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2016年1月

いまさら「建築学概論」

Showphotoいまさらの話題だが、韓国映画「建築学概論」(2012年公開)を、ようやく見た。

建築学科に通う大学1年のスンミン(イ・ジェフン)と、同じ大学の音楽科1年の学生ソヨン(スジ)の二人をめぐる、初恋の物語。15年後、二人は建築家とその依頼人として再会するが、15年後のスンミンとソヨンを、オム・テウンとハン・ガインが演じている。

「初恋あるある映画」といった趣で、公開当時、韓国の男性たちの心をわしづかみにした映画である。曰く、「これは俺の映画だ!」と。すなわちこれは、

「韓国人男性による、韓国人男性のための映画」

である。

初恋の女性の「その後」を演じるハン・ガインは、韓国の青春映画「マルチュク青春通り」(2004年)で、クォン・サンウ演じる高校生の初恋の相手役を演じていたのが印象的だった。つまり韓国の男性にとってハン・ガインは「永遠の初恋相手」の象徴なのである。この映画がヒットした要因は、ハン・ガインの存在が大きい。

そういった点からも、ハン・ガインの相手役はオム・テウンではなく、クォン・サンウに演じてほしかった。

もう一点、韓国の恋愛映画らしいなあ、と思ったのは、スンミンがあこがれるソヨンの性格が、「猟奇的な彼女」そのものである、という点である。この点に、世の韓国人男性たちは、惹かれたのだろう。

つまり、「猟奇的な彼女」にハマった男性は、この映画にもハマる仕組みになっているのだ。

映画には、「初恋あるある」というべき小ネタにあふれていて、それが、世の男性に共感を与えている。

親友が、知ったかぶりをして食堂で間抜けな恋愛指南をする場面は、日本の男子が思春期にもれなく行っていた「ガスト会議」と通底する。

スンミンがソヨンと会うとき、めいっぱいおしゃれなトレーナーを着ていったつもりが、のちに「パチモン」のトレーナーであったことを知らされ、軽く死にたくなる場面もまた、「初恋あるある」の一つだが、これが後の場面で、世の男子の涙腺を緩める伏線となっているのは、描き方が実に上手い。

もともと恋愛映画をほとんど見ないのでよくわからないが、日本の昨今の恋愛映画には、こうした「ベタなあるあるネタ」でおなかいっぱいにさせてくれるような映画って、あるのだろうか?

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3週間韓国語耐久レース

1月30日(土)

1月9日(土)から始まった、3週間にわたる「韓国語耐久レース」が終わった。

16日(土)に韓国から帰国したが、18日(月)に今度は、韓国からJさんとMさんがうちの職場に2週間ほど滞在することになった。

ところが私は、帰国後に体調を崩し、18日(月)、19日(火)と仕事を休んだ。

しかし、21日(木)には、Mさんを関西にお連れするという仕事が待っている。こればかりは、どうしても休むわけにはいかない。

ということで、21日(木)からMさんをお連れして1泊2日で関西に出張した。

さらに25日(月)~27日(水)に、今度はMさんとJさんのお二人をお連れして、雪国へと出張した。

つまり、寒波が押し寄せるこの時期、韓国を南から北へ縦断した後、日本を南から北へ縦断したことになる。しかも使う言語はほとんどが韓国語。

「まるで何かの罰ゲームですね」

と、職場の人に言われたが、さしずめ「水曜どうでしょう」並みか、「路線バスの旅」並みの過酷さであった。

出張から帰った28日(木)と29日(金)も、お二人を夕食にお連れしたりして、お二人をアテンドした。

29日(金)の夕食後、「今度は韓国でお会いしましょう」といって、お別れした。お二人の帰国は、31日(日)である。

29日(金)の夕食をもって、私の役目がようやく終わり、家に帰ってぐったりと寝てしまったのだが、夢の中では相変わらず韓国語で会話をしている。

たぶん、この3週間で韓国語がものすごく上達したと思う。

それはともかく。

これでようやく終わったかと思ったら、一つ、肝心なことを忘れていた。

話は、Mさんを関西にお連れした21日(木)にさかのぼる。

21日に予約したホテルは、全国にチェーン店を持つホテルだった。

夕方、チェックインしようとすると、フロントの職員さんが、

「M様は、パスポートはお持ちですか?」

と、韓国人のMさんに聞いてきた。

Mさんは、滞在先の東京の宿舎にパスポートを置いてきてしまったという。

私がそのことをフロントの職員さんに話すと、

「では、お泊めすることはできません」

という。

何でも、旅館法か何かで、外国人はパスポートをフロントに提示しないと泊まれないというのだ。

Mさんは、韓国の職場の身分証明書だとか、そのホテルチェーンの会員証を見せたりしたのだが、

「そんなの見せられても、ダメなものはダメです」

と一蹴される。しまいにはホテルの支配人が出てきて、

「旅行中はパスポートを携帯するようにと言わなかったお前が悪い」

というニュアンスでなじられる始末。

そこを何とか、と私が食い下がった結果、

「では、後日に、パスポートのコピーを必ずファックスで送信してください」

という条件で、なんとかMさんはそのホテルに泊まることができたのである。

私はMさんに、

「来週、雪国出張のときには、必ずパスポートを持ってきてくださいよ。そうでないと泊まれませんから」

と釘を刺した。

さて、次の週の雪国出張。

25日(月)の晩も、駅裏にある、同じホテルチェーンのホテルに泊まった。

Mさんがフロントでパスポートを提示すると、

「当ホテルチェーンの会員証をお持ちなら、パスポートの提示はけっこうです」

と言われたのである。

どないやねん!

関西のホテルで支配人にあれだけなじられたのは、いったい何だったのか?

まあそれはともかく、つつがなく出張が終わったのは何よりだった。

ところが私は、出張が無事に終わって安心したためか、今日(30日)に至るまで、Mさんのパスポートのコピーを、21日に泊まったホテルにファックスするという約束を、すっかり忘れてしまっていたのである。

Mさんの帰国は31日(日)である。

帰国までに、Mさんのパスポートのコピーを入手して、ホテルにファックスしなければならない。

帰国前日の今日、MさんとJさんは東京観光をしているという。

急いでMさんと連絡を取り、都内で観光中のMさんやJさんと落ち合い、Mさんのパスポートを近くのコンビニでコピーして、ホテルにファクスしたのであった。

「昨日でお別れだと思っていましたが、パスポートのおかげでまたお会いできましたね」とJさん。

「今度は韓国でお会いしましょう」とMさん。

「気をつけて韓国へお帰りください」

やれやれ。これでようやく、私の役目は終わりである。

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一般人としてインタビューされました

1月25日(月)

またまた旅の空です!

韓国から来たお客さん2人をお連れして、先週とは逆の方向に2泊3日の旅である。

とにかく寒い。

夕方、訪問先での見学が終わり、訪問先でお世話になった方々を交え、7名ほどで駅前の居酒屋に入る。

しばらくすると、

「すみません。ちょっといいですか」

と、私たちのテーブルに一人の女性が訪ねてきた。

「私ども、○○○のものです」

「え?あの国営放送ですか??」

「正確には国営放送ではありません」

「はあ。すみません」

「一つお願いがあるんですが」

「何でしょう?」

「いま、取材をしておりまして、インタビューに答えていただけますか?」

「はあ。どんな?」

「この県は、県民一人あたりの美容院の数が日本で一番多いのですが、ご存じでしたか?」

「いえ、知りません」と私。初耳である。

「なぜ、この県には美容院の数がこれほど多いか、理由をご存じですか?」

「いえ、知りません」知っているはずがない。初耳なのだから。

「それを答えていただきます」

「だって、知りませんよ」

「ええ、知らなくったっていいんです。30分後にまたこの席にインタビューにうかがいますので、それまでに考えておいてください。珍回答を期待していますよ!」

そういって、ディレクターらしいその女性は去っていった。

これは大喜利か?

同席していた3名の県民の方によると、県民であれば、この県に美容院が多いことと、その理由については、誰でも知っているらしい。

しかし同席していた3名の県民の方たちは、その理由を決して私に教えてはくれなかった。

30分後。

約束したとおり、インタビュアーとカメラを持ったディレクターがやって来た。

「なぜ、この県に美容院の数がこれほど多いか、理由をご存じですか?」

お酒が回っていたこともあり、私を含め、その場にいた3人の県民の方もよかれと思ってギャグを交えて答えた。さながら大喜利である。

「ありがとうございました」ディレクターがカメラを切った。

「これ、ローカル局の番組ですか?」

「いえ、夕方の全国放送ですよ」

えええぇぇぇぇっっ!!!ぜ、ぜ、全国放送??

てっきりローカル番組だと思ったので、調子に乗ってギャグを交えてインタビューに答えてしまったのだ!!

「2月3日(水)に放送されると思いますから、ぜひ見てみてください」

「国営放送ですか?」

「ですから、正確には国営放送ではありません!」

サア困った。

「一般人の酔っ払い」として受けたインタビューが、全国に放送されてしまう可能性がある。

さて、その「美容院が一番多い県」というのは…。

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韓国語の向こう側

1月22日(金)

私が「韓国語の向こう側」と呼んでいる現象があるのだが、それは、韓国語しか使えない状況が続いたあと、日本語での生活が戻ったときに、周囲で話している言葉がすべてが韓国語に聞こえる、という現象をさす。

たとえば、韓国からのお客さんをお連れして、1泊2日の関西旅行から戻った新幹線の中。

韓国のお客さんといったんお別れして、もう韓国語を使わなくてもいいという状況になるわけだが、そんなときに、周りの座席に座っているサラリーマンのおっちゃんが喋る言葉や、はては車内販売の店員さんの喋る言葉まで、一瞬、韓国語に聞こえてしまうのである。

で、家に着いて、眠りについたあと、夢の中に登場した日本人の友人が、なぜか韓国語を喋っていたり。

このとき、脳は完全に「韓国語脳」になっているのだろう。

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結局、会食なのだ

1月21日(木)

先週の土曜日に韓国から帰って以降、体調が最悪となり、今週の月曜と火曜はついに職場を休んだ。水曜日に職場に復帰したが、身体は全然本調子ではない。

しかし、仕事は容赦しない。

今日から、韓国から来たお客さんをお連れして、1泊2日の関西出張である。

こればかりは相手があることなので、キャンセルはできない。

しかも日本語で意思疎通ができないので、案内役とともに通訳もつとめなければならない。

なんとか初日の予定を終えた。

その方が言う。

「今日、宿泊する町の近くに、私の知り合いが二人ほど滞在しているんです」

「はぁ」もちろん、その二人というのは韓国人である。

「夕食は、その方たちも一緒でよろしいですか?」

「え、ええ」

さっそくその方は、二人の韓国人と連絡を取り、夜7時、二人は私たちの泊まるホテルまでやってきた。

2結局、初対面の二人を交えた4人でお好み焼きを食べることになった。

しかも、韓国人は3人とも、日本語で意思疎通ができないので、韓国語でコミュニケーションをとるしかない。

結局、韓国にいても、日本にいても、どっちにしろ、知らない人と会食をする運命の下に生まれたのだ、私は。

Photoというか、これが韓国式というべきか。

まさかお好み焼きの写真だけでは、どこのお店かはわかるまい。

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ラジオDJの憂鬱

最近、芸能界を揺るがせた事件といえば?

そう。

あるお笑いコンビの一人が、都内の高校に侵入して女子高生の制服など24点を盗んだとして窃盗及び建造物侵入の容疑で警視庁に逮捕された、という事件である。

その人物は、20年前から同様の行為をしていたと供述し、自宅からは制服など約600点が押収されたという。

この人物、実は8年ほど前にも痴漢の容疑で逮捕されたが、このときは、不起訴処分となっている。

彼はこのあと、芸人として復帰したのだが、このたびの逮捕で、おそらく復帰は絶望的だろう。

この事件を、忸怩たる思いで見ていたのが、私と同世代のラジオDJである。

8年ほど前、このラジオDJは、この芸人とラジオ番組で共演していた。彼が復帰したあと、ラジオDJは、「その芸人がそういう犯罪をするヤツとは、とうてい思えなかった」と発言した。つまり、「その芸人を信じていた」と発言したのである。

しかしそれは、結果的に裏切られる形となったのである。

先日、ラジオDJは、いつもはおふざけの深夜番組で、いつになくまじめに、この事件のことについて語り始めた。

「自分は7~8年前に、彼に痴漢の容疑がかかった時に、自分の番組の生放送で、今思えばとてもみっともなくて、間抜けで、恥ずかしいことを言ってしまった。

僕はその時、『職業柄、人と目を見て喋った上で、その人を見る目は、それなりにあると思う』と前置きした上で、痴漢の容疑について、『そいつはそういうことをするヤツだとはとても思えないんだよな』という話をした。

結果的に、今思えばとてもみっともない結果になった。

僕がラジオをやるための免許、というか、僕がラジオをやり続けてもいいって、僕に対して思うかどうかは、このことを喋ることだと思っている。

『人を見る目があると思う』って前置きをした上で、『やってないと思うし、やってないと思いたい』って言ったことに関して、反省してるし、『バカだな、お前』って思う人は笑って欲しい。

『アイツ、みっともねぇな。何の見る目もないじゃん』って、その通りなんだ。その通りだから、そこは笑って欲しいし、逆に、とてもじゃないけど笑えない立場の人もいると思う。

とてもじゃないけど笑えない立場の人は、僕のことを憎んでほしいと思う」

この後も発言は続くのだが、私がこれを聴いて思ったのは、引用した最後の部分である。

彼がいちばん言いたかったのは、ここなのではないだろうか?

8年前の痴漢事件が、冤罪なのかそうでないのか、今となってはわからない。

だが、同じお笑い界の仲間であり、自分の番組のレギュラーであったその人物を、なんの根拠もなく擁護してしまったことが、結果的に、その人物に苦しめられた人(つまり被害者)に、さらに苦痛を与えることになったのではないだろうか?

「とてもじゃないけど笑えない立場の人もいると思う」というのは、そのことを指していると思う。

そのことを考えたときに、軽はずみでもその人物を擁護してしまったことが、悔やまれたのである。

ラジオDJは、それを決して些細な問題ではないと考え、あえて「憎んでほしい」と発言したのだ。

そしてここに、ハラスメント問題の本質があるのだと思う。

加害者の周囲の人物が、仲間だという理由で軽はずみに擁護したり、あるいは擁護したことが結果的に間違いだったことに対して、被害者にそれをきちんと伝えることを怠ったり。

それが、二次的な被害を生む可能性を持っているのである。

多くの人は、そこに対する想像力をはたらかせようとはしない。

だから、自分とは関係のない問題だと思ってしまうのだ。

このラジオDJは、言葉を扱う職業人として、そこだけははずしたくなかったのだろう。

だからあえてこんな発言をしたのだろう、と私は解釈する。

こんなふうに想像力をはたらかせた人たちが、どれくらいいたのか。それは大変興味深い問題である。

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勝手にすれ違う二人

1月17日(日)

韓国滞在中の1月10日に、「同い年の盟友・Uさん」からCメールが来た。

「来週土日、I川市で○○会。会えれば会いたいですね。土曜夜は懇親会。来る?」

I川市は、私が住んでいる市である。来週の土日、ある会合があって、私の「前の勤務地」に住むUさんが、新幹線と在来線を乗り継いで参加するらしい。あんたも家が近いだろうから、一緒に懇親会に参加しよう、というのである。

せっかくUさんがわが家の近くまで来るというのに、なんともタイミングが悪い。

私は返事を書いた。

「昨日から韓国滞在中。明日から5日間仕事で、16日(土)夜に帰国。またすれ違いだ」

思えば、Uさんとはすれ違ってばかりである。

さて、16日(土)。

「○○会の場所はI川市ではなくI原市でした。お土産買ってきた。なんとかする。」

会場に到着したことを知らせたメールだが、おいおい、場所はI川市ではなくI原市だったのかよ!同じ県の中にあって、地名が似ていて紛らわしいことで有名なのだが、それにしてもI川市とI原市は地理的にずいぶんと離れている。これでは、どんなに頑張っても駆けつけることはできない。

しかし不思議なのは、私に会えるかどうか保証もないのに、「お土産を買ってきた」というのである。しかも「なんとかする」という。

お土産を受け取れなければ、またいつかのことみたいになるぞ!

これはなんとしても、お土産を受け取らねばならない。

とりあえず、16日の夜に羽田空港に着いてすぐに、UさんにCメールを送った。

「帰国。明日は何時頃にI川駅付近通る?少しの時間でも途中下車可能?」

I原市のG駅から東京駅に向かうには、必ずI川駅を通るはずである。私がそこで待ち構えていれば、お土産を受け取ることができるはずだ。

するとUさんから返事が来た。

「午後早いうちですが、時間は未定。どこかに置いて、鍵郵送する予定でした。お昼頃、I川にいる?」

気になったのは、「どこかに置いて、鍵郵送する予定でした」という記述である。

これは、お土産を、どこかの駅のコインロッカーに入れて、その鍵を私のところまで郵送する、ということだろうか???そんなことを考えていたのか???

で、その鍵を受け取った私が、コインロッカーを開けてブツを受け取る。

アヤシい!アヤシすぎる!

それだけは勘弁してほしい。なんとしても直接受け取らなければならない。

私は返事を書いた。

「I川にいるよ。体調不良なので終日家にいる予定だがお昼頃I川駅あたりまで出ることは可能です」

「了解!着きそうになったら連絡します」

さて、今日(1月17日)。

お昼過ぎの13時3分、UさんからCメールが来た。

「ただいまG駅到着。今からI川駅に向かいます!」

会場の最寄りの駅からI川駅までは、電車でだいたい1時間くらいなので、その時間に間に合うように家を出ればよいだろうと思って待っていると、13時12分に、第二のメールが来た。

電車乗りました」

ここまでは、意気揚々、余裕綽々な感じである。いたって順調といえよう。

ところが、13時23分に来たCメールで、事態が変わる。

「しまった!間違えてKY線乗り換えちゃった!」

えええぇぇぇぇっ!!!

KY線に乗り変えちゃったらダメじゃん!I川駅通らないじゃん!

ふつうSB線に乗り換えるだろ!

ま、KY線もSB線も、東京駅に向かう電車なので、仕方がないといえば仕方がないのだが。

13時27分、次のメール。

「I川S浜って、I川駅に近い?」

KY線の停車駅であるI川S浜駅で落ちあおうと考えたらしい。だがI川駅とI川S浜駅は、同じI川市でもまったく異なる場所にあるのだ。

「遠いよ」

と私は返事を書いた。

この時点で私は、お土産を受け取ることをあきらめた。

結局、すれ違う運命にあったのだ。

○○会の会場を、本当はI原市なのに、私が住んでいるI川市だと勝手に思い込んでしまったこと。

SB線に乗るべきはずが、なぜか間違えてKY線に乗ってしまい、I川駅にたどり着けなかったこと。

これほど「すれ違い」を自己演出できる友人も珍しい。

すると13時34分、またメールが来た。

「よくわからないので東京駅に戻ってSB線乗り直しまーす。」

UさんがI川駅に着いたのが、14時45分。

改札口で、お土産を受け取った。

「これ、遅くなったけど、転任祝い」

「今さらかよ!…ありがとう」

「じゃ、帰るわ」

「気をつけて」

Uさんは再び改札口を入り、ホームへとのぼっていった。

その間、わずか30秒ほどのことだった。

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8日間韓国語耐久レース・その3

1月15日(金)~16日(土)

木曜日、P郡の会社にて。

Jさんが言った。

「明日(金曜日)のことなんですけど」

「はあ」

「親会社に連絡をしてみたら、この日は、Fさんの案内で再びD市の親会社に行って、親会社の社長にご挨拶することになっていました」

「ええ、たしかに予定表ではそうなっていました」

「ところが確認してみたところ、この日、社長は出張のため不在で、おまけにFさんも仕事が忙しくて対応できない、と言われたんです」

「そうですか…」

いかにも豪放磊落なFさんらしい。まあそういう人なのだろう。

「ということで、D市に泊まる理由がなくなりました」

「そうですね」

「そこで、明日は午前中、P郡で仕事をしたあと、午後にソウルに向かうことにします」

ええええぇぇぇぇっ!!その話はご破算になったんじゃなかったのか?

「でも荷物も重いし…」

とごねると、

「大丈夫です。私も一緒に行きますので。そして最終日の土曜日は、空港までご一緒します」

「そんな…悪いですよ」

「大丈夫です。とにかく重い荷物は私が持ちますから」

…というわけで、急遽予定が変更になり、この日の午後にソウルに向かうことになった。

お昼すぎ、近郊のK駅から高速鉄道に乗り、ソウル市内に着いたのが、2時頃である。

そこからホテルにチェックインして、市内のS大学に着いたのが、午後3時。

なんと!同業者祭りに間に合ってしまったのだ!

会場となる部屋の前まで来ると、

「じゃ、私はここで。また明日会いましょう」

といって、Jさんは去って行った。

一人残された私は、会場となる部屋の中に入る。

小さな集まりだったが、そのほとんどが私の知っている人たちだった。

私がその部屋に入ると、みんなが一様に驚いた。

なんでお前がここにいるんだ?という顔をした。

そりゃあそうだ。だって急遽決まったことなんだもん。

いまS大学に留学中のU君の姿もあった。

U君の姿を見て、なんかホッとした。

同業者祭りが終わり、またもや会食である。

U君の向かい側に座ったが、なんとなく日本語で会話するのがはばかられたので、終始韓国語で会話をした。

それでも、久しぶりに会った人たちとお話しするのは楽しかった。

2次会に誘われたが、体調が最悪だったので、1次会で失礼した。

午後9時過ぎ、ホテルの部屋に戻り、すぐに眠りについた。

最終日。

朝、Jさんと朝食をとったとき、私はJさんに聞いた。

「昨日は、あのあとどうなさったんですか?」

「大学時代の先輩や後輩たちと、久しぶりにお酒を飲んだり話をしたりして盛り上がりました。ホテルに戻ったのは、午前0時過ぎです」

「久しぶりだったんですか?」

「ええ、久しぶりでした。たまにソウルに上京することはあっても、すぐに戻ることが多いですからね。おかげで昨晩はゆっくりできました」

そうか!それで合点がいった。

Jさんがソウル行きにこだわったのは、大学時代をこの地で過ごしたJさん自身がソウルに来たかったからに他ならないのだ。Iさんの提案、そしてFさんのドタキャンは、渡りに船だったのだろう。

そう考えると、私も少し安心した。

さて、今日は午後4時の飛行機で帰国しなければならない。

ところが午後1時半から、某所で「同業者祭り」がある。私の知り合いやお世話になった方々がたくさん来る。

時間的に、「同業者祭り」に参加するのは無理だが、始まる前にそこに行って、ご挨拶だけして帰れば、空港には間に合う。

午後1時、同業者祭りの会場に行くと、留学時代にお世話になった先生方が何人も来ていらっしゃった。

その方々とつかの間の再会を果たし、午後1時半過ぎ、私とJさんは空港に向かった。

「いろいろとありがとうございました」と私。

「また来週お目にかかります」とJさん。

そう!今度は、Jさんが日本に滞在するのだ。

今度は私が、そのお世話をしなければならない。

はたしてJさんが献身的にしてくれたことに対して、私は恩返しすることができるだろうか?

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8日間韓国語耐久レース・その2

1月13日(水)~14日(木)

3日目。

I市滞在最後の日である。

とにかくI市は、寒い。なにしろ雪が降っているのである。

午前中は部屋の中の仕事だったが、午後はI市内の各所をまわることになった。

Jさんはほかの仕事があるということで、現場事務所の最年長、Cさんの運転でI市をまわることになった。

I市出身のCさんは、この道40年の大ベテラン。I市のことで知らないことはない。

いろいろとまわった後、

「とっておきの場所に案内しますよ」

といわれて案内されたのが、採石場だった。

Photo息を飲むような採石場である。

「すごいですねえ、これは」

「すごいでしょう。たぶん、世界一だと思います」

世界一かどうかはわからないが、たしかにすごい。

しかし、外回りは寒すぎた。

これでは体調がよくなるどころか、悪くなるばかりである。

私の身を案じたJさんとCさんは、身体にいい食べ物を食べさせようと思ってくれたようで、夕食は「長芋料理の店」に連れて行ってくれた。

「この町は、長芋が有名なんです」

たしかに、ヘルシーで美味しかった。

Photo_2お店を出るときに、日本で超人気だった、あの俳優のサインを見つけた。

あの俳優も、この店を訪れたらしい。

そのご縁で、日本人観光客も訪れるそうだ。

さすがに「長芋の店」だけでは、クイズにしたとしても当たるまい。

さらにCさんが、

「身体にいいお茶を飲みに行きましょう」

という。

私は体調が最悪で、帰りたかったのだが、ご好意を無にするわけにもいかない。

伝統茶のお店に行き、サンファタン(雙和湯)というお茶を飲んだ。

たしかに身体によさそうなお茶ではある。

しかしもう、この程度では体調が回復しないところまで来ているのだ。

ようやく夜9時過ぎに解放され、ホテルの部屋に帰るなり、眠りについた。

4日目。

朝、I市からP郡に移動する。

今日はP郡の会社で終日仕事である。

例によって、社長と副社長にご挨拶に行った。

社長も副社長も、とてもいい方だった。

仕事が終わると、今日もまた会食である。

Jさんが言う。

「今日はこれから、歓送迎会を兼ねた我が社の新年会を行いますので、そこに参加していただきます」

「はあ」

もう、多少のことでは驚かない。

夕方、会場に行くと、60名くらいの人たちがいた。

「こんなにいるんですね」と私。

「ええ、我が社の社員全員が参加していますから」とJさん。

いよいよ、何が何だかわかんなくなってきた。

要するに、まったく知らない会社の歓送迎会に、全然関係のない人間が一人、参加しているようなものである。しかも外国人!

私の隣に座っていた人が、長年勤めていたこの会社から、別の系列会社への異動が決まったらしく、「お別れの挨拶」を涙ながらにしていた。

それを聞いている、私の目の前に座っている社長も泣いている。

うーむ。俺はその二人のあいだで、どんな顔をすればいいのだろう?

宴会が始まると、お話をする人がほとんどいない。

知ってる人がほとんどいないのだから、あたりまえである。

宴会じたいは当然盛り上がっているのだが、私の体調はどんどん悪くなるばかりだった。

さすがに途中で耐えかねて、横にいるJさんに言った。

「あのう…先に帰っていいですか?」

「わかりました」

ということで、宴会を早退させてもらうことにした。

何ともなく敗北した気持ちがするが、仕方がない。

ホテルの部屋に入り、すぐに眠りについた。(続く)

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8日間韓国語耐久レース・その1

1月11日(月)~12日(火)

日記を更新できなかったのは、韓国滞在中、ずっと体調が最悪だったからである。

咳が止まらず、夜になると微熱が出るという状態が続いた。

ひどい倦怠感にさいなまれるのだ。

何か重篤な病の前兆のような気がするが、まあ考えないことにしよう。

とにかく1日も休むわけにはいかないのだ。

1月11日(月)

朝8時30分、D市のホテルのロビーで、Fさんと待ち合わせる。

今回の出張は、P郡の会社の現場事務所があるI市を拠点に仕事をするのだが、P郡の会社の親会社がD市にあり、午前中はその親会社を訪問して社長にご挨拶することになっていた。

Fさんは、親会社の社員である。初めてお会いした方だが、豪放磊落といった感じの女性だった。

車中でいきなり早口の韓国語で話しかけられるので、応対するのも必死である。

「あのう」会社に向かう車中で私はFさんに聞いた。「社長様に手土産を持ってきたんですが…」

「社長は、そういうのが嫌いなんです。ですので渡さない方がいいと思いますよ」

「そうですか。ではP郡の子会社のほうはどうでしょうか」

「あちらの社長には渡しても問題ないと思います」

「わかりました」

ほんと、手土産って難しい。

さて社長へのご挨拶も無事に終わり、親会社を引き上げ、今度は私がお世話になるI市の現場事務所まで、Fさんが車で送ってくれる予定になっていた。

「あのう、ごめんなさい」とFさん。

「何でしょう?」

「私が車でI市までお送りすることになっていたんですけれど、実は明日、うちの会社で大きな行事があるんです」

「はあ」

「で、その準備担当が私なんです」

「そうですか」

「いま私、そちらの準備で忙しくて精神がないんです。申し訳ないんですが、鉄道で移動してもらえますか?」

「わかりました」

よくあることなので、全然驚かない。私は、韓国人の「精神がない」状態を、これまで何度となく見てきているのだ。

「最終日の金曜日は、また私がご案内しますので、そのときに会いましょう」

「わかりました」

だが、結局金曜日に会うことはなかった。

このことが、後に重大な事態を引き起こすことになる。

さて、鉄道で移動してI駅に着くと、今回の出張の案内役であるJさんが待っていた。I市の現場事務所の責任者である。私より年下の好青年、といった感じの人である。

このJさんがとてもいい人で、結局私はこの旅の最後まで、Jさんのお世話になりっぱなしだった。

I市の現場事務所には6,7人のスタッフがいて、みんないい人ばかりだった。

「鬼瓦さんは韓国料理では何が好きですか?」

「サムギョプサルです」

昼間のこんな何気ない会話を、Jさんは覚えていて、夕食はサムギョプサルの店に連れて行ってもらい、現場事務所のスタッフたちと日本のドラマやら韓国のドラマの話で盛り上がった。

そこそこ楽しかったのだが、やはり会食というのは気疲れしてしまう。とくに体調の悪いときはなおさらである。

ホテルにチェックインして部屋に入ったとたん、咳が止まらなくなり、微熱があるようだったので、すぐに寝ることにした。

1月12日(火)

2日目の午前。

P郡にある会社の社長と副社長が現場視察にやってくるそうで、Jさんをはじめとする現場事務所のスタッフたちは朝からその準備に追われ、「精神がない」状態である。

やがて社長と副社長がやってきて、そのうえ地元の大学の教授やら、I市の課長や係長までやってきて、現場視察が行われた。

なぜか私もその現場視察について行くことになり、お昼はその方たちと会食である。

韓国では、まったく知らない人たちの会食に参加させられることがよくあるので、まあ慣れているといえば慣れている。こういうときは、流れに身をまかせるのがいちばんなのである。

午後、一通り仕事が終わったあと、Jさんが言った。

「今日、Iさんが部下たちを連れてこちらに来るそうです」

「Iさんですか!」

ソウルに住むIさんは私の昔からの友人で、私より少し年下なのだが、私よりもはるかに高い地位にいる人である。

風の噂で、また一つ偉くなったと聞いていた。

「今日、Iさんがぜひ鬼瓦さんと会食したいそうです」

「わかりました」

Iさんに言われたら断れない。

ということで、2日目も会食である。Iさんが引き連れてきた数人の部下たちは、私のまったく知らない人たちで、またもや知らない人たちと食事をしなければならない。

食事のとき、Iさんが言った。

「そうだ!金曜日の午後3時からと、土曜日の午後1時半からソウルで同業者祭りがあります。あなたの知り合いもたくさん来ますから、金曜日はソウルに来なさい」

「でも金曜日はD市に泊まることになっています」と私。

「そんなの変更しなさい」とIさん。

私の案内役であるJさんも、

「変更できるかどうか、確認してみます」

という。

でも私としては、体調が悪い中、わざわざ予定を変更してソウルに行くのはしんどくてたまらないのだ。

困ったなあ。なんとか断る方法はないものか。

あとでJさんに、

「やっぱり体調が悪いし、重い荷物を持ってソウルの町を移動するのがしんどいので、金曜日は予定通りD市に泊まりたいです。なんとかそういう形で話を進めてもらえませんか?」

と言うと、Jさんは、

「わかりました」

と言ってくれたのだが、そう簡単に物事が進まないのが韓国である。

はたして私はどうなるのか?(続く)

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俺は鶴瓶か!

1月11日(月)

初日の9日に泊まった大邱のホテルは、KTXの駅から地下鉄に乗り換え、さらに乗換駅で別の地下鉄に乗り換えて二つ目の駅で降り、3番出口を出たすぐ目の前にあった(これ、クイズです)。

やや古い感じのホテルで、フロントには、制服ではなく、ふつうに私服を着た、アルバイト風の20代の女性が対応していた。女性、というより、大学を卒業して間もない、ごくふつうの女の子、といった感じである。

ホテルにチェックインしたときに、最初に韓国語で話したのだが、その女の子は私を日本人だとすぐにわかったらしく、

「韓国語がお上手ですね」

と日本語で話しかけられた。

その女の子の日本語がとても上手だったので、

「そちらこそ、日本語が上手ですね。日本に留学したことがあるのですか?」

と聞いたところ、

「いえ、大学のときに日本語学科で勉強していただけです」

と答えた。まだ卒業して間もないのだという。

どうもその女の子は、日本人に話しかけることで日本語を勉強したいらしく、私に積極的に日本語で話しかけてくる。

「この町には、何の目的でいらしたのですか?」

とか、

「これからどこに行くのですか?」

とか、

「どうして韓国語を勉強しようと思ったんですか?」

とか、かなり立ち入った質問までしてくる。

私は学生に接するような感じで、そのたびに丁寧に答えていると、どんどん話が長くなってしまった。こっちが話を打ち切ろうとしても、まだ話しかけてくる。

私は完全に、日本語の練習台にされているのだ!

さて翌朝、チェックアウトするとき、フロントで荷物をしばらく預けてもらおうとすると、またその女の子がフロントにいて、

「これからどこに行くのですか?」

と聞いてくる。そこでまた長話。

(よっぽど仕事が暇なんだな…)

「ちょっと市内を見学してね、午後2時頃に戻ります」

「市内のどこに行くんですか?」

「○○へ行こうと思うんですよ」

「ああ、そこは行ってもあまり面白くありませんよ。それよりも××のほうがおすすめです」

そう言われても、20代の感覚と私の感覚とでは、大きな開きがあるのだ。

いったん外出し、市内を一通り見学した後、ホテルに戻り、預けていた荷物を受け取ろうとすると、またその女の子が話しかけてきた。

「これからどこに行くんですか?」

と、また質問である。

「夕方までにDという町に行かなければならないんだけど、鉄道がいいか、それとも高速バスで行くのがいいか…」

「鉄道の方がいいですよ。高速バスは時間がかかります。それより、ここからターミナルまではどうやって行くんですか?」

また質問か。

「地下鉄を乗り継いで行こうと思うんだけど…」

「そんなに荷物が多かったら移動するのが大変ですよ。タクシーのほうが楽ですよ」

という。しかし、地下鉄と高速バスを乗り継いだ方が安上がりだし、むしろ楽なので、そのアドバイスは却下させていただくことにした。

延々とそんな会話が続いて、ようやく荷物を受け取り、

「いろいろとありがとう」

とお礼を言って、ロビーで荷物を詰め直していると、しばらくして、その女の子が私にメモを渡した。

「これ、私の連絡先なので、何かあったら連絡ください」

なんと、メールアドレスと携帯番号が書かれていた。

私も、

「私のアドレスもここに書いてありますから、何かあったら連絡ください」

と、名刺を渡し、ホテルをあとにした。

読者にうかがいたいのは、たまたま1泊だけしたホテルのフロントの職員と、最終的にメアドを交換するなんて経験、あります?

行った先行った先で、全然知らない人と話し込んで、そのたびに連絡先を交換していては、人生がいくつあってもきりがない。

俺は鶴瓶か!

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期せずしてプレゼント

1月9日(土)

朝、韓国へ向けて出発する。

仕事は月曜日の朝からなのだが、語学学校でお世話になったナム先生から、「来月に出産予定で、その前に韓国に来る機会はありませんか?」と連絡が来たので、1日早く韓国に出発することにしたのだった。

夕方、町に到着し、ナム先生夫妻と食事をしながら、最近のお話を聞く。

「チェ先生、覚えているでしょう?」

「ええ、私が4級のときの文法の先生です」

チェ先生はたしか私の妹と同い年で、まだ独身だった。

「いま、中国にいらっしゃるんですよ」

「中国ですか?何でまた?」

「中国の大学で、韓国語を教えているそうです」

意外だった。チェ先生は、中国語がまったくわからなかったはずだからだ。

「中国語を勉強されていたんですか?チェ先生は」

「それが、あるとき突然、うちの大学の語学院の中国語の基礎クラスの授業を受け始めたんです」

語学の先生が語学院で教えつつ、その語学院で他の言語の授業を受けるというのは、よくある話ではあった。

「3カ月だけ中国語の基礎を勉強して、それで突然中国に渡ったんです」

「どうしてまた?」

「さあそれが私たちにもわからないんです。それまで行ったことのない国にいきなり行って韓国語を教えるなんて、「テダナダ」(韓国語で「すごい」の意味)って周りのみんなで言ってたんですけど…。しかも中国のあまり聞いたことのない地方都市だそうです」

「何か、心境の変化でもあったんですかね」

「そうですね。みんなで「何か心境の変化でもあったんじゃないか」って噂してたんですが…詳しいことはよくわかりません」

人生とは本当にわからない。

「そういえば、あの二人はどうなりました?中国人の男子学生と、ロシア人の女子学生が、つきあっていたっていう話」私は話題を変えた。

2年ほど前にナム先生から聞いた話で、語学院に留学した中国人の男子学生とロシア人の女子学生が、まだ二人とも韓国に来たばかりで意思疎通ができないにもかかわらず、つきあい始めたというのである。

「ああ、あの二人ですね。別れました」

「別れたんですか!」

「中国人の男子学生は、その後韓国の大学に入学したんですよ。で、ロシア人の女子学生は、…学生といっても、年齢は男子学生よりも年上で、韓国の大学に入学するのが目的ではなく、韓国語を勉強したいから留学したのだそうで、韓国語を学び終わると、韓国の大学には入学せずに、ロシアに戻ったんです」

「なるほど」

「ところがあるとき、帰国したそのロシア人の女子学生から、語学院のある先生のもとにメールが来たんです」

「ほう」

「『妊娠しました、どうしましょう』って」

「えええぇぇぇ!!!」

どういうことだ?

「中国人の男子学生と別れたあと、ロシアに戻ってから、妊娠したことが発覚したそうなんです。でも、相手の中国人学生は、『知らぬ存ぜぬ』の一点張りだったそうです。私たちも、学生の個人的な問題だから、立ち入ることができないでしょう。その後どうなったのかは、よくわかりません」

衝撃の展開に、言葉を失った。

ほんと、人生いろいろである。

途中でナム先生の姉夫婦も合流した。

ヒョンブ(ナム先生の姉の夫、つまり義理の兄)は、最近転職したそうで、いまはエレベーターの技術者として、技術を勉強しながら仕事をしているという。そのため、土曜日も夕方まで仕事をしなければならないという忙しさなのだそうだ。

ヒョンブは、なぜかこの私のことを、ひどく慕っている。

01ヒョンブから本のプレゼントをもらった。

本の扉を開けると、メッセージが手書きで書かれていた。

「キョスニム!

僕がいちばん大好きな作家の本です。

この作家のように、文章が書けるようになりたいです。

韓国語を勉強しがてら読んでみてください。

ますますの健康を祈念します。

尊敬の気持ちを込めて」

誕生日のことなんて一言も言っていないのに、期せずして誕生日プレゼントをもらったような気分である。というか今年唯一の誕生日プレゼントだ。

「キョスニム、今度は夏に来てください。サムギョプサル食べながら、焼酎飲みましょう」

それにしてもヒョンブはなぜ私を慕うのか?今もって謎である。

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バースデーメール選手権2016

A さあ、今年もやってまいりました、1月7日のバースデーメール選手権です。

B ハイ、このバースデーメール選手権は、誰がいちばん早く「誕生日おめでとう」のメッセージをメールで寄せてくれたのか、メッセージをくれた人の中でいちばん早かった人が優勝となります。

A さあ、今年はどなたがメッセージをくれるのでしょうか。そして誰がいちばん早いのでしょうか?

B これまで、メッセージがゼロという年もありましたからねえ。その場合は、この競技は不成立ということになります。

A 今年はバースデーメールが来ましたか?

B 来ました!それも複数です!

A それはすばらしい!それでは、順位の発表です!

B その前に、とんでもないことが起きました。

A 何でしょう?

B 1月7日よりも前に、バースデーメールを送ってくれた人がいました。

A 気が急いてしまったんでしょうかねえ。いったい誰なんです?

B それでは発表します。「HMV」さんです!タイムは1月4日 18:30:33です!

A なんと、3日前にバースデーメールが来たんですね。どんなメッセージでしたか?

B ではお誕生祝いのメッセージを紹介します。「HMV店舗よりバースデー・プレゼント。このメールは、ローソンWEB会員の方で今月お誕生日の方へ特別にお送りしています。いつもHMVをご利用いただきありがとうございます。\ HAPPY  BIRTHDAY /」

A すばらしいメッセージです。プレゼントはありましたか?

B ハイ、「HMVより店舗・HMV&BOOKSで3,000円(税抜)以上お買い上げで300円OFFになる「バースデー・クーポン」をプレゼント♪」とあります。

A なんとプレゼントもあるんですね。しかし残念ですね。3日も前にバースデーメールを送るのは、フライングです。

B そうですね。

A ということで、失格です!

B もう一人、フライングされた方がいらっしゃいます。

A おやおや、誰でしょう?

B 「楽天トラベル」さんです!

A タイムは?

B 1月5日 12:07:49です!

A お誕生祝いのメッセージはありましたか?

B ハイ、「いつも楽天トラベルをご利用頂きましてありがとうございます。 今月がお誕生月のあなたへ、ささやかですがポイントをプレゼントさせていただきます。どうぞお誕生月のご旅行にご利用ください」とのことです。

A なんと!ポイントのプレゼントですね。しかしフライングなので失格です。残念です。いったい、1月7日当日に来たバースデーメールは、何件だったのでしょう?

B 2件来ました!

A 2件ですか!では、準優勝から発表してください。

B 準優勝は…

(ドラムロール)

B 「JAL」さんです!タイムは、1月7日 10:02:18です!

A お祝いのメッセージはありましたか?

B では紹介します。「お誕生日おめでとうございます。いつもJALをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。思い出深い旅に恵まれる、すてきな1年になりますように」です。

A なるほど。いかにも鬼瓦さんにふさわしいメッセージですね。プレゼントは何かありましたか?

B 「ログインで、2つのお誕生日オリジナル・コンテンツをプレゼント!その1、JALスタッフからのお祝い動画をお届けします!その2、もれなく、オリジナル・壁紙2種類をプレゼント!」

A これはこれは、ずいぶん太っ腹ですねえ。…では、いよいよ優勝者を発表してください!

B では発表します。栄えあるバースデーメール選手権の優勝者は…

(ドラムロール)

B  「宅ふぁいる便」さんです!タイムは、1月7日 9:00:43です!

A 誕生日のメッセージを紹介してください。

B ハイ、紹介します。「♪お誕生日おめでとうございます♪(*´∀`)ノ 素敵な1年になりますよう、心よりお祈り申し上げます」

A なんと!顔文字入りですか!プレゼントはありましたか?

B お誕生日キャンペーンとして、「会員情報を更新いただいた方の中から抽選で10名様に、宅ふぁいる便ポイント(※)500ポイントをプレゼント!!」だそうです。

A なるほど。では優勝した「宅ふぁいる便」さんに、さっそくメッセージとプレゼントをくれたお礼の返事を書かないと!

B それは無理です。

A なぜです?

B このバースデーメールには、「※このメールに返信されても、返信内容の確認およびご返答はできません。」と書かれています。

A なんと!返信はいらないよ、と気を遣ってくれたのですね!

B そのようです。

A …ところで、言いにくいことなんですが、業者の一斉メールではなく、友人や知り合いからのバースデーメールはなかったんですか?

B ハイ、ガチでありませんでした。

A 1件も?

B ハイ、1件も。

A そうでしたか…。では最後に、本日誕生日を迎えられた鬼瓦さん、いまの気持ちを一言お願いします。

鬼 いますぐここで割腹したいです。

A・B それではみなさん、次は来年の1月7日にお会いしましょう!さようなら~!

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「孤独のグルメ」派か「酒場放浪記」派か

年末年始は、テレビをよく見た。

「孤独のグルメ」というドラマが面白い、と妹に勧められて、ちょうど元旦にまとめて再放送されていたので、数話分を見てみたのだが、これがすこぶる面白かった。

松重豊扮する「井之頭五郎」という中年営業マンが、出張先の町で、長考の末、美味しそうな飲食店に入り、「一人飯」を食べる、というだけのドラマである。彼が訪れる店は、実在するお店で、料理も、その店が実際に出しているメニューである。つまり、登場人物や設定は架空だが、飲食店じたいは実在するのだ。

中年のオッサンがひたすら食事をするというシーンが、ドラマの大半を占める。なのでストーリーらしきストーリーは全くない。中年のオッサンが料理を美味しそうにモリモリと食べるだけのドラマなのにもかかわらず、なぜこんなに面白いのか?

ちょうど同じ頃、やはり年末ということで「酒場放浪記」という番組が地上波で放送されていた。吉田類という中年の文化人風の人が、各地の酒場に一人でふらりと立ち寄ってレポートをする、という番組で、大人に人気の長寿番組らしい。以前、ある人に勧められたことがあったので、この機会に見てみることにしたのだが、これがすこぶるつまらない、というか、私のツボではなかったのである。少しだけ見て、見るのをやめてしまった。

「孤独のグルメ」も「酒場放浪記」も、ドラマとドキュメンタリーという違いはあれ、中年のオッサンが見知らぬ町の見知らぬ飲食店に飛び込んで料理に舌鼓を打つ、という共通したコンセプトの番組のように思えるのだが、なぜ前者は面白く、後者はつまらないと私は感じたのだろうか。

両者には、いくつもの大きな違いがあることに気づいた。

一つは、主人公の「ストーリーテラーぶり」の違いである。

「孤独のグルメ」は、そのほとんどが主人公・井之頭五郎の「脳内のつぶやき」がセリフとなっているのだが、このセリフが表現といい、タイミングといい、秀逸なのである。もちろん、これはドラマなので台本があるわけだが、この台本が、実に周到に練られたものになっているのだ。

これに対して、「酒場放浪記」の吉田類の喋りは、下手である。行き当たりばったり感が強い。何年もこの番組を続けているのならば、もう少し喋りが上手くなってもよさそうなものであるが、残念ながらそうはなっていないようだ。

つまり、いかに素材がよかったとしても、それを表現する側のクオリティによって、素材は活かされたり活かされなかったりすることを知るのである。

二つ目は、店員や客とのコミュニケーションのとり方の違いである。

「孤独のグルメ」のほうは、そのほとんどのセリフが主人公の脳内妄想によるものであり、店員との会話は最小限にとどめている。ましてやほかの客とコミュニケーションをとろうなどとは、まったく思っていない。

それだからこそ、独自の世界観ができあがるのである。

それに対して「酒場放浪記」のほうは、吉田類がやたらと店主や周りの客とコミュニケーションをとろうとする。それが私にとっては愉快に思えない。

こうなると好みの問題になってしまうのだが、私の場合、たとえば一人で飲み屋に入ったとしても、店主や周りの客と必要以上のコミュニケーションをとるのが大嫌いである。なので「酒場放浪記」のような「一人飲み」のスタイルは敬遠してしまうのだろう。むしろ、「孤独のグルメ」のような、周りから隔絶した一人の世界の中で料理を楽しむというスタイルのほうが、安心するのである。

三つ目は、「お酒」に対する取り扱いの違いである。

「孤独のグルメ」の主人公・井之頭五郎はお酒が飲めない。これが功を奏している。これによって、いろいろな料理にチャレンジできるのだ。

これに対して「酒場放浪記」は、どうしてもお酒が主体となるので、「お酒に合う料理」という縛りがかかってしまうように思える。これがどうにも残念である。

可能性の広がりという点でいえば、お酒の要素を排除した方が食事の可能性の幅が広がるような気がする。

考えてみれば、私が一人で出張に行くときは、「酒場放浪記」派ではなく、「孤独のグルメ」派である。

初めて訪れた町を歩きながら、さあ今日はどこで食事をしようか、と通りを行きつ戻りつしながら探しまわり、長考の末にここだと思う飲食店に入り、メニューを開いてはまた長考し、これだと思う料理を注文して、それを黙って食う。

やってることは、井之頭五郎そのものなのだ。

だから吉田類よりも井の頭五郎に共感するのかも知れない。

うーむ。こんなことにこだわる私のほうがおかしいのか?

どなたか「酒場放浪記」の楽しみ方を教えてください。

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紅白歌合戦とおせち料理

紅白歌合戦の奇祭っぷりが、ますます凄いことになっている。

もうあそこまでくると、ナンダカヨクワカラナイ。

ちょうど、上村達男『NHKはなぜ、反知性主義に乗っ取られたのか』(東洋経済新報社、2015年)を読んでいたところだったので、この本を念頭に置きながら紅白を見ると、実に味わい深い。

歌う側も観客も視聴者も、おそらく誰も望んでいないであろう「東京五輪音頭」が、なぜ歌われたのか?

なぜ唐突に、あの痛々しい「アニメ紅白」なるコーナーが行われたのか?

なぜ日本を代表する男性アイドルグループが、わざわざあの番組に出演したのか?

なぜベテラン演歌歌手が歌っている周りで、異性のアイドルグループが踊り回るのか?

すべてが奇祭感満載だが、少し踏み込んで考えれば、いまのNHKの構造的問題が、よくあらわれている。

そう、「神は細部に宿る」のだ!

美輪明宏の「ヨイトマケの唄」は、最初、紅白で歌われた2012年のときにはインパクトがあったが、2度目となる今回は、まるで再放送を見ているかのようだった。

かつて「放送禁止歌」とされていた歌が、なぜいまになって、かくも紅白でリピートされるのか?

かつてとは異なる文脈でこの歌が受け取られているからこそ、重宝されているのだと勘ぐらないわけにはいかない。美輪明宏の思いとは別に、である。

そして相変わらず、全体に舞台上の演出がサムい。

あれだけ、最近のお笑い芸人を出しておきながら、台本や段取りがきっちりと決まっているせいか、まったく面白くないのである。せっかくのお笑い芸人たちのポテンシャルが潰され、およそこのご時世の笑いとはいえないのだ。

これはいったいどういうことだろう?

コラムニストの小田嶋隆さんのTwitterでのつぶやきを読んで、ハッとした。

「おせち料理は、はるか昔、家事労働が大変だった時代には、正月の間の主婦の調理負担を軽減させる意味で、保存食として意味があったのだろう。でも、冷蔵庫とコンビニと外食産業が完備している現代に、あんなわざわざ手間をかけて食材を不味く加工するみたいなメニューを食べるのは罰ゲームですよ。」

そうか、紅白歌合戦は、おせち料理なのだ。

「わざわざ手間をかけて食材をまずくする加工をする」

これはまさに、紅白歌合戦のことではないか!

いまや、どこに行っても、クオリティの高い音楽やクォリティの高いお笑いを、私たちは容易に手に入れることができる。

紅白歌合戦は、そうしたものが容易に手に入らなかった時代の産物なのだ!

いまやおせち料理が、その意味するところが不明となるくらい奇異な料理になってしまっているのと同様、紅白歌合戦は、もはやその意味するところが不明となり、奇祭化したのである。

つまりここからいえることは、

「伝統とは、奇異化、奇祭化する」

という点に尽きるのである。

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スターウォーズ弱者による、スターウォーズ最新作鑑賞

1月1日(金)

元旦の午後、実家の近くにある映画館へ、映画を観に行く。

6321ae6e46cb71b32758f0012c51ae1e691いま話題の、「スターウォーズ エピソードⅦ フォースの覚醒」である!

といっても、スターウォーズシリーズは、ずいぶん前、それこそ20年ほど前に「エピソードⅣ 新たなる希望」「エピソードⅤ 帝国の逆襲」「エピソードⅥ ジェダイの帰還」を見たっきりで、内容をすっかり忘れてしまっていた。

登場するキャラクターの名前も、断片的にしか覚えていない。

プリクエル(エピソードⅠ~Ⅲの「アナキン・シリーズ」)に至っては、まったく見ていないのだ。

つまり私は、「スターウォーズ弱者」なのである。

しかし、いま話題のこの映画を見ないわけにはいかない。

そこで、TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」で、半年ほど前から定期的にやっていた「月刊スターウォーズ」を、予習として聴いてみたのだが、宇多丸さんと高橋ヨシキさんの会話がマニアックすぎて、なにを言っているのか全然わからない。

(いよいよ困ったことになった…)

冷静に考えれば、マニアの話を聴くよりも、前のシリーズ作品を見ることがいちばんの予習になるのだが、結局、事前に予習することができたのは、数日前に地上波で放送されていた「エピソードⅣ 新たなる希望」、つまり旧作の第1作だけであった。

(なるほど、こういう話だったのか…)

本当ならば、エピソードⅤとⅥも事前に見ておきたかったのだが、時間切れである。

そして今日を迎えた。

バーン!

…という例のオープニングには、やはりゾクゾクする。

そして映画を見終わっての感想は、

「エピソードⅣだけでも、直前に見ておいてよかった!」

というものであった。

もちろん、何の予備知識がなくても十分に楽しめる映画なのだが、「スターウォーズ」は、何よりもその「世界観」を楽しむ映画である。

とくに今回、ハン・ソロ(ハリソン・フォード)だのレイア姫(キャリー・フィッシャー)だのといった、旧作の主役たちが登場している。

旧作を見ていなければ、彼らの登場に対して何の感慨ももたらさないだろう。

もっといえば、旧3部作(エピソードⅣ~Ⅵ)を見てちゃんと予習しておけば、今回のエピソードⅦがもっと楽しめただろうに、と悔やまれてならない。

それに、およそ40年ほど前に作られた旧作と、今回の作品とでは、登場する人物たちに対する配慮が、ずいぶんと違う。

これは、少なくともアメリカにおいて、多様な人々に対して自覚的であろうとする意識が、40年前と比べてかなり進んできたことと密接な関係があると思う。

そうしたことに注目しながら見るのも、なかなか面白い。

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