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粋な黒塀、見越しの松

前回のコバヤシの小話の中で、「妾」という言葉が出てきた。

いまではほとんど死語に近い、歴史的用語である。

そういえば、立川談志が落語の枕で、

「いいかい、お妾さんってのは、マンションに住んでるんじゃなくって、『粋な黒塀、見越しの松』なんだぞ」

みたいなことを言っていたのを聞いた記憶があって、

(なるほど、つまり「お富さん」の歌詞に出てくるようなお屋敷のことだな…)

とその時思ったのだった。

それでまた思い出したのだが。

子どもの頃、盆と正月に必ず、母の実家に泊まりにいった。

母の実家は、東京の隣の県にあるのだが、在来線を乗り継いで3時間以上かかる陸の孤島のような町で、周りに何もない、実に鄙びた町だった。仮にその町を、K町と呼んでおこう。

母の実家は、平屋建ての、実に狭い家だったのだが、その隣の家は、それこそ「粋な黒塀、見越しの松」の歌詞にふさわしい、黒板塀と見越しの松に囲まれた、大きなお屋敷であった。

しかし、隣の家といいながらも、母の実家とはなんの交渉もなく、人の気配を感じることもなかった。

(あの大きなお屋敷には、誰が住んでいるんだろう?)

と、子ども心に不思議でならなかったのである。

7年ほど前、ひとり暮らししていた祖母、つまり母の母が亡くなり、母の実家は誰も住まなくなってしまった。実家を処分するという話題も出た。

数年前、法事の時だったか、お盆の時だったか、忘れてしまったが、母の実家はいまどうなっているんだろうと、懐かしさもあり、母と一緒に実家の前まで行った。

そのときに、母は実家の隣の家を見て、こんなことを言った。

「お隣さんも、もう誰も住まなくなって久しいけど、どうするんだろうねえ」

私は子どもの頃の疑問がよみがえった。

「隣のお屋敷には誰が住んでたの?」

「お妾さんよ」

「お妾さん?」

母の口からさらっと出た一言で、僕はお富さんの歌詞、「粋な黒塀。見越しの松」を思い出したのである。

そうだったのか!お妾さんのお屋敷だったのか。

だとすれば、本当にお富さんを彷彿とさせるお屋敷ではないか!

いったいどんな人の、どんなお妾さんだったのだろう?

もう少し詳しい事情を知りたい。

しかし、こんなことを母に尋ねたら、「おまえもお妾さんを囲いたいのかい」と勘ぐられて、面倒くさいことになりそうだし、どうしようと長い間逡巡していたのだが、今日、思い切ってメールで聞いてみることにした。

以下は、そのやりとりの一部始終である。

私「ふと思い出したんだが。K町の実家の隣に塀で囲まれたお屋敷があって、前に「あれはお妾さんが住んでいた家だ」って聞いたんだけど、どんな人のお妾さんだったの?そのお妾さん、いつ頃まで、何歳くらいまで住んでいたの?ちょっと民俗学的な関心から、事例を調べたいと思って」

最後の「民俗学的な関心」は、勘ぐられないためにとってつけた理由である。

すると母からすぐに、

母「チョット調べて後でメールします」

と返信が来た。

しばらくして、母からかなり細かい情報が送られてきた。以下、そのやりとり。

母「あのお屋敷のご主人はノグチさんという人で、私が物心ついた頃にはもういました。怖い顔のおじさんで、話したことはありませんでした。でもとてもよい生活をしていたように思います。

広い屋敷は、手入れをする人がいました。私は回覧板を持って行っても、入口で渡して、中に入ったことはないです。

私が結婚して実家を離れる前には、ノグチさんはなくなっていたと思いますが、K町では葬儀はしないで、東京でしたそうです。

その後、妾のおばさんは、しばらくひとりで居ましたが、ノグチさんの息子さん夫婦が、そのお屋敷に別棟を建てて住み、何年かして妾のおばさんは、自分の身内の所に引っ越していきました。75歳は過ぎていたと思います。現在は息子さん夫婦も亡くなり、誰も住んでいません」

私「ん?そうすると、そのノグチさんはお妾さんと同居していたってこと?本妻さんはどこに住んでいたの?」

母「本妻さんは誰も知らないね」

私「あのお屋敷は、ノグチさんの本宅だったの?」

母「違うよ。息子さん夫婦は定年になったか、引退してからK町に引っ越してきて、妾のおばさんと、別棟を建てていたのよ。孫は東京に居ると思います」

私「どうもわかりにくいな。するとあの家は、ノグチさんがお妾さんと住むための家で、本宅は東京にあったということかな?」

母「そうだと思います。私が小さい時は誰もノグチさんのことは詳しく知らないと思います」

私「なるほど、今までの話から推理すると、あのお屋敷はもともとお妾さんのために建てたもので、あるとき、本妻さんが亡くなったか何かで、ノグチさんが東京から移り住み、その後ノグチさんも亡くなり、息子夫婦が移り住んだと。そう考えて矛盾はないかな?」

母「そうだと思います」

私「わかりました。ありがとうございます。じっとしているばかりで退屈なので、ちょっと推理めいた話題をと思い、あのお屋敷のことを思い出したのでした」

母「今回の件で、○子(母の妹)と思い出したりしてみました。ノグチさんが怖い顔して、着物姿を思い出したりしてみました」

私「ノグチさん、、職業は何だったんだろうね」

母「それも証さなかったね」

私「なるほど、夜遅くまですみませんでした」

母「おやすみなさい」

…なんと、今回の件で、母は自分の妹(つまり私にとっての叔母)と、記憶を確かめるために電話で話をしたらしい。

また俺は、親戚中の笑いものだな。

まあそれはともかく。

私の推理をまとめてみると、こうである。

あのお屋敷は、東京に本宅があるノグチさんという人が、お妾さんのために建てたお屋敷だった。

当然、ノグチさんは、何かというとお妾さんのいるK町のお屋敷に顔を出したのであろう。

その後、本妻さんが亡くなったか、あるいは仕事を引退したか、そういった事情で、ノグチさんはお妾さんのお屋敷に住むことになった。おそらく、昭和20年代の後半頃のことであろう。

ノグチさんは、昭和30年代の後半頃には、亡くなったと思われる。

お妾さんは、その後しばらくひとりでその屋敷に住んでいた。ところが、ノグチさんの息子夫婦が、やはり引退を機にK町に引っ越してきて、このお屋敷に別棟を建てて、住むようになった。

お妾さんは、さすがに居づらくなったのだろう。しばらくして、自分の身内の所に引っ越していった。この時点で、お妾さんは75歳くらいであった。昭和50年代くらいだろうか?

やがて息子さん夫婦も亡くなり、あのお屋敷は無住の家となったのである。

いろいろなことを考えさせられる。

なぜ、K町という辺鄙な町にお妾さんのお屋敷を建てたのか?ノグチさんが東京から通うにも大変だろうに。

本妻さんとお妾さんの関係は、どうだったのか?

ノグチさんの息子さんは、お妾さんのことをどう思っていたのか?

そして最大の謎は、

「ノグチさんとは、いったい何者なのか?」

ということである。

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