あおりといってもイカではない
9月8日(木)
私が編集を担当した雑誌が、ようやく校了した。
ここ数日、録画しておいたドラマ「重版出来!」を見ているせいか、どうも自分の仕事を漫画雑誌の編集者と重ね合わせてしまう。
うちの雑誌では、執筆者の先生方の文章に200字程度のリード文をつけることになっている。リード文を書くのは、執筆した先生ではなく、編集担当者である私である。
「重版出来!」を見ていた読者諸賢にはおわかりと思うが、マンガ業界でいうところの「あおり」というやつである。
連載漫画を読んでもらうために、執筆する漫画家ではなく、編集担当者が人の心をとらえる「あおり」を書くのだ。それと同じである。
本文の内容が、多少高尚であったり、とっつきにくかったりすると、読んでもらうためには、印象づけるためのリード文が必要である。
私も編集者よろしく、執筆者の先生方の本文を読んで、その魅力を伝えるためのリード文を作るのに頭をひねった。
4本分のリード文を書いた。
そのうちの1本が、自分としては、会心の作である!と思った。
まるで「Gメン75」とか「特捜最前線」の予告編みたいな、キレッキレのリード文になったぞ!
ところが、である。
初校の段階で、執筆者の先生に見てもらったところ、4人のうち、1人の先生だけが、私のリード文が少し気に入らなかったのか、赤を入れてきた。
そのリード文というのが、自分がいちばん「会心の作だ!」と思っていたリード文だったのである。
これまでの経験上、よっぽどの間違いがない限り、編集担当者が書いたリード文を執筆者が手直しするなんてことは、まずないのだが、その方は、私の文章表現のリズムが、よほど合わなかったらしい。
内容を変えることなく、文章のリズムを変えてしまわれたのである。
ま、ここまでくると、単に好みの問題、ということなのだろうが私にとって心地よかった文章のリズムが、その先生にとっては違和感だったようである。
逆に、執筆者の方が直した文章のリズムは、どうも私には合わない。
さあ、こんな時、編集担当者だったらどうするのか?
たとえ「俺の書いたリード文のほうが文章がキレッキレだぞ!」と思っても、「執筆者の意向にしたがう」というのが正解である。
ということで、ここは何事もなかったかのように修正案にしたがった。
忸怩たる思いが残ったが、でもそんなこと、読者にとってはどうでもいいことかもしれない。
編集者の気持ちが、少しだけわかったような気がした仕事でありました。
納品が楽しみである。
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