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2016年5月

ドラマ演出家監督の憂鬱

台湾から帰ってきました。

往復の飛行機で、映画を観た。ラインナップを見ると、「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」(1973年)があがっていたので、久しぶりに見ることにした。

このころの渥美清は、本当に脂がのっていたなあ。山田洋次の演出も冴えわたっていた。

さて、帰りの飛行機ではなんの映画を観ようか。

迷ったあげく、石橋冠監督の映画「人生の約束」(2016年)を見ることにした。

富山県のある町を舞台に、その町で古くからおこなわれているお祭りをめぐって、人々の思いが交錯する、というストーリーである。

出演者は豪華である。竹野内豊、江口洋介、西田敏行、柄本明、優香、小池栄子、ビートたけし…。それに加えて、立川志の輔師匠と室井滋も、富山県出身という縁で出演している。まさにこれ自体が「お祭り」的キャスティングである。伝説の名演出家のもとに、豪華出演陣が集まったということなのだろう。

石橋冠監督は、「池中玄大80キロ」などの演出を手がけた、日本のテレビ界の名演出家である。つまり私は小さいころから、石橋冠演出のドラマを見て育ったのである。

さて、映画を見て、「うーん」と唸ってしまった。

映画というよりも、やはり2時間ドラマという印象をぬぐえない。

そこで語られる価値観やセリフも、かつて子どものころに私が見たドラマの域を、越えていないのである。

感動的なストーリーということなのだろうが、登場人物の誰にも、共感できない。

いくつか感動的なシーンがあり、そのつど反射神経的に涙が出るのだが、それはこの映画が「いい映画」だからではなく、「涙泥棒」の映画、つまり、「涙だけ奪って後に何も残さない」映画だからである。

どうしてこんなことになるのだろう、とつらつら考えてみると、これはひょっとして、テレビドラマ演出家の持つ「業(ごう)」のようなものではないだろうか。

以前、ライムスター宇多丸さんが、ラジオで映画「ホタルノヒカリ」を酷評していた。私自身はその映画を観ていないのだが、宇多丸さんはこれを「テキトーに作った映画」だと喝破したのである。

この映画の監督は、テレビドラマの演出を数多く手がけた吉野洋である。その演出実績は、「池中玄大80キロ」「ちょっとマイウェイ」「あんちゃん」「Oh!階段家族」「すいか」など、日本テレビの土曜グランド劇場枠のドラマの、しかも私のドストライクのドラマを、数多く手がけてきたのだ。私は吉野洋演出のドラマを見て育ってきたと言ってよい。

ドラマの名演出家が映画を撮るとコケる、というのは、ドラマの演出家が持つ業(ごう)のようなものなのではないだろうか。

反対に、映画監督がドラマの世界に入って成功する例がある。「HOTEL」をヒットさせた瀬川昌治とか、「あぶない刑事」の村川透とか、「相棒」をヒットさせた和泉聖治とか。

このあたりをもっと掘り下げて考えてみたいところなのだが、目下のところ、時間がない。

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俺の五つ星・台北編

5月27日(金)

「台北に着いたら、どうしても行きたいところがあるんです」と、同僚のGさんが言う。

「どこです?」

「夜市です」台北で最も大きな夜市の名前をあげた。

「いいですねえ」と私。

「もう何年前になるでしょうか。仕事で台北に訪れたとき、そこの夜市で食べた牛肉麺(にゅーろーめん)がとても美味しくて、忘れられないのです」

「ぜひ行きましょう」

ということで、台南から台北に戻ったこの日の夜、夜市へと向かったのであった。

その夜市は、小綺麗に観光地化されていて、さまざまな屋台も、一つのビルの地下1階に集約されていた。

なんとなく味気ない感じもしたが、それでも地下に降り立つと、屋台の喧噪に圧倒された。

地下の屋台街を歩き回るが、Gさんはどうも納得がいっていないようだった。

「おかしいなあ」

「どうしたんです?」

「私が食べたお店というのが、見当たりません」

「どんなお店だったんです?」

「おばあちゃんが一人でやっているようなお店で、そこで出た麺というのが、えらく細麺だったんです。お店の名前、何だったっけなあ」

それだけを手がかりに再び地下の屋台街を歩き回るが、やはりそれらしい店は見つからない。

「もうずいぶん前の話だから、お店なくなっちゃったのかなあ」とGさん。

「そうかも知れませんねえ」と私。「とりあえず、せっかく来たのでどこかで牛肉麺を食べませんか?」

「そうですね」

というわけで、牛肉麺を食べた。

1

「これはこれで美味しいですが、わざわざこの夜市まで食べに来る、というほどのものでもありませんねえ」とGさん。よほど、かつて食べた牛肉麺が美味しかったようである。

「そんなに、そのときの麺は美味しかったんですか?」

「ええ。だって、出張のあいだ、毎日のようにその店に通いつめましたから」

ますます食べたくなってきた。

「もう一度さがしましょう」

地下の屋台街を歩き回っているうちに、お店の配置図とそれぞれの店名が書かれた貼り紙を見つけた。

Gさんが記憶を頼りに店名を探していくが、やはりみあたらない。

「おばあちゃんが一人でやっていた小さなお店だったんでしょう?」

「ええ」

「もう店じまいしている可能性もありますね」

「そうですねえ…」

Gさんはあきらめきれない様子である。わずかな記憶を頼りに、スマホを駆使して調べはじめた。

すると、「店名がわかりました」という。

「お店はまだあったんですか?」

「どうもそのようです」

「お店が移転したんでしょうか?」

「そうかも知れません」

なんだか、TBSラジオ「伊集院光とらじおと」の「俺の五つ星」コーナーみたいな展開になってきた。

Gさんが場所を調べたところ、そのお店は、泊まっているホテルのすぐ近くにあることがわかった。

台北の中心の駅からMRT(地下鉄)で、西に一駅ほどの場所である。

「ガイドブックにも載っていましたよ」

日本でいちばん有名なガイドブックに、「長蛇の列ができる」「並んででも食べる価値がある」と書いてあった。

ますます期待が高まる。

ということで、翌日(28日)の夕方、行ってみることにした。

すると、ビックリするほど長蛇の列である!しかもひっきりなしに人が並んでくる。

台北でこれほど長蛇の列ができる店は、他にないのではないだろうか。

もっとビックリしたのは、お店には、イスやテーブルというものが一切なく、麺の入った紙のカップを手に持って立ち食いしなければならないのである!

「路上でカップラーメンを手に持って食べる」という画を想像すればよい。

長蛇の列だが、回転が速いのですぐに買うことができた。

2_2

正確には「牛肉麺」ではなかったので、私が思い描いていたイメージとは異なっていたが、それでもたしかに並ぶ価値のある美味しさだった。

「まさかこんなに人気店になるとはねえ。私が以前、夜市で食べたときは、全然有名ではなかったのに」とGさん。

「Gさんの味覚の確かさが証明されたということですよ」と私。「こんなことって、あるんですねえ」

さて、私たちが訪れた、そのお店の名前というのは…。

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脱線さん

5月26日(木)

前回のクイズに対してのこぶぎさんの答えが難解すぎて、正解しているのかどうかもよくわからない。

それはさておき。

今日は朝から終日、先方の機関との交流会議である。

私も40分ほど発表させられたが、あんまり役に立てず、ひどく落ち込み、軽く死にたくなった。

それでもひとまず会議が無事に終わり、夕方、建物の中を同僚たちと見学した。

むかしのレコードがたくさん並んでいるなか、私一人だけが興味を引いたのは、「1970年代の喜劇スター、脱線」である。

1

どうやら1970年代の台湾に、「脱線」という名前のコメディアンがいたらしい。

そしてその脱線さんが、コメディーのレコードをかなりたくさん出していたようである。

2

これは脱線シリーズ第3集「脱線・石松掘寶記」で、石松さんとコンビを組んだらしい。ジャケットを見るかぎり、脱線さんよりも石松さんのほうがおもしろそうである。

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これは脱線シリーズ第18集「閩南語爆笑劇 脱線司機」。

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これは脱線シリーズ第24集「閩南語爆笑劇 脱線博士」。相方をつとめるのは、久松さんである。

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これは脱線シリーズ第28集「脱線伙計」。

展示されていたのはここまで。

いくつか疑問がわいてくる。

脱線さんは、そのつど相方を変えていたのだろうか?

そのひっきりなしに変わる相方の名前が「○松」というふうに最後に「松」がつくのは、単なる偶然か?

「脱線シリーズ」のレコードの内容は、どんなものなのか?音声だけの喜劇なのだろうか。

「脱線シリーズ」は、第何集まで続いたのだろうか?

脱線さんと、日本の「脱線トリオ」とは、何か関係があるのだろうか?

台湾のラブコメ映画に詳しい、このブログの常連コメンテーターの人に聞けば、何かわからないかなあ。

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超簡単!都市名当てクイズ

5月25日(水)

またまた旅の空です!

私が訪れた都市の名前は何でしょう?

下の4枚の写真を見れば、超簡単ですね。

Photo_2

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またまた旅に出ます

5月24日(火)

明日からはじめての場所を旅するというのに、旅支度がまったくできていない。

こういうときにかぎって、朝から夕方まで休みなく会議である。

しかも夕方5時からの三つ目の会議は、話が本筋からどんどんそれてゆく。

30分ですむような議題が、1時間半近くかかっていた。

こういうときいつも、

(知っていてわざと俺をイライラさせているでしょう?)

と言いたくなる。

まったく、「人生はトゥルーマンショー」である。

というわけで、しばらく旅に出ます。

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長い一日の続き

5月21日(土)

「長い一日」は、翌日も続く。

午前中早くに仕事を済ませたあと、今度は「前の前の勤務地」に移動する。

前の前の職場の同僚のKさん、そしてこぶぎさんとお昼を食べながら、あれこれとお話しする。

最近、こぶぎさんからのコメントが少ないのは、ひどく忙しくて気が急いているからだという。それに、コメントを書いてはみたものの、とても公開できるようなものではないものが多く、ボツにしてしまっているのだという。

Photo「それ、何です?」

紙の切れ端に殴り書きしているメモがあった。

「あ、これ、今日喋ろうと思っていたこと」

なんと!こぶぎさんは、今日喋ろうと思っていたことを、箇条書きでメモしてきたというのだ!

ラジオパーソナリティーか!

1時間半ほど喋ったあと、二人とお別れして、今度は隣県に向かう。

隣県に出向している「同い年の盟友Uさん」に誘われて、「製鉄復元実験」の現場に行くことにしたのである。

「新幹線のとまる駅」まで車で迎えに来てもらい、そこから30分ほど山のほうに行ったところに、製鉄復元実験の現場がある。

映画「もののけ姫」に出てくるような製鉄の方法の復元をめざして、毎週の土日、有志が集まって製鉄復元実験をおこなっているのだという。

私も少しだけお手伝いさせてもらったが、初めて体験することばかりで、実に面白く、かつ根気のいる作業であることがわかった。

Photo_2炉の中に砂鉄と石炭を交互に入れながら、ひたすら鉄が生成されるのを待つ。

「この炎を見ているとねえ、やめられなくなるんだよ」

「むらげ」と呼ばれる、操業をとりしきるリーダーの方はおっしゃった。

夕方5時近くまでこの場所で過ごし、ふたたびUさんの車で「新幹線のとまる駅」まで戻る。

車中、Uさんが語る家族話に笑い転げる。地元のハーフマラソン大会に参加したUさんが、ゴール手前3㎞のところで時間切れとなりバスに乗せられたのだが、そのことを知らないご家族が、ゴール手前2㎞のところで来るはずのないUさんのことをずっと待っていた、という話などは、私よりも自虐ネタである。

いっそ、Uさんがブログを始めた方がいいんじゃないか?

そうこうしているうちに駅に着き、「それじゃあまた」とお別れした。

新幹線の中では、あまりに疲れて爆睡した。

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三つのライフワーク

5月20日(金)

「前の勤務地」に行く。

3つの用事があった。

2一つは、「県庁所在地のある駅」から車で45分ほど行ったところにある古刹の調査である。朝9時から始めて、午前中いっぱいおこなったのだが、それでも終わらず、続きはまた次回ということになった。

二つめは、「前の職場」での講演会である。「眼福の先生」とおこなった調査のお話を、夕方4時半から1時間ほど喋ることになっていたが、なんだかんだで一時間半以上も喋ってしまった。こぢんまりした会だったが、参加した皆さんが熱心に聴いてくれて、中身の濃いイベントだった。

講演会の最後のほうには、昨年卒業したSさんと、今年卒業したK君も駆けつけてくれた。卒業生に会えるのは、やはり嬉しいものである。

三つ目は、震災を契機に活動したボランティアの会合である。私が「前の勤務地」に来る日に合わせて、世話人代表のKさんが会合をセッティングしてくれたのである。講演会が終わったあと、午後7時から10時近くまで話し合いが行われた。久しぶりに仲間たちと話す時間ができて、とても有意義な会だったが、その一方で、自分の無力さを痛感して少しばかり落ち込んだ。

この三つはいずれも、「前の勤務地」にいたときに取り組みはじめて、ライフワークにしようと決めたものばかりで、それを一日のなかでいっぺんにおこなったわけだから、充実した一日だったと言わずして何と言おうか。ま、他の人にはわからないことだが。

終わったあと、友人たちと立ち飲み屋で談論風発、…というほどのものではないが、おもに私のブログへの注文である。

その友人によると、私のブログのベストエピソードは、「正月休みにマウンテンデュ-を自販機の前で立ち飲みしているところに、義理の従姉妹が通りかかって、軽く死にたくなったという話」だそうである。

最近はどうも、このブログも守りに入っていて、精細さに欠ける、というのである。私のブログの「ヘビー読者」であるその友人の奥さんも、最近は仕事がお忙しいこともあり、このブログをあまり読んでいないと聞いて、軽いショックを受けた。

「まあそうは言っても、面白い話なんぞ、そうそうないものだよ」

「まあそれはそうだな」

だがこれからもできるだけ飽きられない記事を書き続けなければならない。

どうやら私以外の人たちは、みんなFacebookをやっているらしい。どうもそこで、日常的につながっているというのだ。

ブログもそろそろ限界だし、いっそFacebookに移行しようと思っているところだったのだが、

「鬼瓦さんはやらなくていいよ。その分、ブログの腕を磨いてよ」

と止められた。

うーむ。俺のいないところで、何か面白いことをやっているんじゃねえかと勘ぐりたくなる。

気がつくと日付が変わるまでハイボールを飲んでいた。

長い一日だった。

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謎の般若心経

5月18日(水)

駅でバスを待っていると、「すみません。ちょっとよろしいですか」と話しかけられた。

振り向くと、Tシャツで半ズボンの、モジャ毛の青年である。

「なんでしょう?」

青年は、私に紙を見せた。

紙には、般若心経が薄い文字で書いてある。なぞり書き用の写経用紙である。

「あのう…いま、いろいろな方の力でこの般若心経を完成させていただこうと思いまして…」

「完成させる?」

「ええ。この紙に、薄い字で般若心経の経文が書いてありますでしょう?」

「はぁ」

「これを、時間の許すかぎり、鉛筆でなぞって書いていただきたいのです」

「つまり、なぞる写経ってやつですか?」

「そうです」

なんだかよくわからない。何かの宗教なのか?

「あのう…決して怪しいものではございません。宗教の勧誘とか、何かを買ったもらおうとか、そういうことではありません」

いやいや、どう考えてもアヤシすぎるだろ!道行く人にかたっぱしから声をかけて、般若心経を写経してもらう、というのは。

この時点であなたならどうする?

風貌からなにから怪しい青年に、いきなり道端で、「あなたのお力で般若心経の写経を少しでも進めてください」と言われたら?

ふつうは断るよね。

しかし私の頭によぎったのは、みうらじゅん先生がかつてやった、「アウトドア般若心経」である。

町の看板の文字のなかから、般若心経の278文字を捜して、写真に撮って並べてみるという、まさに現代版の「写経」である。

町へ出て看板の文字を丹念に探しまわり、般若心経の全文を完成させるのだ。

この青年の試みは、それに少し似ている。

いろいろな人の力を借りて、般若心経の写経を完成させるというアイデアに、ちょっとだけ惹かれたのだ。

「よろしい。やりましょう」

「ありがとうございます。時間の許すかぎり書いてください」

すでに途中まで写経されている。誰かが写経したのだろう。

私はその続きからである。

「想行識」と3文字書いたところで、バスが来た。

「バスが来てしまったので、ここまでです」

結局、私が書いたのはたった3文字だった。

「あのう、これはいったい何のためにやってるんです?」私が聞いた。

「会社の研修です」

「会社の研修?」

「ええ。人に怪しまれないようにいろいろな人とコミュニケーションをとることができるようになることがねらいみたいです」

しかし、ずいぶんまた遠回りな方法だなあ。

こんなことで、人とのコミュニケーションが成立するのか?

というか、そもそもTシャツに半ズボンといういでたちじたいが、怪しまれると思うぞ。まずはそこを改善した方がよい。

それにもうひとつ疑問がある。

鉛筆で字をなぞって写経をしていくわけだが、お手本の字をなぞっていくかぎり、筆跡は同じになる。

つまり般若心経が完成したとしても、何人の手によって完成させたのかは、証明できないことになるのだ!

誰にも頼まず、自分一人で全部写経して、それを会社に提出したとしてもバレないはずである。

仮に会社の研修だとしても、脇のあますぎる企画である。

やはり俺はだまされているのか?

バスに乗り込み、バスが発車した。

さっきの青年を目で追っていくと、彼は別のバス停に行き、今度はそこで待っていたご高齢の集団に声をかけていた。

その方たちは、青年を見ると怪訝そうな顔をして、首を横に振っていた。たぶん、写経の申し出を断ったのだろう。前途多難である。

青年の般若心経は、はたして完成しただろうか?

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秘密のエレベーター

5月17日(火)

とにかく忙しい。

あんまり忙しいと、気が立ってくるね。

「午前10時から作業をしますので、現場に来てください」

と言われ、その時間に現場に行ってみたものの、鍵がかかっている。

近くにいる職員さんに聞いてみた。

「午前10時から作業のはずなんですけど、まだ誰も来ていないんですかね。鍵がかかってますよ」

「さあ…。でもさきほど作業をするからといって、担当の方が鍵を開けて入っていきましたよ」

どういうこっちゃ?

担当の部署に行って聞いてみると、オマエ知らないのか?みたいな顔で、

「いったん地下におりて、秘密のエレベーターを使って上がるんです」

という。秘密のエレベーターって何だ?

「ちょっと待ってください。そんなこと誰からも聞きませんでしたよ!私はまだここへ来て2年しか経っていないんですからね。そんなこと言われてもわかりませんよ!」

つい、声を荒げてしまった。

だいたいこの職場は、本来連絡しなければならないことを、当然知っているだろうという体(てい)で、連絡してくれないことが多い。知らない俺が悪いのか?

「じゃあご案内します」

と、その部署の職員さんが地下室まで案内してくれた。

ひどく旧式のエレベーターで、操作方法もけっこう面倒くさい。

慣れていないと操作は難しい。俺一人だったら閉じ込められるぞ。

エレベーターが地下から1階に上がると、作業場の部屋に出た。

なるほど、こんな仕掛けになっているのか。2年経って初めて知った。

誰も教えてくれないんだな。

無事に作業が終わり、午後の会議、夕方の都内での会議をこなす。

疲れた。

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せんだぎのにしきや

5月14日(土)

まったく休みがない。

旅に出たり、人に会ったりすることが、さすがに疲れてきた。

いっそやめてしまいたいと思うのだが、そういうわけにもいかない。

元総理大臣の選挙区だった町にある施設まで、日帰り出張である。新幹線で1時間45分。そこからバスで45分。

お昼に着き、昼食を食べる暇もないまま、午後いっぱい、そこでおこなわれているイベントを見学した。

夜、東京に戻り、いつもだったら上司に飲みに誘われるのだが、さすがに上司も疲れていたらしい。そのまま解散となった。

こっちはそのつもりで家族にも言ってあるし、それで妻も実家に帰ってしまったものだから、さあどうしよう。

高校時代の友人・元福岡のコバヤシに電話してみたところ、ヒマだというので、せんだぎのにしきやという、いかにも吉田類が訪れそうな居酒屋で飲むことにした。

「こんな仕事もうやめたい」と私が言うと、

「いいかげんにしろよ!どうせやめる気なんかないんだろう!」

と言われる。このやりとりは高校時代から変わらない。

あとは、高校時代の思い出話か、食い物の話。あ、あと、矢野顕子がいかにすごいかって話。

コバヤシの語るサラリーマン生活の話も抱腹絶倒である。コバヤシにもう少し野心というものがあったならば、山口瞳のような作家になっただろうにと思うのだが、本人にはてんで野心というものがない。

5月15日(日)

朝から偉い先生たちと、職場で仕事。夕方6時に仕事が終わり、例によって私が住む町にある「なんとか水産」とかいう大衆酒場で飲み会である。

さすがに疲れた。

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まどろっこしい話

仕事上のメールの返事を書くだけで1日が終わることがある。

それどころか、忙しくてメールの返事が書けないまま1日が終わることもある。

だが一方で、私も含めて人間というものは返信をいち早く受け取ることを求めたがる。

まったく何のために生きているのか?最近はさしずめ、メールを書くために生きているようなものである。

仕事のメールというのが苦手である。

たとえば、そうねえ、編集者の場合。編集者から次のようなメールが来たとする。

「近いうちに打ち合わせをしたいと思います。16日と18日と23日のうち、ご都合のよい日を教えてください」

で、私が返信する。

「18日の夕方6時から都内の○○駅付近で用事がありますので、それ以前の時間であれば都内で打ち合わせが可能です」

するとまた返信が来た。

「では、18日の午後4時半から○○駅付近で打ち合わせをしたいと思いますが、それでよろしいでしょうか。お返事お待ちしております」

「お返事お待ちしております」といわれたら、お返事しなければならない。

「4時半からということで承知しました」

と返信すると、しばらくしてまたメールが来る。

「4時半から○○駅近くの○○ビルの1階ラウンジで打ち合わせをしたいと思いますが、それでよろしいでしょうか。お返事お待ちしております」

「お返事お待ちしております」といわれたら、お返事しなければならない。

それでよろしいでしょうかもなにも、編集者がそう決めたんだったら、それにしたがうまでである。

「4時半から○○ビルの1階ラウンジで打ち合わせということで承知しました」

と返信することになるのだが、ここまでのやりとりがまどろっこしくて仕方がない。

わかるかなあ、この感覚。

同じ頃、別の人から仕事のメールが来た。

「2日か6日か11日ならばそちらにうかがえるのですが、ご都合のよい日程を教えてください」

私が、

「11日の午前ならば職場におりますので大丈夫です」

と答えると、

「11日の午前ということで承知しました。11日の何時頃にうかがえばよろしいでしょうか。ご指示ください」

と返信が来た。「ご指示ください」といわれれば、指示しなければならない。

「10時半ということでお願いします」

と返信すると、

「承知しました。10時半にうかがうということでよろしいでしょうか。お返事お待ちしております」

「お返事お待ちしております」といわれれば、お返事しなければならない。

「10時半ということで大丈夫です」

…とまあ、こんなやりとりが延々と続くのである。

たぶん私も、同じようにまどろっこしいメールを出しているんだろうなあと反省する。

こんなとき私が思い出すのは、次のふたつのセリフである。

ひとつは、「刑事コロンボ」の「権力の墓穴」というエピソードで、犯人である警察署次長が言うセリフ。

「君はねえ、君と僕の時間を浪費しているんだ!」

もうひとつは、三谷幸喜脚本、中原俊監督の映画「12人の優しい日本人」のなかで、ある陪審員が言うセリフ。

「僕には考えなければならないことが山ほどあるんだ!」

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鬼瓦ブルーの車検

5月12日(木)

車を車検に出す。

いま乗っている車は、「前の勤務地」に住んでいた2003年5月26日に納車した。ちょうど新車を引き取りにいこうと、手放す予定の車に乗ってお店に向かっている途中、宮城県沖地震が起こった。

最初は地震だとはわからず、運転中に車が左右に揺れるものだから、あたかも車が「俺を手放さないでくれ」と嫌がっているように感じたものである。

まあそれはともかく。それからもう13年も同じ車に乗り続けている。

車の色が青なので、その時からなんとなく自分のラッキーカラーを青と決めている。

こちらに引っ越してきたばかりの2年前の5月、車を車検に出さなければならないので、近くにあるディーラーに行くことにした。私はXというメーカーの車に乗っているので、「Xカーズ」というディーラーである。

以前、「前の勤務地」にいたときは「Xカーズ県名」という店の支店にお世話になったので、今回も同じ系列店と思われる「Xカーズ市町村名」というお店を利用したのである。

車検が無事終わり、後日、「前の勤務地」の「Xカーズ県名」に電話でお話ししたところ、

「鬼瓦さん、そのお店はうちの系列店ではありませんよ!」

という。

「え?違うんですか?」

「全然違いますよ!」かなり語気を荒めて言った。

「だって、同じ『Xカーズ』じゃないですか」

「違います。鬼瓦さんが行かれたお店は、『Xカーズ市町村名』でしょう?」

「はあ」

「うちの系列店は、『Xカーズ県名』です」

「え、そうなんですか?」

「『Xカーズ市町村名』の支店の、道路をはさんだはす向かいに、『Xカーズ県名』の支店があったでしょう?」

「そういえば、ありました」

「そこがうちの系列店です。間違えないで下さい!」

「ええええぇぇぇぇ???そうだったんですか!」

『Xカーズ県名』と、『Xカーズ市町村名』は、全く違うお店なのか?

誰だって同じ系列店だと思ってしまうではないか?

しかも、その二つの店は、すぐ近くにあるのだ。

ややこしいったらありゃしない!

「次回からは、『Xカーズ市町村名』の支店ではなく、『Xカーズ県名』の支店で車検を受けて下さい」

「はあ」

というわけで、今回は『Xカーズ県名』の支店で車検をお願いすることにしたのである。

念のため、『Xカーズ県名』の営業の方に聞いてみた。

「あのう、はす向かいにある『Xカーズ市町村名』は、系列店ではないんですよね?」

「ええ、全然違います。全く違います!」

なぜかまた、語気を荒めて答えてくれた。

どうして同じメーカーなのに、しかも同じ店名なのに、全然違うということをこれほど強調するのだろう?

まったくもって、よくわからない。何かわけがあるのか?謎である。誰かこの謎を解いてくれ!

それはともかく、無事に車検の手続きが終わり、代車を手配してくれた。

それがまたコンピュータ制御による最新式の車で、私には手に負えないようなシロモノである。

昔は代車といったら、ボロボロの車があてがわれたりすることもあったが、いまは、わざと新しい車に乗せて、購買意欲をそそらせようとする魂胆なのだな。

そんなことを感じながら、おそるおそる最新式の代車に乗って帰ったのであった。

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嗚呼、不健康診断

5月10日(火)

一年でいちばん憂鬱な日。

そう!それは「職場の健康診断」!

しかも今年は例年よりも早い。連休明けの今日、おこなわれる。

先週1週間のうち、4日も宴会で深酒をした私にとっては、健康診断を受けることがますます憂鬱である。

健康診断が憂鬱な理由は、次の3つの関門をクリアしなければならないからである。

ひとつは、「便潜血検査」。つまり採便である。

当日の朝、上手く便が出てくれるか?

上手く便が出てくれたとして、うまいこと便器に着地して、それを上手にこそげるか?

それを考えただけでも、前の晩は眠れなくなる。

今朝、なんとか苦労して、採便に成功した!

これだけでヘトヘトである。

二つめの関門は、「採尿」である。

前の職場のときは、朝起きたときの「一番搾り」を採尿して持っていけばよかった。

ところが、いまの職場は、職場に行ってから、職場のトイレで採尿しなければならない。

これが私にはプレッシャーである。

家を出て、職場に着いて健康診断が始まるまで、尿意を調節しておかなければならないのである。

しかも、である。

当日の朝は、水分をとってはいけないことになっている。

つまり、当日の朝に水を飲むことで尿意を調節することはできないわけである。

家を出る前に完全に済ませてしまったら、健康診断のときに尿意を催さなくなる。

かといって、おしっこを我慢したまま家を出て電車に乗ったら、大惨事になる危険がある。

職場に行ったら行ったで、狭いトイレの中で、まわりに他人がいるところで採尿することにまたプレッシャーを感じ、尿意が引っ込んでしまう。

まったく、なんとかならないものか…。

しかしこれも、トイレの中で

「無念無想、無念無想…」

と唱えながら、なんとかプレッシャーに負けることなく、採尿することができた。

やれやれ。

3つめの関門は、いうまでもなく「バリウム」である!

妻に聞いたところ、バリウムによるレントゲン検査というのは、あんまり効果がないのだという。

よっぽど胃の形が大きく変わったとか、重篤な症状が出たときにはバリウム検査でも発見できるが、小さな症状は胃カメラでないとダメだという。

えええぇぇぇぇ!!じゃあなんのためにいままで苦労してバリウムを飲んでいたのか?

苦労して飲んでも、「結局よくわからなかったので、胃カメラで検査してください」と言われるのだったら、元も子もないではないか!

しかし、今日はとりあえず、バリウムを飲まなければならない。

バリウムを飲むのもイヤだが、Tシャツと柄パン姿で検査台に乗り、アクロバティックな動きをさせられるのが、なんとも屈辱的である。

グルングルン回されているうちに、船酔いみたいに気分が悪くなった。だが、ゲップは禁止されている。

ヘトヘトになって検査台から降りると、下剤が渡される。

さあ、ここからが最大の難関である。

早くバリウムを体外に排出しないと、大変なことになる。

しかし、飲んだ下剤の効果が、いつごろ出るのかは、神のみぞ知る、である。

下剤を飲んで1時間後の10時20分、波がおそってきた。

慌ててトイレに駆け込み、排出する。

これで一件落着かといったら、そうではない。

バリウムを全部出し切ったかどうかは、この時点ではわからないのである。

次の波が来る不安におびえながら、午後の会議に出る。

するとほどなくして、第二の波が襲ってきた。午後1時45分。

(困ったな…)

脂汗がとまらなくなった。

幸いにして、ほどなくして会議が終わり、トイレに駆け込んで、事なきを得た。

どうやらこの2回の波で、今回は終わりを告げたようである。

やれやれ。ストレスのたまる一日だった。

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気の抜けない3日間

5月8日(日)

この3日間は、めまぐるしかった。

6日(金)は、うちの職場に韓国からのお客さんがおいでになった。その方はその道の大家である老先生で、私も韓国留学中は大変お世話になった。今回、日本の大先生のお招きで日本を訪れ、そのついでにうちの職場に立ち寄ることになったのである。

ここに至るまで、いろいろなことがあったが、とても書くことはできない。

間違いがあっちゃいけないと、事前にぬかりなく準備をし、先生をお迎えし、社長との面談をセッティングし、2時間ほど職場の案内をし、夜は銀座で、その先生を囲んで、日本の大先生方も交えて総勢9名で宴会を行い、なんとか無事に終了した。

気をつかいたおして、汗だくになる。

7日(土)と8日(日)の二日間は、職場で会合があり、20名以上のお客さんを招いてまるまる二日間にわたって会議をおこなった。ホスト役だったので、やはり気が抜けない。

土曜日は午前10時から午後5時半まで会議をし、そのあとは夜9時半まで20名以上による宴会である。

日曜日は、朝9時から午後2時まで会議で、この日は私が司会をつとめたので、やはり気が抜けない。

気をつかいたおして、汗だくになる。

そんなこんなで、ヘトヘトになった。

この3日間で、30名以上の人とお話ししたことになる。

もともと怠惰でコミュニケーション能力のないこの私にとっては、かなりキツかった。

「いま、どんな仕事をしているのか?」

と聞かれたら、

「人と会う仕事です」

と答えるほかない。

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トキワ荘中心史観

TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」の「さいとう・たかを特集」が面白かった。

漫画家のみなもと太郎が、さいとう・たかをの偉大な功績を語る、という企画で、いってみれば「レジェンドがレジェンドを語る」という内容である。

みなもと太郎は「さいとう・たかを」を語るのに、その前提として、日本における漫画の歴史から始まり、漫画の歴史における手塚治虫の位置づけ、という話に進んでいき、なかなか本論の「さいとう・たかを」にたどり着かない。

本題になかなかたどり着かない語り口は、まさに代表作『風雲児たち』を彷彿とさせる。

しかも漫画史に対する考察は、まるで学問におけるパラダイムを語るがごとくである。

私が最も学問的スリリングを感じたのは、以下のくだりである(実際にポッドキャストを聴くことをオススメする)。

「(みなもと太郎)…さいとう・たかをさんは『新宝島』を初めて見た時に、「ああ、紙で映画が作れるんだ」と思って、それを実践していったと。

(宇多丸)いわゆる子供向け「まんが」的な感じではなくて。本当にストーリーがあって。いまで言う漫画ですよね。

(みなもと太郎)そうです。それで、石ノ森章太郎である、水野英子である、赤塚不二夫である、藤子不二雄であるという人たちも……

(宇多丸)いわゆるトキワ荘的な人たち。

(みなもと太郎)そういう人たちも、『新宝島』を見て。要するに、あの当時の少年たちはみんな『新宝島』にショックを受けたわけですが。で、手塚治虫のような作品を書きたいということで。ただ、いま『新宝島』を我々が見て、それほどの衝撃を受けようというのは無理な話で。だけども、今、『新宝島』が世間にどういう評価をされているか、一言で言えますでしょ? 手塚治虫は何をしたのか?って。

(宇多丸)ええと、映画的な表現を漫画に持ち込んだ。

(みなもと太郎)はい、その言葉です。だとすれば、手塚治虫のいちばんやりたかったことを実現させえたのはさいとう・たかをじゃないのか? と。

(宇多丸)ああっ、つまり……

(みなもと太郎)で、そこで「ああ、つまり……」と言わないでほしい。「えっ、そんなはずはない」でしょう? 手塚治虫がやろうとしたことは、さいとう・たかを劇画に発展させたかったのか?

(宇多丸)ああ、もちろん手塚治虫は、こういう漫画像を理想としては、ビジョンとしては描いていないですよね。

(みなもと太郎)だけども、今の世間の評価は「手塚治虫は映画的表現を開発した」と言う。もし、それを言うのであれば、さいとう・たかをがそのトップバッターじゃないのか? でも、それは変だと思うでしょ? あなたも私も。俺も、そう思う。

(宇多丸)その「手塚の血統だ」と言われると、大変違和感がある。

(みなもと太郎)違和感があるでしょう? だから、手塚治虫を見て、『ドラえもん』もできた。『星のたてごと』もできた。『忍者武芸帳』もできた。『ねじ式』だってやっぱり手塚治虫を……

(宇多丸)ああ、そうですか。つげ義春でさえ。

(みなもと太郎)つげ義春でさえ、手塚漫画に衝撃を受けて漫画家になっていって。そういう百花繚乱な中。だから、まずその手塚治虫の『新宝島』の評価というものを、まだ世間は捉えていない。手塚治虫もまた理解されていないと俺は言いたい!

(宇多丸)なるほど。つまり、「映画的表現を持ち込んだ」っていうこの割り切り方がちょっとおかしいですかね

(みなもと太郎)そう。おかしいでしょう。今、これを言うと。「映画的表現」って言うなら、じゃあ『ゴルゴ13』が手塚治虫の正当の跡継ぎになるんじゃないか?って。でも、それは俺自身でも変だと思う(笑)。

(宇多丸)はいはい。たぶんトキワ荘中心史観みたいなものを、特に僕みたいな門外漢とか、後から来た世代は、そこの歴史だけはよく知っていて。

(みなもと太郎)だから歴史というのは、そういうもんなんですよ。

(宇多丸)まさに『風雲児たち』!(笑)。」

宇多丸さんが瞬間的に生み出した「トキワ荘中心史観」という言葉に、思わず手をたたいてしまった。

なるほど、私たちの戦後漫画史のパラダイムは、「トキワ荘中心史観」だったのかもしれない。

しかしそれを克服することが、手塚治虫に対する新たな評価にもつながる。

ちょっと学問的興奮を覚える一幕であったので、心覚えに書きとどめておく。

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2013年公開の韓国映画

5月5日(木)

録画しておいた韓国映画を2本見た。

A0222564_004451ひとつは、「悪魔は誰だ」(韓国語の原題は「モンタージュ」、2013年公開)である。

韓国映画でお得意の、「誘拐犯罪もの」である。

刑事役に、「殺人の追憶」のキム・サンギョン。「いかにも」なキャスティングである。

過去の誘拐事件の被害者の母親役に、オム・ジョンファ。俳優オム・テウンの実姉である。

352_mオム・ジョンファの芝居は、日本の女優でいえば夏川結衣を連想させる。

以前、日本のドラマ「結婚できない男」が韓国でリメイクされたが(2009年)、このとき、夏川結衣が演じた役を、オム・ジョンファが演じていた。ひょっとするとそれ以来、オム・ジョンファは夏川結衣を意識して演じるようになったのではないか、と妄想する。

さて、肝心のストーリーだが。

「これって、横山秀夫の『64(ろくよん)』じゃねーの?」

の一言に尽きる。

ただし、物語の煮しめ方が、いかにも韓国的である。それにストーリーはあまり緻密ではなく、論理的な粗も目立つ。それを腕力で見せてしまうところは、さすが韓国映画だな、とは思うが。

7b2もう一つは、「七番房の奇跡」(韓国語の原題は「七番房の贈り物」、2013年公開)。

以前から観たかった映画である。主演は、私が好きな個性派俳優のリュ・スンリョンである。

無実の罪で死刑を宣告された男をめぐって刑務所のなかで起こる奇跡の物語。韓国では歴史的な大ヒットを記録し、その年の映画賞も総なめした。

一言で言えば、典型的な「涙泥棒」の映画である。観る者から涙だけを奪って、後はなにも残さない。韓国ではこうした「涙泥棒」の映画が何年かに一度の割合で作られていて、ひとつのジャンルになっている(と私は勝手に思っている)。

「ショーシャンクの空に」とか「グリーンマイル」などを連想させる「刑務所もの」であり、「刑務所ハートウォーミング系映画」は、誰もが感動するテッパン映画なのではないか、と思う。

20150222173345294主演のリュ・スンリョンや子役のカル・ソウォンの演技も素晴らしいが、囚人仲間役のオ・ダルスが安定した演技で、映画を引き締めている。

やはりオ・ダルスは最強である。

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再会中央線

5月4日(水)

お昼の12時。「前の職場」の卒業生のOさんとCさんの二人と、東京駅で待ち合わせる。

OさんとCさんは、社会人になってから、毎年5月の連休に旅行に出かけるのが恒例行事らしい。

昨年は二人で金沢を旅行したあと、東京駅で私と待ち合わせ、3人で東京駅近くの居酒屋で歓談した

そして今年。

二人は大分の湯布院に行くつもりで計画を立てていたが、地震のためキャンセルせざるを得なくなった。

でもまあせっかくの連休だからと、東京駅の近くでお昼を食べようということになり、私も1年ぶりに二人に会うことになったのである。

仕事のことやプライベートのことなど、例によって二人の近況を聞く

「これから5月の連休は、旅行に行くことと、先生に会うことを恒例行事としたいと思います」

「じゃあ、5月の連休は予定を開けておかなければいけないな」

4時間近く喋って、次の再会を約束して、東京駅でお別れした。

私はそのまま中央線の特別快速に乗り、30分ほどかけて次の目的地であるK駅に向かう。

今度は前の職場の同僚のひょんさんと会うためである。

午後6時からK駅北口の居酒屋で飲みましょうということになったのである。

ひょんさんとも不定期だが年に数回、お酒を飲みながらよもやま話をするということが恒例行事になっていた。

事前にひょんさんからいただいたメールに、「もし早く着いたら、近くに古本屋があるのでそこで時間を潰すとよい」とあった。

少し早く着いたので、目的の居酒屋の近くをぶらぶら歩いていると、小さな古本屋があり、

(ここがひょんさんがいっていた古本屋だな)

と思ってお店に入ると、すでにひょんさんがいた。

「やはりここでしたか」

その古本屋は小さいながらも、センスのいい本ばかりを集めていて、本棚を眺めていると思わず時間を忘れそうになる。

午後6時になったので、目的の居酒屋に移動して、お酒を飲みながら四方山話をする。

このブログの話にもなり、

「ブログの読者は、自分がブログに登場すると嬉しいものだ。反対にとりあげてくれないと、がっかりすることもある」

と聞き、なるほどそういうものかとあらためて思った。ブログの読者は、たとえていえばラジオのリスナーであり、リスナーがラジオを聞くがごとく、ブログを読んでいるのである。

…そんなこんなで、ビールと焼酎を飲みながらの四方山話は、4時間近く続いた。

「また会いましょう」

「ええ、次回も中央線沿線がいいですね」

さて次回は、どこの駅で降りるだろう。

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集団再会

5月3日(火)

出身高校のOB吹奏楽団の、年に一度の定期演奏会を聴きに行く。

今年は25回目の定期演奏会だそうである。

今回はなぜか、じつに多くの人たちと再会した。

なかでも、同期のMは、ほぼ大学卒業以来会うことになるから、25年ぶりの再会である。

Mは、私たちの代の指揮者として活躍していた。大学は医学部に進み、今は医者をやっている。

他に同期の仲間として、「ミヤモトさんサミット」の議長S、「ブラックサム」編曲者のW、高校の国語の先生をしているKさんなどもいた。もちろんフクザワは、今年も演奏者として舞台に立った。

それに加え、ひとつ下の後輩であるエーシマ、モリカワさん、オオキ、アサカワ、ふたつ下の後輩であるジローなど、「いつものメンバー」も聴きに来ていた。

4つ下の後輩であるYさんにも、15年ぶりくらいに再会した。これもまた、嬉しい再会である。

「こんなにたくさんの人にいっぺんに再会して、俺、死期が近いんじゃないかな」

「そんなこと言わないでくださいよ!」

2時から始まった演奏会は、じつにハイレベルな演奏だった。

そして演奏会の最後に、我々にとっての青春の曲「ブラックサム」が演奏された。

「ブラックサム」という曲については、以前書いたことがある

30年前にこの曲を編曲したWが、隣の席で聴いていた。

演奏会が終わった後も、余韻が残る。

「感慨深いよなあ」と私。

「そうだな」とW。

「あの曲はお前が編曲したんだってことを、やっぱりみんなに知ってもらった方がいいんじゃないか?」

「俺は別にいいよ。…ブログにさえ書いてくれればね」冗談交じりでWが言った。

…ということで、ブログに書いたぞ、ワタナベ。

演奏会後は、「ゼロ次会」と称して、同期とそのひとつ下のメンバーで飲みに行く。

「嵐のようなあいつ」ことエーシマは、相変わらずのテンションで喋り倒し、

「次の約束があるんで」

といって、風のように去って行った。

「あいつ、寅さんみたいだな。風のようにあらわれて、ひとしきり場をかき回して、風のように去って行く」とS。

「なるほど、寅さんね。言い得て妙だ」

エーシマが帰ってからの話題はもっぱら、「記憶の確かめ合い」である。

高校時代に起こったさまざまな出来事について、お互いの記憶を確かめ合ってみた。

すると、衝撃的な事実が判明した。

それは、私の記憶には、かなりの確率で「妄想」が加わっている、という事実である。

一例として、私は以前、高校時代の文化祭の思い出として、ブログにこんなことを書いた

「…隣のクラスも8ミリ映画を作って上映した。こちらの方は、長編のラブコメであった。

ダサくて、全然モテない男の子が、ふとしたきっかけで突然クラスでいちばん美人の女の子と話をするようになり、仲良くなっていくが、結局ふられる、というストーリーだったと思う。ま、当時の男子高校生が考えそうな脚本である。

実際、隣のクラスには、ビックリするくらいダサイ男の子と、息をのむくらい美人の女の子がいて、この二人がキャスティングされたのである。

オリジナルの脚本で、かなり手作り感の溢れる映画だったが、当時は見ていて、グッとくる映画だった。お客さんもそこそこ入っていた。」

ところが実際にこの8ミリ映画の製作にかかわった「ミヤモトさんサミットの議長」ことSによると、私の記憶は全然間違っているというのである。

8ミリ映画の内容は決してハートウォーミングな内容ではなく、むしろじつに下品な内容で、当時、女子からかなりの顰蹙を買ったというのだ。

登場人物である「ビックリするくらいダサい男の子」と、「息を飲むくらい美人の女の子」というのも、私が記憶していたのとはまったく違う人がキャスティングされていた、というのである。

つまり、私の記憶はことごとく間違っていたことになる。

「映画を作った俺が言うんだから間違いない」とS。

私が事実と思い込んでいたものは、私の妄想が作り上げたものだったのだ!

こうなるともう、自分の記憶というのが、まったく当てにならなくなった。

「これは同期会をやらなければいけないね」

「同期会、やりますか」

マメなSのことだ。きっと同期会を実現してくれることだろう。

〔付記〕

同期生の必読文献。

南木佳士「冬への順応」『ダイヤモンドダスト』文春文庫

落合尚之『罪と罰』(双葉社)

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湖一周16㎞

5月1日(日)

ロードバイクを車に積んで来なかったので、旅先でロードバイクに乗れないのだが、連休に自転車に乗らないとこぶぎさんに何を言われるかわからない。

そこで、レンタサイクルで湖を一周することにした。

湖畔に貸自転車屋さんを見つけた。その貸自転車屋さんの名は…

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ママチャリしかないが、仕方ない。

「湖を一周したいんですけど」

「それなら、2時間コースですね。1200円です」

午後2時15分、いよいよ出発である。

前回、ロードバイクで一周したときは、周囲16㎞を1時間ほどで走った

今回は、2時間あるので、ゆっくりと走ることにする。

途中、ワカサギ漁の仕掛けらしきモノを見つけた。

「河川使用等の許可証」という立て看板があり、「わかさぎ採取のための魚堰の設置」とある。つまり許可をとって堰を設置しているのだろう。

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お祭りの練習をしているのだろうか。折しもこの地域で今年は、7年に1度のお祭りが開催されているのである。

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水門に着いた。大変珍しい水門のようで、「湖と川では水位差が約3,5mあるので、ゆるやかな流れとなるよう階段式魚道となっています」と説明が書いてあった。「魚道」という言葉を初めて聞いた。

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その水門の名は…。

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水門の橋を渡ったところに小さな公園があり、小さなSLが野外展示されていた。

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昭和7年から9年にかけて、この旧水門の建設をする際に、約20台のトロッコを牽引して、約3㎞のあいだを、工事に必要な川の土砂を運搬するために使われた、当時としては最新鋭の機関車だそうである。

同じ公園の敷地内には、この湖にゆかりの深い人物の銅像が建っていた。その人物というのは…

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そんなこんなで、1時間半かけてスタート地点の貸自転車屋さんに戻った。

汗をかいたので、近くの銭湯で汗を流した。

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その銭湯の建物は、私が大好きな小説のモデルにもなった場所である。その小説というのは…。

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