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李光洙・補足

「前の前の職場」の同僚だったKさんから、「こぶぎさんが学内広報誌に書いた卒業生へのメッセージが素晴らしい」とメールをくださった。

ホームページから読むことができるので、ぜひ読んでほしい。

映画「私はマララ」に端を発して、ふつうに勉強できる境遇がいかに幸運かということに気づかされる、短文ながら心にしみるメッセージである。

ちょうど今、波田野節子『李光洙(イ・グァンス)』(中公新書、2015年)を読んでいて、同じようなことを思っていたところだった。

ここに書かれている、「李光洙の生きた時代」は、決して他人事ではないように思えてくる。

たとえば、次の一節。

「一九四二年五月に朝鮮総督になった小磯国昭は、学生を皇民化させないような学校も皇民化しない学生も不要であるという意を含ませた恫喝のような談話を発表していた…」

「○○させない学校や○○しない学生は不要であるという意を含ませた恫喝のような談話」って、最近もどこかで聞いたことのある話ではないか。

あの頃と今とで、どこがどう違うのだ?

「安定して勉強ができる環境」を死守していくことは、そもそもが命がけの行為なのではないだろうか。そんなことに気づかされる。

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