« 最も苦痛な原稿 | トップページ | 妄想漫画家 »

ビートルズとYMOと僕

12月26日(月)

先日の深夜、たまたまテレビをつけていたら、民放のバラエティー番組がビートルズの特集をしていて、ふだんなら絶対に見ないようなバラエティー番組だったのだが、つい見入ってしまった。

僕はビートルズについては全然詳しくなくて、ビートルズファンからしたら常識だと思われる知識すら持ち合わせていなかったので、その番組を見ていて、なるほどと思うことが多かった。

ビートルズって、活動期間がたった8年間だったんだね。

興味深いのは、その活動期間も前半と後半に分かれるのだということ。

ビートルズはデビュー当初から人気を博し、前半期はワールドツアーにひっきりなしに出かけてとにかくライブばかりしていた。

しかしそれでは、落ち着いて音楽が作れないということで、後半期は、ライブをほとんどやらずに、スタジオで音楽制作に没頭したのだという。

もしビートルズが、ずーっと旅から旅への公演を続けていたとしたら、これほどクオリティーの高い音楽は残せなかったかも知れない。

この点、YMOも似ている。

YMOなんか、1978年から1983年のたった5年間しか活動していなかったんだぜ。

YMOも、初期はワールドツアーに明け暮れていて、ファンが求める新曲をなかなか作れずに、ライブ盤の発売でしのごうとしていたふしがある。

後半期はその反動のように、スタジオミュージシャンのごとく、音楽制作に没頭していた。

やはりいい音楽を作るには、ある時期に没頭しなければいけないのだ。

自分を省みるに、ビートルズやYMOとは全然レベルが違うのだが、この1年、旅に次ぐ旅で、落ち着いて原稿を書く時間がなかった。

このままこのような生活を続けていたら、いい原稿など書けなくなってしまうのではないか、という不安でいっぱいになる。

来年こそは、少し落ち着いて、いい原稿が書けるようにしよう。

バラエティ番組のビートルズ特集を見て思ったのは、そんなことである。

ところでYMOで思い出したのだが。

YMOが散開(YMOの場合、解散ではなく、散開という)したのが、1983年12月22日である。この日の武道館でのライブを最後に、YMOは散開した。

当時中学生だった僕にとって、このときの喪失感は言葉で言い表すことができないほどだった。

しかし同時に、すでにYMOのメンバー3人の間でコミュニケーションが取れなくなっていることを中学生なりに薄々感じていた僕は、

(散開しても仕方ないよな…)

と思ったのだった。

そんなYMOの3人も好々爺のような年齢になり、いつの間にか3人で集まってたまに音楽をしているのをテレビなどで見かけたりすると、

(1983年にYMOが散開したときは、これですべてが終わった、なんて考えていたけれど、そんなことは全然なかったんだな。長い長いYMOの活動の、途中にすぎなかったのだ)

と思うようになった。

いま、僕が一番好きなYMOの演奏は、現役時代のYMOのライブではない。

好々爺となった3人が、肩肘張らずに楽しみながら演奏している「ライディーン」である。

|

« 最も苦痛な原稿 | トップページ | 妄想漫画家 »

音楽」カテゴリの記事

コメント

これファンの間では、「どてらライディーン」の異名で愛されている映像だそうで。シンプルな機材なのに、異様にいい演奏だ。
「散開」っていう距離感が、いい感じですな。ビートルズも、ソロになってからも個別には一緒にやることがありました。一種の散開だったのかもしれないな。

投稿: ひょん | 2016年12月27日 (火) 11時08分

ユキヒロのドラムがめちゃくちゃかっこいいのです。そしてあんなにすげー演奏が終わった後に3人がむせるのも、照れくさい感じがあらわれていてなんかすごくいいんですよ。

投稿: onigawaragonzou | 2016年12月29日 (木) 01時49分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 最も苦痛な原稿 | トップページ | 妄想漫画家 »