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くたばれ!人生訓

不思議なことに、大会社の副社長から、不定期にメールマガジンが送られてくる。

今回送られてきたそのメールマガジンには、冒頭に広瀬中佐のエピソードが引用されていた。その方は、広瀬中佐を尊敬しておられるようである。

「大雪の早朝ウオーキングに、今年も広瀬中佐を思い出しました。広瀬中佐は、明治35年1月、45日かけ氷点下30度のシベリア2000キロを橇で単独走行。ペテルブルグ駐在5年、ロシア貴婦人にもてたということです。心身共に強靱な日本人の一人に思います。」

その方が、若者たちと読書会をしているという。取りあげている本は、ある陽明学者、というか政界のフィクサーだった人物の人生訓である。そのなかで、「心に残った箴言」として「思考の三原則」というのが紹介されている。

「私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、いつも三つの原則に依る様に努めている。第一は、目先に捉われないで、出来るだけ長い目で見ること。第二は物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、出来れば全面的に見ること。第三に何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考える」。

メールマガジンの記主は、どうもこの政界のフィクサーの本をかなり愛読しているようで、それを若者にも勧めているらしい。月一度、若者諸君と一緒にこの人の本を読んでは、刺激と元気を貰っている、と述べていた。

このメールマガジンを読んで、私がなぜ人生訓、いや自己啓発本が大嫌いなのかが、なんとなくわかった。

たとえば、ここに書いてある人生訓。

第一は、目先に捉われないで、出来るだけ長い目で見ること。

第二は物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、出来れば全面的に見ること。

第三に何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考える。

ここに書かれていることは、どれもすばらしい。反論の余地もない。

しかし、である。

「長い目で見ること」とあるが、どのように思考訓練すれば物事を「長い目で見ること」ができるのかについては、この人生訓では語られていない。

「できるだけ多面的に、できれば全面的に見ること」とあるが、どのようにすれば物事を多面的に見ることができるのかについては、この人生訓では語られていない。「多面的」というだけならばたやすいが、「多面的に見る」ためには、相当な思考訓練が必要であることが、語られていないのである。

「根本的に考える」とあるが、「根本的に考える」とはどういうことなのかが、語られてはいない。物事は、「根本的に考えよう」と思って根本的に考えることができるわけではないのだ。この点も、人生訓は何も語っていない。

つまり、これらのすばらしい人生訓は、物事を長い目で見ることや多面的に見ることや根本的に考えることがどういうことかわかるという人、すなわちそれ相応のリテラシーを持っている人でなければ、まったく意味をなさないものなのである。

そして最も悲劇的なことに、人生訓に心酔する人物は、えてしてこのリテラシーを持ち合わせていない。

なぜなら、すでにこの種のリテラシーを持ち合わせていれば、人生訓など必要ないからである。

「人生訓に心酔する人間は、えてして浅薄な人間である」

という私の中にあった謎は、なんとなく解き明かせそうな気がしてきた。

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