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2016年10月

ソッコク酒の屈辱

10月22日(土)

1週間の旅が終わった。

今回の旅で痛感したのは、韓国語がどんどん下手になっているなあということである。

何より「ソッコク酒」が正確に聞き取れなかったのがショックだった。

おじいちゃんのDさんの発音を聞いて、完全に「석걱주」であると思い込んでいたが、正解は「소곡주」だったのである。

このていどの聞き取りを間違うなんて、韓国語の「イロハのイ」を理解していないことに等しい。まったく情けない。

今回は、韓国語のわからない職人さんが安心して仕事をできるための通訳としての役割もあった。もちろんそれ自体は特に支障がなかったのだが、それ以外の、たとえば食事をするときなど、韓国人とのコミュニケーションがなかなかうまくいかなかった。

職人さんのうちの一人が、なんとか場を盛り上げようとしていろいろな話を披露しようとするのだが、話の内容が込み入りすぎて、韓国語に訳せない。

「辛いものが苦手なのですか?」という韓国の方の質問に、

「子どものころ、凍傷になりかけたことがあって、軟膏を塗ってもらったんですが、その軟膏の中に唐辛子の粉が入っていたみたいで、ひぃぃぃ~、となって、さらにかぶれたんです。お医者さんに行ったら、『凍傷のせいなのか、軟膏に入っている唐辛子のせいなのか、ようわからへん』と言われるくらいひどくなって、それ以来、どうも唐辛子が苦手なようです」

…そんなもん、訳せるか!!!

「通訳できません」

と、泣く泣く弁明する始末である。まったく、屈辱的である。

思い返してみれば、過去にも似たような人や、それ以上の強者が何人かいた。とても通訳するのが難しいような込み入った話や、ごく限られた人たちにしかわからないような話をするのである。前者はまだしも、後者になると、困ってしまう。

本人はしたり顔でそのエピソードを披露しているのだが、こちらとしては、相手にどう通訳していいのかわからない。

難しい表現ならば易しく言い換えれば済む話なのだが、背景がわかっていないと意味がわからないぞ、という話を、さも面白いかのように話されると、辟易する。

ごく一部の人には伝わったとしても、その話の背景を知らない人にとっては、何のこっちゃわからない、という話は、考えてみれば、通訳する以前に、そもそも伝わりにくい話なのだ。

韓国語でコミュニケーションをとっているとき、聞き取りやすい人とそうでない人の差が歴然としているというのも、そういうことに起因するのだろう。

韓国語を勉強してわかったことは、

「どんな言語も、伝わりやすい話し方と、伝わりにくい話し方があり、その違いは歴然としている」

という真理である。

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本の楽園

10月20日(木)

滞在している町に「本の村」とよばれる地区があり、その一角に「ブックハウス」という古本屋兼カフェがあることを聞き、昨日の夕食後にDさんに連れて行ってもらった。

この古本屋がすごかった。こんな田舎の町に、こんなおしゃれで図書館並みの古本屋があることに驚いたのである。

あまりに感激したので、今日の夕食後、一人でもう一度その古本屋に訪れた。

午後8時を過ぎて、まわりの店は閉まっているのに、この古本屋だけは夜12時まで開いているのだ。

昨日も客がいなかったが、今日も客はいないようである。

図書館のような立派な建物に入ると、入口を入ったところに図書館のカウンターのような受付というか、レジがあって、店員さんが一人いた。昨日とは別の店員さんである。

「いらっしゃいませ」

「こんばんは」

「初めていらっしゃったのですか?」

こんな時間に一人で来るなんて、不審な人間だと思ったのだろう。

「いえ、昨日も来ました。…じつは日本から来ました」

「日本からですか!!??韓国語がお上手ですね」まさか日本人が来るとは思ってもみなかったのだろう。

「いえ、少ししゃべれるだけです」

「ご旅行ですか?」

「ええ、まあ。こちらはできて間もないんですか?」

「はい。今年の8月29日にオープンしました。…どのあたりが気に入られたんですか?この空間でしょうか、それとも本?」

「両方ですよ。空間も気に入ったし、本も好きなもので」

「ここの支配人は、ソウルの仁寺洞(インサドン)で稀覯本の店を開いていたんです。だからほら、ここにも稀覯本があるでしょう」

そう言って、受付の後ろのガラス張りの部屋を指さすと、そこに稀覯本が並べられていた。あまりに貴重で、一般の客は自由に中には入れないらしい。

さっそく店内をまわる。1階と2階に本が並べられている。買いたいと思う本はとくにないのだが、見ていて飽きないのである。

2階の本棚を見ていて、あの雑誌の復刻版を見つけた。

Photo

雑誌「少年」の復刻版ですよ、こぶぎさん。

価格は4冊で30万ウォン也。

あっという間に1時間半がたっていた。

「どうもありがとうございました」

「また来てください」

さて、また来ることがあるだろうか。

「本の村」でも「本の家」でもない。

めったに来ることができないところだから、ここは「本の楽園」である。

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謎の酒

こぶぎさん、アリア、大正解です!

10月20日(木)

拝啓 Yahoo!知恵袋様

いまお世話になっている作業場には、Dさんが二人いる。若いDさんと、お年を召したDさん。

お年を召したDさんは、人なつっこいおじいちゃん、みたいな感じの人で、自由人の風貌をもつ。若いDさんが忙しいときは、おじいちゃんのDさんがいろいろと面倒を見てくれる。

私はそのおじいちゃんのDさんに気に入られたみたいで、とても親切にしてくれる。

昨日、1リットル瓶を渡された。

「これ、何ですか?」

「お酒だよ」

「お酒?」

「ソッコク酒というお酒」

「……」

恥ずかしながら初めて聞く名前のお酒で、正確には聞き取れなかった。たしか「ソッコクジュ」と言ったと思う。

お酒が入っている瓶を見ると、1リットルの牛乳瓶だった。

ということは、自作の酒であろうか。

「先生のお宅で作ったんですか?」

「いや、弟からもらった。大きな甕に入れてもらったんでねえ。小分けにしているんだ」

「じゃあ、弟さんの家で作ったお酒ですか?」

「いや、集落で作るんだ」

「集落ですか」

「そう、集落で作ったお酒を、みんなで分けるんだ」

「なるほど」

ということは、ふつうのお店では売っていないということだな。

「女性にも飲みやすいお酒だから、マッコリなんかよりもずっと美味しいよ」

Photoさて、モーテルに戻って飲んでみたが、たしかに飲みやすい。

それにしてもこのお酒のことが気になる。

「ソッコク酒」で調べてみても、何にも出てこない。

いったいソッコク酒とは何なのか?俺が聞き間違えたのか?

いろいろ調べてみて、一つの仮説がひらめいた。

ソッコクとは、「石斛(セッコク)」という薬草のことではないだろうか?

J24712そういえばDさんの車に乗って田舎道を走っていたとき、白い花が群生しているのをDさんが指さして、

「あれでお酒を作るのだ」

みたいなことを言っていたような気がするのだが、あれは、薬草の「石斛」のことだったのではあるまいか?

ということで、「ソッコク酒」とは、薬草の「石斛(せっこく)」で作ったお酒だという仮説を立ててみたんですが、これで合ってますでしょうか、Yahoo!知恵袋様。

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豚の頭はどこへ行った?

こぶぎさん、たぶん不正解。

私が滞在している町は、2カ月ほど前、「本の村」と称する巨大古本カフェができた町です。あと、地潜蛙(じむぐりがえる)」が有名な町です。

それはともかく。

10月19日(水)

職人さん二人は、朝から休むことなく、一心不乱に作業をしている。

作業場は現場事務所の一室を借りていて、現場事務所には何人かの職員さんや作業員さんがいる。

夕方頃、職員さんが作業場にやって来た。

「チキン、食べませんか?」

「チキン、ですか?」

Photo隣の部屋が事務室である。私と職人さん二人が事務室に行くと、すでに机の上にチキンや飲み物が並べられていた。

「さあ、どうぞ」

まさか毎日チキンパーティーをやっているわけではあるまい。

「いったいどうしたんです?」

Dさんに聞くと、Dさんは答えた。

「今日は地鎮祭だったんです」

「地鎮祭?」

「土地の神様に捧げ物をするんです」

地鎮祭ならば、日本でもやっている。

「で、地鎮祭が終わったあとは、こうしてみんなで集まってチキンを食べたり飲み物を飲んだりするんです」

つまりは打ち上げである。

「そうですか…。このチキンが、お供え物だったんですか?」

「まさか、違います。豚の頭です」

「豚の頭…」

そういえば以前に聞いたことがある。祭祀をするときには、豚の頭をお供えするのだ。

「豚の頭をお供えしたときに、関係者が豚の口のところにお金を挟むんです」

お賽銭のようなものだろうか。

「それを集めて、打ち上げの費用にするんです」

「なるほど」

これは韓国でふつうにおこなわれていることらしい。お供えしたお金を集めて打ち上げに使うというのは、いかにも韓国らしいやり方である。

「日本ではやっていますか?」

「地鎮祭はやっていますが、たぶんここまではやっていないと思います」

いままで豚の頭をお供えした地鎮祭など、見たことがなかった。地鎮祭のあとに打ち上げをする風習があるというのも、日本では聞いたことがない。

一つ疑問がわいてきたので聞いてみた。

「…で、豚の頭は今どこにあるんです?」

ひょっとしたら、豚の頭をレンタルして、用が済んだら返すのかと思ったのである。

「もちろん調理して食べますよ」

「食べるんですか?」

「ええ。美味しいですから」

しかし、待てど暮らせど、豚の頭は出てこなかった。

豚の頭は、いったいどこへ行ったのか?

いったいどのタイミングで食べるのか?

どうせ食べるんだったら、打ち上げのときに食べればいいものを、なぜわざわざチキンを宅配して食べるのだろう?

このあたりもまた、いかにも韓国らしい。

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ヒムドゥシゲッチョ

10月18日(火)

二人の職人さんは、朝から夕方まで、昼休みを除いてまったく休むことなく作業を続けている。

「休みもなくずっと作業していて、ヒムドゥシゲッチョ?」とDさん。

「ヒムドゥシゲッチョ」とは、韓国語で「大変でしょう」という意味である。

滞在中はDさんのお世話になりっぱなしである。

夕方、作業が終わると、タクシーで市内の美味しいお店に行き、一緒に夕食をつきあってくれるのである。

ご家族もいるのに、毎日夕食をご一緒するのも申し訳ないなあ、と思うのだが、

「どうぞ私たちにかまわないでください。私たちは私たちで適当にやりますから」

とは言えない。この国では厚意にしたがうことが大事である。

夕食が終わり、夜8時過ぎ、タクシーでホテルに戻るのだが、タクシーにはDさんも同乗し、職場のところでタクシーを途中下車して、

「ではまた明日」

と言って、職場に戻っていくのである。

このあと、まだ職場で仕事をするのか?

「ヒムドゥシゲッチョはあんたのほうじゃないか!」

と思わず突っ込みたくなる。

この国には、私の知るかぎりそういう人が多い。

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クイズの答えの訂正

こぶぎさん、2問目も大正解です!

毎日同じ場所で作業しているので、もう出題すべきクイズもなくなってしまった。

…というかこの一連のクイズ、こぶぎさんと私以外は何がなんだか全然わからないのではないだろうか。

さて、第1問目のこぶぎさんの答えは、正確にいえば正解ではない。

作業している場所はこぶぎさんの答えで正解なのだが、宿泊している場所は、その町ではなく、隣の町なのである。

「○○市」ではなく、「○○郡○○邑」というところなのである。

そのことを、昨日はじめて知ったのであった。

日本だと、「郡」の下は、「町」か「村」だが、韓国の場合は、「邑」か「面」である。私の個人的イメージでは、「邑」は日本でいう「町」にあたり、「面」は「村」に相当する。「邑」の代表者が「邑長」で、「面」の代表者は「面長」がいる。

以前、ある面の面長さんから名刺をもらったとき、面長の意味がわからなくて、どうしてわざわざ「おもなが」という自分の顔の特徴を名刺に書いているのだろう、と不思議に思ってしまったことがある。

それはともかく。

さてその、いま私が泊まっている邑というのは…。

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指揮をするように鍋をかき混ぜる

こぶぎさん、大正解です!

さて、第2問です!

10月17日(月)

この町での1日目の仕事が無事終了した。

「夕食に行きましょう」

この町でお世話になっているDさんに連れて行ってもらったのは、作業場から車で5,6分ほど行ったところにある、豆腐料理の店だった。

1月に来たときにも一度訪れたことがあることを、この店の主人の顔を見て思い出した。

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この店の豆腐料理は、伝統とオリジナルが同居したフュージョン料理というべきもので、しかも化学調味料など一切使っていない、ヘルシーで上品な味だった。

このお店の主人も、白髪の老紳士といった上品な出で立ちである。髪型がどことなく、お茶の水博士にも似ている。

豆腐料理屋を運んでくるさまがじつに上品なので、老紳士が豆腐料理を運んでくるたびに私は姿勢を正して、料理がテーブルに置かれるのを待っているのだった。

最後に豆腐の鍋が出てきた。

老紳士はじっと鍋を見つめながら、ゆっくりゆっくりとおたまでかき混ぜて、しばらくしてから、

「もう食べていいでしょう」

と言って、去って行った。

そのかき混ぜ方がじつに絵になっていたので、私は思わずDさんに言った。

「あの店長さん、まるで芸術家みたいですね」

「芸術家ですよ」

「え?」私は驚いた。「本当ですか?」

「本当です。あの方は、指揮者をやっておられます」

なんと!本業は指揮者だというのだ。

いや、本業は豆腐料理屋の主人で、副業が指揮者なのか?

そんなことはどうでもよい。いずれにしても指揮者兼豆腐料理屋の主人なのである。

会計を済ませようとレジに行くと、レジのところに、店の主人が指揮者をしている写真が飾ってあった。

会計を済ませたあと、少しばかりお話を聞いたところ、

「市街地に行けば、魚料理の店だとか、いろいろとあるけれど、この町の本当の名物料理を食べさせる店は少ない。だから町の外れのこの店に、わざわざ食べに来る客が多いのだ」

と誇らしげにおっしゃっていた。

「とても美味しかったです」というと、

「それはそうだろう。うちの妻は料理研究家だからな」

と、やはり誇らしげにおっしゃった。

誇り高く、そしてこだわりを持っていれば、どこにいようとも人は集まってくるのだ。

たとえそれが、片田舎の小さな豆腐料理屋さんであろうとも。

さて、その豆腐料理屋というのは…。

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その町のインターチェンジ

10月16日(日)

またまた旅の空です。

韓国のこの町を訪れるのは、今年に入って3回目である。

1年に3回もこの町を訪れる日本人は、そうはいないのではないだろうか。

そういう意味では、やはりこぶぎさんがいうところの「このブログの聖地」である。

今回の滞在期間は1週間である。

ほかの仕事に忙殺されていたため、十分な準備なく、出発することになってしまった。

今回の指令は、次の通りである。

「空港に着いたら、高速バスに乗ってください」

「高速バスですか?」

私がその町に行くときは、たいていKTX(韓国の高速鉄道)に乗ってしまう。だが今回は、高速バスに乗れという指令である。

「その町を最終目的地とする高速バスはありませんから、その先の町まで行くバスに乗ってもらいます」

「はあ」

「その先の町まで行くバスが、途中、その町のインターチェンジでとまります」

「インターチェンジですか?とすると、空港からその町に行こうとすると、市街地ではなく、インターチェンジのところで降ろされるということですね」

「そのとおりです」

高速道路のインターチェンジは、たいていの場合、市街地のはずれにある。

「不便ではないですか?」

「いえ、そんなことはありません。そこからのほうが、作業をする場所には近いんです。KTXの駅からだと、むしろ遠くて不便です」

「なるほど、しかし、インターチェンジで降りたとして、そこからの移動手段がないでしょう?」

「運がよければそこにタクシーがとまっていますので、タクシーに乗って、ホテルまで行ってください。ホテルの名前は、○○○モーテルです。タクシーの運転手さんにそう言ってください。タクシーがいなければ、何らかの方法でタクシーを呼んでください」

「わかりました」

その指令だけを頼りに、空港からその町に向かうことにする。

午後にソウルの空港に着き、関西の空港からこちらに到着した職人さん2人と合流する。

このお二人を、責任をもって目的の町までお連れしなければならない。

バス乗り場を探し、目的のバスに乗り込む。

高速バスに乗ること3時間。

目的の町のインターチェンジに着いたのが、午後6時半。すでに家を出てから10時間が経過していた。

運よく1台のタクシーがとまっていた!

急いでタクシーのところに駆け寄り、運転手さんに行き先を告げて、無事に宿泊するホテルに到着した。

ホテルの前では、今回の仕事でお世話になるDさんが待っていた。

「大変だったでしょう」

「バスだと思ったより時間がかかりますね」

「そうなんですよ」

ともあれ、全員がこの町に無事に着くことが、今回の私の重要な仕事だったので、ひとまずは安心である。

あとは、明日からの仕事が滞りなく終わることを祈るばかりである。

私が滞在しているその町というのは…。

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ボブ・ディランにはなれない

ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞で、私のようなにわかファンが増えたのではないだろうか。

ニュースを見ていると、ガロの「学生街の喫茶店」がかかり、

「学生でにぎやかなこの店の片隅で聴いていたボブディラン」

という歌詞が注目され、その作詞家が取材を受けていたりとか、

(そういえば、むかしホフディランという日本のバンドがあったよなあ)

と思い出し、調べてみると、インターネットのニュースで、

「ホフディランに祝福のツイートが急増」

とか、相変わらず全然関係ないところに飛び火しているところが、この国のいつものパターンで笑える。

さっきもラジオ番組でボブ・ディランの話題が出ていたのだが、最近ボブ・ディランの日本公演に行ったという人が、

「コンサートで懐かしい曲を聴きたいと思っていたら、ボブ・ディランはむかしの曲を一切やらず、全部新曲ばかりを歌っていた。アンコールでようやくむかしの曲をやってくれるのだが、アレンジが当時とは全然違う」

とこぼしていて、

「つまりボブ・ディランは、いまも新しいことを求める現役だということだ」

とまとめていた。

そういえば私の友人も、つい最近ボブ・ディランの日本公演に行ったそうで、同じようなことを言っていた。新曲ばかりで、いちばん聴きたかった「風に吹かれて」を歌ってくれなかったのだと。

そんな話を聞くと、むかし書いたものの焼き直しを新連載に書いている私なんぞは、全然ダメな人間だというのがよくわかる。やはり常に新しいものに挑戦していかないといけない。

ノーベル文学賞を受賞したことに関して、いまだに全然コメントしていないというのも、ボブ・ディランの美学をあらわしている。

それにひきかえ私なんぞは、新連載がはじまったなどと、ブログで宣伝したり、日ごろ連絡を取らないような人たちにまで宣伝したりするんだから、まったく、美学もへったくれもない人間である。

ボブ・ディランにはなれそうもない。

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続・答えは風に吹かれている

10月14日(金)

「井上陽水 風に吹かれて」という検索ワードで、私の書いた過去の恥ずかしい記事が上位に出てくるらしい。今日、この検索ワードで、私のブログににたどり着いた人がいたようだが、明らかにこれはボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したがきっかけで検索したということだろう。

私はビックリするくらい洋楽に関する知識がない。中学生のとき、洋楽好きの友人がいて、よく家に遊びに行って洋楽のレコードを聴かせてもらったものだが、ボブ・ディランを聴いた記憶がない。恥ずかしいことに、大人になってから知ったのである。

ボブ・ディランの「風に吹かれて」がアメリカの公民権運動を象徴する歌となったことや、この曲のメロディーが、1865年、奴隷解放宣言直後に作られた黒人霊歌の「No More Auction Block(競売はたくさんだ)」からとられたものであって、つまりこの曲は当初から、公民権運動を強く意識して作られた歌だったのだ、ということを、つい最近、というか今日、知ったのだった。音楽評論家・高橋芳朗さんがラジオで喋っていた。

何度空を見上げたら
青い空が見えるのか?
いくつの耳をもてば
為政者に人々の悲しみが聞こえるのか?
何人の人が命が失われたら
あまりにも多くの人が亡くなったことに気づくのか?
その答えは、友よ、風に吹かれている
答えは風に吹かれている

歌詞を読んで、今さらながら、

(そうか、井上陽水の「最後のニュース」は、ボブ・ディランの「風に吹かれて」をやりたかったのか)

とようやくわかった。

親の愛を知らぬ子供達の歌を
声のしない歌を誰が聞いてくれるの
世界中の国の人と愛と金が
入り乱れていつか混ざりあえるの
今 あなたにGood-Night
ただ あなたにGood-Bye

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新連載はじめました

日ごろ当ブログをご愛顧いただいているみなさん(というか、こぶぎさん)にだけ、宣伝いたします。

大手出版社の運営するサイトで、エッセイの連載を始めました!

ついにエッセイストですよ!

大手出版社の漫画雑誌に漫画を連載する、という子供のころの夢は叶わなかったけれど、ちょっとだけバットが擦(かす)ったぞ。

ここまで来るには、紆余曲折があった。

2年ほど前、以前に一緒に仕事をした編集者が来て、「また一緒に仕事をしましょう」という。で、いろいろな企画を考えるのだが、どれもうまくいきそうにない。

もう私は、どうでもいいやという心境になり、ダメ元で

「自分の書きたいことを書かせてください」

といって、連載数回分の文章を書いて編集者に読んでもらった。

「面白いです。これでいきましょう」

ということで、見切り発車で連載がスタートすることになった。

このあたりが、ドラマ「重版出来!」に出てくる漫画家と編集者の関係に似ている。

…そんな大げさなものでもないか。

でもこのブログとは全然違うぞ。

まずお金のかけ方が違う。プロのデザイナーがデザインを担当するので、じつに洗練されている。

それに、私の実名と顔写真まで出ているのだ。

このブログのように固有名詞を一切書かない、なんてことはない。そんなことをしたら、読者はなんだかわかんなくなっちゃう。

つまり、ふつうのエッセイなのだ。

このブログが深夜のラジオ番組だとしたら、もう1つのほうは、朝のラジオ番組である。つまりは、深夜のラジオDJが、朝の帯(おび)の番組を担当するような心境なのである。

だが、他の作家先生よろしく、プロの写真家が顔写真を撮ってくれるのかなと思ったら、

「顔写真を2枚用意してください」

という。あわてて、自分の顔が写った写真を探し出して提出した。

一枚は、旅先で妻が私を撮った写真。

もう一枚は、昨年、ある村に調査に行ったときに、卒業生のT君が撮ってくれた写真である。

いずれも、公開を前提としていない写真だったので、野面(のづら)の顔写真である。

こんなことなら、もっといい写真を撮っておけばよかったと後悔した。

深夜のラジオ番組のほかに、朝のラジオ番組がはじまったと思って、たまにのぞいてみてください。

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シン・ゴジラの話をもう少し

「シン・ゴジラ」は奥が深すぎて語るのもなかなか憚られるのだが。

ゴジラの誕生を予言した孤高の科学者・牧五郎は、映画のなかでは登場しないのだが、一瞬だけ、顔写真が映る。その顔写真が、岡本喜八監督である。

これも有名な話らしいが、庵野監督は岡本喜八監督をリスペクトしているという。そう言われてみると、「日本のいちばん長い日」と「激動の昭和史 沖縄決戦」の要素が入っていることは、映画を見ればわかる。

興味深いのは、総理大臣の描き方だ。

最初に登場する総理大臣(大杉漣)は、どちらかというと「日本沈没」の総理大臣(丹波哲郎)のイメージに近い。

御用学者のレクチャーを受ける場面や、ヘリコプターに乗って避難する場面などは、「日本沈没」に類似の場面があり、「日本沈没」に登場する総理大臣像を彷彿とさせる。

だが、大杉扮する総理は、あっさりとゴジラに殺されてしまう。

で、総理臨時代理に就任したのが、閣僚の中で生き残った農林大臣(平泉成)。

派閥の順送り人事で大臣になったという老獪な政治家で、有能なのか無能なのか、腹で何を考えているのか、わからない。

この面倒な難局に誰も引き受け手がなく、みんなに押しつけられた形で、総理臨時代理になった。

で、のらりくらりと難局をのりきり、事態が収拾した後、内閣が総辞職する。

このあたりの展開は、「日本のいちばん長い日」の鈴木貫太郎総理(笠智衆)をかなり意識している描き方である。

「シン・ゴジラ」はかつての東宝映画へのオマージュにもなっているのだ。

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シン・ゴジラを見てきました

10月9日(日)

遅ればせながら、「シン・ゴジラ」を見てきました。

オープニングのタイトルから、グッとくるねえ。

真の名作はオープニングのタイトルからその世界観に引き込んでしまう力を持つことを実感した。

さて私は、いわゆる最初の(本多猪四郎監督の)「ゴジラ」第1作をリアルタイムに見た世代ではないし、庵野監督の「新世紀エヴァンゲリオン」にも乗り遅れた世代である。

なのでこの映画のことを語る資格はないのだが、自分の乏しい映画鑑賞歴からしても、この映画は十分に楽しめるのである。

小松左京原作・森谷司郎監督の映画「日本沈没」が好きな私としては、「ゴジラ」よりもむしろそっちの方を彷彿とさせる映画である。

だが、決定的な違いがある。

それは、「シン・ゴジラ」は「登場人物の誰にも感情移入できない」のである。

映画「日本沈没」のほうは、総理大臣(丹波哲郎)や、田所博士(小林桂樹)にどうしても感情移入してしまう。だが、「シン・ゴジラ」は感情移入する仕組みがないのだ。

総理大臣に感情移入しようとすると、アッサリあんなことになってしまうし、ゴジラ出現の危険を指摘していた反骨の科学者(田所博士的な人)は、映画のなかではまったく姿をあらわさない。こうして、誰にも感情移入できないまま、映画が終わってしまう。

妻に聞くと、それが庵野監督の作風なのだという。「新世紀エヴァンゲリオン」のときも、登場人物にまったく感情移入できなかったそうなのだが、「シン・ゴジラ」でもその姿勢が貫かれているのである。

だから、「日本沈没」のような湿っぽさがないのだろう。

そういう湿っぽさよりも、過去の特撮映画に対するオマージュにあふれた映画として、純粋に楽しむべき映画なのである。

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あぶさん

10月6日(木)

死ぬほど忙しい。

韓国から、VIPが来日するというので、午前中、成田空港まで迎えに行き、職場までお連れする。

今日は先方の社長とうちの社長が会談するということなので、間違いがあっちゃいけない。ぬかりなく段取りを組んだ。

先方の社長はどんな方なのか?

8月に私が韓国を訪問したときに、いちど社長にご挨拶したのだが、短い時間だったため、人となりはよくわからなかった。

我々のような業界から成り上がった方ではなく、いわゆるエリート官僚なので、話が合うかどうか心配した。

しかし、心配は杞憂に終わった。

いつも思うのだが、本当のエリートというのは、じつにいい人である。

もちろん、本音の部分はわからないが、少なくとも対人関係においては、ほどほどに座持ちがよかったりする。

先方は、社長と、随行員である部下と、通訳の3人。

こちら側は、社長と、副社長と、私を含めたヒラ社員2人の、計4人。

職場の近くの料亭で会席料理を食べながら、じつに和やかな雰囲気で会話が進む。

(まるでお見合いのようだな…)

そう、今日は、先方と我が社がこれから手を取り合っていけるのかどうかがかかっている、大事なお見合いの日なのだ!

話題が、「方言」の話になった。

日本もそうだが、韓国も地域ごとに方言がある。

とくに私が留学していた慶尚道は、韓国でもことさら訛りが強い。

私がそんな話を持ち出すと、先方の社長がおっしゃった。

「慶尚道の人々は、誇り高い反面、方言についてはソウルに対して劣等感があるようです。とくに女性はね」

「そうですか」

「若いころ、徴兵されて慶尚道の軍隊に入営したとき、慶尚道の女の子とつきあったことがあります」

あろうことか、エリート社長は私たちに、過去の恋愛話をはじめたのである。社長は続けた。

「その女の子は、私に対しては標準語を使ったのですが、電話などで家族と会話をするときには、思いっきり慶尚道訛りだったんです」

「つまり、つきあっている男の人の前では、訛りを隠して標準語を話していたということですね」

「そうです。やっぱり方言で話すことが恥ずかしかったのでしょうな。軍隊が終わると私は復学しなければなりませんでしたからソウルに帰ることになり、その女の子とは別れました」

「そうですか」

「そうしたら、風の便りで、その女の子はキャセイパシフィック航空の客室乗務員になったというではありませんか」

「美人だったんですね」

「そうです。惜しいことをしました…」

一同はその話に笑った。

「社長、はじめて聞きました。そのお話」

と、部下の随行員の方が言った。

日ごろ部下にも言わないようなエピソードを話していただく、というのは、我々に心を開いてくれた証拠ではないだろうかと、私は思った。

昼食が終わり、職場にご案内し、いろいろとお話をした後、一行は夕方に都内でご予定があるということで、私はその場所までお送りすることにした。その場所で、翌日から始まるイベントの開幕式があるというのである。じつは社長ご一行は、その開幕式に主賓として招待されたため、今回来日したのであった。ちょうどいい機会なので、うちの職場にも挨拶にいらしたというわけである。

その場所に着いたのが午後6時。建物の前でお別れする。

「今日はいろいろとありがとう」

「こちらこそ、お会いできて光栄でした」

握手をしてお別れした。

緊張の糸が緩み、すっかり疲労困憊した私は、

(さて、最寄りの駅から帰るか…)

と、地下鉄の駅に向かって歩いていると、聞いたことのある居酒屋を発見した。

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「あぶさん…」

「ビートたけしのオールナイトニッポン」でよく話題に出てきた「あぶさん」って居酒屋、ここにあったのか!

ちょっと感動した。

さて、私がその社長とお別れした建物というのは、クイズにするまでもなく、すぐにわかるだろう。

開幕式に招待されたその社長の会社というのは…。

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筒井康隆の「不謹慎」には、なぜ拍手喝采できるのか?

10月4日(火)

妻が筒井康隆のトークショーを聴きに行った。

インタビュアーが、小説の真意を性善説的に解釈していくのに対し、筒井康隆がそれをことごとく否定していくさまがじつに痛快だったという。

その筒井康隆が、トークショーの終盤で、突然、壇上で体調の異変を訴えた。

客席から見ていても、明らかに顔色が悪くなり、体が震えだすのがわかるほどだったという。

大丈夫か?と、みんなが固唾をのんで見守っていると、筒井康隆が言った。

「私、煙草を吸わないと死にますので…」

そう言うと、煙草に火をつけて、吸い始めたのである。

それを見て、みんなが大爆笑した。もちろん妻も、大爆笑。

その話を聞いた私も、大爆笑した。

なぜ、みんなが大爆笑したのか?

それは、その会場が、ある超有名な建築家が設計した建物だったからである。

その超有名な建築家は、その建物を建てる際に、さまざまな注文をつけたという。

建物の中は、絶対禁煙にすること、壁にポスターやチラシなどを絶対に貼ってはならないこと、などである。

禁煙はともかく、使う側からしてみたら、いろいろな制約を設けられてしまうことは、窮屈な話ではある。

建物の使い勝手よりも、デザインを重視した、ということだろうか。

建築家の意向により厳格な制約が定められた建物の中で、筒井康隆が平然と煙草を吸い始めたことに、人々はある種の痛快さを感じ、大爆笑したのである。

実際、筒井康隆の「偽文士日録」には、そのときのことについて、こう書いてある。

「…途中、どうしても喫いたくなり、全面禁煙の館内の舞台上で「私煙草喫わないと死にますので」などと言いながら一本出して火をつけたら、皆、大笑い。さすがに「やめろ」と言う人は誰もいなかった。ほんの三服か四服喫っただけで携帯灰皿に入れる。ここで煙草を喫ったのは後にも先にもおれひとりだ」

それにしても、不思議である。

妻も私も嫌煙家で、差別や偏見が大嫌いなのにもかかわらず、筒井康隆の言動には、いつもなぜか大笑いして拍手喝采してしまう。

なぜ、筒井康隆の「不謹慎」な言動には、拍手喝采してしまうのだろう?

まことにもって、謎である。

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めざせ!映画プロデューサー

町山智浩さんのラジオで知ったんだが、韓国で今年、「コクソン(哭聲)」という映画が大ヒットしたという。

この映画を監督したナ・ホンジンは、「チェイサー」とか「哀しき獣」といった、ぶっ飛んだ映画を次々とヒットさせた監督として知られている。この映画も、かなりぶっ飛んだ映画らしい。

Movie_imageqttso0se_2驚いたことに、この映画に國村隼がかなり重要な役で出ているというのだ!

いまや國村隼は、韓国でもたいへん有名な俳優になっているという。

ずっと以前に、こんな記事を書いた。

國村隼はソンガンホだ

まったく誰にも相手にされなかった記事だったが、見よ!私の予言は的中した!

やはり國村隼は、韓国映画で抜群の存在感を示したのだ!

なぜ國村隼がキャスティングされたかというと、ナ・ホンジン監督が、俳優の顔写真をぱらぱら見ていて、

(この人がいい)

と直感的に選んだのだという。日本人だとか韓国人だとか関係なく、である。

つまり、「國村隼は韓国映画のなかで抜群の存在感を発揮する」ことを見抜いたのは、私と、ナ・ホンジン監督の二人だけだった、ということになる。

どうだい。

ひょっとして俺には、映画プロデューサーの素質があるんじゃないだろうか?

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めざせ!ノーベル賞

鬼瓦亭権三(ごんざ)でございます。

権力者というのは、目立ちたがりでいけませんな。

どうもこのお方は、世界的な賞を受賞した先生が記者会見をしている真っ最中に、わざと電話をかけて祝福することがお好きなようで。

人が記者会見をしている時を見計らって、わざわざ電話をかけて祝福するなんてのは、大勢の記者たちがいる前でパフォーマンスができるから、一石二鳥とでも考えたんでしょう。

でも常識的に考えたら、取り込み中のときに電話をかけてくるわけですから、迷惑千万ですな。最高権力者だから、何でも許されると思っているのかね。

昨年受賞された先生なんぞは、記者会見の真っ最中に最高権力者から電話がかかってきたものだから、

「後でかけ直す」

と言ったそうです。さすがだねえどうも。

さてこのお方、今年もまた懲りずに、世界的な賞を受賞した方の記者会見の真っ最中に、電話をかけてきたそうですよ(実話)。

「もしもし」

「もしもし」

「あの、O先生ですか」

「はい、Oでございます」

「このたびはノーベル生理学・医学賞受賞、まことにおめでとうございます」

「ありがとうございます」

「あの、先生の研究の成果はがんやパーキンソン病など難病に苦しむ方々に光を与えたと思います。日本人として本当に誇りに思います」

「ありがとうございます」

「あの、先生はなんか常々、誰もやっていないことに挑戦するという風におっしゃっているそうでありますが、そうしたチャレンジする姿勢がですね、こうした受賞につながったのではないかと思いますが、後に進む若手研究者たちに大きな励みになると思いますが」

「はい」

「この研究は、先生は、19800年代に既に発見されたというふうにうかがっておりますが、あの、ノーベル賞を受賞されるというふうに自信をお持ちだったですか」

「すみません、ちょっと電話の調子が悪いみたいです」

「あ、そうですか。すみません。先生はこの発見を随分前にされているわけですが」

「はい、はい」

「この間、先生はいつか、ノーベル賞を、生理学・医学賞を受賞されるというふうに自信を持っておられました?」

「・・・」

「もしもし?」

「はい、はい」

「ちょっとつながりが悪いようですが、先生の受賞によってですね、日本人研究者、3年連続で受賞することになりましたが、日本がですね、生物学や医療をはじめ、イノベーションで世界を牽引して、世界に貢献できることを大変うれしく思います」

「はい。本当にありがとうございます」

「どうかこれからもですね、健康に気をつけていただきまして、ますますご活躍されますことを期待しております」

「どうもありがとうございました」

「本当におめでとうございました」

「はい。どうもありがとうございました」

「どうも失礼します」

…驚いたねえどうも。

この先生、「はい」と「ありがとうございます」しか言ってねえや。

最高権力者からの妙ちきりんな質問には、

「電波が、電波が…」

と、聞こえないふりをして答えなかった。

記者会見の途中で電話なんかかけてくんなよ!とはさすがにいえないから、それをどうにか体(てい)よく追い返したわけだ。なるほどうまいやりかただ。

こうなるともう、大喜利だね。

「もしあなたが世界的な賞を受賞して、記者会見の真っ最中に最高権力者から電話がかかってきたら、どうやってこの電話をあしらうか?」

この大喜利をやるためだけに、ノーベル賞を取りたいね、あたしは。

そして最後に言うんだ。

「ところであなた、どなたなんです?」

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ささやかな抵抗

いまから20年近く前の話。

A先生とB先生は、ともに飛ぶ鳥落とす勢いの、まさに脂ののりきった二人である。

二人は全国各地のさまざまな会合で一緒になり、会合が終わると、グルメな二人は地元の美味しいお酒と肴に舌鼓を打ちながら、お互いの忙しさを自慢し合った。

「どうも忙しくってねえ。頭の中で次から次へと構想が浮かんでくるのだが、原稿が書きたくても書けない。2カ月ほど時間をくれたら、頭の中の構想を全部書くのになあ」

「俺なんか2カ月なんて贅沢は言わないよ。2週間でもくれたら、頭の中の構想を全部原稿に書いてやるのになあ」

そして二人はガハハと笑った、という。

いま思えば

(飲んでる暇があったら、その時間を使って原稿を書けばいいのに)

と思うのだが、当時はその話をくり返し聞かされるたびに、、

(すごいお二人だなあ)

と感嘆したものだった。

さて、そういうお二人に対して、世間はいつまでたっても落ち着いて原稿を書く暇を与えることはなく、いまもバリバリと第一線で活躍し続けておられる。

いまの私が置かれている状況を考えると、「2週間でも時間をくれれば、頭の中に浮かぶ構想が書けるのに」という気持ちは、最近少しわかるような気がしてきた。

ただその言葉を、酒の席で、忙しさを誇るようなニュアンスでは、決して言いたくない。

それは、その二人の先生に対する、私なりのささやかな抵抗である。

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伊丹万作「戦争責任者の問題」より抜粋

「さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。」(1946年8月)

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