引導を渡す
「引導を渡す」とは、葬儀の時に僧侶が死者に迷いを去り悟りを開くよう説き聞かせることをいう。
葬儀の時、住職は父の棺に引導文を納めていた。
「引導を渡す」には、転じて「相手に仕方のないことだとあきらめさせること」という意味もある。
入院中、父の呼吸の苦しさが激しさを増したとき、その苦しさを和らげるために、最後の処置として麻酔薬のような薬を投与すると、医者に言われた。
その薬を投与すると、意識が混濁し、お話をすることができなくなります、とも言われた。
つまりその薬を投与するということは、父を早く楽にするということにほかならない。
父がいよいよ苦しみだしたとき、薬が投与され、父の意識がなくなり、呼吸は弱くなり、永眠した。
はたしてあのタイミングで、薬を投与することがよかったのか、しばらく煩悶した。
多少の苦しさはあっても、もう少し意識のある状態が続いたほうがよかったのではなかったか、と。
葬儀が終わり、あのときのことを冷静に考えてみる。
父は僕との会話のあと、ほどなくして苦しみ出し、最後に険しい顔をして「苦しい」と言った。いままで弱音を吐いたことのない父が、である。
そしてそのあと、医者は薬を投与した。
あの言葉は、「苦しいからもう楽にさせてくれ」と、僕たちに「引導を渡す」言葉だったのではないだろうか。
そう考えると、僕自身も少し救われる思いがする。
「引導を渡す」とは、死者に対してだけではない、残された者に対しても大事な通過儀礼なのだと思う。
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