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日本のデンゼル・ワシントン

まったく映画のド素人が書く話なので、的外れのことを言っているかもしれないが、1980年代は、公民権運動やベトナム戦争について、物怖じせずに映画を作っていたような気がする。

80年代後半は、僕が高校から大学に進学する頃だった。その頃は、暇なときに劇場に足を運んで映画を見たりした。

覚えているのは、「ミシシッピーバーニング」(1988年)と、「遠い夜明け」(1987年)である。前者はアメリカ南部の黒人差別の問題を取りあげ、後者は南アフリカのアパルトヘイトの問題を取りあげていた。

「ミシシッピーバーニング」のほうは、ジーン・ハックマンという頭の毛の薄いおじさんがベテラン刑事を演じていたのだが、この人のたたずまいがじつにかっこよくて、なるほど、絵になる人というのはこういう人をいうのだなと思ったものである。

ストーリーをすっかり忘れてしまったので、つい最近この映画を見返してみたのだが、これがじつにすごい映画である。

人間が人間を差別することは、かくも恐ろしいものかと思わせる。

恐ろしいのは、差別をしようと思ってい差別をしている人もさることながら、そうではない、ふつうの人々である。

いじめはなぜ起きるのかについて知りたければ、この映画を見ればよい。

この映画では、南部の白人たちによる黒人に対する激しい差別が批判的な視点で描かれている。しかし見逃してはならないのは、南部の白人たちそのものが、差別されているという現実である。この映画の中で、くりかえし「南部は田舎だ」とバカにされているのだ。

差別は連鎖することを思い知らされる。

映画の中で、南部の強烈な人種差別主義者が、政治演説をおこなって白人たちの熱狂的な支持を得る場面があるが、それが過去のものだと、どうしていえるだろう。

今こそこの映画を見るべきである。

さて、もう1つの「遠い夜明け」。いささか冗長な映画だが、この映画で印象的なのは、黒人指導者ピコを演じる、若き日のデンゼル・ワシントンである。

彼が話す台詞には、説得力がある。

法廷で彼が話すシーンを見ていて、日本でこの人を演じるとしたら、堺雅人しかいないのではないか、と思ってしまった。

堺雅人の話す台詞もまた、説得力がある。

つまり堺雅人こそが、日本のデンゼル・ワシントンだと思うのだが、どうだろう。

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