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2015年12月

輝く!2015年吹きだまりエピソード大賞・発表編

A・B 「輝く!2015年吹きだまりエピソード大賞」!!

(BGM)

A 年末年始のお楽しみ、「吹きだまりエピソード大賞」の時間がやってまいりました。

B はい、この「吹きだまりエピソード大賞」とは、2015年にこのブログに書かれた記事の中から、最も印象に残った記事に対して大賞をお贈りするものです。

A あのう…ほんとうにやるんですか?

B なにがです?

A 案の定、こぶぎさん以外からは、誰からも反応はありませんでした。

B しかもこぶぎさんは、勝手に「輝く!2015年 吹きだまりコメント欄大賞」を選んじゃいましたしね。

A 今年の本文記事は不作でしたし、むしろコメント欄のほうが面白かったと、もっぱらの評判ですよ。

B たしかに、このブログの友好姉妹ブログであるこぶぎさんの「さわやか銀輪ブログ(乙女旅のブログ)」の「輝く! 2015年 乙女旅アクセス解析大賞」を見ても、このブログについて書いた「明智こぶ郎の事件簿」シリーズは、アクセス数が一つも20位以内に入っていませんでした。

A つまり、それだけ誰も関心を持っていない、ということでしょう。もうこのブログなんかやめちゃえばいいのに。

B しかも、「今年最後の旅クイズ・その2」の「クイズ2」の解答を、どうやら「馬車山村海岸」と決め打ちしているようですが、惜しいですねえ。

A 残念ですが間違いです。「ごめんなさい」。これが答えです。

B それはともかく、すでにノミネート作品の中から大賞を発表する、と言ってしまいましたから、いちおうこれだけはやってしまいましょう。

(ドラムロール)

B「輝く!2014年吹きだまりエピソード大賞」は…

(ドラムロール)

B 「家族の春休み」です!

A おめでとうございます!受賞理由は何でしょうか?

B この1年に出くわした出来事の中で、本人がいちばん面白いと感じた出来事だったからです。

A なるほど。そういう意味では、「やきとり屋は、人生だ!」も惜しかったですね。

B そうですね。あれも面白い体験だったんですが、ちょっとあの場の臨場感が読者には伝わりにくかったかも知れません。

A いずれにしてもこのブログ主は、さほど面白い人生を送っていないと見受けられます。

B どうもそのようです。

A それではみなさん、次回をお楽しみに!

B いえ、次回はもうやりません。

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ミカンと韓国海苔

12月30日(水)

私が高校時代の3年間を過ごした町で、友人夫妻とささやかな忘年会である。

久しぶりに訪れたその町は、かなりおしゃれな町へと変わっていた。

「忘れないうちに」友人が私に紙袋を渡した。

「ありがとうございます。いつももらってばかりですみません。…これは?」

「ある事情があって、わが家に段ボール二箱分のミカンが送られてきてねえ。とても二人では食べきれないので、近所に配ったんだけど、それでもさばききれなくて、ちょうど折よくあなたと会うことになったので、お裾分けしようかと思って」

「ありがとうございます」

ミカンは大好物である。

「実は私も…」今度は奥さんが、百科事典1冊分くらいの大きさの包み紙を私に渡した。

「いやぁこんなに大きなものをありがとうございます。これは?」

「私、さきほど旅先から戻ってきたんですけど、旅先で、「韓国海苔」を2パックほどもらったんですが、ご覧の通り、1パックがこの大きさでしょう。今日、折よくお会いすることになったので、お裾分けしようかと…」

「いいんですか?」

「ええ」

「韓国海苔」もまた、大好物である。

「食うタイプの人間」のせいか、どうも食べ物のおみやげに関しては、私はむかしから「もらわれ甲斐のある」キャラクターのようである。

食事をしながら3時間ほど、四方山話に花が咲いた。

「いい年の瀬になりました」

「よいお年を」

二人とお別れして、電車に乗り込む。ミカンの入った大きな紙袋と、百科事典1冊ほどの大きさの「韓国のり」のパックを抱えながら。

まさか、こじゃれた雰囲気のお店でワインを楽しんだ帰りだとは、誰も思うまい。

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嵐のようなあいつ2015

12月29日(火)

このブログではほとんど準レギュラーになっているが、高校時代の吹奏楽部のサックスパートは8人。

元福岡のコバヤシ、私。

一学年下にいたのが、アサカワ、エーシマ、オオキ、モリカワさん。

さらにその一学年下にいたのが、サカクラさん、ジロー。

むかしはこの8人が、いつもつるんでいた。だが最近は、8人全員が揃うことは、めったにない。

例によってモリカワさんが音頭をとって、年末に集まろうということになった。

ふだんは忙しいエーシマも、今回は北関東から帰省していて参加できるという返事をもらったので、

久々に8人全員が揃うのか??

と期待したのだが、直前になって、いちばん時間をもてあましていそうなフーテンのアサカワが、

「ダンスのレッスンが入ったので参加できない」

と連絡してきた。

なんだよ?ダンスのレッスンって。四十代も後半になってあいつ、何をめざそうとしているのか?謎である。

ということで、7人が東京駅近くの居酒屋に集まることになった。

久しぶりに会った「嵐のようなあいつ」ことエーシマは、相変わらずテンションが高い。来るなり、まくし立てるように喋り始めた。

エーシマは高校時代から、日本のある3人組のバンドの熱烈なファンである。

30年経ったいまも、そのバンドの追っかけをしている。

その3人組のバンドも、ついに還暦を超えてしまったのである。

毎年、「年中行事」のように彼らのコンサートに行くという。さらには地方公演にまで足を伸ばす。

「この前は、山形の酒田というところまで、北関東の町から片道5時間かけて、車でコンサートに行ってきました。しかも翌日は朝から仕事だったんで、日帰りですよ」

「ひとりで行ったの?」

「ええ。一緒に行く『変わりもん』なんていないですもん」

「じゃあひとりで運転を?」

「そうです。死ぬ思いでした」

「そこまでして行くなんて、もはやそれは行(ぎょう)だね」

「その通りですよ」

エーシマはまた、BJという、アメリカのロックバンドの熱烈なファンでもある。コンサートのために、世界中を飛び回る。

「先日は、シンガポールに30時間だけ滞在して、BJのコンサートに行ってきました」

BJが日本に公演に来たときも、当然追っかけをするのだが、まるで探偵のようにあの手この手を使って、BJの移動経路を推定したりする。

「追っかけも体力勝負ですからね。ふだんはジムに通って足腰を鍛えています」

彼女の情熱は、すべてそこに注ぎ込まれる。

「あんまり細かいことはブログに書かないでくださいよ」

と言われたのでこの程度にとどめるが、探偵さながらのエーシマの「追っかけ術」は、実に抱腹絶倒だった。

「持っている」のは、エーシマだけではない。

ジャズミュージシャンのジローもまた、いろいろなエピソードを持っている。

「この前、僕のバンドのライブに、F施明さんが来たんです」

「F施明って、あの有名な歌手の?」

「そうです。なんでも、『面白いバンドがあるから一度聴きに行ったらいいよ』と知り合いに勧められて、聴きに来たそうなんです」

「すごいねえ。ジローのバンドも」

「その日、たまたまうちの親父も聴きに来ていて、親父に『今日はF施明さんが聴きに来てくれているんだ』と言ったら、親父の顔色が変わって、『なに?F施が来ている??ちょっと呼んできなさい』と言うんです」

「ほう」

「なんだかよくわからなかったんですが、とりあえず僕がF施さんのところに行って、『なんか、うちの父が呼んでいるみたいです』と言って、親父に会わせると、親父は『おい!F施!!』と、F施さんに向かって言ったんです」

「…どういうこと?」

「うちの親父、中学校の体育の教師をしていたんですが、F施さんは、うちの親父の教え子だったんです!!!」

「えええぇぇぇ???」

「うちの親父は、怖い先生だったことで有名で、F施さんは、親父の『おい!F施!!』という声を聴いて、中学校のときの先生だということを瞬時に思い出したんだそうです」

「つまり、約半世紀ぶりに二人は再会したってわけ?」

「そうです」

すごい話だ。のちに日本を代表する歌手として名を馳せることになる中学校時代の教え子と、自分の息子のバンドのライブで偶然、半世紀ぶりに再会するのだから。

厳格だったジローの父は、ジローがミュージシャンとして身を立てることにはじめは必ずしも賛成していたわけではなかったと聞いている。だがそれから20年以上が経ち、ジローは父に何よりのプレゼントをしたのではなかったかと、私には思えてならない。

「おまえ、いまの話、絶対ブログに書くだろう?」とコバヤシ。

「まさか…書くわけがないじゃないか」私は反論した。

「書くに決まってるさ」

そんなこんなで、あっという間に時間が経った。

駅で別れ際、エーシマが私に言った。

「みんな頑張ってるみたいで、なんか安心しました」

励まされたのは私のほうだよ、と言いかけて、照れくさいのでやめた。

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ハブとマングース

ハブとマングース、といえば、むかしは天敵の代名詞だった。

だが、いまは違う。

もともとマングースはインド原産の外来種で、奄美大島では猛毒を持つハブの存在に悩まされたこともあり、ハブを退治する最後の手段として、肉食獣のマングースを持ち込んだという経緯がある。

ところが、である。

マングースはハブを食べないばかりか、奄美地方にしか生息しない希少な動物たちばかりを食べ、特別天然記念物であるクロウサギなどはたちまち絶滅の危機に瀕した。それに対して外来種のマングースは、猛烈な勢いで繁殖していったのである。

そりゃあそうだ。マングースにしたって、どう猛なハブを食べるよりも、クロウサギを食べた方がはるかに楽だもの。

周囲によっぽど食べ物がなくなったとき、マングースは仕方なくハブに手を出す、という程度にすぎないのだ、マングースにとってのハブというのは。

しかしハブ退治を願う人々にとっては、マングースこそが、最後の救世主に映ったわけである。

以前はよく、観光用に「ハブとマングースの決闘ショー」が行われたそうだが、ハブにしても、マングースにしても、困ったことだろう。

だって、言ってみればハブもマングースもお互い初対面。別にむかしからの天敵というわけではなく、マングースからしたら、いきなりその島に連れてこられて、目の前にいるハブと決闘しろと言われただけなのである。

落語の「動物園」さながら、決闘の檻の中でにらみ合うハブとマングースは、

「心配するな。俺も雇われたんだ」

と挨拶し合う関係なのである。

それを、人間様の都合で、いかにもハブとマングースは天敵であると仕立て上げたことが、悲劇の始まりだったわけだ。

いま奄美では「マングースバスターズ」によるマングースの駆逐が行われている。マングースを捕獲すると、必ず胃の中を調べることになっているのだが、いままで、マングースの胃袋の中にハブが入っていた例はないそうだ。

私たちはようやく、「ハブの天敵はマングース」という都市伝説の呪縛から解き放たれつつあるのである。

「ハブとマングース」で思い出した。

昨日、テレビで「超常現象スペシャル」というのをやっていた。年末になると必ずこの放送局では、この手の番組をやる。

私が学生の頃からこの手の番組があったから、もう四半世紀近く、この手の番組が続いているのではないだろうか?

「超常現象を信じる人たち」と「超常現象を信じない人たち」が番組の中で激論をするという進行の仕方も、昔からまったく変わっていない。

「超常現象を信じる人」の代表として、たま出版のニラサワさん、という人が毎回出ていて、その天敵として、科学者のオオツキ教授、という人が出ているのも、変わらない。

昨日の番組を、たまたま数分だけ見て、

(まだこの二人は健在なのね)

と別な意味で感慨深かったのだが、むかしとくらべてちょっと変わったなあと思ったのは、オオツキ教授が、

「そんなことは嘘に決まってる!」

「そんなことあるはずがない!」

とか、およそ非科学的なヤジを飛ばしていたことである。

むかしはもう少し、科学的根拠をあげて、超常現象を否定していたような気がしたのだが、もはやいまは、

「お前の言うことなんて信じられない」

という信念の問題に変わってしまった。

科学的に反証をあげることが、「超常現象否定派」のよりどころだったと思うのだが、いまはもう、それすらも放棄してしまっているように思えたのである。

いまやニラサワさんが肯定派の単なる記号、オオツキ教授が否定派の単なる記号になりさがり、それはあたかも、いまとなっては天敵の記号にすぎなくなった「ハブとマングース」を、彷彿とさせるのである。

つまり私が言いたいのは、「超常現象をめぐる肯定派と否定派の対決」というのは、ハブとマングースの決闘くらい、意味のないことだ、ということである。

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奄美音楽事情

年末なので、もう一つ、音楽の話題を。

私が最初に奄美大島を訪れたのが、2007年のことである。

そのころは、奄美シマ唄の歌手からメジャーデビューしたのが、元ちとせや中孝介といった人たちだった。

あれから8年が経ち、その間、奄美の音楽事情についてまったく不勉強だったのだが、先日久しぶりに奄美大島を訪れて、歌唱力の高い歌手が次々と輩出されていることを教えられた。

音楽ファンならば常識に属することなのだろうが、私の心覚えのために書いておくと、いま、奄美シマ唄出身でメジャーデビューした歌手に、里アンナがいる。

ミュージカル「レ・ミゼラブル」でファンティーヌ役に抜擢されたというのだから、当然歌唱力を買われたのであろう。

個人的には、「月の足跡」という曲が好きである。

もう1人、城南海(きずきみなみ)という若手の歌手がいて、まったく不勉強だったのだが、テレビ東京の「THEカラオケバトル」という番組で8度の優勝をするなど、やはり歌唱力の高さが注目されている。

奄美シマ唄の特徴は、独特のコブシと裏声である。シマ歌仕込みの歌手は、この独特の特徴を存分に取り入れている。

個人的に興味深いのは、歌手たちの出身地域なのだが、

元ちとせは奄美大島南部の瀬戸内町出身。

里アンナは奄美大島北部の旧笠利町出身。

城南海は奄美大島中部の旧名瀬市出身。

決して広くない島の中でも、各地域から実力派歌手を輩出しているのだ。

かくも歌唱力の高い人たちが、この島でどのようにはぐくまれてきたのか?

これは大変興味深い問題である。

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空脳音楽

年末なので、音楽の話題をひとつ。

前々から気になっていたのだが、私からすれば、次の二つの曲はとてもよく似ている。

Sting「Shape of My Heart」

と、

JKキム・ドンオク「愛さないで」

この2曲を初めて聴いた人にとってみたら、

「どこが似てるの?」

という感想になるだろう。

だが、映画「レオン」を何度も見ている人が、JKキム・ドンオクの「愛さないで」のイントロを初めて聴いたときに、Stingの「Shape of My Heart」であると勘違いしたことが、実験により確認されている。

また一方で、韓国ドラマ「魔王」を全話見た人が、Stingの「Shape of My Heart」のイントロを初めて聴いたときに、JKキム・ドンオクの「愛さないで」であると勘違いしたことが、これまた実験により確認されている。

実に不思議な調査結果である。

この現象が、音楽理論的に説明できることなのか、それとも心理学的に説明できることなのかが、今後の課題である。

ひとまず、こうした現象を「空脳音楽」と名づけておく。

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ぜんぶ気管支のせいだ!

12月25日(金)

月曜日から、咳が止まらなくなった。

毎年、年に1度か2度、咳が続く期間があって、「またか」と思ったのだが、どうも今回の咳は、風邪によるものというよりも、気管支に由来するもののような気がしてならない。

今日、ようやくかかりつけのお医者さんに見てもらうことにした。

「喉を拝見…。おやおや、ずいぶん腫れていますね。原因は喉からくる風邪ではないでしょうか」

「でも先生、僕にはどうも、気管支からくる咳のように思えるのです」

「じゃ、一応肺のレントゲンを撮ってみましょう」

ということで、レントゲンを撮ることになった。

「レントゲン写真を見る限り、肺に水がたまっているとか、そういうことはないようです」

「そうですか」

「たぶん、気管支が細くなっているのでしょうね」

「といいますと?」

「呼吸をする空気の通り道が狭くなっているのです」

「なるほど」

思いあたるフシがあった。

先週末、奄美大島に出張したときのことである。

100mほどの山に登ったのだが、たいした山ではないはずなのに、息が切れて呼吸が苦しくなったのである。

一緒にのぼった他の人たちは何でもなかったのに、私だけは、ゼイゼイ言いながら、大汗をかいていたのだった。

いつもだったら、

(自分がデブで運動不足だから、息が上がったのだろう)

と思うのだが、それにしてはあまりに呼吸がおかしい。

いま思えば、これも、気管支が細くなっていたことを示していたのだろう。

ことによると、10月の韓国出張で山に登ったときも、そうだったのかも知れない。

あのときは、標高700mの山に登らされたのだが、私ひとりが息が上がり、死ぬ思いだったのだ。

そうだ、すべては、気管支が細いせいなのだ!

「咳喘息かも知れません」と先生。

「咳喘息…?」

「ひとまず、咳を抑える薬とか、気管支を広げる薬とか、感染を防ぐ薬とかを処方して様子を見てみましょう」

「わかりました。ありがとうございます」

薬局で、処方されていた薬を見てびっくりした。

6種類の薬が処方されていたのだ!

ふだん飲んでいる2種の薬と合わせると、8種類である!

自分史上、最大の数の薬を飲むことになってしまった。

さて、今日は病院のハシゴである。

あまりに体調が悪いので、別の病院で、点滴を打ってもらうことにした。

そこはおじいちゃん先生が1人で切り盛りしている町医者で、そこでは体調回復のための点滴を打ってもらえると聞いて、行くことにしたのである。

「では、そこに寝てください」と、診察室にある簡易ベッドに寝かされた。

左腕をまくり、左腕の肘の裏側に、点滴の針を刺すことになったのだが、これがなかなか上手く刺さらない。

「おかしいな…」

とか何とか言いながら、そのおじいちゃん先生は私の左腕に点滴の針を刺した。

「たぶんこれで大丈夫でしょう」

と、おじいちゃん先生はその場を離れた。

しかし、である。

少し経つと、左腕が猛烈に痛くなった。

(おかしいなあ。点滴の針がこんな痛いはずはないのに…)

ふと見上げると、本来ポタリポタリと落ちるはずの点滴が、まったく落ちていない。

さては、点滴の針が血管に届いていないのだな。

「先生!先生!」私は叫んだ。

「どうしましたかな?」

「左腕が猛烈に痛いです!」

おじいちゃん先生は、何事もなかったかのように左腕から針を外し、今度は右腕の、同じ箇所に針を刺した。

「今度は大丈夫でしょう」

だが、しばらくすると、同じように点滴がポタリポタリと落ちなくなり、右腕が猛烈に痛くなった。

またしても、点滴の針は血管をハズしていたのである。

「先生!先生!」

「どうしましたかな?」

「今度は右腕が猛烈に痛いです!」

「おかしいなあ。いつもはハズしたことがないのに」

そういうと、おじいちゃん先生は何事もなかったかのように右腕から針を外した。

「さて、今度はどこに刺そうか…」

おじいちゃん先生は考えたあげく、言った。

「今度は右手首にしましょう。ちと痛いですぞ」

そういうと、おじいちゃん先生は私の右手首に点滴の針を刺した。

「痛い痛い痛い!」

初めて知ったことなのだが、点滴の針を手首に刺す瞬間というのは、猛烈に痛いのである。

「これでもう大丈夫」

今度は無事に血管に到達したようで、ようやく、点滴が無事に終わったのであった。

しかし、すでに右腕と左腕がボロボロで、点滴をしてもらっても、それで体調が回復したのかどうか、まったく実感がわかない。

まったく、面倒くさい身体である。

一つ学んだことは、健康がいちばん、ということである。

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輝く!2015年吹きだまりエピソード大賞・ノミネート編

A・B 「輝く!2015年吹きだまりエピソード大賞」!!

(BGM)

A 年末のお楽しみ、「吹きだまりエピソード大賞」の時間がやってまいりました。

B はい、この「吹きだまりエピソード大賞」とは、2015年にこのブログに書かれた記事の中から、最も印象に残った記事に対して大賞をお贈りするものです。

A あれ?でもこの大賞って、去年は大晦日にやっていませんでいたっけ?

B もうネタ切れで、だったら前倒ししてやってしまえということになりました。

A それに、このエピソード大賞は昨年限りと言ってましたが?

B やはりネタがないという理由で、今年もこれでお茶を濁します。

A そうですか。

B ただし、今年は昨年とやり方が少し異なります。

A どういうところがでしょう?

B 今年書かれた記事の中から、ノミネート作品を選び、その中から、栄えある大賞を決めようという方式です。

A なるほど。では、大賞の発表は後日、となるわけですね。

B そうです。大晦日か、元旦あたりに発表します。

A ずいぶんアバウトですね。審査員は?

B なり手がいないので、おそらく書いた本人が審査するのでしょう。

A それもまたアバウトですね。では、ノミネート作品です。どうぞ。

1月

ごとこん

とんぱち

やきとり屋は、人生だ!

ズボン秘話

サクサク地獄

2月

ツッパリが死語ではなかった時代・2と2分の1

メタリックと背広と八丁味噌

どっちの名言でショウ名言の行方

3月

例の講演会

家族の春休み

4月

割腹尿検査

手書きの卒業論文  その2 その3

ハルキをめぐる冒険 

創作落語・戦争と平和

創作落語・粗忽嘘石

古典は身を助ける

一対の獅子

5月

二つの再会

創作落語・ディスプレイ長屋(試作)

ロードバイクは、人生だ!

7月

リアル・有頂天ホテル

暗闇の思想

8月

韓国路線バスの謎

タクシーの運転手と客の会話・韓国編

サムソン美術館での出来事

9月

創作落語・PDCA

10月

カニ待ち港

11月

続・ハルキをめぐる冒険

予約席の客

新・散髪屋は人生だ!

1年10カ月めの贈り物

A それにしてもノミネート作品が多すぎやしませんか?これだけでも読む気が失せますよ。

B 書いた本人も決めかねているのでしょう。

A それでは、大賞決定編をお楽しみに!

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中国のソン・ガンホ

12月23日(水)

休日だったので、近くの映画館でやっている「新・午前10時の映画祭」というものに行ってきた。

いま上映しているのは、「宋家の三姉妹」という、中国、香港、日本の合作映画で、いまから17年前の1998年に公開された映画である。

公開された当時、神田の岩波ホールでみた記憶があるのだが、内容もキャストもまったく覚えていなかった。

中国近現代史を動かした三姉妹の物語。長女は中国の大財閥と結婚、次女は中国革命の父・孫文と結婚、三女は中華民国総統の蒋介石と結婚した。

映画の内容自体は、史実というよりもドラマ性を重視したご都合主義的な展開で、また、大人になったいまになって見ると、政治的にもさまざまな方面に配慮した映画だな、と思う。

1368325945758013461_2この映画の中で、三姉妹の父親役が姜文(チアン・ウェン)という俳優なのだが、映画の中ではこの姜文の演技が、ひときわすばらしかった。

というか、私の乏しい中国映画鑑賞歴の中で、そのほとんどに、姜文が出ていることに気づいたのである。

「芙蓉鎮」(1986)、「赤いコーリャン」(1987)、「鬼が来た!」(2000)など。

そして、「宋家の三姉妹」にも出演していたことを、17年ぶりに見た映画で、あらためて知ったのであった。

あとで調べてみると映画出演はそれほど多くはないのだが、印象の強い作品に出演していたことがわかる。

たしかに、姜文は名優である。

で、調べてみると、この役者は1963年生まれで、まだ52歳なんだな。

20年ほど前に映画を見たときは、ずいぶんと年上の役者だと思っていたのだが、年齢は私とほとんど変わらないことにビックリした。「宋家の三姉妹」の父親役を演じていたときは、まだ30代に入ったばかりだったのだ!

名優は若い頃から、たしかな存在感を示していたのだ。

6d9a3_1215_300x409x9a3c2f224344d980韓国でいえば、ソン・ガンホのような存在感のある名優である(また始まった)。

姜文とかソン・ガンホとか、イケメンではなく「味のある顔」っていうのが、名優の条件なのではないだろうか。

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リアル・ハッピーフライト

12月20日(日)

羽田空港でみなさんと解散したのが午後5時40分。

さあバスで帰ろうと思い、チケット売り場に並んでチケットを買う。

自宅の最寄りの駅まで行くバスの出発時間は18時15分である。

少し時間があるなあと思い、到着ロビーにあるベンチに腰掛けたところ、あることに気が付いた。

…デジカメがない!

ジャケットのポケットに入れていたはずのデジカメが、ないのである。

カバンの中をひっくり返して探しても、デジカメは見つからない。

これまで撮りためた写真が、パーになってしまった!!!

落ち着け!落ち着けよ!

必死で記憶をたどる。

飛行機の窓側に座った私は、離陸後に、デジカメを取り出して外の景色を撮ったりしていた。

それが一通りすむと、私はジャケットの左ポケットにデジカメを入れたのである。

ここまでは、明確に記憶がある。

とすれば、考えられるのは、次の二つである。

一つは、ポケットに入れたつもりが、そのポケットをかすめて、座席のところに落ちてしまった可能性。

もう一つは、羽田空港に着陸して、荷物をまとめて立ち上がったときに、ポケットからデジカメが落ちてしまった可能性。

いずれにしても、デジカメは、乗っていた飛行機の、座っていた座席付近に落ちている可能性が高い。

デジカメは、まず間違いなく、飛行機の座席付近に落としたのだ!

そこまで思考を整理したあと、急いで航空会社のカウンターに向かう。

この時点で私は、デジカメを必ず取り戻せると確信していた。

実は、以前もデジカメを飛行機に忘れたことがあるからである。

このときは、デジカメをなくしたことも気づかずにいたのだが、翌日くらいに電話がかかってきた。航空会社からである。

デジカメを落としませんでしたか?という質問に、はじめて自分がデジカメをなくしたことに気づいたのだった。

そのデジカメは、私が座っていた座席に落ちていて、そのときの飛行機に乗っていたのが私であることを航空会社が突き止め、私に連絡が来たのである。

数日後、デジカメが私のもとに郵送されてきて、事なきを得たのだった。

このときの航空会社の丁寧な対応に、心底驚いたのである。

…その経験があったので、今回もまた、きっと見つかるだろうという確信があったのだ。

それともう一つ。

映画「ハッピーフライト」を見ていて、航空会社のグランドスタッフが、客の小さなトラブルを全力で解決する、みたいなシーンが、たしかあった。

そのシーンのことを覚えていたので、もし私が、グランドスタッフになくしたデジカメのことを尋ねたら、きっと全力で探してくれるだろう、と確信したのである。

さて、出発ロビーにある航空会社のカウンターまで走ると、いかにも映画「ハッピーフライト」に出てきそうな、グランドスタッフの女性が立っていたので、さっそく尋ねてみた。

「あのう、…先ほど到着した飛行機の中に、デジカメを忘れたようなんですけど」

私は、○○空港発の○○便で、座席番号が19Kで、デジカメのメーカーが○○で、色がシルバーで、タバコの箱の大きさをしている、といった情報を冷静に、そして正確に伝えた。

「かしこまりました。では確認してみます」

そういうと、グランドスタッフの女性は、すぐに関係各所に電話をした。

「かくかくしかじかで、デジカメのお忘れ物は届いておりませんでしょうか。座席は、19のキングです」

19のキング?

そうか!私の座席は19Kだったのだが、「K」をそのまま発音すると聞き間違えられる可能性があるので、「キング」と言ったのか!

これこそ業界用語だ!いよいよ映画「ハッピーフライト」みたいになってきたぞ。

少し経って、グランドスタッフの女性のもとへ折り返し電話がかかってきた。

「…そうですか。わかりました」

電話を切ったあと、グランドスタッフの女性が言った。

「お客様、デジカメがあったそうです」

「そうですか!」

私は安堵した。しかし一方で一つ心配事が。

「あのう…バスの出発時間が6時15分なんです」

時計を見ると、いまちょうど6時である。

「わかりました」とグランドスタッフの女性。「バスの出発時間に間に合うように、いまから私が取ってまいります」

そう言うと、グランドスタッフの女性が走り出した。

そして、6時10分。

無事に、デジカメは私のところに戻ってきたのである!

「ありがとうございます。助かりました!」

このときほど、グランドスタッフの女性が神様に見えたことはない。

映画ならば、ここで二人は恋に落ちるはずである!

だって、私のためにここまで全力を尽くしてくれた人なんだもの。

しかし現実はそんなことはない。

私は余韻に浸る間もなく、バス乗り場へと走っていった。

帰宅してこの顛末を妻に話すと、

「映画だとね。トラブルを起こした男性がイケメンなんだよ」

つまり、そこが映画と現実の違いらしい。

まあそんなことはともかく。

そのグランドスタッフの的確な対応はすばらしいもので、些細なトラブルにも厭わずに対応してくれるグランドスタッフの方たちを、あらためて尊敬したのであった。

航空会社は、こういうスタッフの人たちによって支えられているのだ。

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今年最後の旅クイズ・その2

12月20日(日)

こぶぎさん、正解です!

前回のクイズが正解したら、次のクイズも簡単です。

下の写真で、海の向こうに、ボンヤリと見えるものがあるでしょう?

クイズ1 あれはいったい何でしょう?

クイズ2 私はこれを、その土地の、何という地名の場所から撮ったのでしょう?

ヒント この写真は、今日のお昼12時過ぎに撮った写真です。

Photo

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今年最後の旅クイズ

12月18日(金)~20日(日)

またまた旅の空です!

8年ぶりに、この土地を訪れました。

そのときに、この土地が好きになり、韓国留学中も、この土地の文化についてスピーチをしたことがあります。

さてこの土地とは、いったいどこでしょう?

ヒント1:飛行機から写した、この土地の写真です。

Photo

ヒント2:この土地の名物です。

Photo_3

答えは簡単ですね。

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DDRだけが人生だ!

最近は何をしているかというと、DDRばかりしている。

ここの読者はおわかりのように、私は1年のほとんどが、旅の空である。

ただし、自分の好きなところに、思い立っていく旅ではなく、いろいろとDDRが必要な旅である。

あるときは先方におうかがいを立てる書類が必要だったり、複数の同業者を引率するための日程調整をしたりスケジュールを組んだり。

もちろん、職場にもその都度、計画書や報告書などの書類を提出しなければならない。

航空機のチケットや宿泊の手配ももちろん、全部自分でしなければならない。

たとえば、週に1回、旅に出なければならないとして、そのために必要な書類を整えたりDDRしたりするのに、1日かかったりする場合がある。

ということは、旅をしていない日は、旅のDDRをすることに明け暮れてしまうのである。

DDRばかりしているうちに、このDDRはいったい何のDDRだったっけ?とわかんなくなっちゃうことがある。

いったい俺は何のために生きているのか?

それは、DDRをするためである。

人間は、DDRに追われながら、気がつけば一生が終わってしまうのだ。

ところで、DDRの意味はおわかりですよね?

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写真クイズ

書くことがまったく思い浮かばないので、こういうときにはクイズ。

先週土曜日に訪れた場所なんですが、ここはいったいどこでしょう?

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そういえば

むかしから、無名な存在のときにファンだったものが、メジャーになると急に興味がなくなる、という癖があった。

最近でいえば、バイキングの小峠。

全然売れてないときにめちゃめちゃファンだったのだが、キングオブコントで優勝して有名になってからは、特に関心がなくなってしまった。

三谷幸喜なんかもそうだ。

まだメジャーになる前には、よく芝居を見に行ったものだが、いまは映画すら見に行かない。おそらく来年の大河ドラマも見ないだろう。

そういう意味でいうと、この時期に行われる「前の職場」のモギ裁判も、それに近いかも知れない。

物理的に見に行けなくなってしまった、ということもあるのだが、いまや「前の職場」の看板サークルとなり、さまざまな媒体で取り上げられ、地位のある大人たちが総出で応援をし、たくさんの人が注目するようになった。

多くの人に注目されていることもあり、内容的にもレベルの高いものになっていることに違いない。学生たちは、今まで以上に力を入れてがんばったことだろう。

私がひそかに応援していた頃とは、すっかり事情が変わってしまったように思える。

たぶんそれは、いいことなのだろう。

今度は、孤軍奮闘する別の人たちをひそかに応援すればいいだけの話なのだ。

今年のモギ裁判については、こぶぎさんがコメント欄で真摯で愛のある感想を書いてくれることだろう。

見に行っていれば、の話だが。

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俺は紙屑籠

先日、仕事の打ち上げで職場の同世代の職員さんとお酒を飲んでいると、その職員さんがまあ博識の方で、昔の映画や小説の話題で盛り上がった。

その中で、三島由紀夫の話題になったので、久しぶりに三島由紀夫を読みたくなった。

いま、三島由紀夫って、ちょっとしたブームなのか?本屋さんに行くと、三島由紀夫の文庫本がおすすめコーナーにあったりする。

『三島由紀夫レター教室』(ちくま文庫)を読んでみたが、これがなかなか面白い。

氷ママ子(45歳)、山トビ夫(45歳)、空ミツ子(20歳)、炎タケル(23歳)、丸トラ一(25歳)の5人の手紙だけからなる小説なのだが、当然書いているのは全部三島由紀夫なので、そのすべてが三島由紀夫の文体である。

書簡だけでストーリーが進み、最後に大団円を迎える、というスタイルは、以前読んだ森見登美彦『恋文の技術』(ポプラ社文庫)にも踏襲されている。

この中でも、山トビ夫より丸トラ一へ宛てた手紙というのが、私にとって最も印象的である。

君はまったく紙屑籠のような人ですね。

何かイヤなことがあると、どうしても君の太った、あまり利口そうでない顔を思いうかべてしまう。そうすると、この人なら打ち明けたって別に害はない、という気になる。この人なら、ポカンとなんでも受け入れてくれるだろうし、たとえそれが重大な秘密であっても、この人の口から他へ洩れる分には、誰にも信用されず茶番に終わってしまうということがたしかに思われる。

そのうえ、この人なら、こちらのどんな恥をさらけ出しても、別にこちらのプライドには傷がつかないという安心がある。

なぜなら、相手は笑われる存在であっても、笑う存在ではないからである。こうしていろいろの条件を検討して安心したのち、自分の心の中から出た汚い紙屑を、ポンと、その紙屑籠に放り込んで、あとは忘れてしまう。

そう思うと、ますます君の顔が紙屑籠に見えてきてしまった。もっとも、本来、君の顔は、蚊やりの豚のほうに似ているのだけれど。

どう、これだけ言いたい放題言われても、別にまだ君のプライドは傷つかないでしょう?いままでのはテストなのであって、君が真の大人物であるかどうか試してみただけなのです。

ここまできて、君が怒り出さなければ、君はたしかに、西郷隆盛以来の大人物です。お世辞みたいで言いにくいことだけれど、ほんとうの話、君の顔は、蚊やりの豚なんかより、西郷隆盛のほうに、もっともよく似ているのですよ。

こういう大人物なら、私も安心して、何もかも打ち明けられるというものです

いかにも三島由紀夫が書きそうな文章だが、問題は、その内容である。

ここに書かれている「紙屑籠」とは、私のことではないか?

そうか、私が人の打ち明け話を何でも黙って聞く人間だと思われていたのは、決して「仏様」だからでも何でもなく、単なる「紙屑籠」だったのだ。

そう思ってしまえば、腹も立たなくなる。

この書簡小説の最後は、「作者から読者への手紙」で締めくくられている。

その手紙の一番最後の言葉が、いい手紙を書く本質であると思う。

世の中の人間は、みんな自分勝手の方向へ向かって邁進しており、他人に関心を持つのはよほど例外的だ、とわかったときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力がそなわり、人の心を揺すぶる手紙が書けるようになるのです

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いけずの町

12月10日(木)

新幹線と在来線を乗り継いで4時間ほどかかって、「山の上のアトリエ村」に到着する。

もうこのアトリエ村に来ることはないだろうと思っていたが、たぶん今回こそが、ここでの本当に最後の仕事である。

アトリエ村での仕事が終わり、少し時間があったので、せっかくだから寄り道をして帰ろうと思い立つ。

まだ行ったことのない町の博物館で、ちょうどいま企画展をやっているというので、行くことにした。

だがその博物館は、ビックリするくらい交通の不便な場所にある。

「山の上のアトリエ村」からいったん「新幹線のとまる駅」に戻り、そこから、在来線に乗って1時間で、その町の最寄りの駅に着く。

だがそこから先の交通手段がない。路線バスもないのだ。

調べてみると、地元のタクシー会社が、相乗りというシステムをもうけていることがわかった。

これはいわば路線バスの代わりとなるもので、通常のタクシーとは違い、バスのように時間が決まっており、停留所もある、というものである。

どうやら交通手段は、この相乗りタクシーしかないらしい。

ホームページで調べてみると、「相乗りタクシーを利用するには、1時間前までに予約が必要」とあった。

午後2時前、タクシー会社に電話をかけてみた。

「あのう…相乗りをお願いしたいんですけど」

「どちらからどちらまでですか?」

「そちらの駅から博物館の近くの停留所までです」

「何時頃になりますか?」

「いまから在来線に乗ると、3時3分にそちらの駅に着くようです」

「そうですか…。そうしますと、次は3時51分の相乗りタクシーになりますね」

相乗りタクシーは路線バスと同じで、時間が決まっているのだ。

「3時51分ですか?!」

ということは、無人駅みたいなところ(想像)で50分も待つことになるのか。

それよりなにより、博物館に着いたとしても、ほとんど見学時間がないではないか!

「あのう…普通のタクシーというのはないんでしょうか?」

「ありますよ。予約していただければ、その時間に駅に参ります」

…ということは、駅に常駐しているわけではないんだな。

「ちなみに、そちらの駅から博物館まで料金はおいくらですか?」

「少々お待ちください、いま調べますので…。…えー、3500円ですね」

「さ、3500円!?」

往復で7000円である。いったいどんなところにあるんだ?さすがに往復7000円はキツい。

「どうもすみませんでした」といって電話を切った。

ということで、その町に行くのを断念した。

さて、ここでクイズです。

私が行くのを断念した町というのは、何という町でしょうか?

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掟上今日子の備忘録

とりたてて書くことがない。

いま、折にふれて見ているドラマは、日本テレビ「掟上今日子の備忘録」。

妻が録画しているこのドラマを、空いている時間に見ているのだが、これが意外に面白い。

レギュラーの登場人物が、適材適所といった感じで、実によい。

「隠舘厄介(かくしだてやくすけ)」という名の不運な男を岡田将生という人が演じているのだが、この人がいってみればこのドラマの「狂言回し」である。これも実によい。

このドラマの雰囲気って、むかし日本テレビで土曜日9時に放送していた「土曜グランド劇場」のドラマっぽいなあ。「気分は名探偵」とか「事件記者チャボ」とか…。

…と思っていたら、このドラマ、土曜9時に放送していたのね。つまり、かつての「土曜グランド劇場」の枠である。

いま、この枠は「土曜ドラマ」というらしいが、この枠のドラマは、実は「土曜グランド劇場」時代の古き良きドラマの雰囲気をいまも伝えていて、なんとなく嬉しい。

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テレビドラマ版ダブルキャスト・その2

映画版とテレビドラマ版のダブルキャスト問題を考えると、楽しくなってしまうのだが、考えてみると、いちど映画化された作品が、のちにテレビの連続ドラマになるという事例は、それほど多くない。

1970年代末に放映された「横溝正史シリーズ」から、「犬神家の一族」「獄門島」「悪魔が来たりて笛を吹く」「悪魔の手毬唄」「八つ墓村」「女王蜂」、「森村誠一シリーズ」から「人間の証明」「野性の証明」、「高木彬光シリーズ」から「白昼の死角」。

これらはいずれも、角川映画と深い関わりがある。つまりこの当時角川春樹が仕掛けた「メディアミックス戦略」といえる。

あと私が覚えているのは、

飢餓海峡」(映画は1965年、連続ドラマは1978年)

日本沈没」(映画は1973年、連続ドラマは1974年)

白い巨塔」(映画は1966年、連続ドラマは1978年)

八甲田山」(映画は1977年、連続ドラマは1978年)(ドラマ版は筆者未見)

「あゝ野麦峠」(映画は1979年、連続ドラマは1980年)

「二百三高地」(映画は1980年、連続ドラマは1981年)

くらいである。

どれも大作映画ばかりだが、ここで気づくのは、大作映画の連続テレビドラマ作品が、1970年代末から1980年代初頭に集中的に製作されているということである。角川映画の「メディアミックス戦略」も同時期であることをふまえると、この時期に特徴的な現象といえるだろう。

さて、これらのテレビドラマ版のうち、「飢餓海峡」「日本沈没」「八甲田山」の3本に登場する役者がいる。

それは、村野武範である!

「飢餓海峡」では、映画版で高倉健が演じた「味村刑事」役を演じている。

「日本沈没」では、映画版で藤岡弘が演じた「小野寺俊夫」役(主役)を演じている。

「八甲田山」では、映画版で北大路欣也が演じた「神田大尉」役(主役のひとり)を演じている。

Img_0いずれも主役級の重要な役どころなのである!

大作映画の連続テレビドラマ化作品に、これほど多く登場する役者は、他にはいない。ましてや、この3本の大作映画にすべて出演した役者もいないのだ。しかも、高倉健、藤岡弘、北大路欣也とのダブルキャストである!

村野武範は一時期、テレビドラマ界を席巻していた。

そして当時、彼は「正義感の強い清廉な青年」という十字架を背負わされていたのだ。

のちに軽妙なトークとコミカルな人柄でバラエティ番組の司会をするようになるのだが、ひとりの役者の人生、いや、人間の人生を考えるとき、村野武範のたどった道のりは、実に興味深いといわざるを得ない。

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テレビドラマ版ダブルキャスト

12月6日(日)

この土日は、「同業者祭り」で、毎年恒例の、「1年でいちばん憂鬱な週末」だった。

風邪、偏頭痛、蕁麻疹、無呼吸睡眠…。

ストレスから来ているのだろう。満身創痍である。

まあそれはともかく、今回は誰にもわからない「名バイプレーヤー列伝」シリーズ。

名優・岡田英次は、私の中で「テレビドラマ版の大物脇役」という位置づけである。

この俳優が出ると、大物感が出る。

「テレビドラマ版」というのは、どういうことかというと、たとえば、市川崑監督の映画「犬神家の一族」(1976年)で、物語の冒頭で死んでしまう犬神家の当主・犬神佐兵衛を演じたのが、三國連太郎である。

120_2057三國連太郎演ずる犬神佐兵衛は、劇中ではほとんどセリフを発することなく、冒頭で死んでしまう。その後は、遺影のみの出演である。

なんとも贅沢なキャスティングである。

ちなみに2006年版「犬神家の一族」では、犬神佐兵衛役が仲代達矢である。これもまた、贅沢なキャスティングである。

このように、犬神佐兵衛役は、大物俳優がキャスティングされるのである。

ではテレビ版ではどうか?

Cap005古谷一行が金田一耕助役となったTBSテレビのドラマ「横溝正史シリーズ 犬神家の一族」(1977年)では、犬神佐兵衛役として、岡田英次が出演している。

岡田英次は、映画「また逢う日まで」(1950年)で二枚目の主役を演じたが、晩年は、どちらかというと「怪優」というイメージの方が強い。

Cap074同じ「横溝正史シリーズⅡ 真珠郎」では、殺人マシーンを養成する「鵜藤」という人物を演じているし、「怪奇劇場アンバランス 殺しのゲーム」でもまた、殺人のゲームを持ちかける恐ろしい人物を演じている。

もともと二枚目映画俳優として名が売れた岡田英次がテレビに出演すると、非常に大物感が漂うのである。

なので、映画化された作品のテレビドラマ版に岡田英次が出演すると、重厚感が損なわれることがないのだ。

たとえば、「飢餓海峡」。

A1000825de17cd2f4b304890c2c0a591585内田叶夢監督の映画「飢餓海峡」(1965年)は日本を代表する名画だが、その中で、「舞鶴警察署長」の役で、藤田進が出演している。藤田進は、黒澤明監督の映画「姿三四郎」に主演した名優である。

Ee52d923「飢餓海峡」は後にフジテレビでドラマ化されるが(1978年)、このときの「舞鶴警察署長」役が、岡田英次なのである。

映画版では藤田進、テレビ版では岡田英次。

誰もが納得するキャスティングである。

岡田英次は、大物俳優の「ダブルキャスト」として、テレビドラマ界になくてはならない存在だったのだ。

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HさんとTさん

「ご隠居、ご隠居はやっぱり塾生指導を続けるべきだったんではないですか。塾生見習いに向けて書いたあの添削の文章を読むと、塾生指導をやめてしまったことが、実に惜しい」

「そうは言うけどね、熊さん。もう潮時だったんじゃないかと思うんだよ」

「どうしてそんなこと思うんです?」

「アタシは在職中に師範代から師範に出世できなかった」

「ご隠居、そんなことにこだわっていたんですかい?了見が狭いなあ」

「そうはいっても、意外とそういうことが気になる」

「人間が小さすぎますよ。そんなこと、気にする必要なんぞありませんぜ」

「しかしなあ、熊さん。アタシより実力も経験もないヤツが出世していくのを見てるとなあ…。アタシなんぞ必要のない人間なんじゃないかってね」

…この「卑屈長屋」シリーズ、ネタはいくらでもあるのだが、書いていてあまりにも自分が情けなくなるので、もうやめよう。

ところで。

先週の「前の職場」での3日めのイベントである「シンポジウム」に、「前の職場」を昨年度定年退職し、いま再雇用で引き続きこの職場で仕事をしておられるHさんが聴きに来ていた。

Hさんは私を見つけると、

「どうもお久しぶりです」

とご挨拶をしてくださった。

Hさんが図書館の課長をしていたとき、「石碑の掃除」イベントを私が企画したところ、おもしろがってくれて、イベントの段取りを組んでいただいた。

さらにそれがきっかけで、「前の職場」史上初の、図書館主催の公開講座が同じ年に実現したのである。

しかしこの公開講座は、Hさんが異動をしたあと、行われなくなってしまった。

つまり、図書館主催の公開講座は、後にも先にも、この1回だけだったのである。

Hさんがいなければ、図書館主催の公開講座など、実現しなかった。

私の思いつきを、Hさんが形にしてくれるという「教員と職員の理想的な関係」だったといえる。

Hさんにとっても、図書館時代に手がけたイベントは、思い出に残るものだったのだろう。

だからこそ、土曜日にもかかわらず、このイベントに参加してくれたのだ。

さらに、こんな話も聞いた。

今回のリニューアルオープンで、陣頭指揮をとるSさんをはじめ、関係者はみんな徹夜で準備をしていたという。

はたして、オープンまでに間に合うのか?

通りがかったHさんが、見るに見かねて、

「お手伝いしましょう」

といって、お手伝いをかって出てくれた、というのである。

たとえ同じ職場の人間であっても、縁もゆかりもない人だったら、

「お手伝いしましょう」

とはならないだろう。

そこで、「お手伝いしましょう」となったのは、図書館の課長時代に、こうした「ものづくり」の楽しさと大変さを経験していたからではないだろうか。

もちろん、ご本人の資質によるところも大きい。

「ものづくり」の楽しさや大変さを経験している人は、共鳴し合い、また新しい「ものづくり」を始めるのである。

昨年度定年退職した職員さんといえば、もう一人、Tさん。

Tさんは、その施設がリニューアルオープンする前まで、長い間、その施設の担当職員さんだった。

その施設の「顔」「看板」「生き字引」…。とにかく、その施設の象徴ともいえる存在だった。

抜群の人間力とお人柄で、Tさんを慕って、県内各地から多くの人たちが集まった。

たぶん、ファンクラブみたいなものもあったのだと思う。

昨年度、定年で退職し、その施設を離れることになり、奇しくもその翌年度に、その施設はリニューアルオープンとなった。

今回の一連のイベントに、Tさんはお顔を見せなかった。

私が勝手に想像するに、Tさんなりの配慮があったのだろう。

Tさんがその施設に戻ってくる、ということになれば、またそのTさんを慕って、多くの人たちがやってくる。

それはそれでいいことなのだけれど、Tさん目当てで訪れる人が多くいたとしたら、せっかくのリニューアルオープンに水を差すことになりかねない(本当はそんなことはないのだけれど)。

そう思って、Tさんは今回、身を引かれたのではないだろうか(間違っていたら、ごめんなさい)。

言ってみれば、原節子のような存在なのである!

もし私の想像通りだとしたら、その配慮というか、引き際もまた、すばらしいものだと思う。

私のごとく、「アタクシもこの施設にちょっとはかかわっていたんでございやす」と、ノコノコと「前の職場」にアピールしにやって来るというのは、なんとも未練がましくて、見苦しい。

引き際って、やはり大事なのだな、とTさんから学んだ。

そんな、いろいろなことを思いつつ、HさんとTさんには、

「長年のお仕事、お疲れさまでございました」

と申し上げたい。

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卑屈長屋

例によって風邪で意識が朦朧としているので、ワケのわからない噺を一つ。

「ご隠居、ご隠居はやっぱり塾生指導を続けるべきだったんではないですか。塾生見習いに向けて書いたあの添削の文章を読むと、塾生指導をやめてしまったことが、実に惜しい」

「そうは言うけどね、熊さん。もう潮時だったんじゃないかと思うんだよ」

「どうしてそんなこと思うんです?」

「アタシは在職中に一度も、最優秀師範賞をいただかなかった」

「ご隠居、そんなことにこだわっていたんですかい?了見が狭いなあ」

「そうはいっても、意外とそういうことが気になる」

「人間が小さすぎますよ。そんなこと、気にする必要なんぞありませんぜ」

「しかしなあ、熊さん。あれは同僚の師範の推薦枠と、塾生の推薦枠の二つがあるんじゃ。アタシは同僚師範からの推薦がなかったどころか、塾生からの推薦もなかったんじゃ」

「ご隠居は同僚の師範たちに嫌われてましたからねえ」

「同僚はともかく、塾生にはもう少し支持されていたと思うんじゃがなあ」

「なかには、同僚師範の推薦枠と、塾生の推薦枠と、ダブルで受賞した人もいるっていう話ですぜ」

「そういうすばらしい師範がいるから、アタシのような人間はダメなんだろうな」

「またそうやって卑屈になる。悪いクセですぜ」

「まあそういう師範からみたら、アタシなんぞは屑同然…」

「だから!やめなさいって!…しかしねえご隠居。賞をもらったどんなにすばらしい人の授業でも、寝ている塾生なんてものがいるもんです」

「そんなことはないじゃろう」

「いえ、それがそうじゃないんだそうで…。この前なんかもね…」

「…ほう、そんなことがあったのか。しかしアタシの授業のときは、誰ひとり寝てる者はおらんかったぞ」

「ご隠居、いくら何でもそれは言い過ぎです。いくらご隠居の授業がおもしろいと自分で思ってるかはわかりませんが、言うに事欠いて誰ひとり寝てる者がいなかったって…。そんなこと、ありえませんぜ」

「いや、本当じゃ」

「ご隠居、いくらご隠居でも、身の程を知らなすぎますぜ。誰ひとり寝ないなんてことがありますか?」

「ある」

「じゃあどうして、塾生たちは誰ひとり寝なかったんです?」

「授業中に、塾生たちはみんなアタシの似顔絵を描いていたんじゃ」

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ものづくりとパッション

ひどい風邪をひいてしまい、意識が朦朧としているので、今回は何を言い出すかわからない。

先週の、「前の職場」への旅の本来の目的について少しだけ書こう。

結論だけを言うと、「ものづくりって、いいなあ」ということだった。

この場合の「ものづくり」とは、作品をつくるとか、機械をつくる、という意味だけではなく、空間を作るとか、イベントを成功させるとか、そういうことも含まれる。

「こだわりをもって何かを作ったり育てたりする」というくらいの意味である。

どんな仕事にも、おそらく「ものづくり」の部分というのが多かれ少なかれあって、そこに気づいて、こだわれるかこだわれないかで、仕事のおもしろさが全然違ってくるのではないだろうか。

…エラそうなことを言ってすみません。

だから、「ものづくり」に苦労して完成した作品や空間を見たとしても、そこに共感する人と、共感しない人が出てくるのである。

「ものづくり」にこだわる人か、そうでないかの違いということなのだろう。

今回の旅で、久しぶりにこぶぎさんと長時間話したときに、こぶぎさんがこんなことを言っていた。

こぶぎさんは、2年に1度、この地でおこなわれる「ドキュメンタリー映画の祭典」を必ず見に行く。

今回、とても有名な評論家の映画を上映していた。

だが、その映画が残念なことに、まったくダメな映画だった。

ひどい映画だった、というのである。

「パッションがないんだよね~」とこぶぎさん。

「つまり、評論家然としているってこと?」

「そうそう。その一方で、昔からドキュメンタリー映画にこだわって作っている監督の映画の続編が、このたび公開されたんだけれど、これがまたいいのよ」

「パッションがあるんだね」

「そうだね。一人の人の人生を、最後までとり続ける、という責任感ひとつで、映画を作り続けた」

「なるほど。その人の人生に、落とし前をつけるっていうことかな」

「そう。映画に登場した市井の人たちの人生に責任を持つってのが、監督のパッションであり、本当のドキュメンタリー映画といえるんじゃないかな」

「なるほど…」

聞いていて、これはドキュメンタリー映画に限ったことではないな、と思った。

たとえば、教師稼業はどうだ?

誰かを育てるってのは、その人の人生に責任を持つという覚悟が必要なのだ、ということである。

…ま、自分ができていたかというと、それは全然できなかった。

だけれども、間違いなくいえることは、目の前にいる学生や生徒の人生を、間違っても茶化してはいけない、ということである。

ドキュメンタリー映画に登場した市井の人々の人生を、映画監督が茶化すことなく撮り続けなければならないのと同じように、である。

もう一度言う。

どんなに社会的に高い評価をもらっていたとしても、学生の人生を茶化すようなことを言ってはいけないんだぜ、青年。

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思わず身内に話したくなる存在

11月30日(月)

「前の職場」への3泊4日の旅から帰ってきたが、もうしばらく、この旅の出来事について書く。

卒業生や学生たちと飲んだ日の帰り。

私の泊まるホテルはすぐ近い場所にあったのだが、卒業生や学生たちは、それぞれ自宅までの距離が遠かった。それに夜も遅く、小雨も少し降っていて、ひどく寒い晩だった。

お店を出て、帰り道をみんなで一緒に歩いていると、卒業生の一人が、道路のわきにとめてある車に近づいた。

すると、車の中から、背広を着た一人の青年が出てきた。

「先生、前に話した、私の彼氏です」

卒業生の一人が、自分の彼氏を呼び出したらしく、彼氏が車で迎えに来ていたのだ。

青年は折り目正しく私にお辞儀したあと、自分の恋人であるその卒業生の方を向いて聞いた。

「この方が、いつも話に出てくる先生?」

「そう。鬼瓦先生」

「いつもお世話になっております」青年は再びお辞儀をした。

「こちらこそ、お話は聞いていますよ。最初は遠距離恋愛だったんでしょう?」

「はぁ」青年はそう言うと、再び卒業生の方を向きなおし、「そんなことまで話したの?」と聞いた。

「そうだよ」と卒業生は彼氏に答え、今度は私に言った。「私たち、この車に乗って帰ります」

「そう、お気をつけて」

「またお会いしましょう」

卒業生と学生たちは車に乗り込み、去って行った。

…こんな些細なことを書いたのは、「身内の話題にのぼる人間」になることが、私にとって何よりも嬉しいことだからである。「身内」という言葉は、「友人」や「恋人」などに置き換えてもよい。

実は私がひそかにめざしているのは、

「思わず身内に話したくなる存在」

なのである。

私に会ったこともないお身内の方が、その人から繰り返し話を聞くことで、まるで以前から私を知っているような感覚にとらわれる。

そして、何かの機会にそのお身内の方に初対面したとき、まるで以前から知っているような感じで私にご挨拶してくれる。

そんなときが、いちばん嬉しいのである。

なぜ、嬉しいのか?

それは同時に、「『私』のことを身内に話す人」との、親しさの証しでもあるからだ。

…言葉で説明するのは難しいなあ。わかるかなあ、この感覚。

うんとわかりやすく言えば、

「この人が寅さんですよ。ほら、いつも話してるでしょう?」

「あなたが寅さんですか。いつも話は聞いております」

みたいな存在のことだ。

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