2016年9月
めざせ!夕陽写真家
朝、ラジオを聴いていたら、お弁当の写真を撮ることで有名な写真家がゲストで出ていた。
ラジオなので、その人の撮った写真を見ることは当然できなかったのだが、その人のお話しじたいはなかなか面白くて、
「俺も何か、特定のものを写す写真家をめざそうかな」
と思ったのだった。
そういえば、旅に出たときに、夕陽を写真におさめることが、何度かあった。
日本でただ一人の「夕陽評論家」がいるってことは、読者諸賢はご存じだよね。
そう、油井昌由樹さんである。
もともと俳優さんとしては素人だったのに、黒澤明監督に憧れて、黒澤作品に何本も出演し、黒澤監督の晩年にはもっぱら監督の「聞き役」として活躍した。
この人のナレーションもまた、味わいがある。
生き方として、憧れるなあ。
まあそれはともかく。
そのひそみにならって、「夕陽写真家」と自称しようか。
ということで、「夕陽写真展」。
これは、今年の2月末に韓国の南原(ナモン)というところに訪れたときに撮った「ナモンの夕陽」である。
これは、今年の8月半ばに韓国のソウルを訪れたときに撮った「漢江(ハンガン)の夕陽」である。KTX(韓国の高速鉄道)に乗っていて、漢江にさしかかったときに車窓越しに撮影した。
これは、今年の8月末に青森県の津軽地方を訪れたときに撮った「津軽の夕陽」である。
私が使っているカメラは、7年ほど前に買った、小さなデジカメである。決して性能がいいというわけではない。
すべて「自動モード」で撮っている。
どうだい。どれもなかなかいい構図じゃないか。
本気で、夕陽の写真を撮ることを趣味にしようか。
あるいは、「暮色写真家」をめざそうか。
以上、夕陽写真展でございました。
柿ピー症候群(シンドローム)
絶不調である(以下に書く文章も支離滅裂である)。
こういうときは、こぶぎさんがコメント欄で僕の代わりに記事を書いてくれるので、ありがたい。
そういえば2週間ほど前だったか、TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」を聴いていたら、まったくオープニングトークをすることなく、冒頭の挨拶をした後、すぐにリスナーからのメッセージを紹介していた。それ以降も、さして面白いトークにはならず、番組を淡々と進行していた。
絶好調のときならば、30分近くはフリートークをして、腹を抱えて笑うこともあるのだが、2週間前の番組では、ひたすら番組の進行に徹していたのである。
なるほど、安住アナは絶不調なのだろうと、そのときに思った。
人間ならば誰しもそういうときはあるはずで、神経が繊細な安住アナであれば、なおさらである。
そういうときは、無理をすることもないのである。
いまの私も、そんな状況である。
ラジオといえば、些細なことだがこんなこともあった。
これも2週間ほど前だったか、朝のラジオ番組を聴いていたら、私と同世代のラジオDJが、「いま、柿ピーにはまっている」と言っていた。
ダイエットをしているのだが、どうしても柿ピーがやめられなくなり、気がついたら、9パック入りの柿ピーを、いちどに全部食べてしまうのだという。
なんということのない話だったのだが、これを聴いて私は驚いた。
私もちょうどそのとき、柿ピーブームが来ていたからである。
しばらく柿ピーなんぞ食べていなかったのだが、その数日前にスーパーに行ったときに柿ピーを買って、いちどに数パックを食べてしまったりしていたのだ。
つまり私とそのラジオDJに、同時期に柿ピーブームが訪れていたのだ。世間的には柿ピーブームなど訪れていないにもかかわらず、である。
なんという偶然!こういうのを、シンクロする、というのだろうか?
しばしばこのラジオDJとは、同時期に同じものに関心を持ったりするような「シンクロ状態」になることがあるのだ。
ではなぜ私に、柿ピーブームが起こったのか?
その理由は簡単である。数日前のインターネットのニュースサイトに、柿ピーの写真が掲載されていた。「外国人に人気のおみやげは、柿ピーである」というニュースだった。
私はそのニュースに出ていた柿ピーの写真を見て、
「柿ピー食いてえ」
と思ったのである。
ここで一つの仮説である。
そのラジオDJも、インターネットのニュースサイトに出ていた柿ピーの写真を見たのではないだろうか。そしてそれを見て、
「柿ピー食いてえ」
と思ったのではないだろうか?
つまり、私と同じ理由で、柿ピーブームが始まったのではないだろうか?
それゆえに、柿ピーブームがシンクロしたのである。
同じ嗜好の人間が、同じ写真を見たとき、同じような行動様式をたどることは、十分にあり得ることである。
ちょっとした情報が、同じ嗜好の人間たちの無意識の世界に入り込み、同様の行動に走らせる。
これを、「柿ピー症候群(シンドローム)」と呼ぶことにする。
キム先生
9月16日(金)~18日(日)
とにかく忙しい。やることが多すぎて心が折れそうである。
17日(土)と18日(日)は、職場でイベントがあり、朝から晩まで気の抜く暇がなかった。
前日の16日(金)には、韓国からお呼びしたキム先生のアテンドをしなければならない。
キム先生は、いまから9年ほど前、うちの職場に1年ほど研修で滞在した。韓国に戻り、いまは相当な地位にいらっしゃる。
私が2009年に韓国に留学したときも、たいへんお世話になった。
いまも、韓国に行くときには何かとお世話になっている。今回、うちの職場に、イベントのゲストとしてお呼びしたのである。
キム先生は、16日のお昼過ぎに職場に到着した。
職場の中をいろいろとご案内したのだが、驚いたのは、キム先生が、廊下ですれ違う職員の一人一人を覚えていたことである。
ゲストハウスのお世話係をしていたおばちゃんのことまで覚えていた。
それだけではない。職員がみな、キム先生のことをちゃんと覚えている。
ゲストハウスのお世話係のおばちゃんは、「お会いできてよかった」と少し涙ぐんでいた。
キム先生にはそれだけ、人を引きつける魅力があるのだ。
17日(土)のイベントの本番で、キム先生は、壇上で自由奔放に語り続けた。
時折、通訳を介さずに聴衆に語りかける日本語は、決して流暢とはいえなかったが、それでも、260名の聴衆はキム先生のお話に引きつけられた。
重要なのは、「誰が話すか」ということだと思い知らされる。
おかげで17日のイベントは成功した。
だが、2日間のイベントは、さすがに体にこたえた。加えて、15日~18日は、4日連続で宴会だったのである。
3連休最終日の19日は、まる一日、泥のように寝た。
卒業論文
9月15日(木)
大学時代に最も恐かった先生と、いま、一緒に仕事をしている。
月に1回程度、都内で3時間ほどの会議をするのだが、会議なんてものではない。真剣勝負のゼミである。おまけに宿題も出る。
この年齢になってもまだ、宿題をやってこなかったことを先生に叱られるとはね。
会議が終わると、いつもの居酒屋で3時間ほどお酒を飲む。
このときの先生は、えらく上機嫌で、会議のときの厳しさとはうって変わって、おもしろい話をしたりする。
「いままで、いろいろな卒論を読まされたなあ」と先生。
「どんな卒論です?」
「いちばん可笑しかったのはね。
『夏目漱石と私 -とくに私について-』」
「ほとんど自分のことしか書かないってことですね」
一同大笑い。
私がこれまで読んできた卒論の中には、そんなぶっ飛んだ内容のものはなかったなあ。
学位論文
韓国では、学位論文、いわゆる博士論文が合格すると、それを大量に印刷、製本して、お世話になった人や、同じ専門分野の人に配る、という風習がある。
学位論文は、全部が全部、出版社がついて出版されるというわけではない。だから、書いた本人が、おそらく「町の印刷屋さん」に発注して、印刷、製本してもらうのだと思う。
黒いハードカバーの表紙もあれば、ソフトカバーのものもある。また、博士論文だけでなく、修士論文(韓国では「碩士論文」という)を製本して配布する人もいる。
私も、何人もの韓国の方から、学位論文や碩士論文をいただいた。はじめてお会いした方からも、何度となくいただいた。いわば名刺代わりなのである。
日本ではどうかというと、私の知るかぎり、そのような風習は見受けられない。
「おかげさまで、学位論文が合格しました。おまけに就職も決まりました!」
「それはおめでとう」
というやりとりがあったとしても、
「はて、この人はどんな内容の学位論文を書いたのだろう?」
と、内容がまったくわからないことがほとんどである。
内容がわからないから、おかげさまで、と言われても、どこがどう、おかげさまで、なのか、よくわからない。だからその人についての興味もわいてこない。
日本でも、「学位論文を名刺代わりに配る風習」があればいいのにな、と、時々思うことがある。
学位論文に限らない。修士論文や、卒業論文でもよい。
名刺代わりに配ってくれたら、その人の人となりが、よくわかるのではないだろうか、と思うことがある。
少なくとも、肩書きしか書かれていない名刺よりは、その人のことがよくわかると思う。
投稿少年
ドラマ「重版出来!」を見ていて、思い出したことがあった。
小学校高学年のころ、漫画家に憧れた。
漫画好きの友だちと漫画を書き始めた。友だちは劇画タッチの漫画を書くのが好きで、僕はギャグ漫画を書くのが好きだった。
あろうことか、漫画雑誌の「賞」に応募しよう、ということになった。
友だちは手塚治虫賞に、僕は赤塚不二夫賞に投稿した。小学校6年のときだったと思う。
友だちは戦記物、僕は「釜飯おじさん」という、顔が釜飯の形をしているおじさんの話だった。
当然、そんなものが箸にも棒にもかかるはずはない。それ以来、漫画を描かなくなった。
中学生になって憧れたのは、YMOである。
YMOに憧れ、友だちとふたりで曲を作り、NHK-FM「坂本龍一のサウンドストリート」にデモテープを送った。
当然これも、箸にも棒にもかかるはずはなかった。
投稿少年だった僕が、唯一認められたのが文章である。自分が書いた文章が雑誌に載ったのが、小学校6年の時である。
漫画も音楽も夢に終わったが、文章を書くことだけは、今も続けている。
文章を書き続けることが、漫画や音楽ではちっともかなわなかった夢に、少しでも近づく方法なのではないか、と思っている。
僕がこんなことを書いたのは…。
コバヤシ語録
相変わらず忙しくて、日記が書けない。
そんな折、高校時代の友人・元福岡のコバヤシからメールが来たので、引用する。
「先ほどパソコンで記事を検索して見ました。なる程、2行ほどのコメント、N新聞、Y新聞、両方ともほぼ同じコメント拝見しました。やはり新聞にコメントが載るというのは嬉しいものなのでしょうか?決して皮肉で書いている訳では有りません。昨日、くだんの会社の面倒な後輩に少し立ち居振る舞いのアドバイスをしたのですが、結局、約1時間に渡り2人っきりで会議室で「こんなに一生懸命、会社のことを考えて仕事をしているのに、何故みんな僕のことを悪く言うのですか!!」と延々と続き「僕の何が一体ダメ何ですか?教えて下さい!」と言われ、とつとつと、会社は仕事だけで評価されるものではない、君がいくら正しくても相手のことを見ずに一方的に主張しても人はついて来ない、てなことを説き本当に疲れた次第です。かく言う私も余計な一言が多いので決して会社で評価されている訳ではないのですが…それにしても、人はかくも他人(しかも多数の人から)から認めて貰いたいものなのでしょうか?この後輩といい、貴殿のメールといい、色々考えさせられる週末でした。てなことを書きながらも、この間のライブがYOUE TUBEにアップされたのでお暇でしたら見て下さい。UNITED SOUL JAZZ ORCHESTRA、すみだストリートジャズ2016で検索すれば出て来ます。最初のサンバとファスシネイティング・リズムがまあ許せるかという感じですが、後は酷いです。まあ、私もなんやかんや言いながら誰かに見て貰いたいということですかね。てなわけで、またそのうち。ごきげんよう!」
コバヤシはいつも、それとなく物事の本質を教えてくれる。
高校時代から、ずっとそうである。
あおりといってもイカではない
9月8日(木)
私が編集を担当した雑誌が、ようやく校了した。
ここ数日、録画しておいたドラマ「重版出来!」を見ているせいか、どうも自分の仕事を漫画雑誌の編集者と重ね合わせてしまう。
うちの雑誌では、執筆者の先生方の文章に200字程度のリード文をつけることになっている。リード文を書くのは、執筆した先生ではなく、編集担当者である私である。
「重版出来!」を見ていた読者諸賢にはおわかりと思うが、マンガ業界でいうところの「あおり」というやつである。
連載漫画を読んでもらうために、執筆する漫画家ではなく、編集担当者が人の心をとらえる「あおり」を書くのだ。それと同じである。
本文の内容が、多少高尚であったり、とっつきにくかったりすると、読んでもらうためには、印象づけるためのリード文が必要である。
私も編集者よろしく、執筆者の先生方の本文を読んで、その魅力を伝えるためのリード文を作るのに頭をひねった。
4本分のリード文を書いた。
そのうちの1本が、自分としては、会心の作である!と思った。
まるで「Gメン75」とか「特捜最前線」の予告編みたいな、キレッキレのリード文になったぞ!
ところが、である。
初校の段階で、執筆者の先生に見てもらったところ、4人のうち、1人の先生だけが、私のリード文が少し気に入らなかったのか、赤を入れてきた。
そのリード文というのが、自分がいちばん「会心の作だ!」と思っていたリード文だったのである。
これまでの経験上、よっぽどの間違いがない限り、編集担当者が書いたリード文を執筆者が手直しするなんてことは、まずないのだが、その方は、私の文章表現のリズムが、よほど合わなかったらしい。
内容を変えることなく、文章のリズムを変えてしまわれたのである。
ま、ここまでくると、単に好みの問題、ということなのだろうが私にとって心地よかった文章のリズムが、その先生にとっては違和感だったようである。
逆に、執筆者の方が直した文章のリズムは、どうも私には合わない。
さあ、こんな時、編集担当者だったらどうするのか?
たとえ「俺の書いたリード文のほうが文章がキレッキレだぞ!」と思っても、「執筆者の意向にしたがう」というのが正解である。
ということで、ここは何事もなかったかのように修正案にしたがった。
忸怩たる思いが残ったが、でもそんなこと、読者にとってはどうでもいいことかもしれない。
編集者の気持ちが、少しだけわかったような気がした仕事でありました。
納品が楽しみである。
古新聞を買う時代
昨日の午前中、TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」を聴いていたら、
「新聞紙は、ものを包んだりするのに重宝して使っていたのだが、最近、新聞を家でとらなくなったので、新聞紙が手に入らなくて不便な思いをしている」
というリスナーのメッセージを紹介していた。このメッセージを読んだ安住紳一郎が、
「そういえば最近は、新聞紙がインターネットで販売されていますよ」
と言っていたのだが、本当かよ、と思って調べてみると、たしかにインターネットで新聞紙が販売されていた。
インターネット販売サイトを見てみると、
「新聞紙(新古・未使用) お試し5kg 【ペット飼育の中敷として】 ペット トイレシート」
とあり、なるほどペットのトイレシートとして使うことを想定しているんだな、ということがわかる。値段は、2200円の64%引きで、790円だそうである。
さらに詳しいことが書いてあって、
「使用用途:ペット飼育の中敷として最適 (ほか、包装材・緩衝材などとして)
販売単位:5kg (初めてご購入の方にオススメのお試し5kg)
商品仕様:新古・未使用のため使用感はありません。紙を伸ばして揃えて束にしております。
特徴:新古未使用なので衛生的。ペット飼育のトイレシートなどに安心してご利用いただけます。
備考:日本誌(新聞社指定不可)、チラシ等は入っておりません。商品画像はイメージです。」
などと書いてあって、なるほど、単なる読み古しの新聞ではないのだな、とか、包装材や緩衝材としても使えることをうたっているのだな、とか、5㎏くらいがお試しにちょうどいいんだな、とか、いろいろなことがわかって、そこはかとなく可笑しい。
さっそく、その日の午後におこなわれた「若者の街での講演会」で、このネタをたとえ話として使わせていただいた。
講演の内容とこのたとえ話がどのように関連するのかは、たぶん誰もわからない。
若者の町で講演会
9月4日(日)
都内で最も若者が集まる町で、講演会をおこなうことになった。
といっても、対象はおもに年輩の方々である。若者は一人もいない。
事前に主催者から、会場についての説明を受けた。
「駅を降りていただきますと、有名な犬の銅像があります」
「はぁ」
「道をまっすぐ行きますと、マルイというデパートがみえてきます」
「はぁ」
「そこを左の方に曲がりますと、パルコというデパートがみえてきます」
「はぁ」
「そのはす向かいです」
「わかりました」
かつては若者文化の最先端と呼ばれたパルコのはす向かいの建物で、若者文化とはまったく関係のない地味な講演会をするというのは、なんともシュールである。
お客さんが20名くらいのこぢんまりした講演会だったが、久しぶりに再会した方がいた。
2009年10月、韓国留学中のことである。
大学院時代にお世話になった大先輩が、平均年齢70歳の学生30人ほどを連れて、韓国に旅行にいらしたとき、私と妻がそのツアーに同行して案内したことがあった。
そのときの学生さんが、聞きに来ていたのである。
しかも、である。
その学生さんというのは、あのとき、夕食で隣の席に座ったご高齢のご婦人だったのである!たしかそのときすでに、80歳を超えていたと思われる。
「もう90に手が届く年齢になりました」
私はビックリした。韓国でお目にかかった7年前と、まったく容子(ようす)が変わっていない。とても矍鑠(かくしゃく)としているのである。
「明後日から九州旅行なんですが、台風が心配です」
「明後日から九州にご旅行されるんですか?」
「ええ、島をまわります」
いやあ驚いた。好奇心というのは、こんなにも人を健康にさせるのだということを実感した。
講演会が終わり、若者でごった返している繁華街を通って、一緒に駅まで歩いていく。
道行く人は若者ばかりである。その中で90歳になろうとするおばあさんが、背中にリュックを背負って颯爽と歩いている姿は、実にシュールであった。
「ちょっとデパートに寄りますので、これで失礼いたします」
「どうか九州、お気をつけて」
その方は、雑踏の中に消えていった。
謎の研究会
9月3日(土)
職場で、私がかかわった小さなイベントが開催中である。
今日はそのイベント解説を私が担当することになっていたので、休日出勤である。
(こんなマニアックなイベント解説なんて、誰も聞きに来ないんじゃないかな…?)
と思っていたら、なんと20人くらいのお客さんがイベント解説を聞きに来てくれた。
予定していた30分の解説を10分ほどオーバーして終えると、私より少し若い感じの男性が話しかけてきた。
「あのう…、とても興味深く聞かせていただきました」
「ありがとうとざいます」
「じつは私、下水研究会というところに属しておりまして、今日はこのイベントがあるというので、ぜひ聞きに来たいと思っておりました」
「げすい研究会ですか?」
「ええ」
私は驚いた。なぜならこのイベントと下水とは、何の関わりもなかったからだ。
「つかぬことをおうかがいしますが、なんでまた下水研究会の方がこのイベントに関心を持たれたんですか?」
「それと言いますのも…」
かくかくしかじか、とその方は説明した。
「なるほど、そういうことだったんですか。そういう関係があるとは、恥ずかしながら知りませんでした。そうとは知らず、全然関係のないお話ばかりして申し訳ありませんでした」
「いえ、十分に参考になりました。ありがとうございました」
…というか、私にとっては下水研究会のほうが気になって仕方がない。うちのイベントよりも、よっぽどマニアックである。
たまにこういうことがあるからこの仕事はおもしろい。
いつも思うことなのだが、「マニアックである」ということは、決して閉じた世界であることを意味しない。
マニアを突きつめれば、別のマニアに行き着くのだ。そしてそれがシナプスのようにつながり、大きなネットワークを形成していく。
物事を突きつめれば突きつめるほど、世界は広がっていくのである。
…さて、この小さなイベントと下水との関係。これを解き明かした人がいたとすれば、よっぽどのマニアである。
引きの強い旅
こぶぎさん、大正解です!
お察しの通り、あまりにも忙しくて日記を書く時間がとれない。このままこの忙しさが続くようであれば、このブログをやめようと思う。
さて私めは、8月15日から1週間にわたって韓国を旅し、中二日で九州の某県、さらに中一日で北東北を旅したのであった。
北東北の旅について書いてみたのだが、時間がとれなくて練れた文章にならない。
これはもうやめドキだな。おもしろくも何ともない文章だが、とりあえず載せることにする。
↓↓↓↓
8月27日(土)~30日(火)
まことにいろいろなことがあった旅であった。
総勢のべ14名での旅である。いちおう私が今回の幹事であり、引率者である。
まず計画段階でアクシデントが起こる。
確定した日程にしたがって計画を立てていったのだが、旅の初日である8月27日(土)は、その県で世界的に有名な花火大会が年に一度開かれる日であることに、後で気づいた。気づいたときはもう遅い。初日の目的地である県庁所在地のホテルがどこも満室である。
そればかりではない。
花火大会のせいで、初日の目的地に向かう新幹線の切符がとれない。
聞くと、この日が1年で最も新幹線の切符がとれない日なのだそうである。
このままでは、誰も、初日の目的地にたどり着けないではないか!
かろうじて、朝6時発の始発の新幹線の指定席のみが残っていたので、慌てて購入した。
となると、朝4時過ぎに家を出ることになるのだが、幹事が寝坊して新幹線に乗り遅れたなんてことになったらシャレにならない。久しぶりに前日徹夜して、朝6時の新幹線に乗る羽目になった。
午後1時に駅の改札に集合ということになったのだが、奇跡的に全員が間に合ったのであった。
さて、問題は宿である。
県庁所在地のホテルが全部満室だったため、そこから車で1時間半ほどかかる海辺の町の、漁師さんの経営する旅館にみんなで泊まることになった。地元のIさんが機転を利かせて予約してくれたのである。
レンタカー4台で移動する。
陸の孤島のような、港町である。
旅館では、食べきれないくらいの魚料理が、これでもかこれでもかと出た。それだけでも、ここに泊まる価値があった。まったく、花火大会のおかげである。
さあそこからは、ノンストップの旅である。4台のレンタカーが、これまた奇跡的に迷うことなくミッションをクリアして、2日目の宿泊地に着いた。
前夜、あれほど飲んだにもかかわらず、2日目の夜も日付が変わるまで飲み続けた。
翌29日。
この日のお昼でいったん旅が終わり、S駅でメンバーは解散となったが、私は別件で、もう1日この県に残ることになった。
さて、最終日の30日。
用事を済ませ、S駅にレンタカーを返して、この日の夕方に東京に戻るつもりだったが、ちょうどこの日、大型で強い台風が上陸するということで、その県の県庁所在地のあるS駅から東京に向かう新幹線が、すべて運休になってしまった。
「新幹線は運休しない」などという根拠のない豆知識を信じていた俺がバカだった。
万事休すか?だがなんとしてもこの日のうちに帰らなければならない。
S駅のみどりの窓口で聞いてみると、隣県の県庁所在地にあるM駅からは、夕方以降、東京に向かう新幹線が動く可能性があるという。
さあ、どうする?
打つ手は一つしかない。S駅からレンタカーを借りて、夕方までにM駅に向かうことである。
ふたたびS駅でレンタカーを借り、3時間ほどかけてM駅に向かい、夕方5時、M駅に着いた。
すると、ちょうど6時15分に東京に向かう新幹線があったので、それに乗ることができた。
初日は花火大会にぶつかり、最終日は台風にぶつかった、3泊4日の旅。
トラブルを引き込むことにかけては他に引けをとらない俺。
それでもなんとか、いろいろな人の力を借りながら、今まで乗り越えてきたのである。
今回もまた。
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