ハブとマングース
ハブとマングース、といえば、むかしは天敵の代名詞だった。
だが、いまは違う。
もともとマングースはインド原産の外来種で、奄美大島では猛毒を持つハブの存在に悩まされたこともあり、ハブを退治する最後の手段として、肉食獣のマングースを持ち込んだという経緯がある。
ところが、である。
マングースはハブを食べないばかりか、奄美地方にしか生息しない希少な動物たちばかりを食べ、特別天然記念物であるクロウサギなどはたちまち絶滅の危機に瀕した。それに対して外来種のマングースは、猛烈な勢いで繁殖していったのである。
そりゃあそうだ。マングースにしたって、どう猛なハブを食べるよりも、クロウサギを食べた方がはるかに楽だもの。
周囲によっぽど食べ物がなくなったとき、マングースは仕方なくハブに手を出す、という程度にすぎないのだ、マングースにとってのハブというのは。
しかしハブ退治を願う人々にとっては、マングースこそが、最後の救世主に映ったわけである。
以前はよく、観光用に「ハブとマングースの決闘ショー」が行われたそうだが、ハブにしても、マングースにしても、困ったことだろう。
だって、言ってみればハブもマングースもお互い初対面。別にむかしからの天敵というわけではなく、マングースからしたら、いきなりその島に連れてこられて、目の前にいるハブと決闘しろと言われただけなのである。
落語の「動物園」さながら、決闘の檻の中でにらみ合うハブとマングースは、
「心配するな。俺も雇われたんだ」
と挨拶し合う関係なのである。
それを、人間様の都合で、いかにもハブとマングースは天敵であると仕立て上げたことが、悲劇の始まりだったわけだ。
いま奄美では「マングースバスターズ」によるマングースの駆逐が行われている。マングースを捕獲すると、必ず胃の中を調べることになっているのだが、いままで、マングースの胃袋の中にハブが入っていた例はないそうだ。
私たちはようやく、「ハブの天敵はマングース」という都市伝説の呪縛から解き放たれつつあるのである。
「ハブとマングース」で思い出した。
昨日、テレビで「超常現象スペシャル」というのをやっていた。年末になると必ずこの放送局では、この手の番組をやる。
私が学生の頃からこの手の番組があったから、もう四半世紀近く、この手の番組が続いているのではないだろうか?
「超常現象を信じる人たち」と「超常現象を信じない人たち」が番組の中で激論をするという進行の仕方も、昔からまったく変わっていない。
「超常現象を信じる人」の代表として、たま出版のニラサワさん、という人が毎回出ていて、その天敵として、科学者のオオツキ教授、という人が出ているのも、変わらない。
昨日の番組を、たまたま数分だけ見て、
(まだこの二人は健在なのね)
と別な意味で感慨深かったのだが、むかしとくらべてちょっと変わったなあと思ったのは、オオツキ教授が、
「そんなことは嘘に決まってる!」
「そんなことあるはずがない!」
とか、およそ非科学的なヤジを飛ばしていたことである。
むかしはもう少し、科学的根拠をあげて、超常現象を否定していたような気がしたのだが、もはやいまは、
「お前の言うことなんて信じられない」
という信念の問題に変わってしまった。
科学的に反証をあげることが、「超常現象否定派」のよりどころだったと思うのだが、いまはもう、それすらも放棄してしまっているように思えたのである。
いまやニラサワさんが肯定派の単なる記号、オオツキ教授が否定派の単なる記号になりさがり、それはあたかも、いまとなっては天敵の記号にすぎなくなった「ハブとマングース」を、彷彿とさせるのである。
つまり私が言いたいのは、「超常現象をめぐる肯定派と否定派の対決」というのは、ハブとマングースの決闘くらい、意味のないことだ、ということである。
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