身内びいき
この3連休、体調がひどく悪いので、とくに面白いこともない。
こういうときはいつも、読むに堪えないような、イラナイことをつい考えてしまう。
昨日以来、この国の社会の「前近代性」ということについて、考えている。「前近代性」という言葉は、もちろん比喩である。
一介の大統領補佐官にすぎない人物を、大統領の娘だという理由で、一国の首相自らが過剰な接待をする、という行動に、違和感を覚える。
大統領の娘に取り入れば、お父さんである大統領の覚えもめでたいだろうという発想と、首相夫人に取り入れば、首相に便宜をはかってもらえるという発想は、どこがどう違うのだろう。
政府が、大統領の娘に対してかくも過剰なパフォーマンスをして、それを何ら恥としないのは、この国では権力者の身内に取り入れば、特別に便宜をはかるものだという価値観について、権力の側が何ら疑っていないことを意味する。
もう1ついえば、この大統領補佐官がこれほどまでにもてはやされるのは、「容子(ようす)がいい」からであり、これもまた、いまの社会が本来克服すべき問題である。
もっとも、自分の娘を大統領補佐官にする相手側も、同じ価値観の上に立っているのかも知れない。
そう考えると、いま、かの国の大統領が推し進めている「多様性の排除」「差別の助長」といった政策と、自分の娘を大統領補佐官にするという発想は、前近代的なものへの回帰という1点において、つながっているといえる。
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