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言少なく栄利を慕わず

4月27日(水)

いま、2年前に急死した大学時代の友人の遺稿集を作っている。

亡くなったE君のご両親から、「息子が25年前に書いた卒業論文を、叶うものなら見てみたい」とお手紙をいただき、出身大学に問い合わせ、E君の卒業論文を取り寄せた。

このあたりの話は、以前に書いたことがある

あらためて彼の卒論を読んでみると、間然するところがない、じつに彼らしい卒論だった。

彼を思い出すよすがに、この手書きの卒業論文を入力して、小冊子にすることにしたのである。

手書きの卒業論文をパソコンに入力したのは、E君の御母様と御兄様である。

とくに御母様は、これを機にパソコンの勉強を始めたそうで、息子の書いた一字一字と格闘しながら、入力していったと想像される。しかもかなり難しい専門用語が多用されているので、入力は困難を極めたのだろう。

このたびようやく入力が終わり、印刷屋さんで出力したので、校正をしてほしいと、ゲラが送られてきた。

専門用語や難しい漢字が多いので、校正にはかなり難儀した。

しかし、だからといって校正が滞ってもいけない。ご家族からしたら、1日も早く完成させたいと思っていることだろう。

夜、家に帰ったあと、日付が変わってからも校正作業を行う。

そしてようやく、数日かかって校正がひととおり終わった。

私とE君のつきあいは、大学の研究室にいた3年間ほどだった。

卒業後はお互いに忙しくなり、ここ20年ほどは、会っていなかった。

そのていどのつきあいしかなかった私が、彼の遺稿集を作る人間としてふさわしいのかどうかはわからない。

しかし、どんなにめったに会わない間柄でも、友人は友人である。

会うことの多寡が、友人であることをはかるバロメーターではないのだ。

この遺稿集には、彼とゆかりのある3人の文章も掲載される。

そのうちの一人は私だが、もう一人、やはり文章を寄せてくれているI君は、中学校から大学までE君とずっと一緒で、最も仲がよかった親友だった。卒業後は、E君もI君も民間企業に就職し、人生の節目節目で、二人は酒を飲んで語り合ったという。

そのI君は追悼文の中で、E君について、最後にこう書いている。

「『閑静にして言少なく栄利を慕わず。書を読むことを好めども甚解を求めず』

敬愛する陶淵明のこの自評が彼ほど似合う者を私は他に知らない」

これを読むと、大学時代のE君の佇まいを、思い出さずにはいられない。

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