文学を語るように政治を語ろう
10月22日(日)
僕は、司馬遼太郎の文体が、あまり好きではない。
よく、司馬遼太郎と松本清張が、歴史小説の巨頭として比較されたりすることがあったが、僕は断然松本清張派であった。
なので、司馬遼太郎の小説の熱心な読者ではなかった。いまもそうである。
そんな僕が、時代劇ドラマの中でいちばん大好きなのが、1981年のお正月に、TBSテレビで3夜連続で放送された、司馬遼太郎原作の『関ヶ原』である。
いまでも、DVDをくり返し見たりするほどである。
たぶん、これをこえる時代劇は、もうあらわれることはないだろう。いま上映中の映画『関ヶ原』を見たわけではないが、きっと足下にも及ばないはずだ。
なにより、出演陣が、これ以上にないというほど豪華である。徳川家康=森繁久弥、その謀臣の本多正信=三國連太郎、石田三成=加藤剛、その腹心の島左近=三船敏郎。この4人を中心に、物語が展開する。そのほかに登場する俳優たちも、これ以上にない布陣である。
どう逆立ちしたって、今の時代にこれだけの俳優を集めることはできない。
合戦場面はこのドラマのメインではなく、そこに至る人間ドラマに重きを置いている。
おそらく司馬遼太郎の原作がそうなのだろうが、それに加えて、早坂暁の脚本が実に秀逸である。
それに、TBSテレビの名作ドラマを量産した高橋一郎や鴨下信一が演出である。
つまり、脚本、演出、出演陣とも、これ以上にない顔合わせなのである。
さらに、音楽を担当したのが山本直純!このドラマのために作ったテーマ曲は、名曲中の名曲である!いまでも僕はくり返し聞いているほどである。
このドラマの中で、徳川家康と石田三成は対比的に描かれる。
権謀術数を使い、あの手この手を使って次第に勢力を拡大していく家康。
豊臣家への忠義にあつく、理想主義者で正義感の強い石田三成。
司馬遼太郎は、石田三成を義に生きる人物として評価し、これまでほとんど脇役に過ぎなかった彼を主役にすえた小説を書き上げたのである。ドラマでも、この視点を踏襲している。
豊臣家の権勢が揺らぎ、家康が力を持っているとみると、大名たちは露骨な媚態を見せて家康に擦り寄っていった。石田三成はその醜悪さを激しく嫌悪し、義を立てるという信念から、家康と戦うことを決意するのである。
関ヶ原の戦いでは、東軍(家康側)よりも西軍(三成側)のほうが、多くの軍勢がいたにもかかわらず、最後の最後で、惨敗を喫する。
理想を語り、その理想を支持するものが多数いたにもかかわらず、なぜ、石田三成は負けてしまったのだろう?
理想だけでは勝てない、ということなのだろうか。
もちろん、真実の歴史はどうだったのか、石田三成は本当に理想主義者だったのか、それはわからない。
あくまでも、司馬遼太郎の史観にすぎない。
しかし、司馬遼太郎がこのように描いてみせたのは、現代に生きた司馬遼太郎が、この国に染みついた政治風土と重ね合わせたからではないだろうか。
選挙が終わって思ったことは、そんなことである。
くり返すが、僕は司馬遼太郎の熱心な読者ではないので、理解が十分ではないことをお断りしておく。
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