返された。
私の名前が呼ばれ、教壇のところに行く。
するとワカバヤシ先生が、私の答案用紙を眺めながら言った。
「お前にだけは、100点を取られたくなかった」
そう言って、私に答案用紙を渡した。
そのときの、ワカバヤシ先生の顔は、今でも忘れていない。
私は、ワカバヤシ先生の出した難問を、そのとき初めて完璧に解いたのである。
…これは、いまでも時折思い出す自慢話である。
さて今日、久しぶりに実家に帰ったら、母が言った。
「ワカバヤシ先生、九中に戻ったんだってよ」
九中、というのは、私の母校である。
ワカバヤシ先生はあちこちの中学に転勤して、定年間際になって、最初に赴任した中学校に戻ったのである。
「今でも国語を教えてるんだね」
「そうみたいよ。あんたの1級下で、いま郵便局長やってる○○さんって、覚えてる?」
「さあ」
「向こうはあんたのこと覚えてるみたいよ。その娘さんがいま、九中に通っているんだって」
「へえ」
「娘さんがいま、ワカバヤシ先生に国語を習っていてね。定期試験を受けたら、とても難しかったんだって」
「相変わらずいまでも難しい問題を出してるんだ」
「で、その娘さんがワカバヤシ先生に、『先生、先生の国語の問題、難しすぎるよ!』って、文句を言ったんだって。そうしたらワカバヤシ先生、何て言ったと思う?」
「さあ」
「『むかし、最初にこの中学に赴任したとき、鬼瓦君というのがいてな。その鬼瓦君が、この問題を完璧に解いたんだぞ』って言われたんだって」
「……」
「でもその娘さん、あんたのことなんかわからないでしょ。家に帰って、お父さんに『鬼瓦君って、誰?』って聞いたら、『お父さんの1年先輩の人だよ』って答えたんだって」
「……」
私はちょっと感動した。だって、もう32年も前の話である。
32年も前の生徒のことを、まだ覚えていてくれたんだ…。
というか、あの難しい問題は、私が解いて以来32年間、ほかの誰も正解していないのか???
ワカバヤシ先生がいまだに私の名前を覚えてくれたことに、感謝した。
ワカバヤシ先生とは、中学校を卒業して以来、一度もお会いしていない。
先生が母校の中学校にいるうちに、先生に会いに行こうか。
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