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2017年5月

体調最悪会議

5月30日(火)

先週後半以来、僕の体に起こった「異変」は、今に至るまで治る気配がない。

朝起きたら治っていたらいいのに、と思うのだが、現実にはそううまくいかないようだ。

たぶん、今週中に、その原因が特定されるだろうが、目下のところ、その原因はわからないのである。

なにより、動くのが億劫になり、ふだんの3割程度の力しかはたらかない。

いちばん困るのは、文章を2~3行書いただけで、頭がずしんと痛くなる。

A4用紙1枚の文章を書くだけでも、かなりしんどい。

昨晩も、やっとの思いで、A4用紙1枚の原稿を書いて送信した。

こんな調子では仕事に差し支えるなぁ。

昨日は、職場で肉体労働があったのだが、さすがに無理だと思い、職場を休ませてもらった。

今日は会議日である。、

肉体的にもつらかったが、今日の会議は、午前、午後とも、座っていればなんとかなる会議だったので、とにかく、会議にだけ出て、終わったらすぐに帰ることにして、出勤した。

それに今日は、僕が編集を担当した広報誌の納品日でもあるのだ!

やっとの思いで出勤する。

まわりから見ると、私が明らかに具合悪そうな顔をしていて、しかもその動きに「異変」を感じ取れるらしく、同僚が口々に、

「大丈夫ですか」

と言うのだが、僕自身も「異変」の原因がわからないので、

「大丈夫ではないです」

と言うしかない。

だが、病気になって初めてわかることだが、自分の苦しみは、なかなか他人には理解してもらえない。

会議中も、具合が悪いので

(今日は何も発言しないぞ!)

と思い、黙っていると、

「この件について、鬼瓦さんはどう思いますか?」

と話をフリやがる。

「俺にフルんじゃない!」

と言いたかったが、何事もなかったかのように意見を述べた。

本日二つめの、午後の会議もようやく終わり、

(もう俺は知らんぞ!帰るぞ!)

と、そそくさと職場を出る。

…と、出たのはいいが、とにかく暑い!ただでさえ1歩1歩歩くのが苦痛なのに。

(この暑い中を、駅までふらふらと歩かなければならないのか…)

と憂鬱になっていたら、僕が歩いている横に車がとまった。

「先生!お帰りですか?」

なんと、「うちの職場の御用達の飲み屋」のおかみさんであった。

「ええ」

「いま先生の職場にお使い物があった帰りなんですけど、駅まで乗っていきませんか?暑いでしょう」

なんと! 「渡りに船」とはこのことである。

「お、お願いします!助かります!」

一も二もなく、車に乗せてもらった。

その瞬間、あることを思い出した。

そういえば、この飲み屋のおかみさんは、昼間は介護関係の仕事をしていて、夜は旦那さんと一緒に飲み屋を切り盛りしていると、以前に聞いたことがあった。

医療関係にはくわしいかも知れない。

私は車に乗るや否や、いま私の体に起きている「異変」について、かくかくしかじか、と説明した。

「なるほど、それは、○○の可能性と、××の可能性がありますね。○○の可能性の場合、この近くに△△病院というのがあるでしょう?」

「ええ」

「その病院は、○○について専門の先生がいますよ」

「そうですか」

「あと、□□病院」

「あ、お店の前にある」

「ええ、その病院に、毎週火曜日に来る先生が、やはり○○については専門家です。うちのお店にも、よく飲みに来るので、よく知ってる方です」

「そうですか」

恐るべし、飲み屋のおかみさん、である。

「いずれにしても、検査の結果を見てみないとわかりませんね」

「そうですね」

あっという間に駅に着いた。

「いろいろな意味で助かりました」と私。

「いえいえ、どうも」

私は車を降りた。

私の体の「異変」がいよいよ、となったときには、おかみさんに相談してよい医者を紹介してもらおう。

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体調最悪週末

5月27日(土)

数日前から、すこぶる体調が悪い。

今までに感じたことのない、体の異変である。

(これはアカンやつや…)

生まれて初めて、命の危険を感じた。

病院に行くのコワいなあ、と思いながら、このまま放っておくと最悪の事態になることを恐れて、意を決して病院に行くことにした。

お昼、かかりつけの病院に行くと、

「うちでは検査ができないので、近くの病院を紹介します。午後1時半までに受付をすませれば今日中に診察できるので、今すぐ行ってください!」

そう言われて、紹介された病院に着いたのが午後1時半。受付は最後だったが、まだ待合室には何人もの患者さんがいた。

しばらくたって、診察室に呼ばれた。

診察室に入り、医者の先生に症状を話すと、

「とりあえずレントゲンを撮りましょう」

というので、別室へ行ってレントゲンを撮ることになった。

レントゲン室に入ると、レントゲン技師さんがいて、ややめんどくさそうに(というのは、私の被害妄想)、

「はい、アゴあげて~」

みたいな感じで、レントゲンを撮り終わった。

しばらくして、再び診察室に呼ばれた。

「レントゲンの結果を見ましょう」

と、医者の先生が、パソコンで私のレントゲン写真を見ようとするのだが、いっこうに画像がひらかない。

「おかしいな…」

レントゲン写真のサムネイル画像みたいなちっちゃな画像が出るだけで、私のレントゲン写真のデータがひらけないようなのである。

「おかしいな。どうしたんだろう」

何度試みても、私のレントゲン写真がパソコン画面上に出てこないのである。

そこにたまたまアシスタントの女性が通りかかり、医者の先生が聞いた。

「レントゲン写真がパソコンの画面に出ないんだけど」

「あら、すみません。レントゲンの電源をもう切っちゃいましたよ」

もう診察時間も終わりだからと、アシスタントの女性は早々と電源を切ってしまったようである。そのために私のレントゲン写真は診察室のパソコンに転送されなかったのである。

おいおい、居酒屋のラストオーダーじゃねえんだから。まだ患者はいるのに電源を切るなよ!

「なあんだ、それじゃあ見られないわけだ。…ということで、すみません。このサムネイル画像からわかることをお話しします」

おいおい、そんな小さな画像でわかるのか?

医者は、サムネイル画像からわかる範囲で病状の説明を始めた。説明、というよりも、仮説である。

「かくかくしかじかな上に、あなた、情熱家で神経が過敏だから、それが症状となってあらわれたのでしょう」

おいおい、あんた、俺のことどんだけ知ってんだよ!

「くわしいことは、次回、レントゲン写真の大きな画像を見ながら説明します」

いやいや、今知りたいよ!そんな小さな画像で説明されても不安だよ!

そうしたらさっきのアシスタントのおばさんが診察室に戻ってきて、

「先生、いま、レントゲンの電源をつけました。これで写真が転送されて見られると思います」

やれやれ、これでやっとレントゲン写真が見られると思ったら、医者の先生は、

「いいのいいの。もう説明したから」

おいおい!さっきのはサムネイル画像だろ!大きな画像が見られるならそれを見ながらいま説明してくれよ!気になるじゃないか!

土曜日の最後の患者だったので、医者の先生もめんどくさくなったのだろう。

ということで、モヤモヤした気持ちで病院をあとにした。

まったく、人の生き死にがかかっているというのに、これだから医者は信用できない。

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大人の会話

5月25日(木)

担当編集者に、

「出版社までご足労願いますか。夕方に少し打ち合わせをして、そのあとお食事でも。部長もぜひお話がしたいと言っております」

といわれたので、出版社に向かう。

こういうときはいつも、

(ああ、連載打ち切られるんだな)

とか、

(ダメ出しを言われるんだろうなあ)

など、悪い予感しかしないのだが。

今まで、打ち合わせといったら、うちの職場に来てもらうか、あるいはどこか喫茶店でおこなっていて、出版社の中で行ったことがなかった。

今回、初めて出版社の中に入る。

(なんかドラマに出てきそうなフロアだなあ)

といった感じの、フロアである。

「ここは、辞典とか新書とか文庫とか、書籍関係の部署が集まっているフロアです」と部長。

「ずいぶんと広いフロアですね。ここに全部集まっているんですね」

「そうです」

打ち合わせが終わり、

「では食事に行きましょう」

といういことになった。

部長と、担当編集者と、私で、和食の店に入る。

ハモの上に梅肉がのっかったような上品な料理を食べながら、四方山話をする。

ここでいつも困るのが、どんな話をしていいのか、ということである。

親しい間柄だというわけではない。仕事上の会話なのである。

うっかり調子に乗って知ったかぶりの話をしても、相手はベテラン編集者なので、全部見透かされているような気がしてならない。

その一方で、編集者の話す内容が、「軽いダメ出し」をほのめかしている可能性もある。

たとえば、担当編集者が言う。

「先生のお話も文章も、本当に面白い。それをもっと多くの人にわかってもらうのが、編集者の仕事だと思ってます」

と何度もくり返すのである。

この言葉すら、軽いダメ出しに聞こえる。

つまりそれって、俺の文章がちっとも読まれてないってことだろう、と。

「僕の文章が読まれないのは、僕自身にハナがないからですよ」

と喉元まででかかって、言うのをやめた。

大人の会話って、難しい。

なんだかんだで、3時間ほどお話をした。

(あんなこと話さなきゃよかった)

と思うような内容もいくつかあって、軽く死にたくなった。

翌日、部長からメールが来た。

「今後ともどんどん「オリジナリティあふれる、おもしろい読み物」を書いていただきたく、重ねてお願い申し上げます」

とりあえず、連載は続くようだが、もっと面白いものを書けよ、というプレッシャーをかけられているようにも読める。

とりあえずもう少し頑張ろう。

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ラジオの神様

5月24日(水)

僕にとって「サックスの神様」が渡辺貞夫だとすれば、「ラジオの神様」は近石真介である。

TBSラジオ「伊集院光とラジオと」(月~木、午前8時半~11時)の、昨日のゲストが近石真介さんだったことを知って、ラジコのタイムフリーで聴いてみることにした。

伊集院光が朝のワイド番組を担当する時間帯は、もともとは近石真介さんが担当していた時間帯である。

つまり僕の中では、近石真介→大沢悠里→伊集院光、なのである。

だから近石さんがこの番組にゲスト出演するというのは、僕にとって非常に感慨深いことなのだ。

小学生のとき、TBSラジオ、平日朝のワイド番組「こんちワ近石真介です」を聴いたことがきっかけで、ラジオが好きになった。

1971年~1980年にかけて、月~金の朝9時15分から11時5分まで放送していた。いったん降板するが、リスナーの強い希望により、1983年~1985年に2年間だけ復活する。

今回の番組で初めて知ったことだが、「朝の生ワイド番組」という形態を初めて作り出したのが、近石真介さんなのだそうだ。それまでは「朝の生ワイド番組」という概念が存在しなかった。

だが、その形態が今に至るまで受け継がれているのだから、民放ラジオ番組における近石さんの功績は計り知れないというべきだろう。

民放ラジオ番組だけではない。同時期に、近石さんはNHKラジオの夜の帯番組を持っていた。「おしゃべり歌謡曲」である。夜8時10分からの40分番組だったかと記憶する。

不思議なことに、この「おしゃべり歌謡曲」については、インターネット上にもまったく情報があげられていない。

こちらの方は、生放送ではなく、収録であったが、当時のNHKラジオにしては、めずらしく肩の力の抜けた番組だった。といって、決してゆるい番組というわけではなく、構成がとてもしっかりしていた。

この番組の構成は、知る人ぞ知る「小山田満月」である。

そういえば、昔のラジオって、最後にスタッフの名前を読み上げていたよなあ。今でもやってる番組あるのかなあ。大沢悠里さんの番組くらいか?

僕が唯一、ラジオ番組にハガキを送ったのは、この「おしゃべり歌謡曲」だった。

近石さんのお喋りの特徴は、「日常の延長」という一言に尽きる。何でもない話題を、ふつうに喋る。実はそれが、いちばん難しい話術なのではないか、とも思う。

近石さんは、ラジオパーソナリティー全盛期には月曜から金曜まで、TBSラジオの朝の生ワイド番組とNHKラジオの夜の番組の、二つの帯番組を持っていた。たぶんこんなラジオパーソナリティーは、ほかにはいない。

そして86歳になった今も、「はがきでこんにちは」という5分番組を、細々と続けている。

この方を「ラジオの神様」と言わずして、何と言おう。

さて、近石さんは80年代半ば頃から、芝居に専念するという理由だったかで、ラジオの世界から撤退された。

その後、TBSラジオは、平日朝8時半から夕方4時までの超大型ワイド番組「スーパーワイドぴいぷる」(1985年4月~1986年4月)を鳴り物入りで始めるが、これがビックリするくらいの大失敗に終わり、わずか1年で打ち切り。後番組として「大沢悠里のゆうゆうワイド」が始まるのである。

ま、わからない話はこれくらいにしよう。

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編集者体験

職場の広報誌の編集委員を仰せつかっている。

任期は2年で、今年が2年目である。

任期中に、2冊分の編集を担当しなければならない。

昨年、1冊出したのだが、これが実にタイヘンだった。編集者って、タイヘンだなと思った。

そして今年、いよいよ2冊目の担当である。

まず、担当号の特集記事の企画を考えて企画書を作り、企画会議にかけなければならない。

その企画会議の前に、特集記事を書いてくれそうな人6名をあらかじめ選定し、執筆の内諾を取り付けなければならない。その上で、企画会議に企画書を出すのである。

特集記事の6名だけではない。コーナーの執筆も依頼しなければならない。ということで、10名ほどの執筆者を選定し、内諾をもらわなければならないのである。

執筆者は、職場の人間とは限らない。職場の人間だと頼みやすいが、私などは、できるだけ職場の人間ではない人に執筆してもらおうと考えている天邪鬼なので、かえって交渉に手間がかかったりする。

執筆の内諾をいただいたあとに、断られることも稀にある。その場合は、すみやかに別の執筆者を探さなければならない。

こうしてなんとか執筆者と仮タイトルが決まった上で、企画会議に企画書を提出する。

企画会議でOKが出れば、すぐに正式な執筆依頼をかける。

広報誌なので、わかりやすい文章を書いていただくようにお願いする。

また、全編カラーなので、図版もたくさん掲載しなければならず、図版の提出も合わせてお願いする。

さらに定期刊行物なので、設定した締切を厳守していただくようお願いもする。

原稿を待っている間は、やきもきする。

本当に原稿を送ってくれるだろうか?と。

締切を過ぎても原稿が来ないと、催促のメールを出さなければならない。

次の編集会議までに、原稿が出そろうだろうか?と、心配になる。

原稿が集まると、ホッとするのも束の間、編集会議で読み合わせをして、修正すべきところがないかをチェックする。

修正点があれば、執筆者に修正をお願いしなければならない。

制限字数よりも大幅にオーバーした原稿が来る場合もある。

もちろん執筆者にお願いして削ってもらうのだが、執筆者がお忙しいときは、稀に、編集担当の方で制限字数に合わせて原稿を調整することがある。

最大の問題は、図版である。図版は、全部の原稿に必ずついているので、全部で60点ほどにのぼる。

昨今は図版の掲載許可が厳しくなっている。図版の一つ一つについて、掲載許可の手続きをしなければならない。

はたして、広報誌の発刊までに、すべての図版は入手できるのか?そしてその掲載許可は下りるのか?

これらの作業を、編集事務担当の方と二人三脚で行う。

「図版の許可が、すべて下りました」

「そうですか。今回は、前回よりもスムーズに進みましたね」

「そうですね」

というわけで、いろいろと細かなトラブルはあったものの、ようやく校了した。

あとは納品を待つばかりである。

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さだ研

5月21日(日)

近所を散歩していると、7~8名の若者が輪になってなにやら話をしている光景に出くわした。

近づいていって見ると、そのうちの数名が同じTシャツを着ていて、そのTシャツの背中には、

「さだまさし公認 早大さだ研」

と書かれている。

あの「さだまさし研究会」か!

話には聞いたことがあるが、ホンモノを見るのは初めてである。

円陣を組んで話している内容を聞いてみると、どうやら、今日一日はこの近くを歩きまわっていたらしく、それが終わり、解散式をしているところらしい。

「では、次回は高田馬場で、新歓コンパです」

と、幹事らしき人が言っていた。

今日は新入生をまじえて、勧誘を兼ねた「さだまさしツアー」だったのだろう。

ではなぜ、「さだ研」のメンバーがこの町を訪れたのだろうか?

さだまさしとこの町がゆかりが深いことは、私自身もなんとなく知っている。さしずめ、さだまさしとゆかりの深い「聖地」をめぐるツアーだったのではないだろうか?

そう思って、あとで調べてみると、「さだ研」の公式ツイッターがあることを知り、私の予想は的中した。ツイッターには、聖地巡礼の様子があがっていたのである。

面白かったのは、その「聖地」である。

「さだまさしが北原白秋の本を買った古本屋さん」

とか、

「さだまさしがバイオリンを質に入れた質屋さん」

といったところをめぐっていた。

「さだまさしが北原白秋の本を買った古本屋さん」は、私も20年近く前に何度か通ったことがある。

ただ、今日が日曜日だったために定休日だったり、長い月日がたっているためすでに店じまいしているという店がほとんどだったようだ。

大学生7~8人が、町をぶらぶら歩きながら、なんの変哲もない、シャッターがおりた店の前で立ち止まり、

「ここが、さださんが白秋の本を買った古本屋なんですねえ」

などと感慨にふけっている姿を想像すると、なんとも微笑ましく思ったのである。

こういう大学生は、大事にしないと!絶滅危惧種になってしまうぞ。

しかし、である!

ツイッターにはあがっていなかったが、この町を訪れたんだったら、絶対に訪れるべき店がありますぞ。

さださんのサインが飾ってある韓国料理屋さんを、私は知ってるのだ。しかもそこは私の行きつけのお店!

そこもまた、聖地ではないか?

そのお店でコンパをやることを提案すればよかったかなあ。

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メッセージ

5月20日(土)

寝起きの状態で、映画館に連れて行かれる。

320何もわからないまま映画館に入り、見たのは、「メッセージ」という映画だった。

いわゆる「ファーストコンタクトもの」といって、地球の外にいる地球外知的生命と地球人とのはじめての出会いを描いた映画である。

そもそも、地球外知的生命と地球人とは、まったく言葉が通じない。

そこで、ある言語学者に白羽の矢が立ち、相手側の言語を理解しようとする。

もちろん、最初は相手の言葉がまったくわからないのだが、試行錯誤していくうちに、どうやら相手が使っていたのは、表音文字ではなく、表意文字であることに気づく。

そのおかげで、文字のパターンを解析することが可能になり、少しずつ、コミュニケーションが可能になっていく。

しかし、細かなニュアンスが、わからない。

相手側は、どうやら「武器を使う」みたいな表現をしているのだが、これが何を意味するのか?

戦争を始めるという意味なのか?

武器を供与しろという意味なのか?

武器を与えるという意味なのか?

あるいは、ただたんに、「武器」を「道具」と同じようなニュアンスで使っているのか?

地球人たちは、「武器」という言葉に過剰反応し、次第に疑心暗鬼になりはじめ、なかには地球外知的生命へ宣戦布告をする者もあらわれた。

はたして、地球外知的生命は、どんなメッセージをひっさげて地球にやって来たのか?

…このあたりは、黒船来航を彷彿とさせるような話である。

しかしこの映画のキモは、どうも、そこではない。

劇中で起こる、どんでん返しの部分に、この映画の本質がある。

(だまされたのは、俺だけか?)

と思って、おそるおそる妻に聞いてみると、勘のいい妻でさえ、

「私もだまされた」

といっていたから、たぶん、見ているみんながだまされたのだろう。

「ハッピーターンみたいな形の宇宙船でやってきた、タコみたいな地球外知的生命体が、タコスミを使ってコーヒーカップをテーブルに置いたときにできる円形のシミみたいな文字を書いて、地球人とコミュニケーションをとろうとする話」

なのだが、これだけ書いても、何のことやらわからないだろう。

思った以上に、複雑で深遠な物語である。

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確信

最近、世を騒がしているニュース。

Nという会社が、Mという会社をそそのかして、「最高権力者の意向だ」とかなんとか言って、特例措置を認めさせたという話。

ある人から聞いた話を思い出した。

少し前、M社からある会社に出向していたやつが、まあヒドイやつだった。

俺は権力の中枢の人間だ、というような顔をして、その会社の「下々の者」を徹底的に見下していた。パワハラの常習者でもあった。

そのくせ、上の人間には徹頭徹尾媚びへつらう。

ま、典型的な「クズ」なのである。

そいつが、2年ほどで、別の会社に出向した。こんどはN社にである。

聞くと、どうもそいつは、M社でもお荷物だったらしく、あちこちをたらい回しにされているらしい。

で、どこも引き取り手がなく、最終的にN社に出向した、というのである。

N社には、そういう部署があるらしい、と、もっぱらの噂だった。

N社が大企業であることには違いない。本人は、意気揚々と移っていったが、実際は、部下が誰ひとりいないような部署で、人材の墓場のようなところなのだ、と。

で、昨今のニュースを見て、確信した。

N社がいま、権力者の手足となってあれこれと動いているのは、そういう連中が集まっているからではないか?と。

その業界には一定程度、その種の価値観を持つ連中が存在するのである。そういう連中の巣窟なのではないか?N社というところは。

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新・黒い霧

憂鬱なニュースばかりだな。

松本清張が生きていたら、『昭和史発掘』なみのシリーズものが書けるのではないか。

世界的な体育大会招致のための賄賂疑惑とか、

学校の設置認可をめぐる不可解な動きと組織ぐるみの隠蔽工作とか、

再稼働を強引に推し進める人たちのさまざまな利権とか、

暗黒社会へと転落する契機となりうる法律の制定をめぐる大臣の意味不明な答弁とか、

大国に対する過剰な追従政策を進めた結果、国内の特定の地域に理不尽な負担と犠牲を強いるだけでなく、反対派を暴力で弾圧することに躊躇しない権力とか、

やんごとなき一家の継承問題をめぐる、特定のイデオロギーをもつ人たちの世論誘導とか、

残すべき記録をいとも簡単に廃棄することを堂々と公言するトップ官僚とか、

違法性の高いカネの授受が行われた可能性がきわめて濃厚であるにもかかわらず、閣僚という理由でいとも簡単に隠蔽されてしまうとか、

「ならず者国家」の不始末を自らの政権維持に利用する現政権とか、

最高権力者をめぐる宗教スキャンダルとか、

狂信的なイデオロギーを草の根的に広めていく組織と、票になるという理由でそれにどっぷりとかかわる政治家たちとか、

最高権力者の腹違いの兄が怪死するとか(あ、これは別の国か)

…とまあ、ニュースにまったく疎い私ですら、これだけの「黒い霧」が、今の社会にかかっている。

時代は今、『昭和史発掘』がターゲットにした時代と、うり二つなのだ。

松本清張のような強烈な筆力を持つ作家は、現代ではもう望むべくもないから、複数の作家で、松本清張の『昭和史発掘』や『日本の黒い霧』に匹敵するようなシリーズを作れませんかねえ。

何人かでよってたかって頑張れば、松本清張1人分くらいの力になると思うのですが…。

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新幹線の乗りすぎに注意!

5月18日(木)

ラジオパーソナリティーの伊集院光が、10年間続いたTBSラジオの日曜午後のワイド番組「日曜日の秘密基地」を降板したのが、2008年3月である。

人気番組だっただけに、あっさりと降板してしまったことに対して

(ついにラジオの世界から撤退しちゃうのかなあ)

と思ったりしたものだが、このとき、TBSのアナウンサーだった安住紳一郎が、涙を流しながら、

「僕がもしTBSで偉くなったら、必ず伊集院さんを最高の待遇でラジオにお迎えします」

と伊集院光に言ったというのは、有名なエピソードである。

それから8年ほどたって、伊集院光は大沢悠里の跡を継いでTBSラジオの朝の帯番組を担当した。

安住紳一郎が偉くなるのを待つまでもなく、彼は安住が望んでいたようなTBSラジオの顔となったのだ。

僕はこの一連のお話しを、なんとなく自分の人生の指針としているのだが、おそらく他人からみたら、かなりわかりにくい話だろうな。

さて、それはともかく。

昨日の新幹線日帰り出張に続いて、今日もまた、新幹線日帰り出張である。今日の行き先は、「前の勤務地」である。

午後から始まる15人ほどの会議には、以前に一緒に仕事をした人たちが何人かいて、こういう形で縁が続くのはありがたいと思うばかりである。

その会議の参加者の中に、とても若い人がいて、どこかで見た顔だなあと思ったら、僕が「前の職場」の最後の年に、1年生向けの授業に出ていたFさんだったことを思い出した。

1年生向けの授業には、100人くらいの学生がいたのだが、その中でもFさんはとりわけ印象深い学生だった。

Fさんが2年生になったときに、私は「前の職場」を去ってしまったので、その後の動向はわからなかったのだが、Fさんはこの3月に卒業して、この市の職員として働き始めたというのである。

で、このたびの会議では、上司の代理として出席したというのだ。

学生が社会に出たあと、教員と対等な立場で仕事をするようになる、というのは、ある意味、教員冥利に尽きるものである。

さらに驚愕の事実を知る。

Fさんの今の部署にはUさんがいて、しかも同じ部屋の隣の席だというのである。

Uさん、というのは、「同い年の盟友・Uさんの奥さん」のことである。

このブログのヘビー読者だった、「同い年の盟友・Uさんの奥さん」ですよ!

なんと世間は狭いことか!

…さて、会議は滞りなく終わり、かつての仕事仲間で、いまはこの会議の会場となった施設に勤めているSさんから、

「せっかくですから、お時間がありましたら今うちで開催している『○○』を見てください」

ということで、招待券をもらった。

恥ずかしいことに、「○○」が毎年東京で開催されていることはなんとなく知っていたが、いままでちゃんと見に行ったことはなかった。

この会議が行われた施設で行われている「○○」というのは、その地方版ということで、地元の方の作品が展示されているということらしい。

僕にとっては無名な人たちばかりの作品なのだが、見ているうちにすっかり引き込まれてしまった。

芸術に無名も有名も関係ないのだな。

短い滞在時間だったが、いろいろなことを考えさせられた1日だった。

…うーむ。今日の文章は、何が言いたいのかちっともわからない。

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吾輩は猫でした

密室の猫

5月17日(水)

大阪への日帰り出張の帰り、妻から連絡が入った。

妻の実家で飼っていた雄の老猫が、今日、老衰のため息を引き取ったという。

享年18歳。

大往生、というべきであろう。

結婚する前から、その猫は妻の実家で飼われていたので、私はその猫よりもあとに家族になった、新参者である。

猫は、自分が家族の中でどの位置にいるかを、よく知っていた。もちろん私は、猫よりも序列が下だった。噺家でいえば、猫の方が「あにさん」である。

妻と妻の実家の人たちは、文字通り猫っかわいがりしていた。家族の一員だった。

2年ほど前からだったか、後ろ足が急速に弱くなったみたいで、後ろ足を引きずって歩いたりしていた。

先週あたりから、食事ものどを通らなくなったようだったが、妻と実家の人たちの看病もむなしく、本日、旅立ったのである。

110708_212401名前を、マーブルといいます。

合掌。

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今日は通訳係

5月16日(火)

夕方に職場を出て、新宿に向かう。

少し前、ある社長に、

「こんどうちの職場に、韓国からお客さんがふたりほど表敬訪問に来るのだが、一緒に会食に参加するように」

と言われた。つまりは外交儀礼をやるということらしい。そこに同席しろということのようだ。

「はぁ」

事情もよくわからずに会食会場に向かうと、日本側の会社はその社長と部下2人、韓国側の会社は社長とその随行員、そして私を含めた計6人での会食だった。

私はいわば、まったくの部外者である。

どうして部外者の私が呼ばれたのか、不思議だったのだが、どうやら通訳をやれということらしい。

日本側の3人はまったく韓国語がわからないし、韓国側の2人もまったく日本語がわからないようなのだ。

ということで、会食をしながら、通訳の仕事に徹することにした。

どうやら、両者はほぼ初対面のようで、どのように話題を出していいのか、お互い考えあぐねているようである。

この場合難しいのは、私はまったくの部外者なので、私が目立つような話題をしてはいけないということである。

かといって、座が持たないのも困る。

あまり話題がないのか、日本側の人たちは、何度も同じ話をしようとする。

だがこういうとき、いわれるがままに何度も同じ話を相手に通訳するのは、なんとなく気が引ける。

そこで、通訳をしているふりをして、別の(たわいもない)話題を先方にもちかける。

それに対して、韓国の方がいろいろとお話になる。

そのお話しを、日本側の人たちに伝える。

そんなふうにして、なんとか座が持つようにした。

うまくいったかどうかわからないが、ひとまず会食が終了。

今回は、本当に純粋に通訳の仕事だった。

気を張りすぎてヘトヘトになったが、おかげで百貨店14階の有名老舗料亭の高級和食料理を、ごちそうになった。

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絶対に薦められる大林映画

絶対に薦められない大林映画

峰岸徹のダンディズム

誰もわからない映画評論

そういえば、大林宣彦監督の映画「異人たちの夏」について、このブログの中で書いたことがなかった。

「異人たちとの夏」は、大林監督にしてはめずらしく誠実に撮った映画である。

ここでいう「誠実に」というのは、原作や脚本に対して、という意味である。

山田太一の原作、市川森一の脚色、これだけでも夢のような世界観なのだが、大林監督は原作や脚色の世界観に敬意を表しつつ、実に見事な映像表現を成功させた。

もう一作、めずらしく誠実に撮った映画がある。それが「青春デンデケデケデケ」である。

だからこの2つの作品だけは、安心して他人に薦められる。

ちなみに、誠実に撮らなかった映画の代表例が、楳図かずお原作の「漂流教室」である。

まあそれはともかく。

舞台は、浅草である。浅草をこれほど美しく描いた映画はない。

主演の風間杜夫、片岡鶴太郎、秋吉久美子の3人がすばらしいことはいうまでもないが、この映画は、登場するすべての人がいとおしく思えてくるような映画である。

私が好きなのは、本多猪四郎監督が扮する浅草のやつめうなぎ屋の親爺のセリフ。

「長生きをしなさい。ご油断なく」

たった一言のセリフだが、なんとも味わい深く、じーんとくる。

この映画でいちばん感動的なのは、風間杜夫が、幼い頃に不慮の事故で死んだ両親(片岡鶴太郎、秋吉久美子)の幽霊?とすき焼きを食べる場面。

日本映画史上に残る屈指の名場面である。

ここで観客のカタルシスは最高潮に達する。

子の親に対する思い、親の子に対する思いがあふれ出すのである。

…と、ここまで書いてきてはたと気づく。

この場面が効果的なのは、両親が死んだ当時のままの姿だ、ということである。

子の風間杜夫が、両親に対してことさら強い愛情を持ち得たのは、両親が変わらない姿で目の前にあらわれたからではないのか?

子が抱いていた幻想通りの両親の姿が、そこにあったのである。

決して戻り得ない過去への悔恨と憧憬は、大林映画の真骨頂であり、それが、原作や脚色との親和性をもたらしたのであろう。

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友だちリクエストの返事が来ない午後

ひどく疲れているので、あまり気の利いたことが書けない。

コラムニスト・小田嶋隆さんの『友だちリクエストの返事が来ない午後』は、私にとっての「友だち論」のバイブルである。

その最終章、「第24章 友だちはナマモノだよ」に書かれている最後の言葉は、どうにも救いようがない。

「ただ、友だちは、ナマモノなのだ。

化石として鑑賞することはできるし、ガラスケースに入れて展示することもできるだろう。

でも、もはや、一緒に遊ぶことはできない。

大学時代に行き来のあった連中が、何人か、典型的なネトウヨになっている。

その情報を、私はフェイスブックで知った。

人は歳を重ね、成長し、変更して行く。

結果として、古い友だちの多くは、それぞれに、別の道を歩むことになる。仕方のないことだ。

一生の友だちがいるのだとしたら、そいつは、成長も老化もしない人間で、つまり、死んでいるということだ。

ひどい結論になった。合掌」

この文章を最初に読んだとき、ひどいことを書くなあ、と思った。こんなことを書いたら、身も蓋もないじゃないか、と。

しかしその後、私自身も、学生時代の友だちに何十年ぶりかに会ったとき、その人が典型的なネトウヨになっていたことを知り、

「人は歳を重ね、成長し、偏向していく」

の言葉を、噛みしめたのであった。

そのときから、友だちというものに対する僕の幻想が打ち砕かれて、小田嶋さんが書いていたことが、ようやく理解できるようになった。

小田嶋さんは、僕よりもひとまわり以上、年上の人なので、そういう体験をすでに何度もしてきたということなのだろう。

「一生の友だちがいるのだとしたら、そいつは、成長も老化もしない人間で、つまり、死んでいるということだ」

という言葉は、読めば読むほど、深いことを言っているように、最近の僕は、そう思う。

ひどい結論になった。合掌。

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やんごとない場所へ

5月11日(木)

公用車を運転して、都内の「やんごとない場所」まで行かなければならない。

ま、年に一度の儀式みたいなものである。

前回は、空港にお客さんを迎えに行くために公用車を運転したため、道路事情もそれほど複雑ではなかった。

だが今回は、少し難易度が高い。なにしろ、首都高速を使ったり、都内の道路を走ったりしなければならないのである。しかも8人乗りの大型のバンで、である。

さらに目的地が「やんごとなき場所」とくれば、絶対に事故を起こしてはならないのだ。

2回目とはいえ、すっかり公用車の運転手が板についてしまった。

以前、片田舎の私立大学に勤めていた知り合いの先生の話を聞いたことがある。

その大学は、人件費をドンドン削っていって、職員さんがドンドンいなくなってしまうので、最後はその先生が公用車の運転手をするようになってしまった。

そのことに嫌気がさし、その先生は、その大学をやめてしまった、というのである。

そのときは、

「へえ、そんあことがあるものなのか」

と思っていたが、まさか自分がそうなるとはねえ…。

朝9時15分、職場を出て、高速道路をひたすら西に向かう。

途中、首都高速の例のジャンクション付近が渋滞していたが、職場を出てから1時間15分ほどして、ほぼ予定の時間通りに、「やんごとない場所」に着いた。

都内のど真ん中である。

車でその場所に入るには、かなり厳しい手続きが必要である。

まず、車のナンバーをあらかじめ届け出なければならない。

車に誰が乗っているかについても、一人一人名前を事前に届け出なければならない。

当日、現地に着くと、身分証明書を提出し、必要事項を書き、本当に先方と約束しているかどうかを確認とった上で、はじめて門が開き、晴れて中に入ることができるのである。

無事、クリアして中に入る。

30分ほどの「儀式」を行い、今年の「儀式」は無事に終了した。

公用車に乗って門の外に出る。

解放された気分だ。

「じゃ、僕は都内で用事がありますので」

と、一緒に乗っていた同僚とは、門を出て少し進んだところで、解散した。

一人残された私は、職場に公用車を戻しに帰らなければならない。

一人で首都高速に乗り、来た道を引き返す。

1時間少しかかって、職場に戻り、公用車を返した。

ドッと疲れが出て、午後はあまり仕事にならなかった。

そうとう、神経をはりつめていたのだろうな。

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イチオシ!

最近、ラジオ番組でイチオシなのは、TBSラジオの「神田松之丞 問わず語りの松之丞」である!

3月の末頃だったか、夜にたまたまラジオをつけていたら、聞き慣れない男の人がフリートークをしていて、そのトークに引き込まれていった。

(これは、久々にキタな…)

これぞ、私が探し求めていたパーソナリティーである。

「TOKYO JUKEBOX」のパーソナリティーは、みんななんとなく上から目線で、聴いていてあんまりなじめなかった。

それにひきかえ、この人は違う。

神田松之丞…。初めて聞く名前である。

その名前から、講談師であることはすぐにわかる。

どうも新進気鋭の講談師らしい。

だが、そうした伝統芸能的な話題とは裏腹に、実になんというか、徹頭徹尾マイナス思考で、被害妄想の固まりなのである。

講談師だけに、しっかりした話芸に裏打ちされた「愚痴芸」なので、愚痴芸の完成度が高い。

マイナス思考、被害妄想、愚痴、自虐、嫉み、他人に対するさりげないディスり…。

このブログの読者であれば、絶対にハマるラジオ番組に違いない。

あとで調べてみたら、私が聞いていたのがパイロット版で、その後、4月から土曜日の深夜に30分のレギュラー番組を始めたとのことだった。それが「問わず語りの松之丞」である。

4月から6月までの、3か月限定の番組なのだという。実に惜しい。

TBSラジオクラウドで聴くことができるので、ぜひご試聴を!

なじめなかったら、ごめんなさい。

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会議とは闘いである

最近は帰宅するといつの間にか気絶するように寝てしまうので、ブログを更新する時間がない。

5月9日(火)

月に一度、都内で「気が重い会議」に出席している。いまの職場から「おまえが行け」といわれたので、出席しているのである。

ただ座っていればいい、という会議ではなく、「お上」の意向と、現場の声を調整するというのが、主な仕事である。

一歩間違うと、上意下達という仕事で終わってしまう恐れがあるのだが、私としては、できるだけ現場の声を伝え、ひとつでも多く、「お上」から改善を約束する言葉を引き出すことをめざすことにした。

ほとんどの場合は「のれんに腕押し」なのだが、ひとつでも勝ち取ればよし、と考えることにした。

理想に向かうためのさまざまな意見が雲散霧消することは、この会議でもまたご多分に漏れないが、私はこれまでの経験から、どんな会議においても志を同じくする人が必ずいることを知っている。

どんな会議においても、である。

反論があるかも知れないが、そう思わないとやっていけないので、そう思うことにしている。

そこから風穴を開けていくしか、道はないんじゃないか?

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Don’t shut your eyes!

だんだんブログを書く気力を失っているのだが。

星野源、という人がかなりの人気らしい。

僕が星野源を初めて認識したのは、園子温監督の映画「地獄でなぜ悪い」に出演していたのを見たときだった。

そのときのエンディングテーマ曲が、すごくよかったのだが、たぶん地上波ではあまり歌われないのだろうな。

その星野源が、細野晴臣に傾倒していたことを、つい最近、知った。

なるほど、そう言われてみれば、星野源の曲は、ホソノさんの初期の曲のテイストに、なんとなく近いと感じることがある。

たしかな情報かどうかはわからないのだが、星野源とホソノさんとの対談か何かで、ホソノさんが星野源に一つだけアドバイスしたという。

「目をつむって歌わないように」

この話を聞いて、なるほど、と思った。

目をつむって歌うということは、自分に陶酔する、ということなのではないか。

そうあってはならない、というのが、ホソノさんのアドバイスの中にあるのではないだろうか。

それで思い出したことがある。

僕は学生時代、サックスをやっていたが、ソロなんか任されると、下手くそなくせに目をつむって演奏したりしていた。

あれはたぶん、自分に酔っていたのだろうな。

ところが、僕が神様とあがめているジャスサックス奏者のナベサダ(渡辺貞夫)さんは、絶対に目をつむって演奏しない。

どんなにメロディアスな曲でも、どんなにアドリブが盛り上がっても、絶対に目を見開いて演奏しているのだ。

そうか、ナベサダサんは、決して自分に陶酔しなかったんだな。

だから僕は、ナベサダさんの演奏が大好きだったのだ。

その一方で。

国民的にとても人気のあり、音楽のクオリティーも高く、どちらかといえばアーティストというべきバンドがあって、そのバンドの熱烈なファンだと公言すると、なんとなく「イケてる人」みたいな感じになるのだが、僕はそのバンドの音楽が、どうしてもなじめなかった。

もっといえば、そのバンドの熱烈なファンであると公言する人をみると、僕はなんとなくその人を信用できなくなるほど、どん引きしてしまうのだ。

もっとも、そのバンドは国民的な人気を誇るバンドなので、僕のような人間はかなりひねくれた人間ということになるのだが、僕がなぜ、その国民的なバンドとその熱烈なファン層を好きになれないかが、ようやくわかった。

それは、

「彼は目をつむって歌う」

からだ!

もちろん、音楽に陶酔することじたいは悪いことではないのだけれど、僕はそこに、なんとなく自己陶酔のにおいを読み取り、さらにはその自己陶酔と一体化する熱烈なファンに対しても強烈な違和感を抱いてしまったのだろう。

ま、そんなことがわかったところで、どうということもないのだが、自分の中にある無自覚な好き嫌いの基準が、なんとなくわかった気がして、ほんの少しだけ溜飲が下がった思いがしたのである。

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居酒屋でスクワット

5月5日(金)

毎年恒例の、高校のOBによる吹奏楽の演奏会。

「どうして毎年毎年、5月の連休の真ん中に演奏会なんかするんだろうね」

「…うん」

「で、毎年毎年、よく聴きに行くわね」

「…まあね」

「そんなに聴きに行くなら、いっそ演奏会に出ればいいのに」

「…うん」

いまの仕事の状況じゃ、そんな時間などまるでないことは、家族がいちばんよく知ってることである。

申し訳ないと思いつつ、家族旅行を途中で切り上げて、車で演奏会場に向かう。

演奏会を聴きに行ッたり、舞台裏に挨拶に行ったりすると、高校時代の部活動の、いい思い出とイヤな思い出が、同時に蘇る。

演奏会の後は、恒例のゼロ次会である。

年々しんどくなるのだが、まあ1年に1度のことであるし、仕方がない。

ひとり、まったく見覚えのない人が混じっていた。

色の浅黒い、体格のいい男性である。

他の人とも、楽しげに話している。

(高校の部活にこんな人いたっけ?)

いくら思い出そうとしても、思い出せない。

とうとう俺の記憶も失われつつあるのか、と思っていたら、その人は、私と同期のM君の友人なのだという。

高校時代の部活にまったくゆかりのない人なのだが、今回、M君に連れられて演奏会を聴きに来たのだという。

I君と名乗るその人は、われわれよりもずっと年下なのだが、実に人当たりがよく、気遣いのある人で、いつのまにかわれわれのグループに溶け込んでいた。

さて。

医者をしているM君に会ったら聞こうと思っていたのは、

「どうしたら健康的に痩せられるのか?」

ということであった。

最近の私は、すこぶる体調が悪く、ことによるとこれは余命幾ばくもないかも知れない、などと勝手に思い込んでしまっているのである。

少しでも長生きをするには、体重を減らすしかないと、藁にもすがる思いでその方法を聞いてみたのである。

曰く、

「葉物野菜をとりなさい。野菜スープで摂取するのがいちばんよろしい」

とのことであった。

「じゃあ運動はどうすればいい?腹をへこませるには、やっぱり腹筋がいいのかな?」

と聞くと、

「それは違う」

という。

「足の筋肉を鍛えることだ」

というのだ。

「足の筋肉?どうすれば…」

といいかけると、

「スクワットですよ!」

と、M君の友人であるI君が言った。

「スクワット?」

「こうするんです」

といって、I君は立ち上がって、スクワットの見本を見せてくれた。

「両手を頭の後ろに組んで、背筋を伸ばして、お尻を突き出す感じで、ゆっくりと膝を曲げていきます」

I君のスクワットを見ていると、

「では、やってみてください」とI君。

「いま、ここで?」

「あたりまえじゃないですか!」

私はしぶしぶ椅子から立ち上がった。

「では、両手を頭の後ろで組んでください」

両手を頭の後ろで組んだ。

「両足は、肩幅の位置です」

両足を肩幅の位置でそろえた。

「背筋を伸ばして、お尻を突き出すような感じで、膝を曲げてください」

言われたとおりにしてみると、

「ダメダメ!やり直し!」とI君の声。

「前屈みにならずに、背筋を伸ばしてください」

「こんな感じ?」

「もっともっと!」

I君が、人が変わったように急に厳しくなった。

「ひざを90度まで曲げて!曲げが足りない!もっともっと!」

言われるがままに膝を曲げる。

「そうそう!それでいいです!」

スクワットには、妥協を許さない人のようである。

「さ、もう1回!」

「はい」

何度かくり返しただけで、完全に息が切れてしまった。

「ハァハァ、…これを、どのくらいやればいいのですか?ハァハァ」

「20回を3セットです」

ええええぇぇぇぇぇっ!!!

「20回を3セットですか?」

「そうです」

かなりつらい。

居酒屋の一角は、ちょっとしたスポーツジムと化したのである。

まわりの連中は、私の姿を見て、ゲラゲラと笑い出した。

いつもそうだ。

俺が飲み会によく誘われるのは、俺が人気者だからではない。俺を笑いものにしようと思う連中ばかりだからなのだ。

まあ今に始まったことではないので、あまり考えないことにした。

「よかったな。これで今日のブログのネタができたじゃないか」と、私と同期のS君が言った。

「このことを書けってか?」

「タイトルも決まったぞ。『居酒屋でスクワット』ってのはどうだ」とS君は提案した。

「全然ひねりのないタイトルだな」

私がそんな寒いタイトルを採用するはずがないではないか!

結局また今年のゼロ次会も、さんざんからかわれて終わったのであった。

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富士山のビュースポット

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さながら3本の桜が話し合いをしている

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