腹心の友
最近は身のまわりにさして面白いことも起きないので、書くこともあまりない。
ニュースを見れば、不愉快なことばかりだ。
「腹心の友」という言葉を、最近よく耳にする。
なんとなく、気持ちのいい言葉ではないなあ、と思っていたら、コラムニストの小田嶋隆さんがそのモヤモヤした気持ちを140字以内で見事に言い当てていた。
「本当のことを言うと友情を裏切ることになる。かといってウソを言えば自分自身を裏切る結果になる。だから腹心の友は何も言わない。っていうか、友以外の全世界を裏切るのが友情で、そういうのを美しいと思いこむヤンキー美学が、要するに「腹心の友」という言葉にこめられている真意なのであろうな。」
「個人的には国会答弁のデタラメさや恣意的な利便供与の疑惑以上に、「腹心の友」みたいな言葉を人前で平気で振り回すことのできる精神のできあがり方に最も強い忌避感を抱いています。」
なるほど、これで溜飲が下がった。
たとえば、である。
高校時代の友人・元福岡のコバヤシが、私に対して、
「仕事上の便宜を図ってくれ」
と言ってきたら、あんまりいい気持ちがしないだろうな。少なくともそれまでと同等の友人関係ではいられなくなるだろう。
そういえば、思い出した。
お金に困っていた大学院時代、何かいいアルバイトがないかなあと、高校時代の同級生だった友人・M君に話をしたら、
「俺の勤めている塾で講師にしてもらうよう、塾長にお願いしてみるよ」
と言ってくれた。
M君は、私にとって決して「腹心の友」だったわけではなく、たんに「3年間同じクラスだった友だち」にすぎなかったのだが、それでもありがたいことに、彼は「口利き」してくれたのである。
M君は、その塾では人気講師だったようで、稼ぎ頭のM君はその塾の中でかなり発言権のある人だったらしい。そのとき、塾講師の募集はしていなかったのだが、私のために特別に、塾講師の採用試験をしてくれることになった。
すぐにその塾から連絡が来て、
「模擬授業と面接をした上で、採用するかどうかを決めます」
という。数日後、私は模擬授業にのぞんだ。
ところが私の模擬授業は、さんざんなものだった。
模擬授業が終わったあとの面接で、担当の先生が私に言った。
「あのていどの模擬授業では、あまりにお粗末すぎて、うちの塾では採用は厳しいです。でもMさんのご友人ということなので、Mさんの顔を立てて、一応採用とすることにいたします」
私はその場で、採用を辞退した。
実力がともなわないのに、M君の縁故採用ということで、その塾に勤めるのは、耐え難かったからである。
それ以降、私は恥ずかしくて、M君と顔を合わせていない。
…あのとき、「模擬授業がお粗末だ」と罵倒された私が、数年後に教員稼業に就き、14年も続いたのだから、人生とはまことに不思議なものである。
思えば、このときの体験は、いろいろなことを教えてくれた。
「縁故採用は、あまり気持ちのいいものではない」
ということや、
「『おまえはその仕事に向いていない』と一度言われたくらいで、その仕事に向いていないと思い込む必要はない」
ということなど。
「腹心の友」だといって口利きをする方もされる方も疑問に感じていない人たちの神経が私にはわからない、と感じた根底には、このときの体験があったのだと、今になって思う。
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