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2017年6月

相も変わらず…

鬼瓦殿

また、ドツボにはまってるようですね。

他人の個人的見解で悩んでいたらキリが有りません。苦言を呈する本人自体も他の人から何を言われているかわかりません。サラリーマンも一緒で、ある面から評価されても、他の面からはああだこうだ言われたりします。もう人生の後半に入っているのですから、そろそろ我が道を行けば良いのではないですか。見てくれている人はちゃんと評価してくれるのですから。

ちなみに、メールは本当に酷いですね。人の都合を一切無視して自分本位で発信してきますからね。そういう輩は無視してやればいいんです。でも、サラリーマンの私は無視出来ない悲しい境遇です。

ということで悩まず自分を信じて行動して下さい。

では、ごきげんよう。

酔っ払いのコバヤシ(※)より

(※)高校時代の友人・元福岡のコバヤシ

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マイナス思考

体調が悪いのに、よく働くねぇ。

今日は1日、仕事のことを忘れて休もう、と思っても、矢のようにメールが来る。

やっかいなものから簡単なものまで。

やっかいなものは、たとえば、職場の事業の関係で、韓国に送るメールを、日本語から韓国語に翻訳するという仕事。これはけっこう時間がかかる。

翻訳を依頼してくる人は、僕をまるでネイティブなみに韓国語ができると思っているらしいが、偉い肩書きの方にメールを書く、というのは、日本語だって大変なのに、それを韓国語で書くというのは、もっと大変なのだ。

簡単なもの、というのは、ちょっとした問い合わせ。

ちょっとした問い合わせでも、塵も積もれば山で、1行の返信を書くだけでも、面倒な気持ちになる。

結局、そんなこんなで、休もうと思っても仕事のことを考えなければならないのだ。

今の時代、みんなそうなのだろうか?

さて、昨日の講演のあとに、「地元の専門の先生」から云われた言葉が、いまでも二日酔いのように残っている。

曰く、

「もっと地元の方を向いて、地元の人たちが自分たちのことととらえられるような話をすべきだった」

「あれでは、成果が地元には還元されず、自分たちのものになりかねない」

と。

僕のこれまでしてきたことが、「地元」の方を向いていない、ということのようだ。

その先生は、ご自身でも言っておられたのだが、つねに地元の人たちのことを考えて仕事をされていた。それは、とても尊敬に値するお仕事だった。僕になんか、決してまねのできないことである。

僕は僕で、ある「地元」に14年ほどいて、自分の能力の低さに苦しみながらも、地元の方々に還元できるような仕事の成果を出そう、と、自分なりにがんばってきたつもりだった。

でもそれは、成功したとはいえなかった。それは、その先生が指摘するとおりである。

そもそも僕は、自分のしていることが、社会の役に立っているとは思っていないし、多くの人々に理解されていることだとも、思っていない。

だから、自分の仕事に引きつけて「地元の人」を組織化することなんて、できなかった。もともとそんな能力もないのである。

僕のしている仕事が、「地元」の人たちを動かす力になりえないことも、自覚している。

しかしながら、いろいろな場面で、公的にかかわらざるを得ず、いつもその葛藤に苦しんだ。

僕自身、「社会的に正しい」ことを続けていく能力がないのだ。

だから、「社会的に正しい」ことを実践し、続けている人をみると、尊敬してしまう。

その一方で、「俺にはできないよ」と思ってしまう。

僕は昨日、自分のできる限りの精一杯の講演をしたのだが、それは、毎回のことである。

自分にできることは、そのていどである。

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講演行脚、これにてお開き!

6月25日(日)

今週3つめの講演を、なんとか乗り切った。

イベントが始まる前や休憩時間、そして終了後に、何人かの人が入れ替わりに私のところにやって来た。

まずは、「前の勤務地」で働いているYさん。ついこの前の4月も、調査のためにYさんの働く職場に出張したばかりだった。

「ここまで来るのに、車で4時間かかりました」という。

次に、「前の前の職場」の初代教え子だったMさん。今はこの県の隣にある、日本海側の県に住んでいる。

「ポスターで先生の名前を見つけて、午前中の防災訓練を終えて、車で2時間かけてきました」

嬉しいかぎりである。

それだけではなかった。

かつて、この県内で一緒に調査したことのある方たちが、何人か来ていた。

「先生、覚えていますか?17年くらい前にうちに調査に来てくださった…」

「ああ!覚えてます!ご無沙汰しています」

「先生、覚えていますか?5年ほど前にうちに調査に来てくださった…」

「もちろん覚えていますよ」

と、そんなふうに挨拶を交わしながら、何人かと再会した。

今でも思い出して、足を運んでくださったことに感謝した。

さて、肝心の講演の内容だが。

終わったあとに、地元の専門の先生からアドバイスをいただいた。

「話は面白いが、地元の人にとってはどうだろう。僕みたいに地元の人と一緒に活動している者からすると、地元の人に本当の意味で還元できるような成果を発信しなきゃダメだよ。もっと寄り添わなきゃ」

「はぁ、そのとおりです」

自分の講演内容が、いつも頭でっかちで自己満足のものであることは、自分でも心得ていたので、常に信念をもって実践しているその先生のアドバイスは正しかった。

しかし、知的好奇心を喚起することも、「地元の」方々を奮起させる原動力にはならないだろうか?

…と、少し反論しようと思わなくもなかったが、体調が悪いとそんな気も起こらず、その先生の説く正論にただただうなずくしかなかった。

まあそんなことよりも、いろいろな人と再会できたことを喜ぼう。

イベント終了後、「前の前の職場」の初代教え子のMさんが、帰り道だというので、「新幹線のとまる駅」まで車で送ってくれた。

帰り道、いろいろな話もできたし、予定より1本早い新幹線で帰ることもできた。

今日のような体験をしたときに、いつも思う。

「過去に会った人はすべて、自分にとっての財産である」

と。

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講演行脚

6月24日(土)

今週2つめの講演会は、職場が会場である。

ただし、少し特殊な講演会で、「植物しばり」の話をしなければならない。

聞きに来る人たちは、みなさん植物が大好きな人たち、つまり植物マニアである。

しかし私は、植物について、今までちゃんと勉強したことが一度もない。

つまり「話し手」よりも「聞き手」の方が、はるかにプロなのである。

50人くらいのマニアたちの前で、ド素人が偉そうに講演をする。

これを「釈迦に説法」と言わずして、何と言おう。

困ったなーと思い、苦し紛れに、「薬草」をテーマにした話をした。

これだって私はまったくの門外漢である。

なんとか1時間半ほどの話を終え、無事に終了した。

講演が終わったあと、聞いていただいた何人かの方たちから、植物についてかなりマニアックな知識を教わった。

さらに、である。

「あのぅ…実は、私、薬学部で准教授をしております」

という方もいて、軽く死にたくなった。

さて。

講演会が夕方に終わり、今度は、その足で今週3つめの講演会がおこなわれる場所へと向かう。

といっても、今日のうちには到着できないので、その手前の町まで行って、泊まることになった。

私にとっては、初めて訪れる町なので、いったいどんな町なのか、まったくわからない。

新幹線と在来線を乗り継いで、4時間半ほどかかり、その町に到着したのが、午後9時過ぎである。

駅を降りると、街灯もなく、辺りは真っ暗である。

Photo泊まるホテルは、駅の真横にあった。

(しかし、まわりに何もないぞ…)

コンビニで、明日の朝御飯を買わなければならない。

フロントでチェックインしたあと、フロントのおじさんに聞いた。

「あのう…この辺りに、コンビニとかってありますか?」

「あ、それは川向こうですね」

「川向こう?」

川向こう、といわれても、私はこの町に来たのが今日が初めてなのだ。しかもこんな真っ暗では、どこに川があって、どこに橋があるのかなんて、まったくわからないのだ。

「地図をどうぞ」

といって、簡単な地図を渡された。

「川向こう、といいますと、この駅の反対側ですね」

と、地図を見ながら私が聞くと、

「そうです。川向こうですから」

当然だ、といった感じでそのおじさんは答えた。

「で、コンビニはどの辺に…?」

「川向こうです」

川向こうです、の一点張りである。

これ以上埒があかないと思い、簡単な地図を見ながら、歩き始めることにした。

(まずは、川を渡らないとな…)

地図のとおりに歩いて行くと、大きな橋にぶち当たった。

予想していたよりも、はるかに幅の広い川である。

(この川を渡るのか…)

真っ暗な橋の上を、とぼとぼと歩くと、橋の向こうに明かりが見えた。

(商店街だ!)

しかし近づくにつれ、不安になる。

(商店街、全部シャッターが閉まっているぞ!)

まあ無理もない。夜9時を過ぎているのだから。

やがて橋を渡りきり、商店街に入る。

Photo_3とぼとぼと歩くのだが、人はおろか、車もまったく走っていない。

誰とも、すれ違わないのだ。

(このまま、商店街を突き進んでも大丈夫だろうか…)

だんだん不安になってきた。

もう一度、地図を見直すと、途中、右に曲がるとコンビニがあるらしい。

信号のところで右に曲がるのだが、やはり人っ子ひとりいない。

商店街から離れ、だんだんとまた町が暗くなっていく。

(うーむ。本当にコンビニは存在するのか?)

かれこれ30分近く歩いているぞ。

もはやこれまでか、とあきらめかけたとき、コンビニの看板が見えた。

(助かったぞ-!)

さて、同じ道を帰るのか…。

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老先生との再会

6月22日(木)

「前の職場」でおこなわれる会合で、全国から来た100名ほどの前でお話しすることになった。

その会合には、「今の職場」の社長と、副社長2人、それに何人かの同僚が来ていて、つまり僕は、「前の職場」の同僚と「今の職場」の同僚の前で話をするという、まことにふしぎな体験をした。

それだけではない。

大学時代のサークルの1つ上の先輩だったSさんも、職場のある東海地方からその会合に来ていて、10数年ぶりに再会したのだった。大学時代、その先輩とはバカなことばかりやっていたが、今は同じような立場にいる者として、同じ会合に出席しているのだ。

自分の人生の、いろいろな段階で出会った人たちが、たまたま一堂に会して、その人たちの前で僕が話をする…。

考えようによっては、これほど幸福な体験はない。こんな体験、もう二度とないだろうな。

午後4時、なんとか無事に終わり、1時間ほどの休憩である。

この1時間の空き時間に、会う約束をしている人がいた。

地元の老先生のIさんである

Iさんは、県内の企業を退職されたあと、独学で自分の好きな研究に打ち込んだ。その研究は、人間への温かいまなざしに支えられた研究だった。

僕にとっては人生の大先輩で、僕が前の勤務地にいたとき、どれだけIさんにお世話になったかわからない。

今でもたまにメールのやりとりをしていた。

で、この日の「前の職場」での会合の、1時間の休憩時間を利用して、会う約束をしたのである。

僕の教え子で、いまは自分の母校ではたらいているT君も一緒に、3人で1時間ほどお話をした。

話の内容は、もっぱら老先生がこれまで手がけてこられた研究についてで、僕は、I先生に、自分の知りたいことをいろいろと質問した。

傘寿を越えた今も、Iさんの知的好奇心は健在で、僕はそのお話を聞きながら、元気をいただいたのである。

「またお会いしましょう」

お別れしたあと、すぐにメールが来た。

「とても刺激的な話でした。ありがとうございました」

とんでもない。刺激を受けたのは、僕の方ですよ。

僕とIさんの会話を横でずっと聞いていたT君は、その様子を見てどんなことを感じたのだろう。

きっと、この2人は不思議な関係だ、と思ったことだろう。

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椀が出来ます

6月21日(水)

一昨年のことだったか、あまりなじみのない出版社から、ある「企画もの」の1冊の中の1章分を執筆してくれという原稿依頼があった。締切は昨年の8月末だったかと記憶しているが、締切を2カ月半ほど過ぎて、昨年の11月半ばくらいに原稿を出した。

その後、年度末くらいだったかに初校が出たのだが、私の書いた原稿が面倒な内容だったこともあり、かなり赤を入れて返送した。

(あれだけ赤を入れたんだから、再校で確認しないとな…)

その後まったく音沙汰がなく、再校も出ないので、不審に思っていたら、今日、その出版社からメールが来た。

「先般来、御世話戴いております本の件、お陰様で6月26か27日には出来上がることになりました。執筆者には即日ゆうメールにて発送致します。お届け先にもよりますが、早ければ翌日、遅くても6月29日頃までには到着かと思われます」

ええええぇぇぇ!!!

いきなり本が出るの???

再校を見ないまま本が出る、というのは不安である。

しかしもっと不思議なことがあった。

それは、出版社から来たメールの件名である。

「椀が出来ます」

というタイトルなのである。

「椀が出来ます」って、どういう意味だ???

何らかの誤変換だという予想はつくのだが、それが何なのかが、わからない。

「本が出来ます」

の誤変換だろうか?

しかし、「ほん」と打ち込んで「椀」という漢字が出てくる可能性はないだろう。

では、「椀」とは「わん」、すなわち、数字の1の意味の「ワン」だろうか?

だが、その「企画もの」は、第1巻ではなく、第4巻なのである。

第4巻を指して、

「ワンが出来ます」

というのもおかしいのだ。

それとも、文字通り、

「椀が出来ます」

という意味だろうか?

だとすれば、本文との関係がまったくわからない。

いったい、

「椀が出来ます」

という件名は、何を訴えようとしていたのか???

…というか、送信前に、この件名がおかしいことに気がつかなかったのだろうか?

摩訶不思議である。

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感謝

6月18日(日)

私がホスト役をつとめる、2日間にわたる会合が、無事に終了した。

私自身、体力的にキツかったこともあり、不手際なことが多かったり、ご迷惑をかけたりしたことも多かったが、なにより各地から参加いただいた方々に支えられた。

北陸地方からいらした、ふだん、ほとんどお話しする機会のない方から、

「これ、おみやげです」

と、日本酒をいただいた。

そんなことをしていただくような習慣などまったくない会合ないのだが、そのお心遣いに感謝した。

日本酒が飲めるようになったら、美味しくいただこう。

会合に来ていただいた人は忙しい方々ばかり。その方たちが、来てよかったと思ってもらえるような会合にしたかったのだが、はたしてどうだっただろう。

集まっていただいた方々の期待にこたえるような成果を出さなければならないと、肝に銘じた。

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スペシャリストのタジマさん

6月15日(木)

妻がiPhoneの機種変更をするという。

auショップに行ってみると、

「機種変更には応じられるが、データの移行はお客様でやってください」

という。

妻も私も、そのあたりはまったくの機械音痴である。

「どうすればいいのですか?」

「iPhoneのコールセンターに電話をかけて聞いてください」

の一点張りである。

で、とりあえずいったんお店を出て、教えられた番号のところにかけてみた。

「iPhoneの機種変更のために、データの移行をしたいのだが、やりかたがわかりません」

というと、

「お使いの会社はどこですか?」

「auです」

「auの場合ですと、お客様の電話帳が、ひょっとしたらauのサーバー上にある可能性があります」

「どういうことですか?」

「つまり、もしその場合、いったん、そのサーバー上の電話帳を、iPhone内に移行した上で、データ移行しなければなりません。ですので、まずその確認が必要です」

「じゃあ、自分が使っているiPhoneの電話帳が、iPhone内にあるのか、auのサーバー上にあるのかは、どうやったらわかるのですか?」

「それはauのコールセンターで聞いてください」

と言われて、auのコールセンターの番号を教えられた。

今度はauのコールセンターにかけて、自分のiPhoneの電話帳データがどこにあるのかを聞いた。

どうやら、サーバー上ではなく、iPhone内部にあることが確認できた。

あらためて、iPhoneのコールセンターに電話をかける。

「auのコールセンターにかけて確認しました。電話帳データはiPhone内にあるようです。データ移行の方法をお願いします!」

「いま、お近くにノートパソコンはありますか」

「いえ、出先なもので」

「できればノートパソコンが近くにあった方が…」

というわけで、いったん家に戻り、ノートパソコンの電源を入れ、iTunesを立ち上げて、iPhoneをUSBケーブルで接続した。

その状態で、再びコールセンターに電話をかけた。

また最初から説明である。

「かくかくしかじかで、iTunesを立ち上げてiPhoneを接続した状態のノートパソコンの前にいま座っています!データ移行のやり方を教えてください!」

「3分ほどお待ちください。いまスペシャリストを呼んできますので」

といって受話器から音楽が流れた。

スペシャリスト???

3分ほどたって、再びコールセンターの受付の人の声が聞こえた。

「ここからは、スペシャリストに代わりますので…」

すると今度は違う人の声で、

「どうも、ただいまご紹介にあずかりました、スペシャリストのタジマです」

おいおい、自分でスペシャリストと言ってるぞ!

「ではこれからご説明いたします。お客様の画面をこちらでも拝見しながらご説明したいのですが、よろしいでしょうか」

「はあ」

言われたとおりにセッティングすると、あら不思議、こちらのパソコンの画面があちらにもそのまま見えるような設定にしたらしい。

あとは言われるがままに操作をして、無事にデータ移行が終了した。

「ありがとうございました」

「いえいえ、私、スペシャリストのタジマが担当いたしました」

といって電話が切れた。

…たしかに、「スペシャリスト」の肩書きにふさわしい、鮮やかな説明だった。

スペシャリストを疑って悪かったと反省した。

しかしそれにしても、である。

機種変更をするのに、こんなに手間がかかるのは、どうだろう?

何カ所もコールセンターに電話をかけたり、いったん家に戻ってノートパソコンを立ち上げて、ケープルでiPhoneをつないだり。

IT社会なんて言ったって、ちっとも便利ではないじゃないか!!!

そもそもこのITの時代に、電話をかけて聞かないとわからないようなやり方をしているのは、どうも腑に落ちない。

どんだけアナログなやり方なんだ???

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準備

6月14日(水)

来週は、まったく異なる3カ所の場所で、まったく異なるテーマの話をしなければならない。

短いところで30分、長いところで、2時間。

話をする、といっても、とりとめのない話をするのではなく、決められたテーマに沿って、自分の仕事の成果を語る、といった内容である。

いわゆる講演である。

世に講演業というが、ああいう人たちって、どのくらい準備しているものなのだろう。

僕の場合、はなはだ不器用なこともあり、30分であろうが2時間であろうが、準備の労力には何の違いもない。1回の話を作るのに、1週間かかったりする。

だから実働時間は、話している時間の数十倍、ということがザラにあるのだ。

力を入れすぎて、30分の持ち時間で80枚くらいのスライドを作ったりして、

(ということは、1分で2枚以上ということか…)

なんてことになったりする。不安で仕方がないのだ。

以前に話したことを使い回せばいいじゃん、という話もあるが、これまでの経験上、いかなる講演においても、完全に使い回すことは、不可能である。そのつど、かなり補訂を加えていかなければならないのである。

しかも、である。

30分の話をするために、その場所まで5時間以上かけて移動する、なんてこともあるのだ。

少し前ならば、そんなことも誇っていたのだが、最近はちょっと限界気味である。

この業界、みんなこんな感じなんだろうか…。

なんとか迷惑をかけずに、乗り越えたいものである。

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るきさん人生

少し前のことだが、5月の大型連休の時に、高校時代の部活の人たちと再会した。年に1回の行事である。

OBたちの演奏会の後、1年ぶりに会った同期のKさんが、会場の外でみんなに立ち話で話していたことなのだが、その内容は僕にとって驚くべき内容のものだった。

公立高校の国語の教師をしていたKさんが、なんと、教師という職業を、きっぱりやめてしまった、というのである。

僕は、Kさんが高校の国語の教師であることが、天職のように思っていたから、50歳を前にして、その仕事をあっさりなげうってしまったことに、衝撃を受けたのである。

Kさんは本が好きで、高校時代に図書委員長をつとめていたし、母校の教育実習でも僕と同じときに教鞭をとったことがある。そのときから、Kさんの天職は、きっと国語教師なのだろう、と思っていた。

そして、大学を卒業して2年後、教員採用試験に合格し、公立高校の先生になってバリバリ活躍していると聞いたときは、夢が叶ったんだな、と思ったのである。

それから24年たち、教師を辞めてしまったというのだ。

ここ数年、自分が教師としてやりたいことと、生徒が望んでいることと、組織としての学校が望んでいることと、さらには親が望んでいることのすべてが、まったくかみ合わないものになってしまった、という。

そこに嫌気がさして、

(自分は、どうしてこうまでして、この仕事を続けてきたのだろう?)

という疑問が強くなり、辞める決意をしたというのだ。

「もうね、今のご時世、教師なんて、自分の理想通りにはいかないのよ。…あ、鬼瓦君も教員だったわね。ごめんなさい」

「…いや、俺ももう辞めたし…」

これからどうするの?と聞いたら、

「憧れのるきさん生活」

だという。

「るきさん生活?」

「るきさん」、という漫画があるらしい。

在宅で医療保険の請求書を処理する仕事をして、1週間で1カ月の仕事を終えて、あとは気ままに過ごす、という生活スタイルだそうである。一定期間研修を受ければ、すぐにでもるきさん生活に移行できるのだという。

つまり漫画を地でいく人生を、これから歩み始めるというのだ。

「私の人生はね、24年周期なのよ」とKさん。

24歳の時に、公立高校の教師になり、24年間つとめ続けた。そして48歳になり、それまでの人生ときっぱり決別して、まったく新しい生活を始める。

僕はKさんのことを誤解していた。てっきり、教師が天職だと思い込んでいたが、それは僕の勝手な思い込みで、実は自分に正直に生きることこそが、Kさんの生き方の本質だったのだ。

立ち話は5分ほどで終わり、Kさんは立ち去ってしまった。

来年もまた、立ち話でもできるだろうか。

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完成

少し前のことだが、自分が編集担当した職場の広報誌が、ようやく完成した。

前にも述べたが、編集委員の仕事は、任期が2年で、その2年間の間に、2冊の雑誌を刊行しなければならない。

今回は、前回に引き続き、いよいよ2冊目である。

まず、特集の企画を立て、コンセプトを作り、それにもとづいて執筆者を選定し、執筆依頼をする。

特集記事だけではなく、通常の各コーナーについても、執筆者を選定し、依頼しなければならない。

今回はそれだけでなく、雑誌のデザインの全体的なリニューアルの第1弾でもあったから、表紙や中身のデザインなども、業者のデザイン案をもとに、イチから作ることになった。

ちなみに今回の表紙の風景写真は、私が現地で撮影したものである。

たぶん、こういう形で編集に携わる機会は、これで最後だろうと思い、自分のやりたいことをすべてこの中に詰め込んだ。たぶん、僕にしかできない特集だったのではないかと、自負している。前回もそうだったけど。

ついでにもう1つ、長年手がけてきた自治体史が、ようやく刊行されました。

特急のすれ違う駅」でおなじみの町にかかわる仕事です。

どこかで見かけたら、目を通してみてください。

以上、業務連絡でした。

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幸せの選択

先日、ドラマ「孤独のグルメ」をみていたら、松重豊扮する主人公・井の頭五郎が、

「長崎ちゃんぽんにするか、皿うどんで攻めるか」

と、頭を悩ませている場面があった。

そうそう、私もまったく同じなんだよな。

長崎ちゃんぽんのチェーン店に行くと、

「やっぱりちゃんぽんかな、でも皿うどんも捨てがたいよな」

と、いつも迷うのである。

好きなものの中から、究極に好きなものを選ぶために、あれこれと悩むこと。

この時間こそが、最も幸福な時間なのではないか、と最近思うようになってきた。

たとえば、である。

大野雄二作曲の「ルパン三世のテーマ」という曲があるでしょう?

たぶん、この国に住んでいて、この曲が嫌い、という人はいないのではないか、と思う。

この「ルパン三世のテーマ」には、大きく、三つのパターンの編曲がある。

「ルパン三世のテーマ’78」

「ルパン三世のテーマ’79」

「ルパン三世のテーマ’80」

この三つの編曲の中で、どれがいちばん好きか?を考えているときが、いまの私にとって最も幸せな瞬間である。

(’78は最初の編曲で思い入れがあるし、’79はポップで斬新な編曲だし、’80はビッグバンド風で大人っぽいしなあ…)

と、いつも悩むのである。

みなさんは、どの編曲がいちばん好きですか?

大野雄二といえば、角川映画「犬神家の一族」の劇伴音楽も手がけているが、こちらのほうは、「ルパン三世 愛のテーマ」にも通ずるような、やや叙情的な音楽である。NHKの「小さな旅」のテーマ曲も、その系列に属する。

もう1つ私が好きなのは、むかしNHKで放映されていた「ルポルタージュにっぽん」のテーマ曲である。短いものだが、ルパン三世のテーマを思わせる軽快な曲だった。

軽快性と叙情性を兼ね備えた大野雄二の音楽は、最高である。

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連載

6月6日(火)

おかげさまで、インターネット連載は、打ち切りされる心配もなく続いている。

先日、編集担当者のkさんと、その上司のYさんと飲んで、いろいろな話をした。

僕にとっては、編集者は最初の読者なので、まずここをクリアしなければ、連載は続かない。

以前から一緒に仕事をしてきたKさんは、僕に対して、ほぼ全幅の信頼を寄せてくれていて、なんとか僕の文章をもっと多くの人に読んでもらいたいと思ってくれている。

「先生の文章は、いつも真剣勝負なので、編集者としてもやりがいがある」

とか、

「先生の文章の面白さを、どうやったらたくさんの人に理解してもらえるか、そこは編集者の責任です」

などと言ってくれたりするのだが、ただ、たまに僕がマニアックな方向に走りそうになると、

「それでは読者がついてきません」

と、やんわりとたしなめてくれたりもする。

僕はそれに対し、ときにカチンときたりもするのだが、頭を冷やして考えてみると、僕自身の思い上がりを思い知らされたりもする。

むかしから知るKさんに対して、上司のYさんは、この連載を始めてから僕のことを知るようになったので、Yさんが僕のことをどのように評価してくれているのかは、未知数である。

しかも以前は、週刊誌部門とか、いろいろな現場経験を積んできた人のようにお見受けするので、僕の書く頭でっかちの文章が受け入れられているのかどうかは、まったくわからなかった。ある意味で、最も厳しい読者といえるかも知れない。

翌日、上司のYさんから、短いメールが来た。

「昨晩は、貴重なお時間を割いておつきあいいただき、ありがとうございました。

最近お送りいただいた原稿を拝読していたので、連載の今後はますます充実すると分かっていて臨んだ酒席ではありますが、好きな作家の名前を聞かせて いただくなどし、とても興味深く、さらに編集者としての欲が出てきました。

今後ともどんどん「オリジナリティあふれる、おもしろい読み物」を書いていただきたく、重ねてお願い申し上げます。」

短いメールだったが、私にとっては激励のメールである。

とりあえず、首はつながったようである。

僕がめざしているのは、僕にしか書けないスタイルの文章である。

ほかの同業者が、書かないような文章。

いっちょ、真剣勝負で書いてみるか。

体調は悪かったが、かなり力を込めて、連載2本分を一気に書いて、先日、担当者のkさんに送った。

僕にしか書けないであろうスタイルの文章である。

ほどなくして、「追加の原稿を受け取りました。引き続きよろしくお願いいたします」という事務的な返信が来た。

さて、今日。

都内での会議中に、携帯電話がふるえた。

見ると、Kさんからの電話だったが、会議中のため、出られるはずもない。

(さしずめ、原稿の直しの催促だろう)

Kさんからの電話は、原稿の直しを催促する内容の場合がほとんどである。

会議が終わり、地下鉄の駅のあたりで折り返し電話をかけたら、別の人が出て、

「あいにく、Kはいま打ち合わせ中でして…」

という。

地下鉄に乗ったら、携帯電話がふるえた。

またKさんからである。

あいにく、地下鉄に乗っている最中なので、電話に出ることができず、ほどなくして切れた。

駅を降りて、次の電車に乗り換える間に、折り返し電話をかけてみた。

「Kはいまちょっと席を外しておりまして…」

どうもタイミングが悪い。

「この後また電車に乗りますんで、電車を降りたらまたこちらからかけます」

といって、電話を切った。

すると、ほどなくしてメールが来た。

「先ほどは、何度もお電話が行き違いになってしまい、たいへん失礼しました。

先日は、追加原稿をお送り下さり、ありがとうございました。

順次、公開へ向けての準備をさせていただいていますが、どの回もたいへん面白く、かつ興味深いお話ばかりで、あらためて先生には感謝する次第です。

ひと言お礼を申し上げたかっただけですので、折り返しのお電話は、いただかなくて大丈夫です。

お忙しいところ、申し訳ありませんでした。

引き続き、よろしくお願いいたします」

なんだ、それだけのために電話をよこしたのか。というか、先日送った原稿をいまごろ読んだんだな。

それはともかく、僕がめざしている、僕にしか書けないスタイルの文章を認めてくれたのは嬉しかった。真剣勝負が、通じたらしい。

これからも、続くかぎり、僕にしか書けないスタイルの文章を書き続けていこう。

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