あらかじめダサいと言っておく
3月28日(火)
困ったなあ。
職場の広報誌の編集委員の任期は2年である。
任期中に2冊の広報誌の編集を担当しなければならない。昨年、紆余曲折がありながらも、1冊目を世に送り出した。。
文字通りガチの編集作業で、企画から執筆者の人選、依頼、編集、校正など、これが実に大変なのだ。
通常の編集作業だけでもかなり大変なのだが、その上、私が担当する号からレイアウトをガラッと変えることになった。
つまり、印刷会社のレイアウターさんが提案してきたレイアウトを、最初から一つ一つ吟味して、意見を言いながら、決定していかなければならないのだ。
すごい面倒くさい作業である。
それだけではない。
先日の「ロゴ事件」で、私はすっかり美的センスに関する自信を失ってしまった。
なぜ傷口に塩を塗るように、このうえ私に美的センスを試そうとするのか?
たとえば、表紙である。
デザインはもちろんレイアウターさんが考えるのだが、表紙の素材となる写真とか図版を、私が提供しなければならない。
その号のテーマに合わせて、いくつか素材となる写真を提供し、レイアウターさんがそれをもとにいくつかの表紙案を作ってきた。
うーむ。どれもパッとしない。たぶんこれは、素材が悪いのだ。
表紙にふさわしいだろうと思ってその写真を素材に選んだ私のセンスに問題があるのだ!
さて、編集会議の日である。
私以外の編集委員は、何度も編集経験のある方たちで、みなセンスがある人たちばかりである。
提出された表紙案を見くらべながら、ある人が言う。
「うーむ。この程度のものなら、どれもおんなじだなあ」
私はその場で死にたくなった。これは明らかに、表紙の素材を選んだ私のセンスが悪いのだ。
表紙に続き、目次、本文などのレイアウトを一つ一つ吟味する。
もはや私は、自分のセンスにすっかり自信がなくなってしまったので、他の編集委員の言うがままに、レイアウトを決定した。
決定した表紙案を、家に持って帰り妻に見せる。
「ミニコミ誌みたいだね。ミニコミ誌の編集者になれるんじゃないの?」
…今すぐここで割腹いたします。
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