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体調最悪の時に書く喜劇論

6月6日(月)

先週の木曜日あたりから急激に体調が悪くなった。

おそらくその前の週の台湾出張の影響だろう。

食あたりのような症状が続き、意識も朦朧とした状態が続いた。

昨日(日曜日)は職場で私が仕切らなければならない会合があり、どうしてもそれだけは休むことができない。なんとかその時間だけは乗り切ろう。

体を病むと、心まで病んでくる。

どうにも私の仕切った会合は今ひとつだったようで、

「キミキミ、これは社運をかけたプロジェクトなんだよ。そんな程度でお上が納得する研究だといえるか?もっとちゃんと考えてもらわなければ困るよ!」

という意味のことを上司からやんわりと言われたような気がする。

最近は、二言目にはお上、お上だ。

最近の俺は、どっちに向いて研究をしているのか?

こんなことのために、今まで生きて来たのか?

研究なんて、くそ食らえだ!

そんなことを思い悩むとますます体調が悪くなり、いっそ首でも括って…などとも思ったが、こういうときには「お笑い」を見るしかない。しかも、関西ではなく、東京の、である。

「笑点」の司会が昇太師匠になったというニュースを聞いて、三波伸介のことを思い出し、ありし日の三波伸介を見ようと、動画サイトを渉猟するが、それほど多くは残っていない。

以前、爆笑問題のラジオで、太田光が三波伸介のことを語っていたが、三波伸介が急死したときの喪失感は尋常ではなかったと言っていたのを聴いて、私もまったく同じだったことを思い出した。それほど、三波伸介は私に染みついているのである。

できれば「てんぷくトリオ」のコントを見てみたい。

手元に、山田洋次監督の映画「九ちゃんのでっかい夢」(1967年)のDVDがあり、そこでてんぷくトリオがコントをやっているシーンがあったことを思い出した。

おそらく、てんぷくトリオのコントが現在ソフト化されているものは、この「九ちゃんのでっかい夢」くらいではないだろうか。

てんぷくトリオって、やっぱり面白いなあ。何よりテンポがよい。

「九ちゃんのでっかい夢」だけでは飽き足らず、伊東四朗と三宅裕司の舞台「いい加減にしてみました2」「伊東四朗一座」「社長放浪記」なども手元にあったので、見直してみた。

これらの舞台では明らかに、三宅裕司は三波伸介の役回りである。

「いい加減にしてみました2」の伊東四朗、三宅裕司、小倉久寛は、まさに現代版「てんぷくトリオ」である。

これらの舞台を見るにつけやはり思い出すのは、喜劇人としての三波伸介の存在感である。

しかし疑問なのは、山田洋次監督は、あれほど芸達者な三波伸介を、なぜ映画に使わなかったのだろうか、という点である。彼がもっぱら使ったのは、ハナ肇と渥美清だが、三波伸介ほどの芸達者であれば、ハナ肇や渥美清に負けないキャラクターが演じられたはずである。実際、三波伸介は、渥美清と藤山寛美をかなり強くライバル視していたのだ。

だが三波伸介は、喜劇映画俳優として大成することはなかった。むしろ、テレビ司会者として人気を博していくのである。

三宅裕司もまた、同じである。映画「サラリーマン専科」は、結局、松竹の人気喜劇映画シリーズにはなり得ず、3回で終わってしまった。やはりテレビ司会者としての人気のほうがまさっていたのである。

このあたり、やはり二人は似ている。

私が、三波伸介の幻影を追い続け、笑点の司会は三宅裕司こそふさわしいと過去に書いたのは、そういう理由からなのである。

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