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墜落機

私の大好きな漫画の一つに、手塚治虫の『ザ・クレーター』という短編集があって、その中に「墜落機」というタイトルの短編がある。

戦闘機のパイロット・オクノは、空中戦のさなかに機体が故障して命からがら無人島へ不時着した。軍部は、行方不明となっているオクノを「敵基地へ突入して名誉の戦死を遂げた英雄」とみなし、彼を英霊として祭り上げた。マスコミは彼の英雄ぶりを取りあげ、果ては教科書にも登場する有名人となる。

ところがオクノは、そんなこともつゆ知らず、祖国に帰ってきてしまうのである。慌てたのは軍部である。軍部からすれば、とっくに彼は英霊であって、この世に生きていてはならない存在なのである。

そこで軍部は、オクノにふたたび、戦闘機による敵地への突入攻撃を命ずる。だが、死の恐怖を一度味わってしまったオクノは、もう二度と戦闘機には乗りたくない。いやがるオクノを無理やり乗せて、戦闘機はふたたび空を舞う。

今度は本当に死んでしまうのか、と絶望したオクノは、「ある場所」に突撃して、悲劇的な最期を遂げる。

…という物語である。

架空の国を舞台にした架空の物語なのだが、明らかにこれは、アジア・太平洋戦争中の特攻隊をモデルにした話だという想像がつく。

手塚治虫が創作した話が、まったく荒唐無稽であるかというと、そうではないことが、辻田真佐憲『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』(幻冬舎新書、2016年)を読んでいて気づいた。

似たような話が、実際にあったようなのである。

1944年11月13日、陸軍の特別攻撃隊の一つ、万朶飛行隊の出撃が発表された。この日の午後四時、大本営発表がなされた。それによると、「十一月十二日レイテ湾内の敵艦船を攻撃し、必死必殺の体当たりを以て戦艦一隻、輸送艦一隻を撃沈せり。本攻撃に参加せる万朶飛行隊員次の如し」とあり、体当たりした四人の飛行隊員の名前が公表されたのである。

ところがこの中の一人、佐々木友治という隊員は、生存していたのである。陸軍報道部は頭を抱えた。特攻隊員の生存は宣伝上きわめて不都合だったからである。「英霊」になるためには、佐々木は死ななければならなかったのである。仕方がないので大本営は一度は発表の修正をおこなった。

その後、佐々木はふたたび出撃した。三日たっても帰還しなかったので、もうこれで大丈夫だと、陸軍報道部は佐々木の名を特攻隊員としてふたたび発表した。

ところがこのときも死なず、彼は生き残ったのである。現地部隊は恥の上塗りを恐れて、このことを大本営に報告せず、その結果佐々木は、生きているにもかかわらず「英霊」として扱われたのである(同書218頁)。

手塚治虫が創作した「墜落機」という短編が、まったくの荒唐無稽ではなく、手塚治虫自身がこういうエピソードを知っていて、それをもとに創作した可能性が高い。

そう思って読みなおすと、いちど「英霊」として祀ってしまった人物が実は生きていたために慌てふためいたり、もういちど彼に突撃を命じてつじつまを合わせようとしたりする当時の軍部の「本末転倒ぶり」を、強烈に皮肉った短編だといえるだろう。

しかし私たちが肝に銘じなければいけないのは、これが漫画の世界の話ではなく、現実に起こりうる話であるということである。なぜならかつて実際に、こんなことがおこなわれていたのだから。

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