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2017年4月

帝一の國

4月29日(土)

知り合いから招待券をもらったので、菅田将暉主演の映画「帝一の國」を見に行った。

320今日は封切りの初日だそうで、しかも初回である。

ふだんなら、自分からは絶対に見に行くことのないジャンルの映画なのだが、その知り合いの娘さんが、映画の制作会社の新入社員で、この映画の制作にかかわったのだそうである。

というわけで見に行ったのだが、思っていた以上に楽しめた。

一言で言えば、

(漫画やな…)

といった感じ。もちろん、いい意味で、である。

主演の菅田将暉は、芝居の間(ま)がいいから重宝されているんだな、ということがわかった。

男子校を舞台としているので、出演者はほとんどがイケメン男子である。つまりイケメン男子好きにはたまらない映画なのだ。

このザワザワした感じ、なんか前にも映画を見て感じたよなあ、と思っていたら、中原俊監督の映画「櫻の園」のことを思い出した。

もちろん、両者は全然雰囲気の異なる違う映画なのだが、なんとなく思い出したのである。この映画とは真逆で、女子校を舞台にしていて、出演者全員が女子高生。そのみずみずしさを、余すところなく描いていた。

中原俊監督の映画「櫻の園」は傑作だった。「海街diary」と同じ原作者である吉田秋生の漫画を映画化したものである。

この作品を、いま是枝監督が撮ったらどういう作品になるだろうかと、夢想したりする。

…話が逸れてしまったので戻す。

なにしろイケメン男子ばかりが出ている若者向けの映画など、映画館で見たことがなかったので、観客の反応が新鮮だった。

女子高生らしき数名が後ろのほうの席にいて、

「かわいい~」

とか、

「超ヤバ~い」

とかいちいち反応していた。

さて、映画が終わり、エンドクレジットが流れる。

目で追っていくと、いちばん後ろのほうに、知り合いの娘さんの名前が出ていた。

新人なのでいちばんの下っ端として映画の現場で走り回っていたのだろうと想像して、映画館を出た。

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気温が2度低い町

4月27日(木)

W君の依頼で、「前の勤務地」にあるW君の職場に行く。

W君は、「前の職場」の教え子ではなく、「前の職場」の近くにある「丘の上の大学」の学生で、僕がそこで週に一度授業を持っていたときの学生だった。言ってみれば教え子である。

教え子から仕事の依頼が来て、ともに仕事をするというのは、実に感慨深いことである。

朝、W君の職場の最寄りの駅(無人駅)に着くと、W君が車で迎えに来てくれていた。

「この辺は、まだ桜が咲いてるねえ」

Photo「ここは、市内よりも2度ほど気温が低いんです。市内の桜はもう散ってしまったけれど、ここはまだ咲いているんです」

「なるほど」いい時期に来たものだ。

W君の職場に着いた。

「Uさんが帰ってきてますよ」

職場のみなさんが口々に言う。

同い年の盟友・Uさんの職場でもある。彼は2年ほど隣県の支援のための仕事をしていて、この4月に帰ってきたのだ。

「さっそく賑やかになりましたよ」

職場のみなさんが口々に言う。

そうか。

Uさんは、寅さんなのだ。

たまに柴又の家に帰ってきて、引っかき回して、またふらりと旅に出て行く。

いないと寂しいが、いるといろいろな意味で賑やかになる。

また少ししたら、Uさんは職場から少し離れたところで仕事をするのだという。

まるでフーテンだな。

今日は1日、慌ただしかったので、Uさんとも二言三言、言葉を交わすだけだった。

あっという間に帰る時間となった。

「なんだよ、もう帰んのかよ」

「また来るから」

「今度はうちに泊まっていけよ。俺がいなくても、夜に来て勝手に寝ててもいいからさぁ。車も2台あるから、使いたいとき使っていいよ。たぶん家族も許してくれるだろうよ」

その言い方もまた、寅さんである。

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カメムシにご用心

4月23日(日)

旅の最終日。

この町は冬はすっぽりと雪に覆われてしまうので、公共施設の多くは冬期休業である。

で、だいたいこのくらいの時期から再開する。

ちょうど私たちがその公共施設を訪れた今日は、その公共施設が再開して2日目であった。

2時間ほど滞在したが、お客は最後まで私たち4人だけだった。

その公共施設には一人、職員さんがいて、いろいろと解説してくださった。

お客さんが他に誰もいないので、その職員さんとお話ししながら、じっくりと見学することができた。

ところがその職員さんは、なにかというと私たちの話の輪からはずれて、箒とちりとりをもって、床の掃き掃除をしている。

それが終わるとまた話に加わり、ちょっとするとまた席を外して、箒とちりとりをもって床の掃き掃除を始める。

どうしてそんなに頻繁に、床の掃き掃除をするのだろう?

「何をなさってるんです?」

「床に落ちたカメムシを掃除しているんです」

「カメムシ?」

「ええ、とにかく掃いても掃いても、カメムシが床に落ちるものですから、それをちりとりに集めているんです」

そういえば、その施設の壁には、これでもか、というくらいに、

「カメムシ発生時期のため、大変ご迷惑をおかけしています」

という貼り紙が貼ってあった。

なるほど、そのつもりでこの施設の建物を見れば、ビックリするくらいのカメムシの数である。

そのカメムシが、ドンドンドンドンと、床に落ちてくるのだ。

その床に落ちたカメムシを、職員さんは箒とちりとりを使って掃除しているのである。

「まるで落ち葉掃除のようにひっきりなしに掃除していますね」

「ええ、やっと床掃除が終わったと思って、5分もたつと、またカメムシが床に大量に落ちているのです」

「つまり、5分ごとに、床掃除をしなければならないんですか?」

「そうです。だいたいこれで1日が終わります」

「そうですか」

「で、こんな状態が、6月まで続きます」

つまり、職員さんは、4月から6月の3カ月間を、床に落ちたカメムシの掃除に悩まされることになるのだ。

「よく、カメムシが大量発生した年は大雪になる、といいますが、それって本当ですか?」

「たしかにそうですね。カメムシが大量発生した年は、大雪が降ります」と職員さん。

しかし、である。

もともとカメムシが毎年大量発生しているこの地域で、しかも毎年コンスタントに大雪が降っているこの地域で、「カメムシが大量発生した年は、大雪が降る」という「カメムシ占い」は、当たっているといえるのだろうか?

なんだかよくわからないまま、その公共施設をあとにした。

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みっちり調査

4月22日(土)

「最近働き過ぎで疲れがたまったいるようですから、今度の出張では少しのんびりとしましょう」

と言われて同僚に誘われたのだが、全然そんなことはなかった。

朝9時から、冬のような寒さの建物の中でみっちりと調査をして、調査をしているあいだは、おもしろくて時間も寒さも忘れていたのだが、ふと我に返ると、ひどく寒いことに気づく。

お昼を過ぎて、ようやく調査が終わった。

「あったかいラーメンでも食べましょう」

食堂に入り、太麺の担々麺を食べる。この店の一番人気のメニューらしい。

「午後はどうするのですか?」

「山登りです」

えええぇぇぇっ???!!!聞いてない。

「先ほどのお堂の裏手から、15分か20分くらい登ったところに、○○○○○があります」

「登るの、たいへんですか?」

「いえ、つづら折りですから、大丈夫です」

しかしこれも、全然そんなことはなかった。

つづら折りはつづら折りなのだが、急坂のつづら折りが続くのである。

息は切れるし足はガクガクになるしで、運動不足を痛感した。

しかし上に登ると、ちょっとした横溝正史的な雰囲気に浸ることができた。

そんなこんなで、調査が終わったのが午後6時半。

そのあとは、町の偉い方と会食をして、ようやく長い1日が終わったのであった。

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民宿に泊まる

4月21日(金)

昨日の韓国からのお客さんのアテンドから一転。

今日から2泊3日で、山間部の町にフィールド調査である。

今回は一人旅ではなく、3人旅である。

同僚がぜひこの私を一度その山間部の町に連れて行きたい、ということで、ようやく実現に至ったのである。

朝7時半に家を出て、在来線で北に向かう。

10時10分に待ち合わせ場所の駅に着き、そこからHさんの車に同乗して、3人でその町に向かう。

180キロを走行し、午後3時、ようやくその町に着いた。

この町は、交通が実に不便な場所に位置する。

数年前の水害で、この町を通るローカル線が寸断され、いまだ復旧していないのだ。

道路の脇には、まだ少し雪が残っている。

初日の打ち合わせが終わり、宿に向かう。

そういえば、宿については、何も聞いてなかった。

この町にはビジネスホテルのようなホテルがない。

「民宿に泊まります」という。

(ひょっとして相部屋か?)

と、一瞬、嫌な予感がしたが、幸いにも、民宿では一人部屋だった。

もうひとつ懸念していたのは、宿でWi-Fiが使えるかどうか、ということだったが、この点もまったく問題がなかった。

「この町は、数年前の大水害以来、あらゆる場所でWi-Fiが使えるような環境を整備したのです」という。

人口4000人ほどの、陸の孤島のような山間部の町なのだが、ネット環境はむしろ先進的なのである。

民宿のご主人は、この町でいろいろなことを仕掛ける「仕掛け人」なのだそうだ。

初対面なのだが、とてもそんな感じがしないほど、気さくで明るくて前向きな方である。

「日本一美しいローカル線などといわれてますがね。実際のところ、『乗り鉄』と『撮り鉄』は、地元にお金を落とさないのです」

「どうしてです?」

「『乗り鉄』は、うちの町を通り過ぎてしまうでしょう。『撮り鉄』は車で来るので、やはりうちの町には泊まらないのです」

「なるほど」

…てな感じで、地酒を飲みながら、3時間ほどお話をした。

いよいよ明日が、調査の本番である。

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運転手から通訳まで

4月20日(木)

今日はまる1日、韓国から来たお客さん3人を交えて、職場で会合である。

3人のうち、お一人は部長さんで、たいへん偉い方である。

つい最近、人事異動があり、部長さんになったばかりの方である。

初対面の方だろうかと最初は思ったのだが、どこか見覚えのある顔である。

思い出した!

ずっと以前、私が韓国に留学する前のことだから、おそらく2007年か2008年に、韓国を訪れた際に、お会いしたことがある方だった。

そのとき私は、まだ「前の職場」にいて、部長さんもいまとは違う職場にいた。

そのことを名刺交換のときに申し上げると、

「覚えてますよ。たしか9年前にお会いしましたね」

と、かなり正確に覚えていらした。

やはり出世する人というのは、よく覚えていらっしゃるものである。

韓国では、以前別の立場でお会いした人と、何年ぶりかで、また別の立場で再会する、といったことがよくある。

これを韓国語では「因縁」という。

私は韓国人との関係においては、因縁論者である。

以前お会いしたことがあるとなると、その後のコミュニケーションが、かなりとりやすくなる。

会合が終わったあとの懇親会では、通訳を担当する。通訳をしていると話に集中しなければならなくなるので、ドッと疲れた。

運転手から通訳まで。

まことにいろいろと、こき使う職場である。

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公用車の運転手デビュー

4月19日(水)

うちの職場に、昨年まで公用車の運転手さんがいた。

職場の業務で必要なときに、私もしばしば公用車に乗った。

とくに、韓国からのお客さんをお迎えしたりお送りしたりするときなどは、もっぱら私が助手席に乗っていた。

公用車の運転手のSさんは、ご自身のお仕事を引退された後、うちの職場の運転手として長年、つとめていらした。かなりのベテランであった。

Sさんの出身地は、私の「前の勤務地」の県にある、豪雪地帯の町だった。私が長年その県に住んでいたことをSさんが知ると、まるで同郷人に語りかけるように、私に親しくお話しくださるようになった。

小学校のとき、川の対岸にある小学校まで船で通学したこととか、中学を卒業して集団就職で上京した話とか、自動車の整備工として働いたこととか、その頃はパンチパーマでブイブイいわせていたこととか、慰安旅行で韓国に何度も行って、そこで派手に遊んだ武勇伝とか。

ところが昨年末、職場が予算削減のため、公用車の運転手さんとの契約をやむなく更新しないことになり、Sさんはうちの職場から去られることになった。

かくして、公用車のみが残ったのである。

さて今日。

韓国から3名のお客さんが職場にいらっしゃることになっている。

従来ならば、公用車で空港まで迎えに行くのだが、肝心の運転手さんがいない。

…ということで、私が運転手をつとめることになった。人手不足とはいえ、このうえ公用車のドライバーになるとはねえ…。

8人乗りの大型のバンを運転するのは初めてなので緊張したが、なんとかお客さんを空港でお迎えして、職場まで公用車でお連れすることができた。あとは明日の夜まで、みっちり韓国からのお客さんをアテンドしなければならない。

さっそく来月も、公用車を運転して都内に行く予定が入っている。Sさんのように、安心・安全なドライバーをめざそう。

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脇痛週末

4月16日(日)

金曜日の夜あたりから、左脇の下のあたり、肋骨のまわりあたりが、痛み出した。

運動をした覚えがないので、筋肉痛ではない。

内臓系の痛みというよりも、神経系の痛みのようである。

翌日の土曜日の朝になっても痛みが治まらないので、病院に薬をもらいに行くついでに、お医者さんに聞いてみた。

「脇の下のあたりが痛いんですが」

「どのあたりですか?」

「このあたりです」

「そうですか。ひょっとすると帯状疱疹の可能性がありますね」

「えっ?」

最も恐れていた言葉である。

痛風、結石と、激痛の病気を二つも経験し、このうえ帯状疱疹を経験することになるのか???

「いえいえ、まだわかりません。数日後にブツブツが出だしたら、そう思った方がいいです」

「数日後って…何日後くらいですか?」

「そうですね…水曜日くらいですかね。それまでは、シップを貼っておいてください」

「わかりました」

もう不安で仕方がない。

シップを貼って、土曜日は安静に過ごした。

さて日曜日。

まだ少し痛くて、何のやる気も起きない。

(ああ、原稿を書かなくちゃいけないな…)

だが原稿を書く気にもならない。

午前中はテレビを見て自堕落にすごした後、このままではいけないと思い、思い立って、見に行きたいと思っていた博物館の企画展を見に行くことにした。

スマホのカーナビで調べてみると、高速道路を使うと車で1時間半くらいかかる場所である。

企画展が5月7日までということは、今日くらいしか行けるチャンスがない。

ということで、行くことにした。

自分がいままであまり使ったことのない高速道路を使う。

(前の勤務地にいたときも、使う機会があまりなかったよな、この高速道路)

最寄りのインターチェンジで降りて、一般道を走る。

ほどなくして、聞いたことのある名前の学校の看板がみえてきた。

たしか、甲子園の高校野球大会で、何度も出場している学校だよな。優勝も何度かしていたぞ。

そうか、この学校は、この市にあったのか。

ほどなくして博物館に到着。

企画展自体は小さいながらもすばらしいものだった。そうとうに準備されたことがよくわかる展示である。

企画展を見学していると、この博物館の学芸員さんで、私のよく知るHさんが展示室の見回りに来ていらっしゃった。

Hさんは、私を見るなり驚いた。

「どうしてここにいらっしゃるんです?」

「この企画展を見に来たんです」

「わざわざ、ですか?」

企画展のテーマが、私の関心とは異なると思ったのだろう。

「ええ。企画展のテーマに関心を持ったもので。うかがうことをお知らせしようと思ったんですが、日曜日でお休みかも知れないと思ったものですから」

「いえいえ、いまたまたま、展示室を巡回していたところだったんです。もしお時間があれば、少しばかりご説明いたしましょう」

ということで、ありがたいことに、マンツーマンでギャラリートークをしていただいたのであった。

やはり思い切って見に行ってよかった。

家に帰り着いた頃には、左脇の下のあたりの痛みは、不思議なことに、すっかり消えていた。

さて、私が訪れた、その博物館がある市というのは…。

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とんどさぎちょう

先週の金、土、日と、うちの職場に韓国からお客さんが来た。

実はこのブログには書かなかったが、昨年12月から2月にかけての約3カ月間、うちの職場に滞在した韓国人の方がいた。Jさんである。

私とは違う業界の方だったのだが、Jさんは日本語ができないということで、私が何度かコミュニケーションをとる役割をしたことがあった。

で、先週末に韓国から来たお客さんの中に、Jさんも含まれていて、私はJさんと再会した。そして3日間、土日も関係なしに職場に出向いて、Jさんを含む韓国からのお客さんたちとおつきあいしなければならなかったのである。

Jさんは私に聞いた。

「日本にどんど焼きってのがあるだろう」

「ええ。正月15日にやる行事ですね。」

「韓国にも似たような行事がある。달집 태우기という」

「タルチプ テウギですか?」

「そうだ。調べてみると、韓国では古い時代まではさかのぼらず、近代以降に日本から入ってきたものらしい」

「そうですか」

「日本ではいつごろから始まったのか?」

「さあ、古くからだと思いますよ」

「文献は残っているか?」

「あると思います」

「調べてくれ」

「はぁ」

Jさんのいまの関心は、どんど焼きのようである。私より年上だし、大事なお客さんだから、むげに断るわけに行かない。私は調べた文献をコピーして、Jさんに渡した。

「どんど焼きは、本来「サギチョウ」といいます。「爆竹」と書く場合もあります」

「爆竹?」

「ええ」

「韓国では12月31日に爆竹をするんだが、日本でもするのか?」

「いえ、日本ではしません。ただ正月15日のどんど焼きを「爆竹」という場合もあったそうです」

「爆竹とどんど焼きは別だろう?」

「いえ、日本では一緒のようです」

「爆竹は、竹の焼けるときにポンポン鳴る音が縁起物なのだが、日本にはないのか?」

「12月31日にはやりません。ただ、小正月のどんど焼きの際には、竹が燃えるときに音がしまして、その音に意味があったそうです。だから別名を爆竹といったのでしょう」

「ややこしいな。韓国では爆竹とどんど焼きは別のものだが、日本では同じだということか?」

「どうもそのようです」

畑違いの私が慌てて調べたことなので、なんとも心許ない。その上、それを韓国語で説明しなければならないのだから、かなりつらい。

「サギチョウとどんど焼きは同じものなのか?」Jさんの質問は続く。

「ええ、そのようです」

「いつからどんど焼きと言われるようになったのか?」

「わかりません。ただ、サギチョウについて書いた古い文献に、『洛中の家々、今暁竹を立て、昨日まで飾りたる注連飾を焚き、吉書を焼く。基紙の灰空に翻るときは、手跡上達すという。このとき口々に「とんどサギチョウ」と拍す』とありますから、『とんどサギチョウ』というかけ声に由来するものと思われます」

私の下手な韓国語の説明に、Jさんはわかったようなわからないような顔をした。そもそも私自身もまったくわかっておらず、とりあえず調べたことから私が勝手に作り上げた仮説を述べているに過ぎないのである。どんど焼きがどんな行事で、どんな意味をもつかなどと、いままで真剣に考えたことなどないのだ。

これが先週末の話。

ところが、不思議なこともあるものである。

昨日,出張先の合間に訪れた美術館で、ある高名な学者が趣味で作ったという短歌が小さく紹介されていた。

「厳冬の朝早くからポンポンと邪気払いするトンド正月」

私はこの短歌に釘付けになった。

先週末のJさんとのやりとりがなければ、気にも留めなかった短歌である。

この短歌の中に、どんど焼きのすべてが詰まっているではないか!

これは紛れもなく、小正月のどんど焼きのことを歌った歌である。

「ポンポンと」というのは、竹が燃えてポンポンと音がすることを意味する。つまりどんど焼きでは、竹が燃えるときにポンポンと音がすることに意味があった。なぜならそれは「邪気をはらう音」だからである。

そのことは、どんど焼きがかつて「爆竹」とも呼ばれていたこととも通ずる。

そしてもうひとつは、「トンド正月」。「どんど」ではなく「トンド」

私はいままでずっとどんど焼きと呼んでいたが、「洛中」では「とんど」というらしいことが、先ほど紹介した古い文献からわかる。

「洛中」出身のこの高名な学者も、歌の中で「トンド」と言っている。

呼び名にも地域性があることがわかったのである。

Jさんにこの短歌を紹介すればよかったか…。

…と思ってウィキペディアを見たところ、いま調べたようなことが全部書いてあった。

かくして、私がJさんのために調べたことは、すべて徒労に終わったのであった。

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「孤独のグルメ」を気取る

「あなたにとって○○とは?」コーナー、まだまだ募集しておりますぞ。

4月13日(木)

新幹線で2時間20分ほどかかる都市まで、日帰り出張である。

出張先で同僚と現地集合することになっており、その集合時間は午後3時半である。

一昨日、昨日と、2日連続で、都内で重たい会議が続き、すっかりストレスがたまってしまったので、少し早めに家を出て、出張前の時間を有効に使うことにした。

「新幹線のとまる駅」に着いたのが午前11時過ぎ。

(少し早いが、昼飯にするか…)

以前,ひょんさんに教えてもらったお店に行くことにした。

「新幹線のとまる駅」から地下鉄に乗り換えて、3つめの駅で降りる。

この駅は、私自身もよく降りる駅なのだが、これから行く店は初めてである。

地上に出て、東西に走る通りをほんの少しだけ西の方向に歩くと、ほどなくしてその店が見つかった。

(あやうく通り過ぎるところだった…)

Photo店構えは、実に地味である。

しかし中に入ると、これがなかなかすばらしい。

さながら、韓国の伝統茶屋に入ったようなものだ。

(仁寺洞〈インサドン〉に来たみたいだな…)

「いらっしゃいませ」

上品そうな若い店員さんである。

お客さんは、女性ふたりが一組いるだけである。

「こちらの、窓側の席へどうぞ」

2窓側の席に座る。

メニューを渡された。

「決まった頃におうかがいします」

さて、何を食べようか。

…といっても、もともと「ランチもやる」というお茶屋さんなので、選択肢が多いわけではない。

ひときわ目を引いたのが、ビビンバだった。

日本ではどういうわけか、石焼きビビンバが有名なのだが、本当に美味しいのは、野菜の本来の美味しさを生かしたふつうのビビンバなのだ!

「すみません。ビビンバ、ください」

「かしこまりました」

Photo_2ほどなくして、ビビンバが出てきた。

実に見事なビビンバである。

「お好みに合わせて、コチュジャンを混ぜてください」

もちろんそれは、承知の助である。

ビビンバとは、混ぜご飯のこと。とにかく、ご飯と野菜とコチュジャンを、混ぜれば混ぜるほど美味しくなる。

この混ぜる動作を、怠ってはいけないのだ。

これでもかと混ぜた後、スプーンに乗せて、おもむろに口に運ぶ。

(美味い…)

何と言っても、野菜に力がある。だから食感が心地よいのだ。

ときおり、スプーンと器が当たると、

キーン

と、楽器のような美しい音を立てる。

たぶん食器にもこだわっているのだろう。

私は松重豊のごとく、ビビンバをひとくちひとくち、ゆっくりと口に運んだ。

(いやあ、美味しかった)

次はもっと余裕を持って来よう。

「ごちそうさまでした」

「ありがとうございました」

お店を出て、西の方向に歩いて行く。

10分ほど歩くと、南北に走る大通りに出た。

そこからバスに乗り、次の目的地へ。

Photo_3久しぶりに訪れた場所である。

現在開催中のイベントを見学した。

(こりゃあ、あと3回は来なきゃいけないな…)

なぜ、会期中にあと3回、つまり、全部で4回来なければならないと思ったのか?

それは誰にもわかるまい。

さて、この場所を出たが、まだ、集合時間まで時間がある。

(もう1軒、寄ってみるか…)

最寄りのバス停からバスに乗り、ひょんさんに紹介された、もうひとつの店に向かう。

Photo_4バス停を降りて、歩いて1分ほどのところにその店があった。

ここもやはり、外観は目立たない。

しかし店内はやはりすばらしい。

2さきほどのお店と同じように、韓国の伝統茶屋に迷い込んだ気分である。

この店では、伝統茶を注文することにした。

「ご注文はいかがいたしましょう」

「オミジャチャ(五味子茶)をください」

「オミジャチャですね。かしこまりました」

店内には、韓国に関する本が置いてある。古書のようである。

(おっ!『浅川巧著作集』があるぞ!)

本棚から取り出して手に取ってみたが、貼ってある値段を見て、とても買えないと思い、そのまま本棚に戻した。

Photoそうこうしているうちに、オミジャ茶が来た。

やはりオミジャ茶は美味い。韓国の伝統茶屋に行くと、かなりの頻度で私はオミジャ茶を注文するのだ。

しかしゆっくりはしていられない。もうすぐ集合時間である。

本来ならばのんびり過ごす場所なのだが、それは次回にとっておこう。

お店を出て、川に架かる橋を渡る。

Photo_2するとどうだい。川沿いに、桜が連なっているではないか!

(考えてみれば、桜が満開になる時期にこの町に来ることなんて、いままでなかったんだよな)

そう考えれば、ラッキーである。

いけね!もう3時近くになっちゃった。こうしちゃいられない。

ここから,この駅が始発の私鉄電車に乗って、集合場所まで行かなくてはならない。

なんだかんだで、集合場所に着いたのが、午後3時20分。

「なんだ、同じくらいに着いたんですね」

同僚も、どこかをめぐってきたようである。

「じゃ、中に入りましょうか」

本来の目的である、出張先での仕事が始まったのであった。

(…さて、ここでクイズです。このとき、私は市営バスに2回乗っていますが、何番と何番のバスに乗ったのでしょうか?)

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あなたにとって○○とは?

4月12日(水)

日本で最も有名な女子フィギュアスケートの選手が引退会見を行った、というニュースが、今日のトップニュースだった。

国内外がこんなに大変な状況なのに、トップニュースがこれかよ!という怒りはさておき、ですよ。

集まった記者たちの質問を聞いて呆れてしまった。

記者「○○さんにとってフィギュアスケート、あらためていま振り返ってみてどんな存在ですか?」

いつも思うのだが、道を究めた人に対して、「あなたにとって○○とは?」と質問することに、何の意味があるのだ?

いったいどう答えればいいのだ?

まったくの愚問である、と、この質問を聞くたびに、いつも思う。

さて、その選手はどんなふうに答えたのか?

選手「存在……。どんな存在ですかね。難しいですけど(笑)。一言で言うとやはり人生かなというふうに思います。」

それはそうだろう、と思う。「スケートは私の人生」という答え以外に、その場の記者たちを満足させる答えがどこにあるというのだ?国民的スターを期待されているその選手にとってみても、そう答える以外に、その場をおさめる答えは存在しなかったのだ。

そしてその答えを引き出したことを手柄とばかりに、

「スケートは人生」

と見出しをつける記者の「やっつけ仕事」ぶりには、ほとほと呆れてしまう。

むかし、ダウンタウンの浜田が、

「浜田さんにとって、相方の松本さんはどのような存在ですか?」

という記者の質問に対して、

「金づるです」

と答えたのには笑った。たぶんほとんどの場合、この答えが真実なのだと思う。

そんなことを考えていたら、面白いインタビュー記事を見つけた。

ある「ウナギ博士」のインタビュー記事である。

インタビューの最後は、お決まりの「あの」質問だった。

「時間がオーバーしてしまって恐縮なのですが、最後の質問です。○○先生にとってウナギとはなんでしょうか?」

出た!「道を究めた人」に対して、最後に必ずする質問である!

さて、もし私が「ウナギ博士」だったとしたら、何と答えるか?

「いろんな意味でメシの種です」

と答えるだろう。

しかしその「ウナギ博士」の答えは,違っていた。

以下、そのやりとりを引用しよう。

「時間がオーバーしてしまって恐縮なのですが、最後の質問です。○○先生にとってウナギとはなんでしょうか?」

「なんですかねえ……それは難しいですね。いや、ウナギはウナギ以外の何者でもないような気がするんですけど……うーん。」

「(笑)」

「なんていうのかな……。いや、別にウナギがいなくなったらいなくなったで構わないんです。絶滅したっていいって思ってますし」

「えっ?」

「いや、絶滅させろってことじゃないですよ。でも、すべての生き物は絶滅の可能性から逃れることはできないじゃないですか」

「はい、絶滅することもありますよね」

「たとえ人の手が加わらなくても、地球上から消えていった生物は数知れません。例えば今回のウナギの減少でも、もしかしたら進化的な歴史の中で、もうウナギというのは滅びゆく生き物であるという可能性もあるわけですから」

「でも、たった数年で絶滅しちゃうなんて変ですよね」

「もちろん人間が絶滅を後押ししているわけですが。話を戻すと、私にとってウナギはウナギであって、もちろんすごく面白いんですけど、常に「他にもっとおもしろいことあるんじゃないか」って考えているんですよ。そういう意味では、ウナギの研究は、今はとてもおもしろい。けれども、唯一無二の特別な存在ではない。おもしろいものの一つであって、世の中にはまだまだいっぱいおもしろいものがありますし」

「じゃあ、ウナギよりおもしろいものが現れたら、そっちに行っちゃうかもしれない…」
「行きます行きます!思い切り行っちゃいます!でももう結構長い期間、大学院生から考えたら20年、ウナギが一番面白いんですけどね。でもやっぱり、きっとありますよね。世の中絶対もっとおもしろいもの」

「あるかもしれないですね」

「いやいや、おもしろいことだらけだと思いますよ」

「あなたにとって○○とは」という愚問に対する答えとしては、実に学者らしい答えだと思う。

その道を究めた人に聞いた「あなたにとって○○とは」という質問とそれに対する答えを集めたら、面白いかも知れない。

そんな名回答、珍回答を見つけたらどしどしお寄せください。

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天知茂「ウルトラの父」説

4月10日(月)

毎日、1日があっという間に終わる。

めちゃくちゃ忙しいので、誰にもわからない話を書く。

現実逃避でドラマ「森村誠一シリーズ 野性の証明」(1979年、林隆三主演)を見た。

先日、ドラマ「森村誠一シリーズ 人間の証明」を全13回見てしまったことで、「昔のドラマ」熱に火がつき、今度は「野性の証明」を見ることにしたのである。こちらも全13回。

何度も見返しているドラマだが、好きなドラマは、つい、くり返し見てしまう。

やはり「人間の証明」とくらべると、ちょっと脚本が弱いかなあ、と思う。無理やり13回に話を伸ばしてしまっている観がある。それに、ご都合主義的な展開が目立つ。そう考えると、やはり「人間の証明」の脚本を書いた早坂暁はすばらしかったのだ。

それでも、荒唐無稽な展開にしてしまった映画「野性の証明」よりははるかに完成度は高い。

ではドラマ版は原作に忠実なのかといえば、全然そうではない。映画版もドラマ版も、原作とはまったく異なる作品となっている。

このドラマでは、たたき上げの刑事役の小池朝雄が、実にいい味を出している

というか、小池朝雄は、刑事コロンボそのものである。

たとえば、小池演じる村長刑事に対して、味沢(林隆三)がついに自分の罪を告白する場面。

味沢が罪を告白した後、村長刑事は味沢を見つめ、味沢にこう言う。

「あたしはねえ。商売柄、いろんな人間の、いろんな顔を見てきているが、罪を犯した人間が自白をしたときの顔ほど美しいものはないと思ってるよ。」

しばらくの沈黙の後、

「さてと…、自白だけでは証拠にならんのだよ。目撃者の証言がないとね。ところがその目撃者が記憶をなくしちまったときている…。ままならないもんだ」

そう言って煙草に火をつける。

文章では伝わりにくいが、この場面の小池のセリフ回しは、完全にコロンボである。

…いや、今回書きたいのは、小池朝雄の話ではない。

全13回のうちの,第10回に一度だけ登場する、天知茂の話である!

ドラマ「野性の証明」は、主人公の味沢岳史(林隆三)が、羽代市(架空の町)を牛耳る大場一族に一人で戦いに挑む、というストーリーである。

大場一族は、反対派を次々と粛正し、さらには中央政官界ともつながり、羽代市で大きな権力を握っている。誰も逆らえないような強大な権力を手にするのである。

味沢は大場一族の不正を暴こうと奮闘するが、かえって大場一族の罠にはまり、身に覚えのない罪を着せられてしまう。なにしろ、相手はこの町の最高権力者、大場一族なのだ。

大場一族の仮面を何度となく剥がそうとしても、それが権力により隠蔽されてしまうのだ。

もはや味沢も万事休すか??

さて、そこにあらわれたのが、天知茂である!

天知茂は、東京地検特捜部の検事として羽代市にやって来て、大場一族の悪事を次々と露見させてゆくのである。

いよっ!待ってました!

大場一族に追い詰められてピンチになった味沢を、天知茂が助けに来たのだ!

そのたたずまいはまるで、M78星雲から駆けつけた「ウルトラの父」のごとくである。

たしか天知茂は、同じ時間帯のドラマ「高木彬光シリーズ 白昼の死角」でも検事役で出演していた。

天知茂は、ほとんどそのたたずまいのみで、敵の悪事を露見させ、懲らしめてしまう。

これこそが、天知茂の真骨頂なのだ。「明智小五郎シリーズ」しかり、である。

ドラマの中で、天知茂が言う。

「味沢君、聞くところによると、あんた、大場を敵にまわして闘っているそうだな。たとえどんなに死力を尽くしても、巨大な悪の牙城を切り崩すことはできまい。たった一人の力では…。私はそれを悟ったときから、この職業を選んだ。しかしそれでもなお、巨大な悪は裁けん場合が多い。だからこそ私は死力を尽くしても闘わなきゃならんと思ってる。」

心を閉ざしていた味沢は、次第に検事に心を開いていく。

このあたり、実にかっこいいねえ。

天知茂みたいな検事、どこかにいないもんかねえ。

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ダビチファン脱退宣言!

4月7日(金)

めちゃくちゃ忙しいので、短い話題を一つ。

いままで誰にも言ってませんでしたが、私、ダビチのファンでした!

「ダビチ?知りませんねえ」

不思議なことに、K-POPファンを自称する人に聞くと誰もが、

「ダビチ?知りませんねえ」

という。

そんなに日本で売れてないのか?

とにかく私は、「My Man」という曲を聴いて以来、ダビチのファンになったのだ。

ダビチですよ!ダ・ビ・チ!

…やっぱりわからない?

韓国の女性デュオですよ!

…といっても、ずっと追っかけていたわけではない。

なんてったって、「My Man」しか聴いたことがないのだから。

先々月、韓国に行った折りに久しぶりに思い出し、CD屋さんに行ってダビチのCDを買ったのだった。

で、つい最近、ようやくそのCDを聴いてみたのだが…。

…うーん。

歌はとてもうまいのだが、なんというか、インパクトがないのだ。

もう一度言う。歌はとてもうまいのだ。

だが、なんというか、心が揺さぶられないのだ。

俺が思い描いていたダビチは、こんなだったっけ?

私のダビチ観は間違っていた。本来のダビチは、バラードを得意とするシンガーなのである。

2009年、私が韓国留学中のときに発売された「My Man」が、自分にとってのダビチ。

80年代のポップスを彷彿とさせる軽快な楽曲。

結局のところ、私は80年代的なポップスが好きなだけだったのだ。

留学という吊り橋効果によって、私はダビチのファンになったのだ。

そこで私は決意した。

今日をもって、ダビチファンを脱退いたします!

これからは「いちリスナー」として、ダビチを応援していきます!

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思いきり無茶ぶられ人生

4月5日(水)

毎週火曜日は会議日である。

午前午後と、びっしり会議や打ち合わせが詰まっている。

忙しさを誇る気など毛頭ないのだが、生来の買いかぶられ体質のためか、いつもこき使われる。

火曜日は仕事部屋に戻る時間がほとんどなく、空いた時間に戻ってメールをチェックするのが関の山である。

午前10時半ごろ、協定先の韓国の機関からメールが来ていた。

急いで見てみると、エクセルの表が添付されていて、「そちらにあるものの詳細なデータを送ってください」と書いてあった。

こちらにあるものの詳細なデータを、エクセルの表に書き込んで送り返してほしいということらしい。

(ずいぶんと勝手だなあ)

こちらがやらなければならない仕事ではなく、先方の都合で一方的に依頼してきたのである。なぜその作業をしなければならないのか、その理由もメールにはまったく書かれていなかった。

しかし今日はその作業をする時間がないので、おいおいやればいいだろうと思い、後まわしにするつもりでいた。

午前中は、韓国の文化施設からやってきたお客さんのアテンドをしなければならない。

アテンドの最中に、携帯電話が鳴った。協定先の韓国の機関からである。

「ヨボセヨ(もしもし)」以下、韓国語での会話。

「ソンセンニム!(先生)、さきほどお送りしたメールのことで…」

「いまお客さんが来ているので、後でかけ直してください」

「わかりました。では昼食後にかけ直します」といって先方は電話を切った。

午後、1つめの打ち合わせが終わったのが2時半過ぎ。次の打ち合わせまで1時間ほどある。

携帯電話の着信履歴を見て驚いた。

協定先の韓国の機関から、7回ほど電話がかかってきていた。

(かけ直さなきゃいけないのかな…)

と、携帯電話を持ちながら逡巡していると、電話が鳴った。

「ヨボセヨ」

「ソンセンニム!」

「電話に出られずにすみませんでした」

「いえいえ、先ほどメールでお送りしたエクセルの表なんですけど、データを入れて送り返してくれませんか?」

「わかりました。いつまでですか?」

「今日中にです」

「今日中に???!!」

「そのデータを明日、中国の機関に持っていって、交渉の材料にするのです」

「はぁ???」

意味がわからない。とにかく、先方の勝手な都合で、私はどうやら、今日中にそのデータ入力をやらなければならないようなのだ。

(そんなもん、そっちの都合なんだから、そっちでやれよ!)

と言いたかったが、大事な協定先なのでそういうわけにはいかない。

「わかりました。なんとかやってみます」

次の打ち合わせまでの1時間、必死にデータ入力を行う。

それでも終わらずに、3時半、午後の2つめの打ち合わせが始まった。

打ち合わせは5時過ぎまでかかり、ようやく終了。

仕事部屋に戻り、残りのデータ入力をしなければならないのだが、1つ問題が。

今日は業務命令で宴会に出席しなければならず、遅くとも5時半には職場を出なければならないのだ。つまりその時間までにデータ入力を終えて、協定先の韓国の機関にメールで送り返さなければならない。

(あと30分弱か…)

急いでデータ入力の続きを行う。

5時半頃、内線がかかってきた。社長秘書からである。

「そろそろ社長が宴会の会場に出発されます。一緒にお出になりますか?」

「すみません。今日中にどうしても返信しなければならないメールがあって、ちょっと遅れます」

5時45分。ようやくデータ入力が終わり、15分遅れで職場を出て、業務命令の宴会に出席したのであった。

宴会の最中、また携帯電話が鳴った。

「ヨボセヨ」

「ソンセンニム!データありがとうございました。これで明日、晴れて中国に行くことができます」

「そうですか。それはよかった」

(頼むんならもっと早く言えよ!)

と喉元まででかかったのをおさえた。

まことに無茶ぶりな依頼であった。

翌日(6日)。

午後、携帯電話が鳴った。大御所の先生からである。

「昨日のメール、見たか?」

そういえば昨日の午後、大御所の先生の秘書から写真が添付されたメールが送られて来ていた。写真には、読みにくい文字が写っていて、その文字を解読してほしいとの依頼だった。

しかし昨日の日中はまったく時間がとれなかったばかりでなく、夜は業務命令の宴会があったのだ。

「見るには見ましたが…」

「解読は終わったか?」

「い、いえ…まだです」

その写真は、昨日の午後に送られてきたばかりで、しかも何時何時までに解読してほしいなど、書かれていなかった。

「なんだ、まだ解読してないのか」

おいおい、昨日はそれどころではなかったのだ。しかも、夜は業務命令による宴会で、家に戻ったのが夜11時。しかもその宴会に、その大御所の先生も同席されていたのである。

「解読結果はいつまでにお送りすればいいですか?」

「その解読結果をもって先方のところへ行かなければならないから、今日の午後3時までに送り返してくれ」

「午後3時、ですか???!!!」

時計を見ると、いま、午後1時45分である。

あと1時間15分しかない!

急いで解読作業を行う。

しかし、解読作業というのは、本来じっくり時間をかけて行うものである。ケツかっちんでやるような作業ではないのだ。

気がせくばかりで、ちっとも解読できやしない。

とりあえず時間ギリギリに、解読結果をメールで送信した。

ほどなくして大御所の先生の秘書から、

「ありがとうございました」

と、短い返信があった。

これもまた、まことに無茶ぶりな依頼である。

毎日が、こんなことの連続である。

(タイトルは、沢田研二のアルバム「思いきり気障な人生」へのオマージュ)

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人間の証明

4月2日(日)

テレビ朝日で「人間の証明」をドラマ化するというので、見てみた。

棟居刑事を藤原竜也が、八杉恭子を鈴木京香が演じていた。

2時間強の尺に強引にまとめてしまったため、展開が早すぎたのと、登場人物にまったく共感できなかった。

いちばんの問題は、1970年代という時代性が、まったく描けていなかったことである。

たとえば1978年版のTBSドラマ「人間の証明」では、主人公の棟居刑事が、強烈な嫌米感情を持っている。

70年代の刑事ドラマを見ていると、GIに対する嫌悪を露骨に表現しているものがある。以前にも書いた、「Gメン75」の、沖縄を舞台にした回などもその例である

この国の誇りや人間性を奪う記号的存在として、GIが暴力的に描かれていたのである。

たぶんこの憎悪の感情は、今の時代の多くの人々には封印されてしまった感情であろう。

しかし70年代はこうした感情を表明することに抵抗がなかった社会だったという点は、認識しておく必要がある。

映像化された「人間の証明」評については、ここここに書いたことがあり、今もその考えが変わらないので、繰り返し述べることはしない。

〔付記〕

ふと思ったんだが、この企画、最初は主題歌ありきだったんじゃねえ?

「EXILEにジョー山中の『人間の証明のテーマ』をカバーさせたら面白いんじゃね?」みたいなことになって、「だったらドラマも作っちゃおうぜ」となったのではないか、と。つまり「EXILE」の歌をプロモートするためにこのドラマをやっつけちゃった、と。

そう考えれば、この時期に不自然にも「人間の証明」をリメイクしたことも、本来であれば不可能なはずの2時間の尺に強引におさめちゃったことも、脚本や演出が雑なことも、すべて説明がつく。

そして、ジョー山中の歌を主題歌にしたというのは、原作への敬意よりも、明らかに角川映画版へのオマージュであるという認識が優先していることを示している。

1978年のTBSドラマ版「人間の証明」は、主題歌をあえてジョー山中にせずにリリィの「さわがしい楽園」にしている点で、角川映画版と一線を画そうとする姿勢がみられる(ただし、1979年のTBSドラマ「野性の証明」と「白昼の死角」は、角川映画班と同じ主題歌をTBSドラマ版でも用いている)。

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眼福の先生のお宅におじゃまする

4月1日(土)

私と妻が勝手に師と仰いでいる「眼福の先生」ことT先生のお宅に、研究仲間2人を含めた4人でうかがった。

他の研究仲間はすでに何度もおじゃましているそうなのだが、私と妻は、初めてである。

訪問の目的は、「今後に関するさまざまな打ち合わせ」である。

「前の職場」のときにT先生に初めてご指導をいただいてから、はや6年。半ば隠居生活を考えておられた先生を、強引にこの業界に引き戻したきっかけの1つは、私が作ったものだと自負している。傘寿を越えた今でも、さらに新しい課題に挑戦しておられる。

隣の国をフィールドにした研究を長らくされ、戦後のその分野で金字塔を打ち立てた。たいへん厳しい先生なのだが、私と妻は専門が異なることもあってか、いろいろとお話しくださる。

先生のお話は実におもしろく、話題も尽きない。つい最近の話として、こんな話を聞いた。

年明け、1月頃のことだそうである。

隣の国の大統領があんなことになり、もうすぐ大統領選挙が行われるのではないかといったニュースで賑わっていた頃。

与党は、世界的にも名の知られたある人物を大統領候補に推そうとしているという噂が流れた。

あるとき、隣の国のある大学教授のもとに、身に覚えのない名刺の束が送られてきた。

名刺のところに書かれていたのは、自分の名前である。

何者かが、自分の名刺を勝手に新調して、その名刺の束を送りつけてきたのである。

驚いたのは、そこに書かれている、自分の肩書きである。

「○○○候補を大統領に当選させる会」

とかなんとかいう、まったく身に覚えのない肩書きが書かれていたのだ。

「○○○」というのは、当時、与党が候補に推そうとしていた人物の名前である。

いつの間にか、何者かにより、自分に断りもなしに「○○○」候補の選挙応援をするようにと、勝手に名刺を作って勝手に送りつけてきたというのである。

自分はその候補を支持したいと思ったことはない。まったく身に覚えのないことなのだ。にもかかわらず、勝手に「応援団」にさせられようとしている。

その教授は、怒りに震えた。

「誰を支持するかというのは、自分の学問的良心に従って決めるものである。少なくとも、与党が推す候補者を支持する気にはならない」

と突っぱねたのである。

…その方は、その話をT先生にして、「身に覚えのない名刺の束」を見せてくれた、というのである。

「来日して、先生にお会いしたときに、その方はその名刺を見せたのですか?」

「そう。その名刺に憤慨しながらも、どうやら持ち歩いているらしい」

「それって、まんざらでもないってことじゃないですか?」

「まったく隣の国は、摩訶不思議なことだらけです」

先生は、隣の国を「摩訶不思議」と評価される。

隣の国を長らく研究されているからといって、隣の国をひいきする姿勢はとらない。

評価すべきところはするが、そうでないところは批判をする。その姿勢は一貫して変わらない。

この姿勢は学びたいと常々思う。

4時間ほどお話をして、先生のご自宅をあとにした。

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そして誰もいなくなった

3月31日(金)

2夜連続で放送されたテレビ朝日のドラマ「そして誰もいなくなった」を見た。

アガサ・クリスティーの原作小説を翻案したもので、長坂秀佳が脚本を書き、和泉聖治が演出した。

長坂秀佳といえば、テレビ朝日のドラマ「特捜最前線」で傑作を連発したメイン脚本家だし、和泉聖治は、テレビ朝日のドラマ「相棒」でこれまた傑作を連発したメイン監督である。

つまり、テレビ朝日の刑事ドラマを牽引してきた2人がタッグを組んだ、僕にとってはたまらないドラマなのである。

しかしこのドラマのポイントは、そこではない。

このドラマが遺作となった、渡瀬恒彦の渾身の芝居である。

ネタバレを覚悟でいうが、余命幾ばくもなかった渡瀬恒彦が、余命幾ばくのない知能犯を演じる。

圧巻なのは、病に冒された犯人が、最後の力を振り絞って、独白をする場面である。

このとき、渡瀬恒彦は同じように病に苦しんでいたはずである。

ときおり見せる苦しい表情は、芝居なのか?本当なのか?

虚実皮膜のあいだを彷徨っているかのようである。

ドラマでは、ビデオ録画した彼の独白が、彼の死後、刑事たちの前で公開されるという設定である。

ドラマを見ている私たちもまた、渡瀬恒彦の死後、彼の独白の場面をテレビ画面で見ることになる。そこが妙にシンクロするのである。

「虚実皮膜の間を彷徨う瞬間こそ、役者は最高の演技をみせる」

その意味で、渡瀬恒彦の演技は鬼気迫るものでる。

田宮二郎の「白い巨塔」以来の遺作ドラマ、といえるかも知れない。

渡瀬恒彦で思い出すのは、子どもの頃に見たTBSドラマ「白昼の死角」である。

高木彬光原作の小説をドラマ化したもので、渡瀬恒彦は主人公・知能犯の鶴岡七郎を演じた。

映画版のほうがよく知られていて、映画版では鶴岡七郎を夏八木勲が演じていたのだが、鶴岡七郎役は渡瀬恒彦のほうが断然よかった。夏八木勲では知能犯という感じがしない。

というか、「白昼の死角」の鶴岡七郎は渡瀬恒彦の当たり役であり、僕にとって渡瀬恒彦主演のドラマの最高傑作はこれである、といまでも僕は思っている。

どうも僕は、渡瀬恒彦といえば鶴岡七郎のイメージが強く、その後のどんなドラマを見ても、これに勝る役を見たことがなかった。

このドラマの最後、鶴岡七郎は、肺結核に冒されて血を吐いて死んでしまう。

遺作の「そして誰もいなくなった」でも、渡瀬恒彦はやはり知能犯を演じ、最後に死を迎える。

僕は「白昼の死角」の鶴岡七郎を思い出し、渡瀬恒彦は、やはり刑事役よりも、犯人役のほうがふさわしかったのだということを、あらためて実感したのだった。

「そして誰もいなくなった」は、長岡秀佳、和泉聖治、渡瀬恒彦、といった、僕が子どもの頃にときめいていたテレビドラマの作り手たちが、最後の力を振りしぼって作ったドラマである。

その意味で、裏番組で放送されていたTBSのドラマ「LEADERSⅡ」とは、対極にあるといってよい。

「LEADERSⅡ」では、無駄に豪華な俳優陣が、ひたすら「過剰で無駄使いな演技」をしていて、僕の心はまったくついていけなかった。

かつてのようなドラマは、やがて消えていってしまうのか?

もしこの先、この国のテレビドラマが「LEADERSⅡ」のような方向性のものばかりになってしまったとしたら、僕はテレビドラマを見限るだろう。

ところで、どうでもいいことだが、同じ日の同じ時間帯に放送されたTBSが社運をかけたテレビドラマ「LEADERSⅡ」と、テレビ朝日が社運をかけたドラマ「そして誰もいなくなった」、この二つのドラマのいずれにも出演していた俳優が2人ほどいる。

そのうちの1人は「橋爪功」だが、正確にいえば、橋爪功は、「そして誰もいなくなった」の1夜目(「LEADERSⅡ」放送の前日)ですでに殺されてしまっているので、出演が重なっているというわけではない。

そしてもう1人は、「でんでん」である!

「でんでん」は、この二つのドラマの中で、ちょっとした、しかし印象的な役で出演している。

ひょっとして、「でんでん」こそが、この国のテレビドラマ界最強の俳優なのではないだろうか?

…いつの間にか「でんでん最強説」の話になってしまった。

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今年度最終日の出張

3月31日(金)

今年度、最後の出張である。

新幹線と在来線を乗り継いで約3時間半で本日の用務先に到着した。

来年度からのプロジェクトを進めるにあたって、関係する方々にご挨拶にうかがったのである。

夕方、無事に用務が終わり、在来線で「新幹線の止まる駅」に向かう。

…とその前に、途中下車して、少し早い夕食をとる。

その駅は、JRと私鉄と地下鉄が交わる超巨大な駅である。

その駅の地下街に、目的の店があった。

Photo写真の食べ物とその皿をみれば、この店がどこなのか、明智名探偵ならばすぐにわかるだろう。

なにしろここは、この食べ物の聖地なのだ。

食べ終わり、「新幹線の止まる駅」に移動し、新幹線に乗る。

すると、ならびの席で久しぶりに遭遇した。

そう!駅弁スマホ女

「駅弁スマホ女」とは、駅弁をひとくち食べては、スマホをしばらくいじり、また駅弁をひとくち食べてはスマホをしばらくいじる、という行為をくり返している女性のことである。

女性に限定してはいけないのかも知れないが、私が遭遇するのは、なぜか決まって女性なのである。

今回、いくつかのことに気がついた。

今回の女性は、どうやらLINEをしながら駅弁を食べているようなのだが、LINEを送信して、駅弁をひとくち食べているあいだに、相手からLINEの返信が帰ってくる。そこで駅弁を食べるのをやめ、スマホをいじってLINEの返信をする。で、また駅弁をひとくち食べていると、相手から返信が来るので、手を止めてLINEの返信をする。

どうやらこの繰り返しなのだ。

つまり、LINEの返信を待っているあいだに、駅弁をひとくち食べる、というペースをくり返していることが判明したのである。

LINEの返信を待つのに、駅弁をひとくち食べるのが、時間的にもちょうどいいのだろう。

もうひとつ気づいたこと。

それは、駅弁スマホ女の弁当のチョイスについてである!

私からしたら、絶対に買わないであろう「なんの変哲もない駅弁」を買っているのだ!

なぜか、この点が、これまで見てきた駅弁スマホ女に共通している。

つまり、駅弁選びのセンスがないのだ。

なるほど、駅弁についての思い入れがないからこそ、スマホの片手間に駅弁を食っても平気なのか、と、妙に納得したのであった。

もう少し事例を集めたら、駅弁スマホ女の生態について論文が書けるかも知れない。

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