投稿少年
ドラマ「重版出来!」を見ていて、思い出したことがあった。
小学校高学年のころ、漫画家に憧れた。
漫画好きの友だちと漫画を書き始めた。友だちは劇画タッチの漫画を書くのが好きで、僕はギャグ漫画を書くのが好きだった。
あろうことか、漫画雑誌の「賞」に応募しよう、ということになった。
友だちは手塚治虫賞に、僕は赤塚不二夫賞に投稿した。小学校6年のときだったと思う。
友だちは戦記物、僕は「釜飯おじさん」という、顔が釜飯の形をしているおじさんの話だった。
当然、そんなものが箸にも棒にもかかるはずはない。それ以来、漫画を描かなくなった。
中学生になって憧れたのは、YMOである。
YMOに憧れ、友だちとふたりで曲を作り、NHK-FM「坂本龍一のサウンドストリート」にデモテープを送った。
当然これも、箸にも棒にもかかるはずはなかった。
投稿少年だった僕が、唯一認められたのが文章である。自分が書いた文章が雑誌に載ったのが、小学校6年の時である。
漫画も音楽も夢に終わったが、文章を書くことだけは、今も続けている。
文章を書き続けることが、漫画や音楽ではちっともかなわなかった夢に、少しでも近づく方法なのではないか、と思っている。
僕がこんなことを書いたのは…。
| 固定リンク
「思い出」カテゴリの記事
- 続・忘れ得ぬ人(2022.09.03)
- 忘れ得ぬ人(2022.09.02)
- ある授業の思い出(2022.07.21)
- ふたたび、卒業文集、のはなし(2022.05.21)
- 時刻表2万キロ(2022.03.16)
コメント