ザムザ定食にたどり着かない僕の巡礼
7月31日(日)
僕がその町で仕事をするたびに訪れるのが、昔ながらの風情が残る町並みの一角にある、プラハ出身の世界的作家の名前がついたカフェだった。
友人の弟さんが経営しているという理由で最初は訪れたのだけれど、あるとき、村上春樹が自身のホームページで「一度訪れてみたい」と書いていたのを目にして、そこに行けばひょっとしたら村上春樹に会えるかもしれない、と思うようになった。
しかし今は、そんなことすらどうでもよくなった。この町に仕事で訪れるたびに、とりあえず立ち寄る、というのが習慣になってしまったのだ。
しかし相変わらず、「場違い感」をぬぐい去ることはできなかった。どう考えても僕はその町や、その町にあるその店の雰囲気にはなじまず、自意識過剰も相俟ってどうしても緊張してしまうのだった。しかも今日は特別に暑い日で、例によって汗だくでこの店に入ることになってしまったのだ。
お店の扉を開けると、「いらっしゃいませ」と店主が言った。
僕はこのお店であまり見かけない店主がいたことにびっくりし、ほとんど顔を上げることができず、いつも座る席に座った。
メニューをしばらく眺めて、夕食の時間でもあることから、食事を注文しようと思った。以前から気になっていたのが「ザムザ定食」だったのだが、どうしても、ザムザ定食を注文する勇気がなかった。もし僕がザムザ定食を注文したら、きっと村上春樹にあこがれてこの店に来たに違いないと店主が思うに違いなかったからだった。
「チキンライスをください」と、僕は消え入るような声で言った。
「チキンライスですね」と店主は言った。
「ミニコーヒーもください」と僕は言った。
「ミニコーヒーもですね」と店主は言った。
注文の食事が出てくるまで、僕は何もせずにひたすら待ち続けた。この店はブックカフェだったので、店内にある本を手にとって読むこともできたのだけれど、それよりも僕はこの店内を見わたして、その雰囲気にどっぷり浸ることのほうが、意味があるように思えたからだ。
しばらくして、チキンライスが運ばれてきた。
こうして僕は、つかの間の時間を、このプラハ出身の世界的作家の名前のカフェで過ごしたのだった。
僕がザムザ定食を躊躇することなく注文できるのはいつだろう、と思いながら、お店を出た。
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