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友だちリクエストの返事が来ない午後

ひどく疲れているので、あまり気の利いたことが書けない。

コラムニスト・小田嶋隆さんの『友だちリクエストの返事が来ない午後』は、私にとっての「友だち論」のバイブルである。

その最終章、「第24章 友だちはナマモノだよ」に書かれている最後の言葉は、どうにも救いようがない。

「ただ、友だちは、ナマモノなのだ。

化石として鑑賞することはできるし、ガラスケースに入れて展示することもできるだろう。

でも、もはや、一緒に遊ぶことはできない。

大学時代に行き来のあった連中が、何人か、典型的なネトウヨになっている。

その情報を、私はフェイスブックで知った。

人は歳を重ね、成長し、変更して行く。

結果として、古い友だちの多くは、それぞれに、別の道を歩むことになる。仕方のないことだ。

一生の友だちがいるのだとしたら、そいつは、成長も老化もしない人間で、つまり、死んでいるということだ。

ひどい結論になった。合掌」

この文章を最初に読んだとき、ひどいことを書くなあ、と思った。こんなことを書いたら、身も蓋もないじゃないか、と。

しかしその後、私自身も、学生時代の友だちに何十年ぶりかに会ったとき、その人が典型的なネトウヨになっていたことを知り、

「人は歳を重ね、成長し、偏向していく」

の言葉を、噛みしめたのであった。

そのときから、友だちというものに対する僕の幻想が打ち砕かれて、小田嶋さんが書いていたことが、ようやく理解できるようになった。

小田嶋さんは、僕よりもひとまわり以上、年上の人なので、そういう体験をすでに何度もしてきたということなのだろう。

「一生の友だちがいるのだとしたら、そいつは、成長も老化もしない人間で、つまり、死んでいるということだ」

という言葉は、読めば読むほど、深いことを言っているように、最近の僕は、そう思う。

ひどい結論になった。合掌。

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