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非床屋政談

7月10日(日)

いつもの散髪屋にて。

いつも散髪を担当してもらっている人は、30代前半くらいの男性である。

「選挙、行きました?」

「ええ」

「僕、よくわかんないんですよねえ。ほら、『…実現します!』っていうの、何でしたっけ?」

「公約、ですか?」

「そう、公約。僕、政党の公約なんて全然わかんないから、投票する資格なんてないと思って…。だから投票は拒否しました」

拒否?

「投票率が下がると、組織票に有利なんですよ」と私。

「組織票って何ですか?…あ、僕も何かの組織なんでしょうか?」

「いえ、そうじゃなく。私たちみたいな人間は浮動票といって、どの政党に投票しようか決めかねている人たちのことです。投票率が低いと、特定の政党を支持する組織の票に有利になって、たくさんの人の意見が反映されないってことです」

「そうなんですか」

わかったようなわかんないような表情をした。

ひととおり髪を切ってもらったあと、

「洗髪は、若いもんに変わりますんで」

と、今度は20代前半とおぼしき新入り見習いの若者に交代した。

「選挙っていつからですか?明日からですか?」

「え?」

「いえ、いま選挙の話をしてましたよね。選挙って今日からでしたっけ?」

「選挙は今日ですよ」

「そうですか。僕、いままで選挙に行ったことがないんで」

「……」

だんだん脱力してきた。

むかしは「床屋政談」などという言葉があったが、いまではとっくに死語になっているんだな。

ひととおり終わり、最後に再び最初の人に交代し、私の髪を整えながら言う。

「選挙特番って、あれ、すべての局で、あんな長々とやる必要なんてあるんですかねえ」

「いちおう大事な選挙ですからねえ」

「でも、投票率なんてどうせ50%もないんでしょう?うちのカミさん、今日は録りだめた番組を見るんだろうなあ」

「……」

このお店にいる数人の店員さんとその家族の投票率は、ほぼ0%に近いと確信した。

断っておくが、この店の店員さんは、みないい人ばかりである。

その、悪気のない人たちが、意思表示をしないことを選択することで、ある結果を生み出すことになる。

意思表示をしないと選択した、大多数の悪気のない人たちが、結果的に、この国の政治を動かしているというのは、世の常とはいえ、何とも皮肉なことである。

私はひどく憂鬱になって散髪屋をあとにした。

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コメント

実際、一人区の一部に希望が見える他は、無残な結果になりましたね。今後ますます一般市民は、政府と企業と経済指標に、夢も人生も生命も捧げる道を歩かされることになるでしょう。後戻りできるんでしょうか…。
9日の晩に三軒茶屋に行ったとき(ぐぐたす参照)たまたま見つけたお店がとても感じが良かったので、帰ってFB見たら「選挙行きましょーよ」という投稿がありました。こんなところにも、少しだけ希望を感じます。
https://ja-jp.facebook.com/rizo3cha/posts/981689341945034
他にも私の好きなミュージシャンを含めていろんなひとたちが、FBやTwitterで「投票しようよ」と呼びかけているのを見ました。それはもちろんとても頼もしい反面、選挙の時になって初めて、自分がどこに投票するのかを抜きにして「国民の権利だからあなたも」というだけでは、もう不十分ではないのかとも思います。われわれは選挙前になるとこちらを向く政党と政治家を信用していませんが、翻って自分たち自身は、選挙前以外にどれだけ政治の話をしているだろうか?彼らと大して変わらないんじゃないか?政治についての自分の見方や立場をはっきりさせることが人間関係上のリスクみたいに思えて口に出すのをはばかり、避けたりぼかしたりして用心深く用心深くやっているうちに、こうなったんじゃないだろうか?
いま政権党は、「中立を守れ」という言い方で、政治について自分で考えたり立場を表明したりすることを止めさせようとしています。選挙前だけじゃなくて日常的に、周囲の誰かれと意見を交わすこと。第三者として論評するだけじゃなくて(それもいいけど)、自分が誰を支持して誰に反対しているのかを、遠回しとかじゃなくフランクに言うこと。そして機会があれば、行動で自分の意見を可視化すること。「彼ら」が恐れているそういう政治文化を作り出さない限り、善良な床屋さんたちは投票に行かないだろうと思います。
そういう文化を作り出そうとしている若者たちは、すでにいますよね。彼ら彼女らをひとりにしないこと。鬼瓦さんや私のような比較的そういうことがしやすいポジションにいるおとなたちには、とくに責任があると思います。ごめんね長々と。

投稿: ひょん | 2016年7月11日 (月) 11時39分

さきほどTBSラジオで生放送されたAさんの後番組で、20年前の同録が流れた。

民主主義を語っていた。

大昔の話なのに、昨日の話のようだった。

Aさんの先見の明に、ぞっとした。

大丈夫。

まだ、ラジオが残っている。

投稿: いち・にのこぶぎ | 2016年7月11日 (月) 19時54分

ひょんさん、こぶぎさん、ありがとう。

インターネットラジオでもはじめられればいいんだが、時間がないので、Twitterでもはじめようかなあ。

志らく師匠のTwitterがなかなかいいね。

「私は改憲派でも改憲反対派でもない。良く考えよう派であり斜めに見る派。でもね、改憲否定なんて馬鹿かという人、改憲否定という凄い人って誰だと私を馬鹿にした人、永六輔さんが人生賭けて憲法九条を守ろうとしていた姿を見て馬鹿と言えるのか。理屈じゃない。子供達をを飢えさせたく無いという感情だ」

このブログは、変わらずファンタジーでいきますよ。

投稿: onigawaragonzou | 2016年7月12日 (火) 01時10分

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