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2016年4月

ケナリの季節

4月30日(土)

レンギョウのことを、韓国語で「ケナリ」という。

日本では桜が春の訪れを告げる花のように、韓国では「ケナリ」が春の訪れを告げる花である。

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ケナリが花開くこの時期、いつものところに訪れる。

そう、高原のアウトレットである!

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…ということで、こぶぎさん、大正解!

ついに、私がブログを書く前に、私の行き先を予想して当ててしまうのだから、もはやブログを読む必要はないんじゃないか?

そしてこぶぎさんの予報どおり、今日はいい天気だった。

例によって靴を買う。

高原の桜は、かろうじて花びらをとどめていて、遅い春の訪れを感じさせる。

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まさに、「ケナリも花、サクラも花」である。

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国民の怒り

4月29日(金)

諸事情があり、今回はロードバイクを車に積めない。

首都高の料金が値上げしていることを、料金所でお金を払うときになって、初めて知った。

「普通車は1300円です」

「せ、せ、1300円!??」

以前は930円だった。それがこの4月から一気に1300円に値上げしたのである。1.5倍ほど上がってるではないか!

そんな値上がりの仕方って、ある???

首都高だけではない。別の高速道路も値上げしているではないか!!!

有無を言わせず、いきなり暴力的な値上げを断行するなんて、国民をバカにするにもほどがある!

そもそも、高速道路の料金は、将来的には無料にすることが約束されているはずで、無料化の方向に進むどころか、ますます国民から金を巻き上げる装置になっている。

消費税増税よりもタチが悪い。事態はさらに暴力的なのである。

みんななぜ、国民をバカにしたようなこんな仕打ちに対して、怒らないのだろう?なぜデモをしないのか?

こういうときこそ、国民は立ち上がるべきである!!!

…と、運転しているあいだじゅう、ずっとムカムカしていたのであった。

途中、ガソリンを入れようと、サービスエリアのガソリンスタンドに立ち寄ると、ガソリンスタンドの店員さんが言う。

「左後ろのタイヤ、どうかしたんですか?凹んでますよ」

車から降りて見てみると、たしかに左後ろのタイヤだけが凹んでいる。

「ほら、左後ろのタイヤだけ、他のと違いますね」と店員。

「たしかにそうですねぇ。そういえば以前、左後ろのタイヤがパンクしてしまって、交換してもらったのです

「空気が漏れている可能性があります。このままでは危険なので、調べてみましょう。今、タイヤをはずして調べてみますので、店の中でお待ちください」

ガソリンスタンドの店員さんは、左後ろのタイヤをはずして、チューブから空気が漏れていないかどうか、時間をかけて確かめてくれた。

「タイヤから空気が漏れているわけではないようです。ただ、空気圧が他の3つのタイヤと違いました。他の3つは2.2くらいなのですが、左後ろのタイヤだけ1だったんです」

「そうですか」

「空気圧を他の3つとそろえておきました」

「ありがとうございます。料金は?」

「ガソリン代だけいただきます」

タイヤの異常の原因を無料で確かめてくれたのである。

高速道路料金の値上げの怒りが、これで少しおさまったのであった。

しかしまた別の怒りが。

タイヤ交換をしたあのタイヤショップに、今度は疑いの目を向けざるを得なくなる。

なにしろタイヤ交換をしてくれたのが、あのヨボヨボのおじいさんだったからなあ。

さて、今回の私の旅の行き着く先は…。「こぶぎ予想」は当たるだろうか。

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言少なく栄利を慕わず

4月27日(水)

いま、2年前に急死した大学時代の友人の遺稿集を作っている。

亡くなったE君のご両親から、「息子が25年前に書いた卒業論文を、叶うものなら見てみたい」とお手紙をいただき、出身大学に問い合わせ、E君の卒業論文を取り寄せた。

このあたりの話は、以前に書いたことがある

あらためて彼の卒論を読んでみると、間然するところがない、じつに彼らしい卒論だった。

彼を思い出すよすがに、この手書きの卒業論文を入力して、小冊子にすることにしたのである。

手書きの卒業論文をパソコンに入力したのは、E君の御母様と御兄様である。

とくに御母様は、これを機にパソコンの勉強を始めたそうで、息子の書いた一字一字と格闘しながら、入力していったと想像される。しかもかなり難しい専門用語が多用されているので、入力は困難を極めたのだろう。

このたびようやく入力が終わり、印刷屋さんで出力したので、校正をしてほしいと、ゲラが送られてきた。

専門用語や難しい漢字が多いので、校正にはかなり難儀した。

しかし、だからといって校正が滞ってもいけない。ご家族からしたら、1日も早く完成させたいと思っていることだろう。

夜、家に帰ったあと、日付が変わってからも校正作業を行う。

そしてようやく、数日かかって校正がひととおり終わった。

私とE君のつきあいは、大学の研究室にいた3年間ほどだった。

卒業後はお互いに忙しくなり、ここ20年ほどは、会っていなかった。

そのていどのつきあいしかなかった私が、彼の遺稿集を作る人間としてふさわしいのかどうかはわからない。

しかし、どんなにめったに会わない間柄でも、友人は友人である。

会うことの多寡が、友人であることをはかるバロメーターではないのだ。

この遺稿集には、彼とゆかりのある3人の文章も掲載される。

そのうちの一人は私だが、もう一人、やはり文章を寄せてくれているI君は、中学校から大学までE君とずっと一緒で、最も仲がよかった親友だった。卒業後は、E君もI君も民間企業に就職し、人生の節目節目で、二人は酒を飲んで語り合ったという。

そのI君は追悼文の中で、E君について、最後にこう書いている。

「『閑静にして言少なく栄利を慕わず。書を読むことを好めども甚解を求めず』

敬愛する陶淵明のこの自評が彼ほど似合う者を私は他に知らない」

これを読むと、大学時代のE君の佇まいを、思い出さずにはいられない。

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気分は勘兵衛

最近はもっぱら、人と会うのが仕事である。

各地を行脚して、いろいろな人と会って、一緒に仕事ができそうな仲間を見きわめる。

黒澤明監督の映画「七人の侍」の前半部分で、勘兵衛が信頼できそうな侍を集めるために、あれこれと見きわめようとする、あの感じによく似ている。

せっかく仕事をするんだったら、仲間を吟味しなければいけない。

ちょっとおこがましい話だが、それが私のいまの仕事なのだから仕方がない。

ただ映画「七人の侍」では、最高の仲間を集めたとしても、結局最後は「負け戦(いくさ)」になる。

最高の戦い方をしたとしても、負け戦になることがあるのだ。

それでも、信頼できる仲間と仕事ができたことの方を喜ぶべきじゃないのか?

まあ世の中そんなものなのだ、というつもりで生きていくのがよかろう。

…それで思い出した。

むかし私が就職するにあたり、複数の恩師から教えられた言葉。

「新しい環境で仕事を始めたとき、最初に声をかけてくるヤツには気をつけろ」

最初に親切に声をかけてくる人が、信頼できる人だとはかぎらない。

最初に飲みに誘ってくれる人が、いい人だとはかぎらない。

私は何度か職場を変わったが、その都度、この教えが正しいことを実感した。

本当にわかり合える仕事仲間と出会うには、時間がかかるものだ。

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最近のストレス解消法

4月24日(日)

すっかり疲れてしまって、今日は一日なにもせずに過ごす。

正確に言えば、なにもしなかったわけではない。

私には変な癖があって、「頼まれてもいない原稿を書くことに没頭する」ことが、ストレス解消法である。

同じ原稿を書くのでも、頼まれた原稿はストレスになるのに、不思議なものである。

今日はその原稿を仕上げ、ある同人誌に「押しかけ投稿」した。

「押しかけ投稿」は、4月に入って2度目である。つまり次回発行の同人誌には、私の原稿が二つも載ることになるのだ。もともと、そういうことが好きな人間なんだな。

最近のもう一つのストレス解消法は、「ラジオ番組でライムスター宇多丸さんが人気邦画を酷評する」音源を聴くことである。

これがじつに痛快である。

今日も、過去のラジオ番組である邦画を酷評している音源を聴いた。ちなみに私はその映画を観ていない。

「すべての台詞、すべてのシーンが記号的表現…… 記号的表現を並べていれば、観客がわかってくれるだろうという、性根の腐ったきった考え方でできてるんです。要は、それらしい台詞を、それらしいテンションで、それらしい音楽と一緒に出すと、観客はそれらしい場面として、受け取ってくれるだろう……

たとえば、ポジティブっぽいこと、それ自体には意味がないんですけど、ポジティブっぽいことを言って、ポジティブっぽい音楽流して、ポジティブっぽいテンションでみんながそうだよねって顔でウケければ、その場面はなんかポジティブっぽいことが起きている場面だっていうことを、観客が受け取るっていうことを、作り手が勝手にやっているわけです。腐りきった、この性根!」

このあたりの表現が、じつに痛快である。

ここまでこき下ろされると、逆に見たくなってしまうから不思議なのだが、実際に見てみると、「時間を返せ!」と後悔するのだろうな。

ここで述べている「ポジティブっぽいことを言って、ポジティブっぽい音楽流して、ポジティブっぽいテンションでみんながそうだよねって顔でウケければ、その場面はなんかポジティブっぽいことが起きている場面だ」という部分。映画にかぎったことではない。仕事にも通じる話である。

宇多丸さんの映画評を聴いて、なるほど、中身がないというのはそういうことなのか、と得心がいったのであった。

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オシャレな町でレセプション

4月22日(金)

早めに職場を出て、都内に向かう。

夕方6時から、尊敬する先生の講演会が都内であり、それを聴きに行くためである。

今日の講演会が「基調講演」で、それをふまえた国際シンポジウムが、翌日の午前10時から都内の大学で行われる。つまり、かなり大きなイベントなのである。

20年ぶりくらいじゃないだろうか?山手線のこの駅に降りたのは。

ビックリするくらいオシャレな町である。

道行く人もみんなオシャレである。

駅から10分くらい歩いたところで、会場となる建物に着いた。

フランスの香りただよう建物である!

少し早く着いてしまい、講演会場で座っていると、講師の先生が会場にいらした。

「鬼瓦さん、来てくれたんですか!」

「ええ」

「鬼瓦さんが来てくれたなんて、うれしいなあ。このあと、レセプションに出てください」

「はあ」

講演会を聴いてそのまま帰るつもりだったのだが、まあ仕方がない。

2時間近くにわたる講演は相変わらず、聴衆の魂を揺さぶる「名人芸」だった。

「レセプション会場は7階です」

案内されるがままに、講演会場の1階からエレベーターで7階に上がった。

都内の夜景を見渡せる、じつにオシャレなレセプション会場である。

立食形式だが、フランスの香りただよう建物だけあって、並べてある料理もフランス料理のようである。

ビールとか焼酎とか、そういうのは置いてない。ワインとシャンパンだけである。

乾杯の音頭をとることもなく、司会がいるわけでもなく、自然とレセプションが始まった。

なるほど、これがフランス流か。

しかし困った。

レセプションに呼ばれたはいいが、参加している他の人を、誰ひとり知らないのである。

唯一知っている講師の先生は、他の人とひっきりなしに喋っているので、話しかけるわけにもいかない。

うーむ、困った。例のいたたまれない気持ちが始まったぞ。

1時間近く、手持ち無沙汰で過ごしたが、残りの30分くらいで、話し相手がようやくできた。

そうこうしているうちに、レセプションが終わった。

締めの挨拶とか、そういうのも一切ない。やはりこれもフランス流か。

結局、一番最後に出たのは、講師の先生と、その先生の下で学ぶ二人の方と、私の、計4人だった。

今日の講演会が上手くいったこともあり、先生はお酒をかなり飲んで、上機嫌だった。

「今日は鬼瓦さんに来てくれて、本当に嬉しいなあ」と、先生は繰り返した。

フランスの香りただよう建物を出て、山手線のオシャレな駅に向かう道すがら、先生は、

「まだ時間ありますか?久しぶりに鬼瓦さんとご一緒したので、もう1軒行きましょう」

とおっしゃった。

明日の朝10時から、先生は国際シンポジウムで司会をやるはずなのに、すでにかなりお酒を飲んでいらして大丈夫なのかなあと思ったが、久しぶりに先生にお会いしたこともあり、ここで断るわけにはいかなかった。

先生は、2次会でもビールをかなり飲みながら、上機嫌にさまざまな話をされた。

気がついたら11時半をまわっていた。

「明日またお会いしましょう」

山手線のオシャレな駅でお別れした。

「先生、いつになく上機嫌でしたね」と、先生のもとで学んでいる方が言った。

「そうなんですか?」と私。

「ええ。明日も早いのに、時間を忘れてお話になっていましたから」

さて、明日の10時までに、国際シンポジウム会場に着けるだろうか。

今日私が訪れた、そのオシャレな町の名は…。

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19年ぶりに訪れた場所

4月20日(水)

またまた旅の空です!

この写真を見ても、どこだかわからないだろうな。

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実は19年ぶりに訪れた場所なのである。

あまりに交通が不便な場所なので、19年前に訪れた時は、

(もう2度と訪れることがないだろうな)

と思ったのだった。

まあそれが19年ぶりに再訪できるのだから、長生きはするものである。

19年前にこのあたりの集落にあった独特の風習が、まだ残っているだろうか、と思ってレンタカーを走らせる。

ほとんど記憶のかなたにあったこともあり、途中、集落の人たちに親切に教わりながら、目的の場所に来てみると、なんとまだこの風習が廃れずに続いているではないか!

それだけで感動した。

今回の旅の目的は、この地域の中核的な施設で行われているイベントを見に行くことであった。

その施設には、大学時代の研究室の後輩が勤めている。後輩、といっても、5年か6年ほど学年が下だし、それほど頻繁に話したことはなかったので、はたして向こうがこっちのことを覚えているかどうか不安だった。なにしろ20年くらい会っていないのである。

思い切って訪ねてみると、向こうはこちらを覚えていたようで、いたく歓迎された。

「どうしていらっしゃったんですか?」

「こちらで行われているイベントを見に来たんですよ」

「わざわざこのためにこんな交通の不便な町まで?」

「ええ」たしかに訪れにくい場所である。

「どうして事前に連絡をいただけなかったんです?」

「覚えていないだろうと思ったもので」

「そんなはずはありませんよ」

やはり訪ねてみるものだ。

さて、この町の有名な郷土料理といえば、ひらがな3文字の…。

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熊本地震のニュースに

4月17日(日)

熊本の地震が、大変なことになっている。

昨年11月末、熊本城内にある美術館の特別展を見に行ったばかりだった。熊本県のある盆地の歴史と美術が一堂に会した素晴らしい展示で、そのときは時間を忘れて見入ってしまった。戻ってからも、同僚たち数人に、この展示がいかに素晴らしかったかを興奮気味に話した。

その日は根をつめて展示を見たせいかそれだけで疲れてしまい、熊本城を見学せずに帰ってきてしまった。

熊本城の様子を見るにつけ、すぐ横の美術館のことが気がかりでならない。そしてあのとき展示されていた仏像などの美術品は、地元に戻ったいまも無事でいるだろうか。

かといって、熊本には、連絡がとれるような知り合いがひとりもおらず、なんとももどかしいかぎりである。

つい先月、災害から地域の宝を守る決意表明を、全国の仲間たちとしたばかりだった。5年前の震災の総括もできていない。災害とは、じつに無慈悲なものである。

ニュースでは盛んに、「原電は異常なし」と報じていた。原電のすぐ近くで地震が起こっていること自体が異常なのに、それを「異常なし」と報ずることの異常ぶり。いざというときの避難経路がすべて断たれてしまっているのに、「異常なし」として稼働し続けることの異常ぶり。「異常」に慣らされていく過程は、戦争もまた同じである。

「異常も、日々続くと、正常になる」とは、大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」の坂本龍一のサントラ盤ために、コピーライターの仲畑貴志が考えたキャッチコピーである。

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吾妻橋まで

4月16日(土)

例によって地図を持たないポタリングである。

いつもいつも川べりのサイクリングロードというのもつまらない。

久しぶりに都内の道路を走ろうと思い立つ。

浅草まで行きたしと思えども、前回、都内の道路を走るのがかなり恐かった記憶がある

前回はK橋通りを使ったが、今回はC街道を使ってみた。

これが意外と、走りやすい道である。K橋通りのときに感じた恐さも、あまりない。

C街道をひたすら走り、M通りとぶつかったところで北上し、さらにK橋通りに出たところで東に向かう。

あとは適当なところで北上すると、駒形橋、そして吾妻橋が見えてくる。

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浅草は、とくに外国人観光客で賑わっていた。

帰りもC街道を走るが、途中で「S又街道」をS又方面に走り、いつもの参道に立ち寄り、川べりのサイクリングロードを経由して帰宅した。

4時間以上も乗っていたので、グッタリである。

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編集者の条件

以前一緒に仕事をした編集者のKさんは、失礼ながらあまり器用な人ではない。業界ズレしたところもあまりなく、どちらかといえば座持ちも悪い。

しかしなぜか、私の書く文章をいたく気に入ってくれている。

前回本を出してから5年がたった昨年、久しぶりにKさんから連絡が来て、

「また一緒に仕事をしましょう」

という。

しかし前回の本は地味すぎてビックリするほど売れなかったのだ。それが原因でKさんは部署が変わったとも聞いている。懲りていないのだろうか、と思った。

ついに根負けしてKさんと会うことになり、いろいろと本の企画を考えてみたのだが、なかなかまとまらない。

そうこうしているうちに1年がたった。

これでは埒があかないと思ったのか、先日Kさんは上司の編集長を連れてきて、都内のファミレスで仕切り直しの打ち合わせを行った。

その編集長というのは、座持ちのいい方で、人と会って話をすることを苦にしないタイプの人だった。たぶん編集者によくいるタイプなのだろう。

編集長は私が何者かであるかもよくわからないようだったが、そんなことはおかまいなしに、ひとしきり私と雑談をした。その途中、

「次の打ち合わせがありますんで、私はこれで。あとはK君、頼むよ」

と言って、ファミレスを出て行ってしまった。

たぶん私にはなんの関心もなく、単なるコンテンツの一つとしか考えていないんだろうな、と思わずにはいられなかった。

それに対してKさんは、とにかく私の文章を高く評価してくれていた。

たぶんKさんのそうした評価は、Kさんの不器用さも手伝って、編集長にはあまり伝わっていないのだろうな、と思う。

まあそんなことはどうでもよい。とにかく私は、身の丈に合わないような企画にしばられるような文章は書きたくないのだ。

「いっそ、自分の書きたいことを書いてもいいですか?」

とKさんに聞くと、

「それでお願いします」

という。Kさんは是が非でも、俺の本を出したいのだな、と私は理解した。

そこまで信頼されていれば、冥利に尽きるというものである。

もう少し、この不器用な編集者とつきあってみるか。彼だけが私の文章を評価し、本を出すことにこだわってくれているのだ。

少し気が楽になり、少しずつだが、筆が進むようになった。

パイロット版の原稿を送ると、さっそくKさんはうちの職場に来た。

「面白いです。これでいきましょう」

はたしてこの企画、あの編集長に理解されるだろうか。

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隣の国の選挙運動

このブログ、たとえば前回の記事なんてのは、作品の固有名詞を出していないのだが、読んでいる人は、ワケがわからないのではないだろうか?

はたしてこのブログは読んでいて面白い内容になっているのか?

もはや自分でも皆目見当がつかない。

もっと「意識高い系」の内容にしたほうが、読者にウケるのか?

まあそれはともかく。

さて、隣の国の選挙が終わった。

この国の選挙運動と隣の国の選挙運動は、ずいぶんと違う。

この国では、選挙カーを乗り回して候補者が大声で名前を連呼するというのがお決まりのパターンだが、隣の国ではそのような光景を見たことがない。

いまから7年ほど前の留学中に見たときは、街角で、音楽に合わせて運動員たちが集団で奇妙な踊りを踊っていた。

最初は何だろう?と思って見ていたのだが、それが選挙運動の一環であることを知った。

(あんなやる気のない踊りでは、逆効果なんじゃないだろうか…)

と思うほど、見事にやる気のない踊りをみせていた。

だが、最近はそれもあまり見なくなったのではないだろうか。

その代わり、そこら中のビルに、候補者の顔写真を載せた大きな垂れ幕がぶら下がっていたり、道路のところに横断幕を掲げたりして、アピールしている候補者が多い。

もう一つは、今年の1月の半ばと2月末に隣の国に行った時に経験したことであるが、食堂でみんなで会食をしていると、見知らぬ人が入ってきて、片っ端から名刺を配りだした。

何だろう?と思っていたら、その地区から立候補する候補者が、選挙運動として、そこら中の食堂に入っては名刺を配りまくっていたのである。

いってみれば「どぶ板選挙」である。

隣の国は、そのお国柄とは対照的に、意外にもやかましい選挙運動をやらないのだということを、知ったのである。

…もっともこれらは、私が身近に経験したことに過ぎないので、実際にはもっといろいろな選挙運動のやり方があるのかも知れない。

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再会!冷泉為恭

4月13日(水)

この町での仕事が予定より早く終わったので、この町で行われている展覧会を見に行くことにした。

展示されていたのはむかしからよく知る作品だったが、あらためてじっくり見ると、すごく面白い!

映画がなかった時代の、映像的表現というべきか。とにかく飽きないのである。

「異時同図」という手法が、じつに見事に活かされている。

3部作構成になっているところも素晴らしい。

やや滑稽な話で始まる第1部、躍動的な第2部、そして感動の第3部。

今回じっくり見て初めて気がついたのだが。

第3部の「感動のラスト」のあとに、最後の最後にあらわれる「アレ」。

じつに心にくい演出ではないか!

ああいう演出は、現代の映像表現にも通ずる手法なのではないだろうか?

…そんなこんなで感心しながら見ていると、ある絵に目がとまった。

この作品を幕末に模写した絵が展示されていたのだが、その作者がなんと冷泉為恭だったのだ!

おおっ、ここで冷泉為恭に再会するとは!

以前、ある展覧会で出会って以来、およそ3年半ぶりの再会である。

そのときにも書いたことがあるが、冷泉為恭は、幕末に生きた京都の絵師である。御所に出仕している一方で、京都所司代にも通じていたことから、最後には攘夷派の長州藩に暗殺されてしまう。

昔のドラマ時代劇「新選組血風録」(NET、現テレビ朝日、1965年)に、「刺客」と題するエピソードがある。司馬遼太郎の原作にはないエピソードだから、たぶん、脚本家の結束信二が書いたオリジナル作品である。

このエピソードの主人公は、冷泉為恭である。彼は御所にも京都所司代にも通じ、幕末の政治的混乱を「食い物」にして生きている「唾棄すべき」人物として、描かれている。たぶん、冷泉為恭がこれほどクローズアップされるドラマは、後にも先にもこれだけだっただろう。私はこのエピソードが大好きだった。

そして驚いたことに、実はこの旅に出る直前に、ふと思い立ってこのエピソードを久しぶりにDVDで見返したばかりだったのである。

なんという偶然!

これは神のお告げか?

もし仮に、再び大学に入学して美術史を専攻することになったら、冷泉為恭を主題にして卒業論文を書け、ということなのか???

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ハルキを待ちながら

この記事を、この春に「前の職場」から転出した元同僚のF氏に捧ぐ。

ハルキをめぐる冒険

続・ハルキをめぐる冒険

4月11日(月)

僕がその町で仕事をするたびに訪れるのが、昔ながらの風情が残る町並みの一角にある、プラハ出身の世界的作家の名前がついたカフェだった。

友人の弟さんが経営しているという理由で最初は訪れたのだけれど、あるとき、村上春樹が自身のホームページで「一度訪れてみたい」と書いていたのを目にして、そこに行けばひょっとしたら村上春樹に会えるかもしれない、と思うようになった。

しかし今は、そんなことすらどうでもよくなった。というのも、僕はどうもそのカフェとは縁が薄いようで、僕がその店の前に立つとかなりの確率で「closed」の看板を目にしたからである。

今の僕にとっては、そのカフェの営業時間中に尋ねることが、最大の関心事だった。だがそのためには、「定休日」と「雨」と「先輩同僚からの飲みの誘い」と「店長の気まぐれ」をすべてくぐり抜けなければならない。

そして、この町での仕事の初日である今日、幸いにしてその機会は訪れた。今日は月曜日なので定休日ではない。空も晴れ渡っている。さらに嬉しいことに、仕事がやや早めに終わり、しかも先輩同僚からの飲みの誘いもなかったのだ。

あとは、最後の難関である「店長の気まぐれ」をクリアできるかどうかである。

定休日でなくても、店長が不意な用事で休んだり、5時でお店を閉めたりすることがよくあるようだった。しかしこればかりは、行ってみないとわからない。

仕事が終わってから、大急ぎで歩いてそのカフェの前に着いたのが、午後4時20分だった。驚いたことにそこには、「営業中」という看板が立っていたのだ。

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そればかりではなかった。ドアのところには貼り紙がしてあって、

「今日は都合により5時で閉店です」

と書いてあった。僕は間一髪、このカフェに入ることができるのだ。

カフェに入ると、アルバイトらしき女性店員が「いらっしゃいませ」と言った。

「すみません。今日は5時で閉店なんですけど、よろしいですか」とその女性店員が続けた。

「かまいません」と僕は言った。

店長の姿は見当たらない。やはり店長は気まぐれなのだろうかと僕は想像した。

テーブルに座ると、僕はさっそくコーヒーを注文した。

このカフェは「ブックカフェ」というもので、店の一角には本がぎっしりと並んだ本棚があった。だが不思議なことに、この店の名前の由来となったプラハ出身の作家が書いた本は、まったくといっていいほど見当たらないことは、以前に書いた

やがて女性店員がコーヒーを運んできた。

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僕はこのコーヒーを飲むために、何度このお店に通ったことだろうと、いささか感慨深い気持ちになった。

コーヒーを飲みながらメニュー表を見渡すと、そこに「ザムザ定食」というメニューがあるのを見つけた。「ザムザ定食」というのは、もともとこのカフェにはなかったメニューだったのだが、村上春樹が自身のホームページでこのカフェについて言及したときに、「このお店のザムザ定食を食べてみたい」と、存在しないメニューをいたずらに書いてしまったがために、店長がこのメニューをこしらえたのだった。メニュー表には、次のように書かれていた。

「ザムザ定食 1200 Gregor Samsa Lunch

フランツ・カフカ「変身」の主人公であるグレゴール・ザムザ氏と、日本の著名な小説家M・H氏に捧ぐ。

特製ポテトサラダ

野菜たっぷりのスープ

まあるいロールパン

メインディッシュ(ときどき変わります。お尋ねください)

季節のフルーツ

ミニコーヒー(紅茶も可)

(内容は変更になる場合があります)」

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どれも美味しそうなもので、注文したい衝動にかられたが、今日はあと30分ほどで閉店だし、今はランチの時間をとっくに過ぎてしまっているし、それにアルバイトの女性店員さんが、この定食を作る権限を店長から与えているのかどうかすらわからなかったので、注文するのをあきらめた。

それよりも気になったのは、メニューに書かれていた「日本の著名な小説家M・H氏に捧ぐ」という一節だった。そこで僕の頭に一つの仮説が浮かんだのである。

それは、このカフェに村上春樹が来るのを待っているのは、僕などよりも店長のほうなのではないかという仮説だった。

そして本棚に並んでいる本を見て、僕は驚いた。

以前に来た時より、心なしか村上春樹の本が増えているではないか。

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僕はそこでますます確信したのである。誰よりも村上春樹のことを待っているのは、ほかならぬ店長なのだと!

けれども村上春樹の本は以前から本棚にならべられていたのかも知れないし、それにもし村上春樹を待っているのだとしたら、店長が気まぐれに外出するはずもない。

やはりそれは僕の思い違いなのだろうと考え直し、コーヒーを飲み終えた僕は、お店をあとにしたのだった。

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李光洙・補足

「前の前の職場」の同僚だったKさんから、「こぶぎさんが学内広報誌に書いた卒業生へのメッセージが素晴らしい」とメールをくださった。

ホームページから読むことができるので、ぜひ読んでほしい。

映画「私はマララ」に端を発して、ふつうに勉強できる境遇がいかに幸運かということに気づかされる、短文ながら心にしみるメッセージである。

ちょうど今、波田野節子『李光洙(イ・グァンス)』(中公新書、2015年)を読んでいて、同じようなことを思っていたところだった。

ここに書かれている、「李光洙の生きた時代」は、決して他人事ではないように思えてくる。

たとえば、次の一節。

「一九四二年五月に朝鮮総督になった小磯国昭は、学生を皇民化させないような学校も皇民化しない学生も不要であるという意を含ませた恫喝のような談話を発表していた…」

「○○させない学校や○○しない学生は不要であるという意を含ませた恫喝のような談話」って、最近もどこかで聞いたことのある話ではないか。

あの頃と今とで、どこがどう違うのだ?

「安定して勉強ができる環境」を死守していくことは、そもそもが命がけの行為なのではないだろうか。そんなことに気づかされる。

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韓国の夏目漱石

4月10日(日)

またまた旅の空です!

明日からまた、「気が抜けない仕事」が待っている。

さて、ここでクイズです。

これは、どこの何という名前の喫茶店でしょう。

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仕事に関する日々の出来事を書こうと思うのだが、書こうとすると、こっちがその気がなくてもどうしても自慢話に聞こえてしまうので、書くのに躊躇してしまう。

もともとブログとかツイッターなんてものは、愚痴か自慢話に相場が決まっているのだ。

ということで、ブログを書いては消し、書いては消しの毎日である。

最近忙しくて全然本を読んでいないのだが、妻に勧められて読んだ波田野節子著『李光洙(イ・グァンス) 韓国近代文学の祖と「親日」の烙印』(中公新書、2015年)がむちゃくちゃ面白い!

私は不勉強で知らなかったのだが、李光洙は日本でいえば夏目漱石のような存在だそうである。この本を読むと、李光洙がじつに波瀾万丈の人生を送っていたことがわかる。李光洙をとりまくさまざまな人物たちもまた同様である。いずれも魅力的な人物ばかりである。

彼らの歩んできた人生を考えると、定年まで今の職場で自分のやりたいことがやれる環境を最低限守り続けながら生きていこうなどという私の考えが、さもしく思えてくる。

人生、「一寸先は闇」というのがデフォルトなんだな。

李光洙の人生そのものも興味深いのだが、それを語る著者の語り口もまた、素晴らしい。

なるほど人物伝とはこういうふうに書くのか、と、ひごろ人物伝の嫌いな私も、つい引き込まれて読んでしまう。

ひっさびさに面白い新書に出会ったなあ。

この本を読むと、李光洙の小説を読んでみたくなる。

この本の本筋とはあまり関係のない部分なのだが、著者が紹介している以下のエピソードが、なんとなく好きである。

「一九二六年、『再生』のあと連載が始まった『麻衣太子』は、新羅と後百済の滅亡を描いた歴史小説で、これもヒットした。李光洙は中学の頃、崔南善と雑談しながら、朝鮮史を小説化した五部作を書く構想を立てたという。紀元前の壇君から始める予定が一〇世紀の新羅末からになってしまったと、のちにある雑誌で回想している。たしかに彼がこのあと書き続ける歴史小説を読んでいくと、朝鮮の歴史の流れがほぼわかる仕組みになっている」

このエピソードってちょっと「スターウォーズ」っぽくね?と思ってしまうのは私だけか。

まあそれはともかく、こんな本を書いてみたいものだ。

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くたばれ!達成感

4月8日(金)

はからずもこの数日、多くの卒業生から連絡が来た。

まことに不思議な現象である。死期が近いのか?

連絡が途絶えてしまった卒業生もいれば、今でもたまに思い出したように連絡をくれる卒業生もいたりと、いろいろである。

今でも気にかけてくれるというのは、何にしても嬉しいものである。

なかには、「今の仕事が大変で死にそうです!」と書いてくる人や、「自分は今の仕事に向いていないのではないだろうか」と、今の悩みを書いてくる人もいた。

多かれ少なかれ、誰でもそうなのだろう。

前にも書いたことがあるが、「この仕事は自分に向いている」からといって、いい仕事ができるとはかぎらない。

むしろ、「この仕事は自分には向いていない」と思うくらいの方が、いい仕事ができる場合がある。

ちなみに私、2年前に「キャリアチェンジ(笑)」してからというもの、失敗ばかりしている。

意気揚々と提案した取り組みは不発に終わるし、提出した申請書類は不採択に終わるし。

まあそれでも、何だかよくわからんが、相変わらず仕事をこっちにふってくるのは、致命的な失敗はしていない、ということなのだろう。

他人様は、自分が「失敗した!」と思うほど、さほど重大なこととは思っていないんだと思うぞ。

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済州島からのお客さん

4月7日(木)

この4月から、「外国からのお客さんに対応する係」になってしまった。

もっとも、もっぱら韓国からのお客さんへの対応だが。

今日は職場に、済州島からKさんというお客さんが仕事でやって来た。

初めてお会いする方だが、お話を聞いてみると、済州島の職場に移ったのはごく最近のことで、3カ月前まではソウルのHという職場に勤めていたそうだ。で、人事異動で済州島の職場に移ってきたのだという。

ソウルのHという職場には、私がよく知るPさんが勤めている。

「私、Pさんと知り合いです」と言うと、Kさんの顔がとたんにほころんだ。

「彼と知り合いですか」

「ええ」

実はPさんとは数回しか会ったことがないのだが、とてもいい人だったのですぐに親しくなったのだった。

「彼、いい人でしょう」

「ええ、いい人ですね」

「私は彼と3カ月前まで同僚でした。一緒に仕事をして、専門分野は違うけれどとても親しくなったのです」

「そうですか」

「そうだ、一緒に写真撮ってもらってもいいですか?」とKさん。

「かまいませんよ。でもどうしてです?」

「あなたと一緒にいるところを、今からPさんに送るんです」

そういうと、Kさんはスマホを出して、その場にいた同僚に頼んで、Kさんと私のツーショット写真を撮ってもらった。

写真を撮るとすぐに、Kさんはカトク(カカオトーク)で、その写真をPさんに送ったのである。

すると5秒もたたないうちに、ソウルにいるPさんから返事が来たようだった。

「あ、返事が来ました」

二人はどんだけ仲がいいんだ?

「こっちも返事を書きましょう。Pさんに何か伝えたいことがありますか?」

急に言われても、思いつかない。

「韓国でも日本でも、次は必ずお会いしましょう、と書いてください」

KさんがそれをカトクでPさんに送ると、また5秒もたたないうちに返事が来た。

だから二人はどんだけ仲がいいんだ?

Pさんからの返信は、

「昨年、仕事で鬼瓦さんの職場にうかがったとき、鬼瓦さんが出張のためお会いできず残念でした。次は必ずお会いしましょう」

というものだった。

Pさんは私のことを覚えてくれていたみたいで、ホッとした。

私がPさんの名前を出したことで、初対面のKさんと打ち解けて話すことができ、その後の仕事がスムーズに運んだ。

…というか、「世間は狭い」という理論は、韓国でも同じである。

ここでの仕事が無事に終わり、Kさんが次の出張先へと向かう。

「今度ソウルに来たときには、Pさんと3人で飲みましょう。私も月に2回は家族のいるソウルに帰ってますので」

「そうですか。ぜひまたお会いしましょう」

握手をしてお別れした。

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ロードバイク・2日目

4月3日(日)

ママチャリなみの速度で、今日も川べりのサイクリングロードを走る。

昨日少し走りすぎたので、今日は疲れない程度に、近場まで走ることにする。

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このあたりは、のどかな田園風景がまだ残っている。

このあと、川を渡り、いつもの町に向かう。

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相変わらず、多くの人で賑わっていた。

桜はほぼ満開となったが、昨日に引き続き曇天である。

今年の春は、今ひとつノリが悪い。

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吹きだまり自転車部、再始動!

4月2日(土)

あちらこちらから、「ロードバイクはもう乗らないのか」と、プレッシャーがかかっていた。

ようやく週末に少し空き時間ができたので、半年以上ぶりにロードバイクに乗ることにした。

それにしても、外は寒い。ダウンジャケットを着て歩いている人もいるぞ。

いつものように、Tシャツと短パンでは、凍え死んでしまう。

そこで、ユニクロのヒートテックを上下に着て、その上からTシャツと短パンを着ることにした。

こうすれば、ユニクロのヒートテック、つまりは黒いズボン下のことだが、それがタイツのように見えるのである。

それでもまだ寒いのだが、ほかに着るものがないので仕方がない。

いよいよ、川べりのサイクリングロードへと出発である。

久しぶりなので、無理をせず、ゆっくりしたペースで、寄り道しながら走ることにした。

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桜はまだ七分咲きといったところか。

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ややっ!あの渡し船は???

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これも渡し船か??と思ったら、「警戒船」と書いてあった。この写真だけ見ると、「国境の川か?!」と錯覚してしまう。

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川の対岸は、比較的大きな町である。

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今日はここまで。橋梁を走る電車は???

おおよそ40㎞くらい走っただろうか。久しぶりなので、この程度でご勘弁を。

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人事異動の季節

4月1日(金)

人事異動の季節である。

2年前に「キャリアチェンジ(笑)」してからというもの、「前の職場」と違って卒業生を送り出すことがないから、ほとんど感慨がない。

それでも毎年この時期には、職場では数名の人たちが、人事異動で職場を離れる。

2年間、一緒の部署で仕事をしてきた職員のN係長さんが、異動することになった。

ふだんは、よけいな会話はほとんどしないのだが、最後にNさんが私に言った。

「先生のおかげで、気持ちよく仕事をすることができました」

別に私が何をしたというわけではないが、私は決して職員さんに決してキツくあたったりはしないし、基本的には職員さんに迷惑をかけないように仕事をするように心掛けているだけであった。

しかしあの息苦しいようなうちの職場で、気持ちよく仕事ができたという感想を持てるのは、そうあることではない。

何よりNさん自身が仕事ができる人だったので、気持ちよく仕事ができたのは、むしろこっちの方であった。

いつも思うことだが、職員は実によく同僚を見ている。

こっちが本気で仕事に取り組んでいることがわかれば協力を惜しまないし、こっちがいい加減にやっていると、それなりにしか対応してもらえない。

自分に置き換えてみてもそうである。

自分が信頼している人に対しては真剣に応えるが、そうでない人にはいい加減に応える。

人間とは、まことに単純な生き物である。

さて、4月からどうなることやら。

新しく一緒に仕事をする人たちとは、ゼロベースから信頼関係を築いていかなければならない。ガバナンスのセルフ・マネジメントをイノベーションしていくことがワーク・ライフバランスのために必要である。

…というか、カタカナをやたら使うヤツは信用できない。

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