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2016年8月

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こぶぎさん、大正解です!

8月28日(日)

またまた旅の空です!

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やはり本場だけあって、かなり迫力があります。

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全身像

8月25日(木)

こぶぎさん、大正解です。

では、今回の旅で訪れたもうひとつの町の、「ご当地キャラ」の写真を。

この町の新名物だそうで、この町に来たら一度は食べに行きたいところ。

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CDも出しているそうです。

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銅像

8月24日(水)

またまた旅の空です!

本来ならば韓国の旅の様子を書かなければならないのですが、時間がとれないので、とりあえず今回の旅の写真を1枚。

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この写真だけではなかなか難しいでしょうな。

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ほとんど外交

8月20日(土)

いよいよ明日、帰国である。

この1週間、まあよく働いた。

同業者のプロジェクトチームをあちこちへとご案内した。

あるプロジェクトをすすめるための交渉もおこなった。

ソウルだけではない。KTX(韓国の高速鉄道)に乗って地方にも出かけた。

この業界で、韓国でこれほどまでに「目に見えない交渉ごと」をしているのは、私と妻くらいなものではないだろうか。

今日も、KTXで2時間ほどかかる町まで行って、3時間ほど滞在して人に会い、また2時間かけてソウルに戻り、夕方6時から知り合いの家に招待されて会食をした。

自分で自分を褒めてやりたいくらいだ。

さて、その昼間に訪れた町では、この町の人に連れられて、日本式のうどんを食べることになった。

最近、この町にできたうどん屋さんで、この店の主人は大阪でうどんの勉強をして、この町に戻って日本式のうどん屋を始めたそうなのである。

「修行したんですか?」

「いえ、独学です」

なんと!見よう見まねで、日本のうどんを勉強してうどん屋を始めたというのだ。

メニューを見ると、「素うどん」「カレーうどん」「ビビンうどん」の3種類がある。

韓国に来て、なにも日本のうどんを食べることもないだろうにと思ったので、ここは一つ「ビビンうどん」(韓国風の辛い味付けをしたうどん)を食べることにした。

小さいながら人気の店のようで、30分以上待たされてビビンうどんがやってきた。

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これがなかなかおいしかった。小さいお店ながらも人気があるというのがよくわかる。

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この町を訪れたらぜひ立ち寄ってみてください。

どの町なのかは言わないけれど。

このほかに、今回の旅で食べたもののいくつかを紹介します。はたして、料理名がどれだけわかるかな?

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2番目に暑い夏

「俺がいままで生きてきたなかで、2番目に暑い夏だ。1番は1994年だ」

ソウルのタクシーの運転手さんが言った。

韓国は、とにかく暑い。

その上、かなりハードな移動をしているので、すっかり疲労してしまい、体調を崩してしまった。

「模範タクシーの運転手と大げんかした話」とか、「歩きすぎて汗を書いたため、ひどい股ずれを起こし、痛くて歩けなくなった」とか、いろいろなことがあったのだが、いまは体調が悪くて書けない。

あらためて書くことにしよう。

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「少女時代」のユナちゃんに会いました!

8月15日(月)

朝、羽田空港のチェックインカウンターで、異様な光景に出くわした。

ど派手な模様の、ピンクのスーツケースを10 個ほど預けている一団がいた。

笑っちゃうくらいど派手な模様の、ピンクのスーツケースである。

どうやら同じ飛行機に乗るらしい。

(何の集団なんだろう?)

飛行機が金浦空港に着いた。

手荷物受け取りのところに行くと、またしても異様な光景が広がっていた。

ベルトコンベアで延々と運ばれてきたのは、ど派手な模様の、ピンクのスーツケースである。

それを、若い小太りの男がひとりでせっせと取り上げている。

次々とピンクのスーツケースが運ばれてきては、若い小太りの男がそれを取り上げているのである。それ以外にふつうのスーツケースも、若い小太りの男が次々と取り上げては、カートに乗せている。

何なんだこの光景は?

回転寿司でいったら、「おまえ、どんだけ食うんだ?」といった勢いで、運ばれてくるスーツケースが次々と若い小太りの男のところで取り上げられてしまうのである。

流しそうめんでいったら、「おまえのところでせき止めるなよ!」といった勢いで、次々と若い小太りの男がスーツケースを取り上げている。

…回転寿司や流しそうめんの比喩は関係ないか。ま、それはともかく。

しばらく自分の荷物が来そうにないので、手荷物受け取りスペースのはずれにあるトイレに用を足しに行った。

終わって、トイレから出ると、トイレの前のベンチのところに、若者の一団がいて、その一団の中央に、すげえ綺麗な女の子が座っている。

(すごい綺麗な女の子だなあ。「少女時代」のユナちゃんにそっくりだ)

二度見ならず三度見をしたが、どう見てもユナちゃんにそっくりである。

だが、こんなところにユナちゃんがいるはずはない。

ふだんよりもかなり時間がかかって、ようやく荷物を受け取り、出口のドアを出ると、ビックリするくらい多くの若い女の子たちが、こちらに向かってカメラを向けている。まるで誰かを待ちかまえているようである。

(何なんだ?)

ますます意味がわからない。

出迎えに来ていた人に聞いてみた。

「いったい、何があるんです?」

「アイドルが日本の公演が終わって戻って来るところを、みんなで待っているみたいです」

「ほう。誰なんです?」

「少女時代です」

「しょ、少女時代??!!」

す、すると、さっき私がトイレの前で見たすげえ綺麗な女の子は、やっぱりユナちゃんだったのか?

そういえば、あのど派手な模様のピンクのスーツケースの一群。

共通のタグがついていて、「GIRL'S GENERATION」と書いてあったぞ!

あれはライブの衣装を入れたスーツケースだったのか!

…ということは、私は「少女時代」と同じ飛行機に乗っていたのだ!

どうだい、こぶぎさん。

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夏休み特別企画・思い出のガラケー写真館・建物編

前回に引き続き第2弾です。今回は「建物編」です。それぞれ何の建物か、もうおわかりですね。

2010年11月4日

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2011年10月29日

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2013年2月28日

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2013年11月1日


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2014年1月12日

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2014年6月6日


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2014年9月25日

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2015年5月17日

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ではごきげんよう。

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夏休み特別企画・思い出のガラケー写真館・四季編

このたび、6年ほど使っていたガラケーをやめて、スマホに切り替えたことは、先に書きました。

これでガラケーともお別れですが、これまでガラケーで撮った写真の中から、季節を感じさせる写真を載せることにします。

それぞれ、どこで撮った写真か、わかりますかね。


2012年5月1日

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2014年3月31日

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2011年7月29日

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2013年8月17日

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2010年11月30日

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2011年10月26日

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2011年10月26日

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2011年11月2日

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2012年11月1日

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2012年11月25日

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2012年12月7日

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2015年元旦

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究極の一人芝居

朝のラジオで、伊集院光とイッセー尾形が対談していたのを聴いて、久しぶりにイッセー尾形の一人芝居が見たくなった。

一番好きなネタは、「アトムおじさん」である。深夜のフジテレビで、「イッセー尾形が見たい!」というライブが放送されたとき、あまりに可笑しくて笑い死にするかと思った。

ストリップ劇場の幕間に出てくる老芸人を演じる。喋ろうとすると痰がからんでしまい、ちっともネタが受けない。

このキャラクターは、山田洋次監督の映画「男はつらいよ ぼくのおじさん」に受け継がれている。山田監督もこのネタを気に入っていたのだろう。

「移住作家」というネタも好きである。ハクをつけるために海外に移住する作家の話だが、結局、誰もかまってくれない。たまたま取材に来た記者に対して、作家としての威厳をたもちながら、それでいてかまってもらおうと必死になる。いまでいう「かまってちゃん」である。

さまざまな人間を演じてきた彼が、究極の一人芝居を演じたのが、アレクサンドル・ソクーロフ監督のロシア・イタリア・フランス・スイス合作映画「太陽」(2005年)だと思う。

ここで彼は、日本の「やんごとなき」人物を演じる。もちろん、この映画には多くの共演者はいるが、事実上、イッセー尾形の一人芝居といってよい。

有名俳優に断られた結果、イッセー尾形が演じることになったともいわれているが、逆にイッセー尾形以外に、誰がこの役を演じることができただろうか、とさえ思えてくる。

そのテーマ性から、日本での公開は不可能ではないか、と当初はいわれていたが、翌年の2006年8月に日本でも公開された。いまからちょうど10年前である。

ひとりの人間としての「孤独とおかしみと悲哀」を描き出している。「人間の孤独とおかしみと悲哀」を見事に演じることのできるイッセー尾形であればこそ、この役にふさわしい。

この映画で提起されているひとりの人間としての内面は、10年たったいまでも変わっていないのではないだろうか、と、ふと想像してしまう。

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トラブルシューター

8月13日(土)

人は私を「トラブルシューター」と呼ぶ。

とにかく私の周りでは、トラブルがよく起こる。

私がそういうトラブルを引き寄せる力を持っているからだろう。

自分自身がトラブルの火種を作ることもある。

そのトラブルを、一つ一つ解決していくことで、人生の大半の時間を使ってしまうのだ。

たとえばいま、職場の広報誌の編集担当をしているのだが、なぜか私が担当する号にかぎって、さまざまなトラブルが起こる。

まず、依頼した原稿が締め切りを大幅に過ぎても来ない。

「先生、お一人まだ原稿が来ません。もう入稿ギリギリです!このままでは穴が空いてしまいます!」

長年、広報誌の編集の実務をやっているXさんが、困った様子でやって来た。

「わかりました。なんとかしましょう」

私が代わりの原稿を1日で書いた。

図版に関するトラブルも多い。

最近は、図版を掲載する際に権利所有者が使用料を取るケースが増えてきた。

あるところから、図版1点2万円という使用料が提示された。

「先生、2万円も使用料を支払えません!」

「わかりました。なんとかしましょう」

使用料のかからない、代替の図版を探し出して差し替えた。

さらに、掲載すべき写真を受け取るのに時間がかかる、というケースもある。

「先生、所蔵先から写真が送られてくるのが1カ月後になるそうです。1カ月後に受け取ったとしても、刊行後になってしまうので、絶対に間に合いません!」

数々の図版に関するトラブルも、あと1点で解決、というところで、最大のピンチを迎えた。

万事休すか?

「ひとつだけ、手があります」とXさん。

「なんです?」

「実際に所蔵者のところに行って、自分で写真を撮ってくるという方法です。ただ、今週中にそれをしないと時間的にはアウトです!」

「わかりました。なんとかしましょう」

…ということで今日、休日にもかかわらず、急遽その所蔵者のところに行って、写真を撮ってきた。

「長いこと編集作業をしていますけれど、原稿の心配やら図版の手配やらで、これほど面倒な号は初めてです」とXさん。「何しろ、次から次へと問題が起こるんですから」

「それは、私がトラブルを引き寄せる人間だからですよ。昔からそうです。でも今まで何とか解決してきましたから、たぶん大丈夫ですよ」と私。

「そうなんですか。少し安心しました」とXさん。

…とは言ってみたものの、本当に万事解決するのか、今回ばかりはわからない。

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忍び難きを忍び

8月9日(火)

ラジオを聞いていると、71年前の8月15日のラジオの「重大放送」をリアルタイムで聞いた、という方へのインタビューが放送されていた。

その当時を知らない私などからすれば、その「重大放送」の時、国民が全員、ラジオの前に正座して、一言一句を聞き漏らさないように聞いていた、というイメージを抱いてしまっている。

その方のお話は、次のようなものだった。

戦時下において、空襲の情報などを知る上で、ラジオは唯一の情報源だった。だからいつもラジオの情報には耳を傾けていた。

その日は午前中に何度も、「正午に重大放送があるので必ず聴くように」というので、その時間に家族みんながラジオの前に座った。

ところが戦時下では、新しいラジオを買うことができないのはもちろん、修繕もままならないので、音声がはっきりとは聞き取れない。

その方は、次のように語った。

「あんまりよく聞こえないんですね。意味はよくわからなかったけれども、『忍び難きを忍び』とか、ところどころは聞き取れて、どうも負けたらしいというのは、おぼろげにわかりました」

その話を聞いて、一つの疑問がわいた。

はたしてこの方は、この「重大放送」をリアルタイムで聴いていたとき、ほんとうに「忍び難きを忍び」というフレーズが、聞こえていたのだろうか?そしてそれを、忘れずに覚えていたのだろうか?

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」は、あまりにも有名なフレーズである。後に、このときの「重大放送」の音声がメディアで取り上げられるときは、必ずこのフレーズの部分が使われるのである。

だから私たちにとっても有名なフレーズである。

とすれば、「重大放送」をリアルタイムで聴いていたこの方も、本当は当時「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」などというフレーズなど聞こえておらず、のちにメディアでこの部分がさかんにリフレインされることで、記憶が上書きされたのではないだろうか?

それをあたかも、当時聞こえたフレーズのように錯覚してしまったのではないだろうか?

こういうの、心理学では何ていうの?「記憶の上書き」?

いや、この方の言ったとおりだった可能性もある。

「重大放送」をリアルタイムで聴いていた人々は、放送の内容が全然わからず、ただ「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」のフレーズだけ、明確に聞き取れた。

ほかの部分は内容が難しいが、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」だけは多くの人々にはっきりと聞こえたのである。

のちに放送局は、その部分が人口に膾炙していることをふまえて、「重大放送」の「象徴」としてこのフレーズを使ったのである。

つまり、その方の記憶は、間違いないということになる。

さあはたして、真相はどちらなのだろう。

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鬼瓦、ガラケーやめたってよ

8月6日(土)

7年間使っていたガラケーを、ついに手放すことにした。

理由は、「モバイルSuica」が8月24日をもってガラケーで使えなくなるからである。

そうやって、どんどん外堀が埋められていくんだよな。

さて、このあとどうするか?選択肢はふたつ。

最新式のガラケーにするか、iPhone以外のスマホにするか。

「iPhone以外のスマホ」と書いたのは、iPhoneがおサイフケータイ非対応だからである。

携帯電話ショップに行き、店員さんに聞いてみると、

「いま、ガラケーは『らくらくホン』しかありません。ほとんど『ガラホ』に変わりましたから」

「ガラホ?」

「体はガラケーで、心はスマホのことです」

ガラケーはガラパゴス携帯電話の略語だが、じゃあ「ガラホ」は何だ?「ガラパゴスマホ」の略語か?もはやナンダカワカラナイ。

それならガラケーを持つ意味はないと思い、思い切ってスマホに替えることにした。

選択肢からiPhoneが消えたので、必然的にアンドロイド携帯から選ぶことになる。

「この中で、韓国語が入力できる機種はどれですか?」

機種は2つに絞られた。

2つのうち、安い方にした。

これだけでは、機種が何だかわかるまい。

結局、携帯ショップで3時間ほどかかってようやく購入した。

試みにLineのアカウント登録をしてみると、なんだか知らんが自動的に友だち37人と出てきた。

これって、アカウント登録したと同時に、勝手にその情報が37人に知れわたったということだろうか?

ちなみに、Lineをはじめようという気はまったくありません。

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続・異端を継ぐ

8月6日(土)

2年ほど前に急死した同業者のMさんの蔵書整理のため、ご自宅のある横浜へと向かう。

家を出て、JRと私鉄を乗り継ぎ、約2時間ほどで最寄りの駅に着いた。最寄りの駅では、Mさんと同じ研究室の1年後輩だったHさんが待っていた。

Mさんの蔵書整理は、学生時代をともに過ごしたHさんが中心になって進められてきたが、あるとき私に連絡があり、

「Mさんの蔵書の一部を引き取ってもらえないだろうか。あなたに引き取ってもらえば、Mさんも喜ぶだろうから」

と言われた。

私は不思議に思った。なぜなら私は、Mさんとは出身大学が違うし、なによりMさんとは1度しか会ったことがないからである。もちろん、論文の上ではよく知っていたが、私はMさんのことを、まったくといっていいほど知らなかったのである。

それでもHさんは私に呼びかけてくれて、昨年、大学の研究室の3回ほど足を運び、蔵書の一部を引き取ることにした

そして今回は、ご自宅にある蔵書の整理に取りかかるというのである。

「自宅にもたくさんの蔵書があるんですよ。ぜひ鬼瓦さんにも見てもらいたい。できれば一部を引き取ってもらいたい」と、Mさんと旧知のHさんが私に言ったのである。

それにしても今日も暑い。

最寄りの駅から15分ほど歩き、Mさんの自宅に到着した。Mさんの奥さんと、大学院生の娘さんが出迎えてくれた。

「暑かったでしょう。さ、中にどうぞ」

Hさんと私は、まずMさんの仏壇に手を合わせた。

ご自宅の蔵書も膨大だった。Mさんの幅広い関心にしたがって、日本、中国、韓国のあらゆる分野の本があった。一見バラバラに見えるような内容だが、蔵書を手にとりながら見ていくうちに、Mさんがどんなことを考えていたのかが、なんとなく想像できた。

私は生前のMさんのことをほとんど何も知らないが、蔵書からわかることをご家族にお話ししているうちに、なんとなくMさんと対話をしているような、不思議な思いにとらわれた。

そう、考えてみれば不思議なのである。私はMさんと1度しかお会いしたことがないのにもかかわらず、なんとなく、旧知の間柄のようにご家族とお話ししているのである。

1日かけて、ひととおり自分の引き取るべき本の選別が終わった。Hさんと私は、Mさんのご自宅をあとにした。

「鬼瓦さんに本を引き継いでもらったら、Mさんも喜んでくれると思うんですよ」

Hさんは帰りがけに、そうおっしゃった。

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気分は鶴瓶師匠

8月5日(金)

A市から、隣県のS市に移動する。

冷房なんぞなかった時代から建っている建物の一角の、窓のない小部屋で一日中仕事をしたが、今年最高の暑さを記録したとかで、たちまち汗びっしょりになる。

どうしていつも、こういう時期にこういう仕事をするのか

一緒に仕事をしていた市の職員さんが言った。

「先生の教え子さんに、うちの市役所の職員になった人がいるでしょう」

「Aさんですね」

「はい。Aさんに、先生が今日来るという話をしたら、ここに来たいけれど勤務時間なので行けないと残念がっていました」

「いまはAさんはどこにいるんです?」

「市民生活課です」

「じゃあ、行ってみましょう」

ということで、仕事の合間に車に乗せてもらって、市役所まで連れて行っていただいた。

市役所の市民生活課に行くと、窓口に卒業生のAさんがいた。

Aさんは私を見た瞬間、ハッと表情が変わって、

「わざわざ来ていただいたんですか!」

とひどくビックリした様子だった。まさか本当に来るとは思わなかったのだろう。

ほんの数十秒の再会だったが、突然訪問するところなんぞは、ちょっと鶴瓶師匠的な感じで、なかなか楽しかった。

再会は、これだけにとどまらない。

数日前のことである。

10年ほど前に卒業したH君から、

「8月5日に東京に研修に来ることになっていて、先生とお会いしたいんですけど、ご都合はいかがですか」

と、実に久しぶりに携帯メールが来た。H君はいま、東北地方のある県で高校の教師をしている。

「この日は出張だが、新幹線で夜に東京に戻るので、夜遅くに東京駅付近で少しの時間ならば大丈夫です」

と返事をすると、

「それでも大丈夫です。少しの時間でも先生にお会いしたいので、東京駅でお待ちしています」

と言う。

かなり疲労していたが、そこまで言われては会わないわけにはいかない。

新幹線で東京駅に戻り、改札でH君と再会し、短い時間だったが、東京駅の近くの店で、少しばかりお話をした。

「インターネットで調べて知ったんですけど、先生、職場変わったんですね」

「知らなかったのか?」

「最後にお会いしたのが、5年前のSさんの結婚式のときですから」

「そうか」

高校の教師として試行錯誤の毎日だそうだが、私と話をして、少しばかり霧が晴れたようだった。

「今日はお会いできて本当によかったです」

「圧倒的に時間が足りなかったな」

「先生もお元気で」

「また連絡をくれよ」

ほんの数十秒でも、ほんの1時間でも、再会とは嬉しいものである。

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ラーメンなのにナポリタン

8月4日(木)

またまた旅の空でした!

新幹線と在来線を乗り継いで、片道約4時間ほどの旅である。

お昼ごろに駅に着いたので、仕事の前に、まずは昼食である。

駅前に小さなカフェらしき店があり、そこに入ることにした。

壁に貼っていたメニューで気になったのは、「焼きチーズナポリタン」である。

ナポリタンをグラタン風に調理したものらしい。

しかしよく見ると、料理名の最初に「麺」と書かれている。

どうやら、ナポリタンの材料が、パスタではなくラーメンの麺、ということらしい。

興味深いので注文してみた。

10分ほどして料理が運ばれてきた。

店員が言う。

「まずそのまま食べていただきまして、半分ほど食べていただいたあとに、別の容器に麺を移していただき、付属のスープをかけていただきますと、トマトクリームラーメンとしても楽しめます」

実際にやってみた。

半分ほど食べたあとに、別の容器に移してスープをかけると、完全にラーメンになった。

「なるほど」

なるほど、としか言いようのない創作料理であった。

この町に来たら、ぜひ一度お試しを。

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Iさんの引退

8月3日(水)

定期的に送られてくる会報で、Iさんが一線を退くことを知った。

市井の会が結成して30年を無事に迎えられたことを機に、会報や会誌の編集担当を引退なさるという。

傘寿を越えられたとはいえ、まだまだお元気なだけに、残念である。

Iさんについては、このブログで何度も書いたことがある。私にとっては人生の大先輩である。前の勤務地にいたころ、Iさんとともにいろいろなところに出かけていって調査したことは、私の人生の糧となった。

Iさんも私のことを、何かと気にかけていただいた

今年6月、会誌が30号を迎えるということで、勝手にお祝いする意味で2本の原稿を書いて「押しかけ投稿」したのだが、結果的にはIさんのこれまでの労をねぎらうための原稿ともなった。

私にとっても、ちょうどよい区切りである。

送られてきた会報によれば、これからの会誌の編集方針はガラリと変わり、投稿規程がかなり厳格になるのだという。原稿を半年近く前までに送らなければいけないとか、立派な先生方による厳正な審査を経なければならないとか。

私のように、思いつきで書いた原稿を「押しかけ投稿」してくるようなことがないようにするためなのだろう。私のせいで、投稿規程が厳しくなってしまったのではないかと、深く反省した。

ただ私は、市井の会の自由な雰囲気が好きだった。その自由な雰囲気に甘えて、Iさんに無理を言って、何度か原稿を載せてもらったのだった。

あの会報や会誌は、Iさんの人柄そのものだったのではないだろうか、とあらためて思う。

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店じまい

8月1日(月)

1300年の昔から変わらずに立っている門。

その門が面している通り沿いに、小さなカフェがある。

私たちがこの町で仕事をするとき、ランチは決まってこの店である。

というのも、私たちの作業場から歩いて行ける距離にある、手ごろなランチの店が、ここしかないからである。

その店は、4人掛けのテーブルが3つほどあるだけの狭いお店で、女性店主が一人で切り盛りしている。ほかに男性店員が一人いるが、家族だろうか。小さいが、こじゃれたお店である。

この店については、以前に書いたことがある

この町での仕事は春と夏と秋の年3回、いずれもほんの数日間にすぎないのだが、店主や店員は、私たちのことを覚えていて、

「やあ、ご無沙汰してます。お待ちしていました」

と声をかけてくれる。

で、私たちはカレーを注文するのが習慣だった。

私たちは、自分たちの仕事をとくに名乗ることもなく、店主も私たちの仕事について聞くこともない。ただなんとなく、「年に3回、数日だけ来る人たち」というだけの存在である。

「今回は何日滞在されるんですか?」

「今日だけなんですよ」

以前は数日間だったこの町での仕事も、近ごろは予算の関係上、1日で終わってしまうほどの作業量になってしまった。

いつものようにカレーを注文し、食べ終わると、店主が人数分のアイスコーヒーを運んできた。

「これ、サービスです」

私たちが不審な顔をすると、

「実は、この店、今月をもちまして店じまいすることになりました」

「ええぇぇっ!!そうなんですか?」

私たちはショックを受けた。この界隈に1軒しかないカフェが店じまいするとなると、これから昼食は、どうすればよいのだろう?

どうして店じまいするんですか?という立ち入ったことは聞けない。なぜなら、店主もまた、私たちに対して立ち入ったことを聞いてきたことがないからだ。

経済的な事情なのか、家族の事情なのか、体力的な問題なのか、などと思いをめぐらせてみたが、答えが出るはずもない。

「いままでありがとうございました」と店主。

「いえ、こちらこそ、いままでお世話になりました。…寂しくなりますね」

会計を済ませ、お店を出ると、外は焼けるような暑さだった。

考えてみれば、私たちの仕事だって、いつ店じまいになるかわからない。現に私自身も予算の関係で、今日を最後に、しばらくこの仕事から離れることになるのだ。

何が「一億総活躍社会」だ???これでは「一億総店じまい社会」ではないか!!!

こうしてまたひとつ、窮屈な世の中になっていく。

さて、この界隈の憩いの場となっていた、その小さなカフェの名前というのは…。(超難問)

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