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2016年3月

クラウドアトラス教をひろめる

今回は、地下鉄駅名クイズ。

3月30日(水)

今日は都内で、2つの超大手出版社の編集者と打ち合わせである!

どれだけ超大手かというと、もし私が漫画家だったら、この2つの出版社の漫画雑誌に連載を持っていたとしたら紛れもなく超売れっ子漫画家と言われるだろう!というくらい超大手である!

…だが私の場合は、2つの出版社の仕事はどちらも超地味な仕事なので、おそらく日の目を見ることはない。

まあそれはともかく。

最初に打ち合わせの日時と場所を指定してきたのは、私が初めて仕事をするB社である。

「午後3時に、本社の会議室で打ち合わせをします。本社ビルは、地下鉄のX駅を降りてすぐのところです」

それからほどなくして、以前に仕事をしたことがあるA社の編集者の方から連絡が来た。

依頼された原稿がまったく書けていないので、業を煮やした編集者のKさんが、

「仕切り直しに一度お会いしましょう。都合のいい時間と場所はありますか?」

と聞いてきたのである。私は、

「30日の午後3時から、地下鉄のX駅付近で仕事がありますので、その前の時間だったら大丈夫です」

と返事を書いた。ライバル会社がある駅を待ち合わせ場所に指定するのは気が引けたが、こっちとしては2つの打ち合わせを1日に済ませてしまいたいので、やむを得ない。

するとA社のKさんから、

「では、午後1時にX駅で待ち合わせましょう」

と返信が来た。

さて今日の午後1時。

待ち合わせ場所であるX駅の6番出口で待っていたA社のKさんは、私に会うなり、

「午後3時から、B社でお仕事されるんでしょう?」

と聞いてきた。

「ええ、まあ…」と私。

「X駅付近で仕事がある、といったら、B社以外考えられませんからね」

やはり業界人だけにピンときたらしい。

「やっぱそうですよね…」私は少しばつが悪い。

「今日は編集長を連れてきました」とKさん。私の原稿が遅いものだから、編集長までがお出ましになったのである。初めてお会いする人である。

駅の近くのファミレスに入り、食事をしながら話をすることになった。

「今日は雑談ベースでいきましょう」

「雑談ベース」って何だ?初めて聞いた言葉である。

いま流行りの「ゼロベース」と同じようなものか?

とにかくその言葉通り、打ち合わせというよりは雑談に終始した。

あげくのはてには、気がついたら私が映画「クラウドアトラス」がいかに面白いか、という話を2人の前で延々としていた。

どんだけ俺は「クラウドアトラス」にとりつかれているんだ?

編集長も編集者のKさんも未見だったようで、「そんなに面白い映画だったら、今度ぜひ見てみます」と手帳にメモしていた。

俺は「クラウドアトラス教」の信者か?と、「クラウドアトラス」のおもしろさを布教している自分に我ながら呆れかえるばかりである。

しかし不思議なもので、雑談をしているうちに原稿の構想が固まり、

「『クラウドアトラス』みたいな手法で、4月中旬ごろまでに最初の原稿を書いてみます」

というワケのわからない意見表明をした。

「原稿の見通しがついたようで、何よりです」と編集者のKさん。

はたしてこれで「見通しがついた」と言えるかどうかは、疑問である。

午後3時前。A社との打ち合わせが終わり、次はB社へ向かったのであった。

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マトリックスのつくだ煮

またまた映画「クラウドアトラス」(2012年公開)のお話。

あいかわらず「クラウドアトラス検証」の日々だが、この映画では、ほとんどの俳優が6つのエピソードの中にすべて登場しているので、一人六役を演じているということになる。

ところが、特殊メイクが凄すぎて、誰だかよくわからない。そのため、画面を注視しなければならないのである。

これがヒドく疲れるのだ。特殊メイクにして誰かわかんなくしちゃっちゃぁ、意味ないんじゃないの?と思ってしまう。

しかし、この映画では同一人物が演じていること自体が大事なのだ。

一人、見たことのある顔の俳優がいた。

「この俳優、どっかで見たなあ」と私。

「あ、思い出した。『マトリックス』だ」と妻。

「『マトリックス』に出てたっけ?」

「クラウドアトラス」は、「マトリックス」と同じ、ウォシャウスキー姉妹が監督しているので、同じ俳優が出ていてもおかしくない。

「『マトリックス』のどこに出てた?」

「ほら、つくだ煮でしょう」

「あ~、つくだ煮かぁ~」

これで理解できた。

「つくだ煮」というのは、映画評論家のおすぎが、「マトリックス」だったか「マトリックスリローディッド」のある場面を評して、

「んんももぉぉぅ~、同じ顔の男がつくだ煮みたいにウジャウジャ出てくるんだからぁ~」

と言っていて、たしかに実際その場面を見ると、同じ顔の男がつくだ煮みたいにウジャウジャ登場していて、その通りだと大爆笑したことがあった。

それ以来、その場面は私たちの間で「マトリックスのつくだ煮」と呼ぶ名場面となった。

さて、その俳優というのは…。

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これはフリなのか?

3月28日(月)

高校時代の友人、元福岡のコバヤシから、携帯にメールが来た。

私は、高校時代の友人のコバヤシのメールに関しては、これまで本人の許可なくほぼ全文掲載する、という非道いことをしてきていて、そのたびにコバヤシに叱られるのだが、私に叱咤激励してくれる数少ない友人として敬意を表する意味で、自分を律するつもりでコバヤシの小言、いや助言を(自分の恥をさらすつもりで)掲載しているのであり、一方でメールを書いたコバヤシ本人も、本心ではまんざらでもなさそうなので、よかれと思って掲載させていただいているのである。

今回のメールも、「載せるな」といいながら、心の片隅では載せてほしいと思っているのではないか、と読み取れるのだが、読者諸賢はどのように判断されるだろうか。

以下が、そのメールである。

「ご無沙汰です。相変わらずブツブツ言いながらも充実した毎日を送っていることでしょう。

ところで、面倒で連絡してませんでしたが、2月の上旬に、こちらで加入したバンドのライブが有り、その音源がYou Tubeにアップされました。暇でしたら、聴いてみて下さい。2nd Recital United Soul Jazz Orchestraで検索して貰えれば出てくると思います。

話は変わりますが、先日、貴殿のブログを見ていたら?また人のメールをフル掲載してましたね。外出中に変なメールを打って来たから仕方無しに返事をしてやれば、なあ~んだ、というメールを返して来て、何だコイツ!と思わせた上に、吉田健一の格調高い文章と並べて(私も当然この本読んでますが)、追い討ちをかけるような嫌がらせ、そんな文章と比較されても困るわ、という感じです。ちょっとは考えて引用して貰いたいものです。

まあ、話が長くなりましたが、またそのうち」

最後に「ちょっとは考えて引用して貰いたい」と書いてあるということは、引用されることじたいは構わないことを意味する、と解さざるを得ない。

読者諸賢はどう判断されますか?このメールを掲載しろと言っている、と読み取れるだろうか?

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「クラウドアトラス」の呪縛

3月28日(月)

映画「クラウドアトラス」がいまだに尾を引いている。

夕飯を食べている最中にも、

「そうか!劇中で作曲される『クラウドアトラス六重奏』っていう曲名は、六つのエピソードを象徴的にあらわしているのか!」

とか、

「そうか!シックススミスの殺され方は、彼の恋人であった作曲家の青年の自殺の仕方と、同じなんだな!」

などと、それまで何の気なしに見ていた場面について、ハタと気づいたりすることがある。

とにかく「クラウドアトラス」のことが気になってしょうがないのだ。

何でこんなに「クラウドアトラス」のことを考えなければいけないんだ?

いまは、録画した「クラウドアトラス」を、もう一度最初からみて、場面一つ一つの意味を検証しているところである。

6つの、時代の異なるエピソードが、微妙にリンクしながら同時的に進んでいく。

それを読み解いていくのは、至難の業である。

これほど脳がしんどくなる映画も珍しい。

こんなもの、劇場で一度見ただけでは、ナンダカワカラナイぞ。

6つのエピソードのうちの一つ。編集者のカヴェンディッシュが、虐待ばかりする老人ホームに強制的に入れさせられ、耐えかねたカヴェンディッシュがそこから逃げ出そうとする場面がある。

…と、こう書いても、何が何だかサッパリわからないだろう。だがストーリーがこうなっているのだから仕方がない。

さてそのときカヴェンディッシュは、次のように叫びながら逃げようとする。

「ソイレント・グリーンの原料は人間だ!」

このセリフの意味がよくわからない。

そこで、「ソイレント・グリーン」を調べてみると、1973年公開の映画に「ソイレント・グリーン」というタイトルの映画があり、その内容はかなり衝撃的なもののようである。その映画の中で叫ばれていた重要なセリフが、

「ソイレント・グリーンの原料は人間だ!」

なのである。

しかも、このセリフをカヴェンディッシュに叫ばせた制作者の意図は、ペ・ドゥナがクローン人間を演じる近未来の「ネオ・ソウル」でのエピソード、つまり別の時代のエピソードの、重要な伏線になっているのだ!

「なるほど、ペ・ドゥナが飲んでいた『石けん』というのは、そういうことだったのか…」

…と、こう書いてみても、ナニガナンダカワカラナイだろう。

というか、この映画を見たアメリカ人は、「ソイレント・グリーンの原料は人間だ!」というセリフから、

「ああなるほど、そういうことね」

と瞬時に意図を理解できるんだろうか?

こうなると、「ソイレント・グリーン」という映画も自分の目で確かめないことには気が済まなくなる。

とにかく、一事が万事こんな調子で、こうなるともう、場面場面のすべてに、何か深い意味があるんだろうと画面に集中しなければならない。だから一瞬の隙も与えられず、見ていて脳が疲労してくるのである。

「クラウドアトラス」を完全に理解するためには、まだ数ヶ月はかかりそうである。

私はあとどれくらい、「クラウドアトラス」の呪縛にとらわれなければならないのだろうか。

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いまこそリメイクを!飢餓海峡

とりたてて書くことがないので、「またか!」と言われかねない話を書く。

いま、世間を賑わしているニュースといえば…?

清…でもなく、ショ…でもなく、乙…でもなく…

そう!北海道新幹線の開通である!

新幹線が青森と函館を結ぶことを、半世紀前の人たちはまったく予想していなかったに違いない。

何しろほんの50年前までは、まだ交通手段が青函連絡船しかなかったのである。

それにつけても思い出すのは、水上勉の小説『飢餓海峡』である。

昭和29年(1954)に起こった青函連絡船洞爺丸の海難事故に想を得て、日本の『レ・ミゼラブル』というべき、壮大な物語を作り上げた、日本文学史上の傑作である!

内田叶夢監督により1965年に映画化もされ、これもまた日本映画史上屈指の傑作になった。

このときの「主要なる登場人物4人」のキャスティングは、

樽見京一郎/犬飼多吉:三國連太郎

杉戸八重:左幸子

弓坂刑事:伴淳三郎

味村刑事:高倉健

という面々であった。

1978年のフジテレビ版「飢餓海峡」でのキャスティングは、

樽見京一郎/犬飼多吉:山崎努

杉戸八重:藤真利子

弓坂刑事:若山富三郎

味村刑事:村野武範

という面々である。このときの若山富三郎は、市川崑監督の映画「悪魔の手毬唄」の磯川警部を彷彿とさせる、名演技だった。

で、いまこそこの「飢餓海峡」をリメイクすべきだ!というのが、私の主張である。

というのも、この映画で最も重要な役柄である樽見京一郎/犬飼多吉役に、最もふさわしい人物として、佐藤浩市がいるからである。

いまこの時期に、佐藤浩市に樽見京一郎/犬飼多吉役を演じてもらわないと、役としての旬が終わってしまうぞ!

何といっても、1965年の映画版では、三國連太郎が当たり役だった。私の鑑識眼からいえば、佐藤浩市は父の三國連太郎以上に、樽見京一郎/犬飼多吉役にふさわしい役者だと考えるのだ!

では、ほかの3名のキャスティングはどうすればいいか?

犬飼多吉を執拗に追い続ける弓坂刑事役に、渡辺謙。

犬飼多吉を思い続ける青森県大湊の娼婦・杉戸八重役に、石原さとみ。

地元の名士・樽見京一郎に疑いの目を向ける正義感の強い刑事・味坂刑事役に、阿部寛。

このキャスティングが実現すれば、「飢餓海峡」のリメイクは成功するに違いない!

…やっぱりダメか…?

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恥ずかしい日常なのか

3月26日(土)

毎日のようにご覧いただいてる方がいるのに気が引けるが、このブログは、「日常を記録します」ので、恥ずかしい日常も晒す。

ところで、「恥ずかしい」という基準は、人によってまちまちである。

たとえば、「送別会で酔っ払って、居酒屋に記念品を忘れてきた」ことが、意を決して晒すべき恥と感じる人もいれば、その程度では恥と思わない人もいる。私は後者である。

だからこれから書くことが、「その程度のことが恥ずかしいのか!」と言われかねないのだが、はたして読者諸賢は、恥ずかしさの基準が奈辺にあるのか、ご自身と重ね合わせながら読んでいただきたい。

たとえば、つい最近のことだが、朝、職場の事務室で、職員さんに書類を渡して説明していたとき、ひとしきり説明が終わったあと、その女性の職員さんが私に言った。

「あのう…、セーターの前のボタン、一つずつズレてますよ」

見てみると、セーターの前のボタンが一つずつズレてとまっている。

正面から見ると、私のセーターの前の部分が、斜めに歪んでいる感じに見えるのである。

私は職場に来るまでずーっとボタンが一つずつズレていたことに気づかないままだったのである。

「朝、お忙しかったんでしょう。私もよくあることですから」

とその職員さんも言ってくれたが、はたしてこれは、「恥ずかしい」ことかどうか?この程度のことなら、よくあることだろうか?

では、これはどうだろう?

ママチャリのサドルってじっくりと見たことあります?

サドルの下には、太い金属製のバネが二つほど付いていて、それがクッション代わりになってくれるおかげで、自転車のサドルに腰をかけても、お尻を痛めなることなく、快適に乗ることができるのである。

ところが数日前、通勤のためにママチャリに乗っていたら、サドルについている二つの太い金属バネのうちの一つが

バキッ!

という大きな音を立てて、金属のバネの部分が切れて、とれてしまったのである。

金属バネはコロンコロンと、道端に転がり落ちてしまった。

あんなに太い金属のバネが切れることなんて、あるのだろうか?

それでも、金属バネのもう一方は大丈夫なので、そのまま乗ることにした。

しかし、きわめて乗り心地が悪い。右側の金属バネがすっかりとれてなくなってしまったので、右側の支えがなくなり、サドルじたいが右に傾いてしまったのである。

それでも我慢して乗っていたら、今度は左側の金属バネが、

バキッ!

という大きな音を立てて、やはりとれてしまったのである。

これで、サドルを支える金属のバネがすっかりなくなってしまった。この状態で自転車に乗ると、クッションがないことになるので、ちょっとの移動でもすぐにお尻が痛くなる。

これではとても通勤に差し支えるということになり、今日、自転車屋さんに持っていって、直してもらうことにした。

「サドルのバネが切れちゃってますねえ」

「ええ、そうなんです」

「体重がヒドくかかりすぎると、まれにこういうことが起きます」

「そうですか」

つまり、お前は太りすぎだから、その重みに耐えかねて、サドルのバネがぶち切れたのだと、自転車屋さんは言いたいわけである。

自転車屋さんは、もう一つ気づいた。

「ああ、後輪のタイヤ、かなり横にひびが入ってますねえ」

「あ、そうですねえ」

「これはヒドい。いつパンクしてもおかしくありません」

「そうですか」

「自転車は、後輪の方が体重がかかりやすいですから、体重がヒドくかかるとこのようになるんです」

「なるほど」

つまり、後輪のタイヤのひびは、太りすぎが原因だと、自転車屋さんは言いたいわけである。

さて読者諸賢。

これは、恥ずかしい日常か?それともこの程度のことなら、ブログに書くまでもない出来事だろうか?

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ザラザラとツルツル

これから言いたいことは、上手く説明できないのだが。

よく、脳みそのしわが多いとか、脳みそのしわが少ないとか、言ったりする。

まあそれと似たような感覚にとらわれることがあるのだが、人間には、脳でも心臓でもなく、その人が持っている「何か」、いってみれば「魂」、といったものが、ザラザラの人とツルツルの人がいるのではないか、と最近、思うようになってきた。

…いよいよ、俺も頭がおかしくなってきたか?まあ最後まで聞いてくれ。

たとえば、世間で起こるいろいろなことに対して、何かと引っかかってしまう人。あーでもない、こーでもないと考え込んでしまう人。

そういう人が、私からすれば「ザラザラの人」なのである。

それに対して、物事をあまり深く考えず、単純化して受け取ることが好きな人。

そういう人が、私からすれば「ツルツルの人」なのである。

「ザラザラの人」は、思春期に文学なんかを読んで、思い悩んだりする。

「ツルツルの人」は、「テニスがかっこよさそうだから」という理由で、学生時代にテニスなんかを始めちゃって、青春を謳歌したりする。

「ザラザラの人」が読む本は、内省的な哲学書や小説。

「ツルツルの人」が読む本は、自己啓発本。

「ザラザラの人」は、不摂生。

「ツルツルの人」は、健康志向。

人類を「ザラザラ」と「ツルツル」の2種類に分けるなんて、完全な偏見だな。

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映画脳をください!

3月23日(水)

最近、ことあるごとに妻から、

「録画した映画『クラウドアトラス』は見ないのか?」

と言われていた。

200テレビで深夜に放送されていた映画「クラウドアトラス」(2012年公開)を見て、すっかりハマってしまったらしい。録画したものを何度も見返してるようだった。

で、私にも見るようにと、まるでサブリミナルなみに言ってくるのである。

挙げ句のはてには、

「映画のストーリーを知っている者からすると、逆にこれから見る人がうらやましい」

などと、品川庄司の品川が伊集院光に言って、伊集院をイライラさせたというセリフを私に浴びせる始末。何だよ「逆に」って!

妻が私に勧める映画のほとんどは、私に「映画脳」を試す映画なので、「映画脳」が全くない私にとっては、かなり屈辱的なのである。

ここでいう「映画脳」というのは、映画の場面や伏線の意味を、即座に理解する脳を持っていることを指す。

妻はその能力に長けていて、しかも何度も「クラウドアトラス」を見返しているので、監督の意図を完全に理解した、というのである。

それに「クラウドアトラス」は3時間くらいの長編映画である。これもまた、映画脳のない私にとってはかなりハードルが高い。

だが、意を決して見ることにした。決め手になったのは、私がイチオシのペ・ドゥナが重要な役で出演していると聞いたからである。

予想通り。たしかに映画脳が試される映画である。

というか、いままで見た映画の中で、一番映画脳が試される映画ではないだろうか?

横で一緒に見ている妻は、映画を見ている私のほうをチロチロとみながら、

「あ、いまの場面、わかってないなあ」

みたいな雰囲気を出してくる。

こうなると、まるで自分が試されているようである。

ただ私は、最初の10分で、「あ、これは三島由紀夫の『豊饒の海』みたいな話ね」と即座に理解したが、まあそんなことがわかったところで、映画脳とはまったく関係のない話である。

この映画、あまりの仕掛けの多さに、ほとんどの人が2回以上見て理解するらしいが、私は映画脳のない頭で見たため、脳がすっかり疲れてしまった。

妻は、私が当然理解するまで何度も見るつもりだろうと思っていたようだが、私がそれに難色を示したため、

「信じられへん。寅さんみたいな映画は3回も4回も見るのに」

と、完全にバカにした口調で私を詰るのであった。

ああ、誰か「映画脳」を僕にください!

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「西田敏行の出身の町」クイズ

3月19日(土)~20日(日)に「西田敏行の出身の町」を訪れたときのクイズを、二つほど。

直前まで、ホテルの予約を忘れていたためか、慌ててインターネットの旅行サイトで予約したところ、駅前にある、(チェーン店ではない)聞いたことのない名前のホテルしか空いていなかった。

で、当日に行ってみると、外観がビックリするくらい「昭和な雰囲気」を醸し出しているホテルだった。

行くと、三つ揃えのスーツを着た老紳士、というかかなりご高齢のおじいさんがフロントにいた。どうも老夫婦で経営しているらしい。

部屋は、昭和のころのふつうのビジネスホテル、という感じで、泊まるだけだったしとくになんの不満もなかった。

その、昭和感あふれるホテルとは?というのが第一のクイズ。

さて、2日間の日程が終わり、おみやげを買って帰ろうと思ったのだが、この町のおみやげは何がオススメなのかがわからない。

もちろん、昔から「定番」といわれているおまんじゅうとかはよく知っているが、それ以外に何かあるだろうか、と、地元の方に聞いてみたところ、

「最近はこれが人気のようです」

と、あるものを薦めてくれたので、それをを買うことにした。

それは、一つ一つが油紙に包装してあるもので、「油紙」というと、拳銃を包む紙、とつい連想してしまうので、

「チャカか!」

と思わず突っ込んでしまうのであった。もちろん、これは「茶菓」の意味ではない。

さて、私が買ったおみやげとは?というのが第二のクイズ。

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「人あたり」の二日間

3月20日(日)

昨日に引き続き、「西田敏行の出身の町」で会合である。

この二日間は、「志が高く、行動力があり、めげない人たち」のお話しをたくさん聞いたので、「志が低く、行動力がなく、すぐに心が折れる私」は、「食あたり」ならぬ「人あたり」を起こしてしまった。まったく、自分が情けなくなるばかりである。

唯一の救いは、「前の勤務地」にいたときに一緒に活動してきた仲間たちが何人も来ていたことで、彼らと話すうちにずいぶんと心が解放された。

だが一方で、初対面の人とか、名前だけは前から知っているけれど会ったことのない人とかは、なんとなく恐れ多くて、ちゃんとした挨拶すらできなくなってしまうのである。

その中の一人、Nさんは、以前から名前だけは知っていたが、お会いしたことがなかった。ただ、実際に会ったことのある人から聞いた話だと、ずいぶんエネルギッシュな方だそうで、(やはりこういう活動をするには、エネルギッシュな人でないと続かないんだろうなあ)と、非力な自分を顧みては落ち込むばかりなのであった。

昨日の第1日目の会合で、Nさんが壇上でお話ししている姿を初めて見て、背が高くてスキンヘッドでヒゲをたくわえている姿が、ひどくコワモテなのである。

(たぶん俺より年上なんだろうなあ)

それだけですっかり物怖じしてしまった。

ところが、その日の懇親会の二次会で実際にお話しする機会があったのだが、なんとNさんは私よりもはるかに年下だったことがわかった。しかも、Nさんのはるか年上の大学の先輩と私とが昔からの知り合いだったことがわかったものだから、Nさんは私に恐縮するように丁寧な言葉を使った。

「僕、体育会系なんで、そういうことはきっちりとしないと…」とNさん。

お話ししたのはわずか5分程度だったが、見た目から私が勝手に連想した人物像とは裏腹に、実に礼儀正しい方だったことが判明したのである。

帰宅したら、Nさんから私宛てに、ご丁寧にメールが来ていた。

「2日間の会合では、大変お世話になりました。時間が限られていたため、お話しする時間が限られておりましたが、今後とも宜しくお願い致します」と、実に丁寧な挨拶が書かれていた。

たぶん私だけではなく、あの会合で会った人に一人一人、メールを出しているのだと思うが、その気配りこそが、人々に信頼されている理由なのだろうと、私は確信したのである。

私は、見た目で人を判断しようとしていた自分を、深く反省したのであった。

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続・世界は広く、世間は狭い

3月19日(土)

「西田敏行の出身の町」で、ある会合に出席した。

夕方5時過ぎに1日目の日程が終わり、6時から懇親会である。

初めて出席した会合なので、コミュニケーション能力のない私にはなかなかその雰囲気に入り込めない。

懇親会が終わるころ、ある方にご挨拶した。

「柑橘類で有名な県」の大学にお勤めの、Eさんである。

3年ほど前、「前の職場」にいたときに、出張でその大学を訪れ、Eさんにお会いしたことがある。

そのときは初対面だったのだが、Eさんは、なぜか私のことを知っていた。

大学時代の先輩が、「うどんで有名な県」に就職し、ほどなくして結婚することになったのだが、その結婚式に出席したとき、私はスピーチとカラオケを披露した。

驚いたことにEさんは、その当時その先輩の同僚だったそうで、やはり結婚式に出席していたという。

で、そのとき私がしたスピーチやカラオケのことを、覚えていたのである。

私はそれを聞いて驚いた。15年ほど前に行われた他人の結婚披露宴でたまたま見かけた、まったく見ず知らずの人間のスピーチなど、印象に残るものだろうか?と。

で、今回も挨拶したところ、

「ああ、あのときの鬼瓦さんですね。結婚式のスピーチで釜飯の蓋の話は面白かったですねえ」

と、まだ覚えていてくれたのである。

「あなたに会いたいと思っていたんです」とEさん。

「どうしてです?」

「あなたの書いた本に触発されて、私の研究が進んだのです」

「そうですか」ありがたい話である。

そんな話をしていると、横から、

「ご無沙汰しています」

と言われた。

「Oです。覚えてますか?」

「Oさん!覚えてますよ」

私が大学院生だった20代前半のある夏の1カ月間、ある県でアルバイトをしていたことがあって、そのときに1泊2000円の公営ユースホステルに泊まっていた。今から25年近く前の話である。

1カ月も公営ユースホステルに滞在していると、入れ替わり立ち替わり、いろいろなお客さんと相部屋になる。

そのうちの一人が、Oさんだった。Oさんも、当時学生だった。

Oさんとは、ユースホステルで一晩だけ相部屋になっただけなのだが、そのときに交わした会話があまりに印象的で、Oさんも私も、そのときのことを鮮明に覚えていたのだった。

その後、Oさんは「柑橘類で有名な県」の博物館に就職したと聞いた。

ユースホステルで会って以降、Oさんに会う機会はなかったが、25年ぶりくらいにここで再会したのである。

何度でも書くが、世間は狭いのだ。

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センター高視聴率

3月18日(金)

またまた旅の空です!

「前の職場」の時にお世話になった「センター」のSさんにお招きいただいて、久しぶりにセンターで仕事をさせていただく。

私にとってセンターは、仕事をする場所というより、勉強させてもらう場所だった。今もそうである。

ここでいろいろな経験をしたことが、今の自分の、物事を考える基準になっているのだ。

だから「センター」で仕事するときはいつも、自分が学んだ場所に戻ってきたつもりで、つまり初心に返ったつもりで、勉強できるのである。

センターに着くと、Tさんが会うなり言った。

「なまはげと共演されていましたね」

「えっ?」

思い出した。2カ月ほど前、韓国からのお客さんを連れて雪国の町に行ったときに、たまたま入った居酒屋で、某国営放送の全国ネットの番組の取材が来ていて、一般人としてインタビューに答えたのだった。で、なぜかそのとき、なまはげも一緒にやって来て、

「悪い子はいねがぁ!!!」

とおきまりのパフォーマンスをしたのだが、それが放送されたのである。

「私も見ましたよ」とSさんも言う。Sさんも見ていたのか!

「でも、鬼瓦さんはチラッと映っただけで、インタビューはカットされていましたね」

その場にいたほかの二人のインタビューが採用されたようで、私の喋りはカットされ、なまはげが来たときのリアクションのみが映ったらしい。

「私、実はその番組、見ていないんですよ」と私。

「そうなんですか?私、録画してましたよ。今度お見せしましょうか?」

「いえ、けっこうですよ」

次に、Iさんのところに行くと、

「なまはげと共演してましたね」

えええぇぇぇっ!Iさんも見てたのか!

「私、その番組、見ていないんですよ」

「私、録画しましたよ。今度お見せしましょうか?」

「いえ、けっこうですよ」

なんという高視聴率番組だ!

それに不思議である。

私はこのブログで、番組名を一切明かしていないにもかかわらず、なぜみなさんは特定できたのだろう?

まあそれはともかく。

センターでの仕事は、とても充実したものだった。

自分の帰れる勉強場所があるというのは、ありがたい。

「またうかがいます」

「お待ちしています」

玄関でみなさんに見送られて、センターをあとにした。

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碩学脱線トーク

話は1週間ほど前にさかのぼる。

3月9日(水)~10日(木)

2日間にわたり、「眼福の先生」と一緒に、7名ほどでうちの職場にある資料を調査することになった。

予想以上に大変な調査となり、2日間、朝から夕方までぶっ続けで調査したためか、かなりヘトヘトになった。

それでも2日目にはなんとか調査が無事に終わり、それなりの成果が出た。

「無事に終わったので、軽く打ち上げでもしましょう」

と、駅の近くにある和食チェーン店で夕食をとることにした。

ただ私は、職場の後かたづけもあるし、翌日からの南九州出張の準備もしなければならなかったので、用事を済ませたあと、1時間ほど遅れて、その和食チェーン店に合流した。

お店の入り口に入ると、奥の方の座席で、「眼福の先生」が、マシンガントークをしているのが見えた。

傘寿を越える「眼福の先生」が最近ますますお元気なのは、何よりである。

この2日間の調査が十分な成果を得て終わったこともあり、先生は満足されたのであろう。

さて、そのマシンガントークの内容なのだが。

あとで聞くところによると、きっかけは、私と同世代のAさんが、

「(眼福の)先生は、大学の卒業の時に、在阪の放送局である「A放送」に内定が決まっていたそうですね。どうして、在阪のA放送に行こうと思われたんですか?」

と質問したことで、先生の思い出話に火がついたらしい。

「それについてはね…」と、先生は、ご自身の生い立ちから始まる壮大なトークを始められたのである!

打ち上げが始まって1時間がたち、私が遅れて合流したときは、まさにその話の途中だった。

圧巻は、60年ほど前に大学生だったころの寮生活の話。

寮生活をともにした先輩、同級生、後輩たちの、生い立ちやら家庭環境やら性格やらその後の人生やらを、おもしろエピソードを交えて、一人一人についてお話になった。

「わき道の話」が、さらにわき道にそれていく。

聞いている私たちは、どんどんと先生のお話になる「道なき道」のジャングルへと連れて行かれてしまう。

それはまるで、一大叙事詩と言ってもよい。

本題って何だったっけ?と、しばしば先生が本題に戻ろうとするが、ご自身のトークはもはやご自身でも止められなくなっていた。

調査に参加した私や私の妻、そして同世代のAさんは、初めて聞く話ばかりで、それはそれで面白かったのだが、眼福の先生と古くからおつきあいのある大先輩の方々は、何度も聞いたことのある話だったようで、黙って聴いておられた。

結局、私が遅れて来てから2時間半ほど、眼福の先生のトークは続き、最後に、

「寮の先輩の紹介で、在阪の放送局に内定をもらったんだけれど、そういえば自分は大阪が嫌いだった、ということを思い出し、内定をことわって大学院に進んだ」

という結論で終わったのであった。

もし眼福の先生がオールナイトニッポンのパーソナリティだったら、2時間ぶっ続けでフリートークをするんだろうな、と想像した。

そしてもし、今から60年ほど前に眼福の先生が在阪の放送局に就職していたら…。

きっと名プロデューサーとして名を残していただろうと、私は確信したのである。

(記事のタイトルは、「底抜け脱線ゲーム」のパロディ)

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徒然草に出てくる町

3月16日(水)

前回に引き続き、地下鉄と、その地下鉄に乗り入れている私鉄電車を乗り継いで、1時間半ほどかけて「駅名にカタカナが入っている駅」まで出かけた。

そこの工房には、実直な働きぶりのSさんという職人さんがいて、話をしていると、なんとSさんは「前の職場」の「隣の職場」の、10年ほど前の卒業生で、「丘の上の作業場」のリーダーであるYさんの教え子だということがわかった。

「じゃあ、K君は知ってますか?」K君というのは、「丘の上の作業場」で一緒に作業をした仲間である。

「ええ、僕の一年後輩です」

共通の知り合いが多いことに驚いた。

「じゃあ、どこかで会っていたかも知れませんね」

「そうですね」

まったく、世間は狭い。

さて、そこでの仕事が少し早く終わったので、ちょっと電車を乗り換えて、子どものころから行ってみたいと思っていた町に寄り道することにした。

子どものころ、兼好法師の『徒然草』を読んでいて、当時私がよく乗っていた鉄道路線の駅名と同じ地名が出てきて、ビックリしたことがある。

たしか旺文社文庫版だったと思うが、その部分の脚注を見ると、その地名はたしかに、その駅がある町のことを指しているというのである。私はますますビックリした。

『徒然草』といえば、出てくる地名はもっぱら京都の地名だと思っていたので、まさか自分の家の近所が『徒然草』に出てくるとは、思ってもみなかったのである。

それから何度も、その鉄道路線に乗ったのだが、電車がその駅を通るたびに、

(『徒然草』にも出てくる由緒ある町だなんて、一体この町はどんな町なんだろう?)

と想像を膨らませながらも、一度も途中下車したことはなかった。私にとっては、まったく用事のない町だからである。

そして今の今まで、この町のことが、ずーっと気になっていたのである。

で、ようやく30年越しの念願を果たすべく、この駅に降り立ったのであった。

こぢんまりとした、落ち着いた感じの町である。

Photo町の中を、用水が流れている。

道を歩いていたおばさんに聞いてみた。

「この用水路の堤に植わっている木は、桜ですか?」

「ええ。もう少ししたら、桜が満開になって、それはそれは綺麗ですよ」

「そうですか」

少し時期が早かったようだ。

散歩するには、とてもいい町である。

さて、その町の名前というのは…。

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なぜ男は長靴を履かないのか?

3月14日(月)

今日は一日、雨である。

雨が降ると、通勤の際にかなりの距離を歩くことになるので、靴に雨水が入り、靴の中や靴下が水浸しになる。

靴の中や靴下が水浸しになったまま職場に着くと、それだけでかなりのやる気がそがれ、軽く死にたくなるのである。

これを、「1KSTN」と定義しよう。

この憂鬱な気分は、どうにかならんものか。

ふと、妻が雨の日には長靴を履いて通勤していることに気づき、聞いてみると、長靴を履けば、靴の中や靴下が水浸しになる心配がないので、軽く死にたくなる気持ちが、少し和らぐのだという。

そうか、長靴という手があったか。

考えてみれば、「前の前の職場」では、冬になると雪が尋常ではないほど降るので、長靴は絶対に欠かせないものだった。

雨の日に長靴を履けば、少しは憂鬱な気分が晴れるかもしれない。

そう思って、数日前に早速長靴を買った。

そして今日、朝から一日雨の予報だったので、先日買った長靴を履いて通勤することにした。

だが、町を歩いてみて気づいた。

ほとんどの男性が、この大雨の中でも、長靴を履いていない。普通の靴を履いているのである。

反対に女性の足もとを見てみると、ブーツを履いている女性が多い。はっきりと長靴と分かるものを履いている人も多い。

世の男性どもは、なぜ長靴を履かないのか?完全防水性の革靴でも履いているのか?

まちなかで長靴を履いて歩くのが恥ずかしくなった。

職場に着いたら着いたで、私の長靴姿に気づいた男性職員から、

「ご自宅はどこなんです?」

と半笑いで聞かれる始末。どんな山の中から通ってるんですか?というニュアンスの質問に聞こえた。

それもこれも、長靴が「ダサい」と思われているからだ!

女性がブーツを履いたらオシャレなのに、男性が長靴を履いたらなぜダサいと思われなければならないのか?まったくもって理不尽な話である。

男性も普通にブーツが履けるような社会を、これからはめざすべきである!

そして男性が長靴を履くことがおしゃれだと思えるような社会を、めざすべきである!

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気分は対決列島

3月13日(日)

2泊3日の南九州の旅は、レンタカーの旅だった。

3日間の走行距離は400㎞。

運転は、最初から最後まで私である。

1台の車にオッサン4人が乗っているのだから、気分はまさに「水曜どうでしょう」の「対決列島」である。

Photo_2私の運転の未熟さを上司がからかう、という仕打ちに耐えながら、行く先々で初対面の方にご挨拶して座をもたせるという、まさに鬼瓦版・対決列島である。

宿も私が予約したのだが、あまり地図を確かめないでインターネット予約したためか、2泊とも、行ってみたら市街地からひどく離れた郊外のホテルであった。

1日目は、南九州のM県M市。山に囲まれた盆地である。

わりと新しそうなホテルで、値段もリーズナブルだと思い、予約したのだが、これが駅前からかなり離れた、国道沿いにある。ホテルの近くには焼肉屋くらいしかなく、ふつうに入れる居酒屋がなかったので、駅前の居酒屋までタクシーで移動することにした。

…かなりヒントを出したつもりだが、これだけではさすがのこぶぎさんでもホテル名はわかるまい。

「なんで駅前にホテルをとらんかったんや」と、上司に呆れられた。

2泊目の宿もそうだった。

2泊目は、温泉地で有名なK県I市に泊まったのだが、これまた、温泉街からかなり離れた、ポツンとした場所に建っているホテルを予約してしまった。一人1室に泊まれるような宿を探したら、ここくらいしかなかったのである。

…これもかなりヒントを出したつもりだが、これだけではさすがのこぶぎさんでもホテル名はわかるまい。

「今後はホテルの予約を任せられへんね」

と、上司に呆れられた。

まったく、これでは先々週の韓国出張の時の「幽霊ホテル」事件のことをとやかく言う資格などない。

あの「幽霊ホテル」をネット予約してしまった韓国チームのリーダーの気持ちが、今になってわかったのだった。

2

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南九州で迎えた3月11日

3月11日(金)

あの日から5年たった今日は、南九州にいる。

あの日以降、自然災害とそこからの復興、というのが、多くの同業者たちのテーマになっていて、私もまたその例外ではない。来年度から、そんなテーマでの小さなプロジェクトをはじめることになった。

南九州のある自治体に行って、来年度からのプロジェクトについて、ご協力を仰ごうとご挨拶にうかがった。

いつもながら、初対面の方にお話しするのは緊張するのだが、こちらのお話しに理解いただき、また、いろいろなお話をうかがうことができた。

するとサイレンが鳴った。2時46分である。

「黙祷しましょう」

事務所の一室でお話ししていた私たちは、全員立ち上がり、黙祷をした。

Photo

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目撃情報

昨日、妻のもとに、知り合いの日本人からメールが送られてきた。

「今、中国の内陸の片田舎にいて、黄砂がひどくて、プロ仕様のゴーグルをつけて移動していて、大変な思いをしています。ところで、今回、移動のために貸し切っている車の運転手さんが、あなたを乗せたことがあると言っていました。世間って狭いですね」

さあ、妻には心当たりがない。

中国に、たまに行くことはあるのだが、そんな黄砂のひどい内陸の片田舎に行ったことなどないし、それに、一人で旅行したことはなく、たいていはグループで車に乗っているものである。その運転手さんが、何人かの中の一人である自分の名前を覚えているとは考えられない、というのである。

まことに不思議である。

そして今日は、こんなことがあった。

職場の上司が、私に言った。

「昨日、たまたま鬼瓦君のことが家で話題になってねえ」

「え?どうしてです?」

「息子から聞いた話なんだけど、うちの息子が韓国に行ったときに、…何て大学だったっけなあ、…どっかの大学の先生とお話をしていたら、その先生が、鬼瓦君と鬼瓦君の奥さんとは親しくて、家族ぐるみのつきあいをしてるって、言ってたんだって」

「はぁ?」

「そこで鬼瓦君の話題が出たんで、息子もビックリしたんだって」

…やはり心当たりがない。

そもそも、その上司の息子さんと私とは、専門分野が違うので、共通の知り合いがいるはずがない。だいたい私は、その上司の息子さんとは一度しか会ったことがないのだ。

そのていどのおつきあいなのに、どうして私の話題が出てくるのか???

それに何より問題なのは、私には「家族ぐるみでつきあいのある韓国の大学の先生」など、ひとりもいないのだ!

中国で妻を乗せたという運転手といい、韓国で私と家族ぐるみのつきあいだと主張する大学の先生といい、あまりにも不自然な目撃情報が多すぎやしないか?

二つの可能性が考えられる。

一つは、中国や韓国に、私や私の妻を騙る人物がいるという可能性である。だからこそ、頻繁に目撃情報があるのではないだろうか。

…だが、私たちを騙るメリットは、どこにもない。

もう一つは、(中国は置いといて)とくに韓国で、私たちが知らない間に超有名になっている、という可能性である。

意外と後者かも知れない。

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友だちの友だちは、みな友だちか?

もう7年も前になるが、韓国に1年間留学することが決まったとき、韓国に知り合いがほとんどいなかったことが不安だった。とくに私が住むことになった町には、私が知っている人が誰もいなかった。

すると、何人かの方が、「その町に、私の知っている人がいる」といって、その人を紹介してくれた。

「とってもいい人だから、きっとすぐに友だちになれますよ」

だが今、そうやって紹介された人とは、誰ひとり友だちになっていない。

たとえば、こんなことがあった。

私が留学する大学の名前を聞いて、その当時の同僚が私に言った。

「その大学だったら、私の友人がいるよ!私が大学院生時代に、私の所属していた研究室に留学していた人なの!すっごくいい人だから、一度会ってみなさいよ!絶対にいい友だちになれるから!私が連絡してあげる!」

そしてその同僚は、「そうやって、人の輪って拡がっていくのねぇ」と、自分がさもよいことをしたような、遠い目をした。

私は内心、イヤな予感がした。いくらその同僚にとって、その人がいい人だったとしても、私にとっていい人だとはかぎらない。

さて、韓国に留学して2,3カ月たって、その同僚が紹介してくれた人と、一度食事をした。私と同世代の男性である。

たぶんその同僚はその人にも、「すっごくいい人で、絶対に話が合うと思うから!」といって私のことを紹介したのだろう。

会ったのはその一度きりで、それ以降会うことはなかった。

それもそのはずである。話題が全然ないんだもの。そもそも、専門分野が異なるので、何を話していいのかもわからない。

その同僚の目には、私もその友人も、同じように映っていたのだろうか。

だとしたら、人を見る目がないにもほどがある。

自分がウマが合う人間は、他人ともウマが合うと思っているのだろうか?だとしたらかなり短絡的である。

また、留学中にはこんなこともあった。

ある韓国人の同世代の知り合いから、「鬼瓦さんにどうしても会わせたい人がいるんです。僕が日頃から敬意を表している人で、お話も面白い。鬼瓦さんも、きっと話が合うと思いますよ」と言われた。

だがその人に会ってみたら、まあ、ひっどい人だった。

話していても、イライラするばかりで、全然面白くない。

その知り合いはなぜ、私と話が合うと思って、その人を紹介したのだろう?私は不思議でならなかった。

ひょっとしてその知り合いの目には、私もその人も、同じように映っているのだろうか?

だとしたら、人を見る目がないにもほどがある。

そもそも、これまで生きてきて、

「鬼瓦さんとその人、絶対にウマが合うと思うんです」

と紹介されて、その人と意気投合したためしがない。

ごくまれに、そういうパターンで友人になることがあるが、それは、あいだに立った人が、よっぽど人を見る目があったからである。

だがたいていの人間というのは、「人を見る目」がない。私も含めて、である。

そのことを肝に銘ずるべきである。

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不思議な贈り物

3月6日(日)

午前から、職場主催のイベントに参加する。

韓国からパネラーとしてたくさんのお客さんが来ていた。先週韓国に行った時にお会いした方が多くいらっしゃったので、イベント直前に控え室に行って挨拶した。

ひとり、パネラーではない先生がいらしていた。このイベントを聴きに来るためだけに、わざわざ韓国からいらしたらしい。

その先生は、私よりも10歳年上のベテランの先生で、以前から、何度かお目に掛かり、ご挨拶をしたことがあった。ただ専門分野が異なるので、立ち入ったお話しまではしたことがない。

その先生は、私を見つけると、いろいろと話しかけてくださった。パネラーではないこともあり、イベントの打ち合わせをすることもないので、手持ちぶさただったようだ。韓国語がわかる人間の中で暇そうにしていたのが私だけだったので、格好の話し相手と思ったのだろう。

午前の部が終わり、お昼休みの時間も、私を見つけると、私に話しかけてくださった。

しばらくお話ししていると、その先生は思い立ったように私に言った。

「そうだ、君にソンムル(贈り物)をさしあげよう」

そうおっしゃると、カバンの中から、何かを取り出して、私に渡した。

私が不思議そうな顔をしていると、

「韓国のお酒だよ」

という。

「いいんですか?」

と聞くと、

「どうぞどうぞ」

というので、ありがたく受け取ることにした。

しかし不思議である。

今日、私がここに来ることは、その先生はまったく知らなかったはずである。それに、私にわざわざおみやげを渡すほど、親しい間柄というわけでもない。

つまり、私におみやげを用意するなどということは、念頭にも置いていなかったはずなのである。

では、この「韓国のお酒」というのは、そもそも何のために用意したものだったのか?

おみやげ用の袋に入っていたことから、誰かに渡すために準備しておいたおみやげであることは間違いない。

ということは、本来、私ではない「誰か」に渡すつもりのものだったのだろうか?

とすれば、私がこれをもらってよかったのだろうか?誰かに渡すはずのおみやげを、私が横取りしてしまっているのではないだろうか?

実は、似たような経験がこれまでに何度かあった。

韓国の知り合いの方が日本に来たときに、私と会うことなど予想もしていなかったはずなのに、おみやげをくれたりしたことが、これまでに何度かあったのである。

ここから、一つの仮説が浮かぶ。

私の場合、韓国に行くときは、「誰と誰に会うので、おみやげはその分だけ買っていく」というふうに、あらかじめシミュレーションをしておみやげの数を決めるのだが、韓国の方たちは、おみやげの数を適当に決めて買ってくるのではないだろうか。

で、そこでたまたま会った人に渡して、なくなり次第終了。

だから、持ってきたおみやげの中には、誰に渡すとかをとくに決めていないモノも含まれているのではないだろうか。

そう考えないと、とてもではないが、そのおみやげを受け取ることができないのだ。

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気分はブラタモリ

3月5日(土)

今回出張で訪れる町には卒業生のSさんが住んでいたので、事前に連絡をとってみたところ、今日はSさんが車を出してくれることになった。同じく卒業生のWさんも、県南の町から駆けつけてくれるという。

やはり持つべきものは卒業生だな。

お昼前にSさん、Wさんと合流し、まずはお昼を食べることにする。Sさんおすすめのおそば屋さんである。

Photoこの店は、「揚げそばもち」というものが名物だという。

この「揚げそばもち」が絶品である!

ま、「揚げそばもち」というヒントだけでは、さすがのこぶぎさんでもこのそば屋さんを特定することは難しいだろうな。

午後、今回の旅の一番の目的である、イベント会場に向かう。

昨日お会いした方が、ここで講演をされるのだ。

1時間半にわたる講演は、よどみなく、知的刺激にあふれていて、実にわかりやすい内容だった。

本当のプロというのは、こういう方のことをいうのだろう。

講演が終了したあと、控え室に行ってお茶をいただきながらしばらく雑談をして、お別れした。

「今後ともよろしくお願いします」

「こちらこそ、今後ともよろしくお願いします」

講演会場を出たあと、Sさんの車で、市内をまわることにした。

最初は、町のなかにあるお寺である。

「このお寺には、母の知り合いの住職さんがいるんです。母によると、茶目っ気のある住職さんだそうです」とSさん。

突然お邪魔したにもかかわらず、丁寧にお寺の説明をしていただいた。確かに茶目っ気のある、人なつっこい住職さんである。

「まあまあお茶でも飲んでいってください」

奥の部屋に通されると、住職の奥さんが、お茶とお菓子を用意してくれた。

「突然お邪魔してしまってすみません」

「いえいえ、お寺というのは、突然お客さんが来るところなんですよ」

奥さんもまた、人なつっこい感じの方である。

「今のうちの市長はね、うちの宗派の僧侶なんです」

「そうですか」

「県内ではもう一人、うちの宗派の僧侶が市長になっています」

「すると二人ですね」

「ええ。うちの宗派は県内ではそれほど力があるわけではないのに、二人も市長を出しているんですよね」

小さな町では、住職が何かと頼りにされているからではないかと、私は想像した。

お話を聞いているうちに、水谷豊主演のドラマ「あんちゃん」を思い出した。

ある地方の町のお寺の住職が、町のさまざまな問題を解決すべく、奮闘する物語である。

このご夫婦を主役にしたら、きっとそんなドラマが作れるのかも知れない、と私は夢想した。

「今度はご開帳の時に来てください。東京オリンピックの年です」

「ありがとうございます。またうかがいます」

お寺を出たあと、次に向かったのは、あの散髪屋さんである

なんと卒業生のSさんもこのブログを見て、お客としてこの店に一度来たことがあるという。

「どうしたんです?鬼瓦さん!」私がお店の扉を開けると、Gさんはビックリした顔で私たちを出迎えた。

「たまたま近くまで来たんでね、寄ってみたんです。お仕事中でしたか?」

「いえ、実は5時からのお客さんが急にキャンセルされましてね。時間が空いたところだったんです。ちょうどよかった。お茶でも飲んでいってくださいよ」

Gさんご夫妻と、コーヒーを飲みながら、しばらく歓談した。

Photo_2「いま、多肉植物に凝っていましてね」

「そうですか」多肉植物、というのを初めて聞いた。

よもやま話を小一時間ほどした。気がつくともう6時になろうとしていた。

「つい長居してしまいました」と私。

「いえ、楽しかったです。5時からのお客さんがキャンセルしてくれたおかげで、こうしてお話しができたんですから、お客さんに感謝しなくてはいけませんね」

「また来ますよ」

「お待ちしています」

Gさんとお別れし、Sさんの車に乗り込んで、「新幹線がとまる駅」に向かう。

「うかがった先でそのたびにお茶をいただくもんだから、すっかりお腹がタプタプだよ」

「そうですね」

「まるでブラタモリのような旅だね」

「ほんと、そうです」

ぶらりと訪れて、お茶とお菓子をごちそうになりながら、そこで出会った人とよもやま話をする。

こんな旅を、またしてみたいものだ。

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柱を見る人

3月4日(金)

またまた旅の空です!

以前、中島らもが、「灘高に入って一番よかったことは、本物の天才を間近で見られたこと」と言っていて、なるほどなと思った。

同じようなことだと思うが、お笑い芸人の水道橋博士が「お笑い男の星座」とか「芸人春秋」といった、「芸能人ルポルタージュ」を書いているが、彼自身が芸人というよりもルポライターとして、さまざまな芸人を観察しているということなのだろう。

そういう意味からすれば、私もまた同じである。

とくに職場が変わってから、この業界のさまざまな人にお会いすることが多くなった。いままで活字でしか知らない人や、お名前をよく聞くけれどお会いしたことのない人など、業界の有名人にお目に掛かる機会が増えた。

先日も、職場主催のイベントでそんな経験をした。いろいろなところでよく名前を聞いていて、一度お会いしたいと思っていた方が、パネラーとして参加していた。

その方は、私とは専門分野が異なり、当然私のことなどまったく知らないので、どこの馬の骨だろうという感じだと思うのだが、昼食の席で思い切って「ある話題」を出してお話ししてみると、実にエネルギッシュで、話しやすい方で、こちらが勝手に意気投合してしまった。

なるほど、いろいろな方面から頼られる人というのはこういう人をいうのだなと、あらためて実感したのである。

今回の旅もまた、同じである。

今回お会いする方は、その道のベテランというか重鎮の方で、活字の上でしか知らない方なのだが、ぜひ一度お話を聞いてみたいということで、旅先でお会いすることにしたのである。

活字の上の印象だと、エネルギッシュで、タフな方なのだろうな、と思っていたのだが、お会いした印象は、私が勝手に抱いていたイメージとはまったく違っていた。物静かで、冷静で、ほとんど感情を表に出されない方なのである。

寡黙そうな方なので、最初は、どのようにお話をしたらよいのか、はかりかねたが、少しずつお話しするにつれて、実はタフな方だ、ということがわかってくる。

かつて私が調査をした場所にご案内したのだが、ご専門にかかわるものに出会うと感動し、時間を忘れて観察に没頭する。その観察の仕方が、私にとっては勉強になるのだ。

夜の会食では、自分の思考の稚拙さに辟易したのだが、それでもその方は辛抱強く聞いてくださった。

別れ際、

「お会いして、お話しができてよかったです」

と言うと、

「私もですよ。活字の上でしか知らなかったあなたに、一度お目に掛かりたいと思っていました」

と言われ、恐縮した思いがした。

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散髪屋は、人生だ! ~見習いのリーさん~

3月2日(水)

他人様にとってはどうでもいい話なのだが。

いつもは週末に散髪屋さんに行くことが多いのだが、このところ、週末がほとんど仕事がらみで潰れてしまうために、散髪屋さんに行くタイミングがない。

そこで今日の夕方、早めに仕事を切り上げていつもの散髪屋さんに行くことにした。

いつものTさんにチョキチョキと髪を切ってもらっていると、

「こんにちは~」

と背後から挨拶された。

散髪中は眼鏡を外しているので、鏡越しの人の顔がよく見えないのだが、よく見ると、見習いのリーさんである。

リーさんは、まだ専門学校を出たばかりとおぼしき20歳前後の女の子で、ふだんは系列の別の支店で働いているのだが、ごくたまに、人手が足りないとこの店に応援に来るのだそうだ。

リーさんは、ご両親が韓国人なのだそうだが、日本で生まれ育ったので、まったく韓国語が話せない。だが私がよく韓国に行くという話をすると、それなりに親近感をもって話をしてくれるようになった。

不思議なことに、リーさんがごくたまにこのお店に応援に来るそのタイミングに、私がこの店に来るというのである。リーさんに会うのは、これで4度目くらいである。

「鬼瓦さん、これは奇跡ですよ」とTさん。「リーが応援に来るタイミングと、鬼瓦さんがお店に来るタイミングが、これほどピッタリと合っているというのは、他の人では考えられません」

「そうですか?」

「ええ、だって前回鬼瓦さんが来ていただいた日に、リーが応援に来ていたでしょう」

「ええ」

「今日、リーが応援に来てくれたのも、その日以来ですもん」

「そうですか。とすると、3回連続くらいですね」

「私もビックリしました。あ、鬼瓦さんだ!って」リーさんが言った。

「なるほど。私、引きが強い人間なんですよ」

ここまで奇跡が続くと、運命的としか言いようがないのだが、どうも私は単に引きが強い人間らしい。

リーさんにシャンプーを担当してもらったのだが、シャンプーのあいだじゅう、一人暮らしを始めた話だとか、北海道に行ってスノボをした話だとか、映画「Xミッション」がおもしろかった話だとか、気をつかっていろいろと話しかけてくれるのだが、だが情けないことに、「スノボ」はやったことないし、「Xミッション」も見ていないので、気の利いたリアクションをとることもできない。

「鬼瓦さんは、最近何か映画を見ましたか?」

「すごく地味な映画なんだけど、『サウルの息子』っていうハンガリー映画を見ました」

「どうでしたか」

「気持ちが重たくなりました」

「気持ちが重たくなる映画なんですか?」

「ええ」あまりにこちらの話題が貧困なので、だんだん申し訳なくなってきた。

それでも、なんとか話題を合わしてくれるのだから、ありがたいことである。

次も、奇跡は起きるだろうか?

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クドい文体の原点

ちょっと前に紹介した、高校時代の友人・元福岡のコバヤシが送ってきた、「めくるめく読書エッセイ」。

再度引用する。

「ところで、どうでも良い話ではありますが、会社の今の上司が、活字中毒者&漫画マニアなのですが、最近、川上未映子と何とか(名前失念)という歌人の対談集を貸して貰ったところ、意外に面白く、そう言えば最近買った文芸誌に川上未映子と村上春樹の対談があったので、読みました?と聞いたところ、読んでな無いので貸してということで会社に持って行ったら、その雑誌に詩人の工藤直子(上司曰わく巨匠らしい)と松本大洋のコラボによる連載が有り、むしろ、そちらに過剰に反応していました。この2人は実は親子だそうで、2人が一緒に仕事をするのは始めてではないかと、しきりに感激していました。前置きが長くなりましたが、上司が、松本大洋は絵も上手いし天才なんだと力説するので、高校時代の友人が子供向けの本を書いた際に松本大洋が表紙を書いてくれたと自慢していた、と言ったら、それは自慢しても良い話だ凄いことだ、と言われました。今更ながら、ふ~んと思った次第。それではということで、その上司に何か松本大洋の漫画を貸して下さい、と頼んだら竹光侍というのを貸してくれて、今読んでますが、独特の画風と相まってかなり良いですね。貴殿が自慢していたのも、成る程と思っているところです。」

とにかく一文が長いが、なんとなく味わい深い文章だ、と思って紹介したのだった。

それからしばらくたって、私はあることに気づいて、コバヤシにメールをした。

「先日貴殿が送ってくれた「読書感想メール」は、川上未映子の小説「乳と卵」の文体のパロディだったのね」

川上未映子が芥川賞を受賞した小説「乳と卵」もまた、一文が長いことに私は気づいたのである。

するとコバヤシからの返事。

「そうなんですか?残念ながら、私は川上未映子の作品自体は全く読んだことが無いので判りません。あまり深読みされても答えようがないところです」

なるほど、私の考え過ぎか。私は返事を書いた。

「やっぱり深読みというか、買い被り過ぎでしたか。単に一文をわざと長くするという文体が似ていただけだったのでしょう」

するとまたもやコバヤシからの返事。

「そりゃそうです。私はただのサラリーマンです。勝手に買い被られて、がっかりされても迷惑というものです。ただ、貴君が読んだことがあるかどうかは判りませんが、吉田健一(吉田茂の息子)は好きで、この人も一文が異様に長いので、それを読んで長いセンテンスも有りか!と考えたことは有ります。興味があれば、金沢とか東京の昔といった名作があるので読んでみてください。ただ、読みにくくて(かつ、少々くどい)ウンザリするかもしれませんので、悪しからず」

なるほど、吉田健一、か。

さっそく吉田健一(1912~1977)の文章を読んでみることにした。

ひとまず入手したのは、『交遊録』(講談社学芸文庫)である。

書き出しは、こうである。

「人間も六十を過ぎるとその年月の間に得たもの、失ったもののことを思うだけでも過去を振り返り、自分の廻りを見廻すのが一つの自然な営みになり、これは記憶も現在の意識も既に否定も反撥も許されなくなったもので満たされていることであってその中でも大きな場所を占めているのが友達である」

うーむ。たしかに一文が長い。もう少し読んでみよう。

「今まで生きて来た年数を又生きることは考えられなくて、それは少しも構わないことであるが現在までに恩を受け、或は世話になり、そして他にどうということが別になかったのでも友達がいるということの喜びを覚えさせてくれた友達を自分が生きて行くに従って失うことになるのを免れないのはその度毎に自分が死ぬようなものである一方、年とともに新たに友達が出来ることも事実であって更に自分と違って友達というのが生死を越えて存在するものとも考えられる時に友達は生きて行くうちに殖えるばかりであるという感じにもなる。併し友達が自分と違ってというのは自分が死ねば友達の記憶も含めて自分の立場からする凡てが終るからであり、その記憶を残して書きたければ書き留める他ない。それ位のことをすることに友達というものは価するはずである。今これまでの半生か何かを振り返ると、頭に浮ぶ友達の多くは既に死んでいて生死を越えての存在と言ってもこれはともに酒を酌むこともその笑顔が見たくて可笑しな話をすることもなくて打ち過ぎたということを変えるものではなくて友達甲斐がないことになっても仕方がない。そして生きていて現に生きる喜びを教えてくれる友達も何れはこっちが死ぬということがある。その友達のことを書くならばこれも今のうちである」

うーむ。クドい。だが実に含蓄のある内容である。

次の文章も味わい深い。

「日本がそれ程特殊な国である訳がない。もし日本の桜が美しいならばそれは美しいのであってそれが日本にしかないものであってもその為にこれが日本の人間にだけ理解出来る美しさなのでもなければその人間がフランスに渡って夕靄が掛った田舎の並木道に何も感じないでいることにもならない。併し日本の春の桜とフランスの秋の夕靄が掛った田舎の並木道は確かに違っている。そして同じく土佐の海岸から眺める太平洋と汽車が新潟辺りを出て窓の外に拡る日本海の色も眼に見えて違っている。又確かに外国に行けばそこの風俗を身につけることを心掛けなければならないがそれはその風俗が違っているからで、どう違っているかと言えばただ違っているのである。それだけですむことであるのは一つには人間の精神には際限なく変化に対応する働きがあるからであり、これに加えてどこへ行っても人間の精神は人間のものであるということがある。こういうことは自分の体、精神に聞いてみれば一番よく解る」

このクドい文章の中に、この国がいま社会全体をあげてキャンペーンをはっている異常な風潮をあざ嗤うような真理が述べられているではないか。

クドい文体の中に主張を忍び込ませる手法こそが、この人の文章の真骨頂である。

ということで、このブログもこれからはクドい文体で書いてみることにしようか。

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