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大林監督の遺言

2017年6月11日に東京で開催された「SHORTS SHORTS FILM FESTIVAL& ASIA 2017アワードセレモニー」という、映像コンペ作品の受賞作発表と表彰式がおこなわれた場で、審査員の一人である大林宣彦監督が、30分にわたるスピーチをした。

僕はそこで初めて知ったのだが、齢80になろうとする大林監督は、昨年8月、末期がんであることがわかり、余命3か月の宣告を受けたそうだ。ちょうどその日は、自分にとって最後の映画になるであろう作品「花筺」(はながたみ)をクランクインする、前日のことだったという。

その後、監督は病気と闘いながらその映画を撮りあげた。この冬に公開だそうである。

大林監督のスピーチは、SHORTS SHORTS FILM FESTIVAL& ASIA 2017の公式サイトの動画で見ることができる。

30分ほどのスピーチは、実によどみない、そして温かい「語り」だった。

聞いているうちに、ちょっと涙が出てきた。

自分が思春期のころに心酔した「神様」的な人が、数十年経ってなお、「変節」をせずにいることは、なによりも嬉しい。

俺はこの人を信じて間違いなかったのだ、という気になるのだ。

僕はこの人の「語り」にあこがれ、この人のように物事を語れたら、どんなにすばらしいだろうと思っていた時期がある。

スピーチのなかで大林監督は、「30年ほど前に黒澤明監督から受け継いだ遺言を、若い人に伝えたい」と語っているが、実はこれは、大林監督自身の遺言ではないかと思う。

30年ほど前、黒澤明監督が大林監督にどのようなことを語ったのかは、実は誰にもわからない。

スピーチのなかで紹介している黒澤明監督の言葉は、大林監督がかなり脚色を加えているのではないかと僕はみている。

しかし、である。

黒澤監督が晩年、強烈な反戦思想のもとに原発や核兵器の問題に警鐘を鳴らしていたことじたいは、紛れもない事実である。映画「夢」や「八月の狂詩曲」などをみれば、一目瞭然である。

だから、大林監督が語った「黒澤監督の遺言」は、真実だと思うのである。

スピーチのなかで大林監督自身が語っている。

「リアリズムではないけれども、事実を超えた真実、人の心の真が描けるのが映画ではないか」と。

大林監督の「語り」は、まさに映画そのものなのだ。

スピーチを聞けばわかるように、内容は現政権に対する強烈な批判に満ちあふれている。

「たとえば今私たちが正義を信じていますね。「私の正義が正しい。敵の正義は間違っている」。一体正義ってなんでしょう。私たち戦争中の子供はそれをしっかりと味わいました。私たちも大日本帝国の正義のために戦って死のうと覚悟した人間でした。しかし負けてみると、鬼畜米英と言われた側の正義が正しくて、私たちの正義は間違っていた。なんだ正義とは、勝った国の正義が正しいかと。それが戦争というものか。じゃあ自分の正義を守るためには年中戦争してなくてはいけないかと」

「戦争という犯罪に立ち向かうには、戦争という凶器に立ち向かうには、正義なんかでは追いつきません。人間の正気です。正しい気持ち。人間が本来自由に平和で健やかで、愛するものとともに自分の人生を歩みたいということがちゃんと守れることが正気の世界です」

大切なのは「正義」ではなく「正気」であることなのだ、という言葉は、僕の胸にストンと落ちる。

いまのこの国の政治家たちをみてみるがよい。正気を失った政治家、錯乱した権力者がどれほど多くいることか。そういうヤツらにかぎって、「正義」を振りかざしているではないか。

それを「映画」で立ち向かうことは、たぶんとても難しいことなのかも知れないけれど、それでも「映画」で立ち向かおうといる人がいることに、僕たちは希望を見いださなければならない。

さて、このスピーチを、会場の人たちは、どのように聞いたのだろうか。

僕のような「大林信者」は別として、そうでない人の中には、説教くさい、と思った人がいるかも知れない。

映画のイベントの場で、政治の話なんかするなよ、と思った人もいるかも知れない。

話が長いな、と思った人もいるかも知れない。

でも僕は、そんなことのすべてを超越するスピーチだったと思う。

幸い、公式サイトでスピーチの全文書き起こしをしてくれていた。

ここでも、その一部(スピーチの前半部分)を、記録として引用しておきたい。

(参考)2017年6月11日の、大林宣彦監督のスピーチ

「ハリウッドならば、アカデミー賞ならば、ここでIt’t show timeというところで、私がタップダンスをひとつをご披露できればいいんですけれども、齢80にならんとする、じじいでございます。

このじじいがなぜここにでてきましたかといいますと、私ごとながら、去年の8月に私の映画人生76年の集大成として、映画を作ろうとしたその前日に、肺がん第4ステージ余命3か月という宣告を受けまして、本当はいまここにいないのですが、まだ生きております。

そんなわけで生きてるなら皆さんに、映画ならではのエンターテイメントをひとつお伝えしたいと思いまして、私がひそかに大事にしておりました、黒澤明、世界を代表する黒澤明監督、私のちょうど親子ほどの年齢ですが、晩年大変かわいがっていただきましてね、私を含め、未来の映画人に遺言を残されております。その遺言を私はただ1人胸に温めていましたので、今日それを皆さんにお伝えしようとして、命がけでここに今立っております。

さて、黒澤明さんもね、実はアマチュアの大先輩なんですよ。黒澤さんも東宝という日本の映画界の会社の社員でございましたから、自由に映画を撮ることはできなかった。会社という制度の中で、その商品としての映画を作るために黒澤さんは自分の自由と、自由な表現と闘いながら闘いながらすぐれた映画を残していらっしゃった。しかしそれは非常に不自由な映画製作でした。晩年黒澤さんが東宝を離れて黒澤プロダクションという自由の身になられました。その時のことを黒澤さんは私にこう言いました。

「大林くんなあ、僕も東宝という会社制度から離れてようやくアマチュアになれたよ。アマチュアというのはいいねえ。どんな制度にも、俺たちは国家の戦争という制度にもしばられて、なんにも表現の自由がなかったけれども、今や僕はアマチュアとして自由に僕が表現したいことをやるんだ」と。

そして黒澤さんは核の問題、原爆の問題、戦争の問題、さらにはご自身が少年時代にあった戦争の暮らし、そういうものに正直に胸を開いてきちんと映画化されながら、亡くなっていらっしゃいました。

その大先輩の遺言を最後にお伝えするためにこれから少し時間を頂戴してお話させていただきます。

はい、私、「じじい」と言いましたけど、その意味はここでは戦争を知っている、体験した世代ということでございます。

私のね、ふたつみっつ兄貴の世代が、しっかりそこを頑張って、いろいろ伝えて表現してくれていたんですけれども、やはり物事は順序でこの2~3年でみんなあの世に逝ってしまいました。思えば私がその世代を知っている最後の弟分になりました。なのでそのことをみなさんにお伝えしたいと思います。

さて、みなさんね、戦争というとどうなんでしょう。今は平和でそんなものなくて、今とは全く違って戦争の時代っていうとなんか時代劇を見ているようなはるか昔の自分とは関係ないような時代だとお思いでしょうけど、戦争というものはね、ここにあったんですよ。ここにあったんです。この日常のなかにあったんです。

どういう形であったか。そう、私はまだ子供でしたけどね、たとえば日本が真珠湾奇襲攻撃をした時、私たち少年は「日本勝った!敵負けた!ルーズベルトとチャーチルをやっつけた!日本の正義はたいしたもんだ!」といってね、提灯担いでみんなで浮かれたもんですよ。しかしたった4年間で情勢はどんどん変わりましてね、我が家は古い港町の医者の家でね、医者の家っていうと、当時の、まあ町の権威の象徴でありまして、長とつく人がみんな集まりましてふんどし一本になりまして、天下国家を論じる場所でした。

そういう2階の大広間に集まる大人たちに向かって私たち子供は、階段を忍びあがって、大人たちの様子をそれはしっかりと伺っていたものですけどね、私のような子供が入っていくと大声で話していた大人たちが急に、悪いこと言って聞かれるんじゃないかって感じで黙り込んじゃうんですよ。

そこに制服姿の若い兵隊さんがいましてね。憲兵さんでしたけれど。憲兵さんといえども、医者の長であるうちの爺さんにはかないませんから、大人しくお話を拝聴させていただきますといってかしこまっていましたけど、その横に彼と同年配の私の叔父がいまして、これは肺病を病んでいて戦争にいくことができない、兵隊になることができない、国家のために命をささげることができないから、非国民、国民にあらざる者、人間にあらざる者というように蔑まれていたんですがね。

その叔父が、「もう日本は負けるよ、負けたほうがいいよ」なんてつぶやいていました。翌日いなくなりまして、3日後に青あざだらけでその憲兵さんに背負われて帰ってきました。その時の憲兵さんも全く違った顔してましたね。人間の顔ってこんなに権力によって違うものかっていう顔をしてました。

そしてそれから日本は敗戦に向かうわけですが、私は原爆が落ちた広島の近くの生まれですし、私の妻は同年配で東京大空襲で3月10日に死ぬ思いをしたのですが、なんと妻の父親は逃げも隠れもせず2階の窓を大きく開いて娘に、「見なさい。花火のように綺麗だろう。しかしこの花火のひとつひとつの下で今人が首をもがれ手足をもがれ、命を奪われていってるんだぞ、よく見ておけ!人間というものはこんなに愚かしい生き物だぞ。よく見て覚えておけ!」と言ったそうです。

そうしているうちに、ご近所はみな焼けて、うちの妻は死にもの狂いで逃げ延び助かったようです。義父はそのまま田舎に引きこもりました。愛する息子を海軍の予備隊で亡くしておりまして、人生の夢すべてを失いました。

戦争とは、人が人であること、人の人生、命、全てを失ってしまう。こんな理不尽な無益な恐ろしいものは決してあっちゃいけないということがたった70年前までみなさんここにあったんですよ、何の不思議もなく。しかしそのことを私たちが今忘れてしまっている。この忘れてしまっていることがね、今の時代の大変な悲劇になっていると思います。

たとえば、戦争も理屈があります。これも外交手段のひとつですからね。おまけに戦争をすれば、経済も高まるという風な説もあります。いろんな理屈があって、戦争が再び起きるということは十分にあるわけです。しかし、より強い国の核の下に入ったら守ってくれるといって守ってくれたことがありますか?今後も決してありません。自国は自国のためにだけ戦争をします。あるいは抑止力なんてありますか?抑止力なんかあった試しがございません。そういう戦争の理不尽をよく知っていた私たちがいなくなってしまったこと。この断絶が怖いです。

私たちは支配者を選びますが、当然選挙によって選びますから、支配者は私たちの代表です。代表である支配者が良き支配を行ってくだされば安心なんですが、その支配者であられる人たちが戦争の実態をもう誰も知らない。第一次・第二次大戦のあの悲劇の虚しさ恐ろしさを、理不尽さを生身で知って、「何が何でも戦争なんて嫌だ!嫌だ!金が儲かろうと、嫌だ!」そう言い切れる人がどんどんいなくなっていることがですね、支配者たちが行う政治が、本当の人間としての責任を持ちえないものになってくるのではないかという怯えが私にはあります。

黒澤さん自身もね、そういうことの中で晩年、核の問題や戦の問題を描かれていましたけれども、その黒澤さんが遺言におっしゃったことはこういうことです。

「大林くん、人間というものは本当に愚かなものだ。いまだに戦争もやめられない。こんなに愚かなものはないけれども、人間はなぜか映画というものを作ったんだなあ。映画というものは不思議なもので、現実をきちんと映し出す科学文明が発明した記録装置なはずだったんだけれども、なぜか科学文明というものは年中故障する。故障ばっかりするのが科学文明だ。でも故障したおかげで、記録が正確じゃなくて、人物がすっ飛んだり、とんでもないところに飛んでいったり、おかしな映像がたくさん生まれたぞ。そしてそれを生かしていけば、事実ではない、リアリズムではないけれども、事実を超えた真実、人の心の真が描けるのが映画ではないか」

そう、嘘から出た真。まさに映画とは、大ウソつきです。しかしその嘘をつくことで世の中の権力志向から、上から下目線というものが全部壊されて、でんぐり返って見えてくるものがある。

たとえば今私たちが正義を信じていますね。「私の正義が正しい。敵の正義は間違っている」。一体正義ってなんでしょう。私たち戦争中の子供はそれをしっかりと味わいました。私たちも大日本帝国の正義のために戦って死のうと覚悟した人間でした。しかし負けてみると、鬼畜米英と言われた側の正義が正しくて、私たちの正義は間違っていた。なんだ正義とは、勝った国の正義が正しいかと。それが戦争というものか。じゃあ自分の正義を守るためには年中戦争してなくてはいけないかと。

そうだ、だから戦争をするんだよという人もいるでしょう。しかし日本は、負けたおかげで憲法9条という、奇跡のような宝物を手に入れました。もし世界中の国全部が憲法9条をもっていたら、世界から戦争はなくなっちゃうんですよ。こんな不条理ともいえる、夢ともいえる、世の中の現実とも合わないといえる、まさに事実には合わない憲法だけれども、真には合う。それを信じることが映画の力なんですね。

そういう意味で黒澤さんはこうおっしゃいました。

「僕はもう80で死ぬけれども、映画には必ず世界を戦争から救う、世界を必ず平和に導く、そういう美しさと力があるんだよ。しかし戦争はすぐ始められるけれども、平和を確立するには少なくとも400年はかかるなあ。俺があと400年生きて映画を作り続ければ、俺の映画できっと世界を平和にしてみせるけれども、俺の人生はもう足りない。大林くん、君はいくつだ? そうか50か。俺はもう80だ。しかし俺が80年かかって学んだことを君は60年でやれるだろう。そうすると君は20年俺より先にいけるぞ。君が無理だったら君の子供、さらにそれがだめなら君の孫たちが、少しずつでも俺の先をやって、そしていつか俺の400年先の映画を作ってくれたら、その時にはきっと映画の力で世界から戦争がなくなる。それが映画の力だ。そのために俺は、さらに先輩である日本やアメリカやヨーロッパのひとたちの映画から学んできた」。

映画というものは素晴らしいものでね。太平洋戦争で日本はアメリカに負けたんですけれども、私たちがマッカーサーの指令で見せられた映画、なんとね、これはハリウッド映画というんですが、アメリカ映画じゃなかったんです。ハリウッド映画というのは、第一次大戦と第二次大戦で国を追われ、国を捨てて逃れてきた人たちが、アメリカという未開の国のハリウッド西海岸で、ここにならば私たちの理想の世界の、平和の世界の国を作ることができる。映画で作ることができるぞ、と作った映画なんです。

今でも8割がユダヤ系の人たちです。国のない人たちです。そういう人たちが作っていた敗戦国民の痛み、戦争の空しさをよく知っている国民の痛みを、私たちは観せられていたという、不思議なアイロニーに満ちた幸せもありましたが、これは何よりも映画というものが創立から持っていたということですね。

この混迷の時代ですけれども、どうか皆さんもその映画の力を信じてください。未来に向けていつか黒澤明の400年目の映画を私たちが作るんだと。

黒澤さんが最期におっしゃいました。

「お願いだから、俺たちの続きをやってね。映画というものは、記録装置ではなくて記憶装置だから。人と人との心のつながりが、物語としてつむげるんだよ。それが映画の物語のいいところだ。この物語が、嘘をつきながら真を描くことができるんだ」。

戦争という犯罪に立ち向かうには、戦争という狂気に立ち向かうには、正義なんかでは追いつきません。人間の正気です。正しい気持ち。人間が本来自由に平和で健やかで、愛するものとともに自分の人生を歩みたいということがちゃんと守れることが正気の世界です。政治や経済や宗教までもがどうしても正義をうたうときに、私たち芸術家は、表現者は、人間の正気を求めて、正しい人と人の幸せの在り方を築いていこうじゃありませんか。」

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