逆境を好機に変える天才
11月19日(土)
午後から都内の大学で、ささやかな「同業者の集い」があり、参加する。ふつうはこのテの集いには参加しないのだが、友人から頼まれたので、憂鬱だが参加することにした。
集いのあとは、近くの居酒屋で懇親会。2次会まで出て、久しぶりに痛飲した。
11月20日(日)
北へ向かう各駅停車の新幹線に乗り、1時間20分ほどかかる町まで、日帰りの仕事である。また今週末もつぶれたのである。
心がどんよりしているときは、有名人の日記を読むとよい、というのが僕の鉄則。旅の道中で、三田完『不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む』(文藝春秋、2016年)を読む。
俗に、「なかにし礼」派か、「阿久悠」派か、と問われることがあるが、僕にとっては、「市川森一」派か、「山田太一」派か、と問われるくらい、難しい。どっちかというと、「阿久悠」派であり、「市川森一」派なのだが。
この本は、阿久悠の日記そのものではなく、作家・三田完の目を通じた阿久悠日記が語られている。だから阿久悠の日記は断片的にしか読むことができないのが残念である。
三田さんは阿久悠の日記を読みこむなかで、ある時期に「逆境(苦境)を好機に変える天才」という文言が何度か登場することに気づく。
「今日は何も話したくない。『逆境を好機に変える天才』と云う言葉を信じるのみ。(84.12.26)
「しっかりしたい。いや、しっかりしろと怒鳴りたくなるくらいコンディションが悪い。もう一度『苦境を好機に変える天才』と暗示をかけよう」(85.1.12)
この時期、かなり精神状態がアレだったらしい。
1984年は、阿久悠が47歳の時である。今の私の年齢と同じである。
この時期、すこぶる精神状態が悪かったらしく、
「10月下旬頃のあたたかさだと云う。妙に生あたたかく気持が悪い。そのせいではないが、精神状態がひどく悪い。居直ること、割切ること、対することをいつの間にか忘れてしまったようで、少々自己嫌悪にかられる」(84.1212)
「度胸について考える。A型について考える。自己嫌悪の日々。この年齢になって、実に情ない」(84.12.22)
などと書いている。
なるほどこの年代はそういうものなのだと、今の自分に言い聞かせる。
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コメント
東京に来たが、暇である。
こういう時に鬼瓦さんに連絡しても、どのみち旅の空だろう。
フーテンの鬼。
やはりこういう時には、どこに行くかで、こちらのセンスが問われる。
ひらめいた!
サードウェーブ・コーヒーへ行ってみよう。
煎りたての豆をお客さんの目の前でドリップして淹れるおいしいコーヒーで話題の、あの人気店へ向かうことにした。
小春日和の青空の下、下町の地下鉄駅で降りる。
庭園沿いの道を折れ、住宅地の路地を進むと、ほどなくその店は見つかった。
殺風景な四角いビルのガラス壁の向こうにはカウンターがあって、10名ほどのブルーシャツのオシャレ店員たちが、一つ一つコーヒーを立てている。
その奥には、工場風な焙煎所だ。
午前中のせいか、レジの列に並ぶのは10分ほどで済み、ブレンドを注文できた。
ロートが並ぶカウンター前へ移動して、コーヒーができるのを待つ。
短髪のきれいなお姉さん店員が、ガラス容器の上にロートを置いて、沢山のコーヒーを淹れていく。
その横では、うすらヒゲのイケメン男性店員が、マキアートを描いている。
おしゃれだなあ。
シアトル仕込だなあ。
さすがサードウェーブ、店員も客も「意識高い系」ばかりだ。
おなじみのマークのついたカップを受け取ると、店内のテーブルは一杯なので店外に出て、縁台に腰をすえる。
コーヒーはマグカップくらいの量があって飲みがいがある。
酸味があって、ほのかにスパイスの風味がする。
確かにおいしいが、どこかで飲んだ味だ。
ひらめいた!(2回目)
最初のスパイス風味を除けば、わが街が誇るWコーヒーの「ルビー・マウンテン」そっくりじゃないか。
Wコーヒーなんて、サードウェーブのずっと前からハンドピックの自家焙煎だし、夏場なんか水出しコーヒーの試飲もできる。
それに、目の前で一杯ずつハンドドリップだって、I村から原発被害でF市に移転したA珈琲のカウンター席で飲めるぞ。
というか、自分でコーヒーを淹れる時はハンドドリップだったし。
わざわざここまで来て飲まなくてもいいや。
やはりコーヒーは東北に限る。
投稿: 第三のこぶぎ | 2016年11月22日 (火) 11時03分