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絶対に薦められる大林映画

絶対に薦められない大林映画

峰岸徹のダンディズム

誰もわからない映画評論

そういえば、大林宣彦監督の映画「異人たちの夏」について、このブログの中で書いたことがなかった。

「異人たちとの夏」は、大林監督にしてはめずらしく誠実に撮った映画である。

ここでいう「誠実に」というのは、原作や脚本に対して、という意味である。

山田太一の原作、市川森一の脚色、これだけでも夢のような世界観なのだが、大林監督は原作や脚色の世界観に敬意を表しつつ、実に見事な映像表現を成功させた。

もう一作、めずらしく誠実に撮った映画がある。それが「青春デンデケデケデケ」である。

だからこの2つの作品だけは、安心して他人に薦められる。

ちなみに、誠実に撮らなかった映画の代表例が、楳図かずお原作の「漂流教室」である。

まあそれはともかく。

舞台は、浅草である。浅草をこれほど美しく描いた映画はない。

主演の風間杜夫、片岡鶴太郎、秋吉久美子の3人がすばらしいことはいうまでもないが、この映画は、登場するすべての人がいとおしく思えてくるような映画である。

私が好きなのは、本多猪四郎監督が扮する浅草のやつめうなぎ屋の親爺のセリフ。

「長生きをしなさい。ご油断なく」

たった一言のセリフだが、なんとも味わい深く、じーんとくる。

この映画でいちばん感動的なのは、風間杜夫が、幼い頃に不慮の事故で死んだ両親(片岡鶴太郎、秋吉久美子)の幽霊?とすき焼きを食べる場面。

日本映画史上に残る屈指の名場面である。

ここで観客のカタルシスは最高潮に達する。

子の親に対する思い、親の子に対する思いがあふれ出すのである。

…と、ここまで書いてきてはたと気づく。

この場面が効果的なのは、両親が死んだ当時のままの姿だ、ということである。

子の風間杜夫が、両親に対してことさら強い愛情を持ち得たのは、両親が変わらない姿で目の前にあらわれたからではないのか?

子が抱いていた幻想通りの両親の姿が、そこにあったのである。

決して戻り得ない過去への悔恨と憧憬は、大林映画の真骨頂であり、それが、原作や脚色との親和性をもたらしたのであろう。

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