ホト根ヒーロー
7月31日(日)
またまた旅の空です!
明日朝からの仕事にそなえて、この町にやって来た。
少し早く着いたので、現在開催中のイベントを見に行く。むかしの僧侶について紹介したイベントである。
その僧侶は、人生のすべてを、貧しい人や病気の人の救済に捧げたという。
「貧しい人や病気の人を救いたい」という一心で、損得も顧みず、差別もせず、純粋な心で、人々を救ったのだという。
イベントの内容自体は、非の打ち所のない、すばらしいものだった。この点は、強調しておきたい。
しかし見終わって、ひとつの疑念が生まれてきた。
この僧侶の生前の足跡(そくせき)について、あまりにも物的証拠が多すぎるのである。
それらのほとんどが、その僧侶がいかにすばらしいことをおこなったかを示すものばかりである。
素直に受け取れば、この僧侶がとてもすばらしい人物だったことを示す何よりの証拠ばかりなのだが、ひねくれ者の私は、どうも疑い深くっていけない。
残されていないものの中にこそ、真実があるのではないかと、疑り深い私なんぞは、ついそう思ってしまうのである。
この僧侶が、貧しい人や病気の人を救うためにさまざまな施設を作ったり、人々の往来の便をよくするために道や橋を作ったりしたことは、まぎれもない事実である。
ただ、そのために勝手に人々から通行税を取ったりしてそれを原資にしていることはいただけないと、同時代の有名な僧侶がその僧侶を批判していることにも、耳を傾ける必要がある(誤解のないように書いておくと、このたびのイベントでもこの点についてちゃんと触れている)。
そういえばかつてさる高名な学者が、「そういう部分までちゃんと見ておかないと、たんなる慈悲の心だけでこの時代の宗教を評価してはいけない」と言っていたことを思い出す。
だがこの僧侶については、どんどんと「完全無欠の偉人」の位置にまつりあげられてしまっていて、はては、世界的に有名な女性宗教者に匹敵すると評価する人まであらわれた。
だが、その「世界的に有名な女性宗教者」についても、最近、手放しで聖人視することに対して疑問が出されているのだ。
イベント会場で上映されていた、この僧侶の半生をアニメにした映像を見たのだが、さながらスポ根漫画のヒーローである。この映像は、地元の小学校の道徳教育の教材用として活用することもめざしているという。
人物の評価が、ほとんどひとつの方向に突き進むことは、実に危険である。
| 固定リンク
「文化・芸術」カテゴリの記事
- アートと書いて「いいわけ」と読む(2021.12.17)
- 中島敦の絵はがき(2019.11.23)
- 写真展(2019.08.16)
- ポーでした!(2018.07.18)
- とんどさぎちょう(2017.04.15)
コメント