俺は紙屑籠
先日、仕事の打ち上げで職場の同世代の職員さんとお酒を飲んでいると、その職員さんがまあ博識の方で、昔の映画や小説の話題で盛り上がった。
その中で、三島由紀夫の話題になったので、久しぶりに三島由紀夫を読みたくなった。
いま、三島由紀夫って、ちょっとしたブームなのか?本屋さんに行くと、三島由紀夫の文庫本がおすすめコーナーにあったりする。
『三島由紀夫レター教室』(ちくま文庫)を読んでみたが、これがなかなか面白い。
氷ママ子(45歳)、山トビ夫(45歳)、空ミツ子(20歳)、炎タケル(23歳)、丸トラ一(25歳)の5人の手紙だけからなる小説なのだが、当然書いているのは全部三島由紀夫なので、そのすべてが三島由紀夫の文体である。
書簡だけでストーリーが進み、最後に大団円を迎える、というスタイルは、以前読んだ森見登美彦『恋文の技術』(ポプラ社文庫)にも踏襲されている。
この中でも、山トビ夫より丸トラ一へ宛てた手紙というのが、私にとって最も印象的である。
「君はまったく紙屑籠のような人ですね。
何かイヤなことがあると、どうしても君の太った、あまり利口そうでない顔を思いうかべてしまう。そうすると、この人なら打ち明けたって別に害はない、という気になる。この人なら、ポカンとなんでも受け入れてくれるだろうし、たとえそれが重大な秘密であっても、この人の口から他へ洩れる分には、誰にも信用されず茶番に終わってしまうということがたしかに思われる。
そのうえ、この人なら、こちらのどんな恥をさらけ出しても、別にこちらのプライドには傷がつかないという安心がある。
なぜなら、相手は笑われる存在であっても、笑う存在ではないからである。こうしていろいろの条件を検討して安心したのち、自分の心の中から出た汚い紙屑を、ポンと、その紙屑籠に放り込んで、あとは忘れてしまう。
そう思うと、ますます君の顔が紙屑籠に見えてきてしまった。もっとも、本来、君の顔は、蚊やりの豚のほうに似ているのだけれど。
どう、これだけ言いたい放題言われても、別にまだ君のプライドは傷つかないでしょう?いままでのはテストなのであって、君が真の大人物であるかどうか試してみただけなのです。
ここまできて、君が怒り出さなければ、君はたしかに、西郷隆盛以来の大人物です。お世辞みたいで言いにくいことだけれど、ほんとうの話、君の顔は、蚊やりの豚なんかより、西郷隆盛のほうに、もっともよく似ているのですよ。
こういう大人物なら、私も安心して、何もかも打ち明けられるというものです」
いかにも三島由紀夫が書きそうな文章だが、問題は、その内容である。
ここに書かれている「紙屑籠」とは、私のことではないか?
そうか、私が人の打ち明け話を何でも黙って聞く人間だと思われていたのは、決して「仏様」だからでも何でもなく、単なる「紙屑籠」だったのだ。
そう思ってしまえば、腹も立たなくなる。
この書簡小説の最後は、「作者から読者への手紙」で締めくくられている。
その手紙の一番最後の言葉が、いい手紙を書く本質であると思う。
「世の中の人間は、みんな自分勝手の方向へ向かって邁進しており、他人に関心を持つのはよほど例外的だ、とわかったときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力がそなわり、人の心を揺すぶる手紙が書けるようになるのです」
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