父をおくる(抄)
11月12日(日)
父が入院したと、母から電話が来た。
2年ほど前から、父は酸素を吸入しながらの生活だったが、日常生活は、問題なくすごしていた。
だが、あまりにも呼吸が苦しそうなので、かかりつけの病院に行くことにしたという。
母が救急車を呼ぼうとすると父は、
「救急車なんか絶対呼ぶな」
と言って聞かない。
ふだんはおとなしい父だが、そういうときだけは、意地をはる。
大げさなことが、大嫌いなのだ。
仕方がないので、母はタクシーを呼んだ。
タクシーで病院に着いたとき、酸素の数値はかなり下がっていたという。
あとで医者の先生から、「なぜ救急車を呼ばなかったんですか!」と叱られたそうだが、救急車を拒んだのは、いかにも父らしい、と思う。
僕も僕で、、そんな母の話を電話越しで聞きながら、父のことだからまた飄々と乗り越えるだろう、と、その時は楽観視していた。
夕方、病院に見舞いに行くと、父の呼吸は苦しそうだった。
僕の顔を見ると、お、来たか、という顔をして、飄々と僕に話しかけた。
70歳を過ぎてから、2度の大きな手術をし、何度か入院している父は、いつも飄々としていた。
喋れば喋るほど呼吸は苦しさを増したようだが、苦しさをオモテに出そうとはしなかった。
僕も、たわいのない話をすることしかできなかった。
11月14日(火)
医者の先生が僕たちに、「かなり厳しい状態です」と言った。
どんなに酸素のレベルを上げても、ますます呼吸は苦しくなるだろう。
あとは、薬で、苦しみを和らげる処置を施すしかない、という。
ただ、その薬を投与すると、意識が混濁するので、お話しすることができなくなります、とも言われた。
あとは、その薬を、どのタイミングで投与するか、である。
11月15日(水)
朝、母から電話があり、呼吸の苦しさはさらにひどくなり、遂にその薬を投与することになりそうだ、という。母は日曜からずっと、病室に泊まり込みである。
僕は急いで病院に向かった。
病院に着くと、父は、お、来たか、という顔をした。
「なんかあったのか」と父が聞いてきたので、
「車のブレーキランプが切れちゃってね。昨日、交換したんだ。もう大丈夫だ」
と僕は言った。
それが最後の会話だった。もっと言うべきことがあったはずなのに。
それから少しして、父はものすごく苦しみだした。
父はとても険しい顔をして、
「苦しい」
と言った。
それが最後の言葉だった。
父は最後の最後に、弱音を吐いたように、僕には聞こえた。
「さっきまで普通に話していたのに、急に苦しみ出したりして…」と母。
「僕が来るの、待っていたのかな」
「そうよ。きっとそうだね」
それから薬が投与されて、意識が混濁状態になった。
それまで、まるで険しい山に登っているかのように激しくくり返していた呼吸が、次第に穏やかになっていった。
そして、電池が切れるように、呼吸のペースがゆっくりになり、やがてその呼吸も止まった。
なるほど、「事切れる」とは、こういうことかと、僕は思った。
午後2時32分。
母と、僕と、妹。
家族が揃って、父の最期を見届けることができた。
母は父に、「いままでよく頑張ったね」と声をかけた。母は、父の頑張りを、ずっと見届けてきたのだ。
夕方、父は自宅に戻った。
近所の人が10人ばかり来てくれて、父の顔を見てくれた。
みな、子どもの頃から父のことを知る人たちばかりである。
「Kちゃんは、おとなしくてとてもいい人だった」
「Kちゃんのことを悪くいう人なんて、1人もいなかった」
Kちゃん、とは父のことである。
それはそうだろう、と僕は思った。人のよさだけが取り柄の人だったから。
人のよさが災いして、損ばかりしている人だった。
うちが檀家になっているお寺の住職さんが駆けつけてくれて、お経を唱えてくれた。
「戒名には、どんな字を入れたいか、希望がありますかな?」と住職が聞いてきたので、
「根っからの善人だったので、『善』という字を入れてください」と僕は言った。
「わかりました。そうしましょう」
11月16日(木)
納棺式、というのをやった。
やはり近所の人が10人ほど来てくれた。
僕は映画「おくりびと」を見ていないが、たぶん、その映画に出てくるようなことをやるのだろう、と思った。
白装束に着替え、お化粧をした父の前で、参加者全員が、一つの豆腐を切って食べる。
豆腐を切って食べるというのは、縁を切る、という意味があるらしい。この地域独特の風習だそうだ。
老住職も駆けつけて、お経を唱えてくれた。
「こんな戒名はいかがかな」
住職が、一晩考えた戒名を見せてくれた。
昨日僕がリクエストした「善」の字も入っていた。
「とてもいい戒名です。父らしくて」
と僕は言った。
いくつかの行事をおこなったあと、布団に寝ていた父を、棺に納めた。
「いまにも話しかけてきそうなお顔ね」
「ほんと、穏やかな顔だ」
と、近所の人たちは口々に言った。
みんなで棺を持ち上げ、霊柩車に乗せた。
「クラクションは鳴らしますか?」と運転手さん。
「いえ、やめましょう。父は大げさなことが嫌いだったので」と僕。
救急車に乗ることも嫌がっていた父のことだから、きっと、クラクションを鳴らすことも嫌がるだろうと、僕は思った。
父を乗せた車は、静かに、もう戻ることのない自宅を出発した。
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