続・ハルキをめぐる冒険
11月9日(月)
僕がその町で仕事をするたびに訪れるのが、昔ながらの風情が残る町並みの一角にある、プラハ出身の世界的作家の名前がついたカフェだった。
友人の弟さんが経営しているという理由で最初は訪れたのだけれど、あるとき、村上春樹が「一度訪れてみたい」と書いていたのを目にして、そこに行けばひょっとしたら村上春樹に会えるかもしれない、と思うようになった。
僕は格別熱心なファンではなかったけれど、そのカフェを訪れる目的が、しだいに「村上春樹に会いに行く」ことへと変わっていった。
しかし僕は、どうもこの店とは、相性が悪いみたいだった。そもそも僕が最初にその店に訪れたのが、その店の定休日の日だったのだ。
その後も何度か訪れようとするが、特別なイベントの日で入りづらかったり、台風が来てそれどころではなかったり、相変わらず定休日に、それと気づかずに店の前までやってくることもしばしばだった。
おかげで今では、この店の定休日が水曜日であることを、すっかりと覚えてしまったのである。
昨日は日曜日だった。翌日からの仕事を控え、夕方にこの町に到着した僕は、雨の中を歩いてそのカフェに向かった。この季節にしてはめずらしいどしゃ降りの雨である。
今日は日曜日だから、定休日ではないはずである。
夕方5時過ぎ、店の前に到着すると、店の灯りはついているが、「OPEN」の看板はなく、店主と店員さんが打ち合わせをしている姿が見えた。
店の入り口の引き戸をガラガラと開けると、その音に気づいた店員さんが、こちらの方を怪訝そうな目で見つめた。
その目線で、このカフェが今日は早じまいしたことを僕は悟った。
そしてどしゃ降りの雨の中を、ホテルへと戻ったのである。
今日。
昼間の仕事ですっかりと神経をすり減らした僕は、仕事が少しばかり早く終わったことをいいことに、そのカフェのコーヒーに癒やされることだけを考えて、小雨の降る中を、歩いてカフェに向かった。仕事場からそのカフェまでは、歩いて30分ほどの道のりである。
午後4時50分。カフェの前に着いた。今日は月曜日だから、定休日ではないはずである。
店の前には「OPEN」という看板も出ている。
入り口の引き戸をガラガラと開ける。
するとその音に気づいたのか、女性の店員さんが厨房から出てきた。
「ごめんなさい。今日は5時で閉店なんです」と店員さんが言った。
「そ、…そうなんですか…」と僕は言った。
「すみません」と店員さんは言った。
(5時までは、まだあと10分あるのにな…)と思いながらも、その店員さんの有無を言わせない笑顔に、僕はすっかり根負けしてしまったのである。
つくづく、このカフェとは縁がないなあ、と思いながら、小雨の降りしきる中を、歩いてホテルに戻ることにした。
(いったいいつになったら僕は、この店で村上春樹に会えるのだろう?)と僕は思った。
それより何より、僕は一つ思い出した。
僕に村上春樹の小説を紹介してくれた人とは、もうとっくに音信不通なのである。
僕が村上春樹に会いたいと思ったのは、、僕に村上春樹の小説を紹介してくれたその人に、会ったことをいつか自慢してやろう、と考えたからだった。
でも音信不通になった今、そんなことは、まったく意味のないことだった。
それに、音信不通になった人も、僕に村上春樹の小説を紹介してくれたことなど、とっくに忘れているだろう。
僕は本当に、村上春樹に会いたかったのだろうか。
僕は帰り道に立ち寄った古本屋で、村上春樹ではなく、井上光晴の小説を買ったのだった。
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コメント
前回も書いたことだが、このカフェにはフェイスブックがある。
ザムサ定食の写真が載っているやつだ。
そこに貼りつけてある、アルバイト募集広告の勤務時間がなぜ「17時」までかということの意味に、僕がもし気づいていれば、二度は無駄足を踏むことはなかっただろう。
でも、僕にとってそれは、大した悲劇(トラジティ)でもなかった。
ブログ記事を信じて、「大根おろし入りハチミツ」を本当に作って食べてみたら、ハニーの甘さと大根の苦さが全く溶け合わず、口の中がカフカフしてしまった人に比べれば。
投稿: 短答式こぶぎ | 2015年11月 9日 (月) 22時48分