忍び難きを忍び
8月9日(火)
ラジオを聞いていると、71年前の8月15日のラジオの「重大放送」をリアルタイムで聞いた、という方へのインタビューが放送されていた。
その当時を知らない私などからすれば、その「重大放送」の時、国民が全員、ラジオの前に正座して、一言一句を聞き漏らさないように聞いていた、というイメージを抱いてしまっている。
その方のお話は、次のようなものだった。
戦時下において、空襲の情報などを知る上で、ラジオは唯一の情報源だった。だからいつもラジオの情報には耳を傾けていた。
その日は午前中に何度も、「正午に重大放送があるので必ず聴くように」というので、その時間に家族みんながラジオの前に座った。
ところが戦時下では、新しいラジオを買うことができないのはもちろん、修繕もままならないので、音声がはっきりとは聞き取れない。
その方は、次のように語った。
「あんまりよく聞こえないんですね。意味はよくわからなかったけれども、『忍び難きを忍び』とか、ところどころは聞き取れて、どうも負けたらしいというのは、おぼろげにわかりました」
その話を聞いて、一つの疑問がわいた。
はたしてこの方は、この「重大放送」をリアルタイムで聴いていたとき、ほんとうに「忍び難きを忍び」というフレーズが、聞こえていたのだろうか?そしてそれを、忘れずに覚えていたのだろうか?
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」は、あまりにも有名なフレーズである。後に、このときの「重大放送」の音声がメディアで取り上げられるときは、必ずこのフレーズの部分が使われるのである。
だから私たちにとっても有名なフレーズである。
とすれば、「重大放送」をリアルタイムで聴いていたこの方も、本当は当時「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」などというフレーズなど聞こえておらず、のちにメディアでこの部分がさかんにリフレインされることで、記憶が上書きされたのではないだろうか?
それをあたかも、当時聞こえたフレーズのように錯覚してしまったのではないだろうか?
こういうの、心理学では何ていうの?「記憶の上書き」?
いや、この方の言ったとおりだった可能性もある。
「重大放送」をリアルタイムで聴いていた人々は、放送の内容が全然わからず、ただ「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」のフレーズだけ、明確に聞き取れた。
ほかの部分は内容が難しいが、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」だけは多くの人々にはっきりと聞こえたのである。
のちに放送局は、その部分が人口に膾炙していることをふまえて、「重大放送」の「象徴」としてこのフレーズを使ったのである。
つまり、その方の記憶は、間違いないということになる。
さあはたして、真相はどちらなのだろう。
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コメント
記憶のすり替え、ですかねえ。
たとえば、とあるカフェを探していて、
それらしいおしゃれカフェが仕事場のすぐ近くにあるが、月曜は休みなので昼ご飯を食べに行けない。
1300年前からある門の近くにもカフェがあるが、これも月曜は休み。しかも、ここならば犬の話題に触れないはずがない。
夫婦経営で、こじんまりとしていて、カレーが名物のカフェで、月曜も開いているドンピシャの店は、仕事場から歩くと遠い。
では、仕事場が違うのかと、本当に1300年前から立っている門の近くを探しても、そばにカフェがたくさんあって、昼飯に困る場所ではない。
「歌謡カフェ」に「フクロウカフェ」と、いかにも食指が動きそうカフェもあったのだが、いずれの店もブログやフェイスブックに「閉店します」なんていう書き込みはない。
というか、ちゃんと探せば、近くに昼飯を食うところなんて沢山あるじゃねえか。
特に、あんしんごはんを出すレストランカフェは、オススメである。
それはともかく、
大体、いつ来るかもしれぬ客を待っているなんて、台湾映画「等一個人咖啡」じゃあるまいし、どだい、おかしな話だ。
もしかして、そんな店なんか、本当はなかったんじゃないの?
狸かなんかに化かされて、
切り株の上に座って、お皿に盛られた枯れ葉をスプーンでかっ込んでたんじゃないの?
というか、職人さんもろとも、粉やらパン粉やらを体にまぶされて、もう少し通うとカツカレーにされるところだったんじゃないの?
大体、「等一個人咖啡」の結末だって、ああだったし。
ほれ、だんだん自信がなくなってきたでしょう。
と、こういう風に、
記憶をすりかえていくといいのでは。
投稿: こぶぎの記憶 | 2016年8月10日 (水) 15時01分