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喪中はがき

12月29日(木)

今日から年末年始の休暇である。

年賀状を作成しようと思い、この年末に届いた喪中はがきをあらためて確認することにした。

このところ忙しくて、誰から喪中はがきが届いたのか、ちゃんと確認していなかったのだが、ひとり、身に覚えのない人からの喪中はがきが妻宛てに届いていることことに気づいた。

「Y島K子さん…。まったく聞いたことのない名前だよ」と妻。

当然、私も聞いたことがない名前である。

何かの間違いだろうか?

差出人の住所に身に覚えがある。

調べてみて、すぐわかった。

私が年賀状をやりとりしていた、Y島S子さんの住所である。

喪中はがきの文面をちゃんと読んでいなかったのだが、あらためて読んでみると、

「今年八月、母・S子が九十一歳で永眠いたしました」

そうだったのか…。Y島S子さんが亡くなったのか…。

そしてY島K子さんは、S子さんの娘さんだったのだ。

S子さんが年賀状のやりとりをしていた人たちに、娘のK子さんが喪中のはがきを送ったのだな。

Y島S子さん、というのは、20年ほど前、まだ私が大学院生だったときに、通信制の大学のスクーリングの講師をしていたときの、学生さんである。

私にとって、「大学」と名の付くところで授業をした最初の場所が、その通信制の大学だった。

通信制の大学なので、学生さんの年齢層はバラバラである。若い人もいれば、人生の大先輩のような方もいらっしゃった。

Yさんは、受講生の中でもかなり年齢が上の方だったが、一番熱心で、こちらの出す課題を、いつも的確にこなしておられた。

その通信制の大学で授業を担当していたのはたしか2年間で、各年度の半期だけを受け持っていたと記憶している。つまり、半期の授業を2回ほど担当していたにすぎない。Y島さんは必ず私の授業を受講していた。

2年でその大学の講師をやめた後、東京を離れたので、それ以降、Y島さんに会うことはなかった。だが年賀状のやりとりだけは、続いたのである。

お会いしなくなって10年以上もたつと、さすがに私のことなど忘れてしまっているのではないかと、年賀状を出すのもためらわれたのだが、Y島さんは欠かさず年賀状をくださり、いまでも私の授業のことを懐かしく覚えていると書いてくださった。

そんなふうにして、今年の正月まで、年賀状のやりとりが続いていたのである。

お亡くなりになった年齢が91歳であるとわかって、とても驚いた。ということは、20年前に私の授業を聴いていたときは、すでに古稀を越えていらしたということである。

当時20代だった私が、大学と名の付く場所ではじめて授業をしたときの、最初の教え子が、古稀を越えた人生の大先輩だったのだから、人生とはまことにおもしろい。

…さて、ここまで書いてきて、1つ謎が残ったままである。

喪中はがきは、なぜ私宛てではなく、妻宛てに送られてきたのか?

Y島S子さんと妻とは、何の接点もないのである。

ここからは妻の推理。

Y島S子さんには毎年、私と妻の連名の年賀状をお送りしていた。

S子さんが亡くなった後、娘のK子さんは、S子さん宛てに送られてきた年賀状を整理して、喪中はがきを送ることになった。

しかし年賀状の中には、母のS子さんとどういう関係の人なのかが、わからない人も多かったはずである。

私もおそらくその一人だったのだろう。

K子さんからしたら、まさか母が男性に宛てて年賀状を出すなど、思ってもみなかったのだろう。

S子さんもとくに、娘のK子さんにそのことを言うわけでもなかった。

事情のわからないK子さんは、男性である私ではなく、連名で書かれているうちの妻のほうが、S子さんの関係者だと思い、妻宛てに喪中はがきを出したのではないだろうか。

一枚の喪中はがきから、いろいろなことを、思った。

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