想像ラジオ
10月9日(月)
3カ月ぶりの泊まりがけの出張である。
すべての仕事が終わり、さあ帰ろうとなったときに、歩けないくらいしんどくなった。たいした仕事はしていないのだが、やはり体力が相当落ちているようである。
しかし今回の仕事は面白い体験だった。
以前から、映像に関するイベントをやりたい、と思っていたのだが、それが、「前の勤務地」で国際的な映画祭がおこなわれているこの時期に、まさにその会場で実現したのである。
とはいっても、僕はただ企画の原案を出したくらいで、実際にそれを形にしてくれたのは、元同僚のSさんと現同僚のUさんである。
僕は体調不良のため全然準備のお手伝いができなかったのだが、せめてイベント当日には、何らかのお手伝いをしなければと思っていた。
で、そのイベントの打ち合わせのときに、古いフィルムの修復をしたりフィルムを高画質のデジタル映像に変換したりする会社の方に、いろいろとお話を聞くことができた。
なにしろこっちは、映像技術についてはド素人なので、聞くお話のすべてが新鮮である。
「最近は、視覚障害者が映画館で映画を楽しむための技術が開発されているんです」
「どういうものですか?」
「視覚障害者が映画を楽しむためには、副音声が必要でしょう?」
「ええ」
「あらかじめ、映像コンテンツのなかに、副音声を埋め込んでおきます」
以下の技術的な話は、知識のない僕が聞き取って書いているので、不正確な書き方をしているかも知れないが、お許しいただきたい。
「それを、映画館で映画を上映するときに、通常の音声と同時に、副音声もスピーカーから流すんです。ただし、人間の耳には聞こえない周波数に乗せて」
「はあ」このあたりの原理は、僕もちんぷんかんぷんである。
「いま、その周波数を変換するスマホのアプリがあって、それを使えば、通常は聞こえない副音声を聴くことができるんです。視覚障害者の方は、スマホから聞こえる副音声をイヤホンで聴けば、映画館の中で、ふつうに映画を楽しむことができるのです」
「なるほど。映画をふつうに見ている人には、通常の音声しか聞こえないけれども、スマホのアプリを使って周波数を変換して副音声を聴けば、視覚障害者の方も同じ映画館の中で映画を楽しむことができるわけですね」
「そういうことです」
うーむ。内容を正しく理解しているかどうか自信がないが、まあおおよそそのようなことである。
僕はこの話を聞いて、いとうせいこうの小説『想像ラジオ』のことを思いだした。
ある種の人々にのみ聞こえる、想像ラジオ。
たとえば、この世に、通常の周波数では聞き取れない、さまざまな声があったとしよう。
それは必ずしも、いま生きている者の声とは限らない。
失われた人たちの声は、現実にはもう聴くことができないが、もし失われた人たちの声が、生きている僕たちには聞こえない周波数で、いまもこの世界を飛び交っているとしたら…。
近い将来、僕たちがその人たちの声を聴くための技術が開発されるかも知れない。「想像ラジオ」を聴くための技術が、である。
そんな妄想をお話ししようとしたが、あまりにも恥ずかしいのでやめた。
ここだけの話にとどめておく。
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