Lecture booksノスタルジー
先日、妻がある場所で、Aさんという人にあった。妻の記憶の中では、Aさんは体格のがっしりした、角刈りの人だったというイメージだったのだが、実際に会ってみると、Aさんは痩せぎすで色白で長髪の人だったというのである。
「Aさんに会う前の、私の脳の中にいたAさんは、いったい誰だったのだろう?」と妻は言った。
いわゆる「空耳」ならぬ「空脳」である。
この話を聞いて思い出したのが、大森荘蔵+坂本龍一『音を視る、時を聴く 哲学講義』(朝日出版社、1982年)という本である。
当時、朝日出版社は「Lecture books」というシリーズを出していて、その道の専門家と、その分野に関心のある著名人の対談形式による学問の入門書のようなものだった。入門書といっても、大学の講義並みに内容は難しかった。
中学校3年生のころだったか、YMOのファンだった私は、坂本龍一がかかわっている本だという理由だけで、この本に飛びついた。
本の帯には「〈私〉はいない」と書かれてあって、それがまた、中学生の私には衝撃的だった。
内容はひどく難しかったが、ワクワクしながら読んだ。
この本をきっかけに、このシリーズの別の本も何冊か読んだ。玉石混淆だったことは否めないが、いずれも面白かったと記憶している。
『音を視る、時を聴く』は、このシリーズの中でも屈指の傑作だったようで、この本だけは、いまから10年ほど前に、ちくま文庫から復刊されている。
いま読んでも、内容は難しい。それに、いまの学問水準に照らしてどうなのか、といった点はよくわからない。
しかしこの本は、「考えることの楽しさ」を教えてくれた。
いくら考えても正解なんてわからない。でもそれが学問なのだ、ということを教えてくれた。
いまはこういう学問が、肩身が狭くなりつつある。
「正解がない」ことを恐れずに物事を考える機会が、めっきり少なくなってしまった。
このシリーズ、他の本も復刊してくれないかなあ。
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